それは麻薬のような愛だった

春夏冬

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一章

2





お邪魔します、と遠慮がちに伊澄の家の玄関に入る。家に入るのは別に初めてではないのに、酷く緊張した。

「飲むもん持ってくから、先に部屋行っとけ」

「分かった。……あれ?おばさんは?」

「仕事」

伊澄の返事に更に緊張が増した。

彼の母が不在という事は、伊澄はひとりっ子なので家の中は自分達だけ。あの快活で明るい伊澄の母が迎えてくれると信じて疑わなかったので、思わず足がすくんだ。

そんな雫を他所に伊澄は特に気にした様子もなく、サンダルを脱いで家の中を進んでいく。

それを見送って、雫は自分の認識を改めた。

ただ、勉強を教わりに来ただけ。伊澄にとって自分はモブであり女ですらないのだから、と。


自分で思って勝手に悲しくなったが、例えそうであってもこんな機会は二度とないだろうと気持ちを切り替えた。

ローファーを脱いで玄関に揃え、2階にある伊澄の部屋へ向かった。

最後に彼の部屋に来たのはいつだったか、小学生の頃に何人かで遊びに来た以来で、記憶の中の部屋とは少し雰囲気が変わっていた。

落ち着いたというか、元々それほど物を置かない性格ではあったが更にシンプルになって洗練された部屋になっていた。

雫は自分の自室を思い浮かべる。

あまり整理整頓が得意でない雫の部屋は服や趣味の物で溢れかえっており、良く言えば子供っぽく、悪く言えば乱雑な部屋だなと苦笑した。

床に正座して鞄から数学のテキストを取り出し、伊澄を待つ。

どのページだったかな、とテキストをパラパラとめくっていると伊澄が部屋に入ってきた。その手には2つペットボトルが握られており、うち1つを差し出された。

ありがとうと言い、手を伸ばして受け取ろうとした時だった。

ペットボトルは意図的に落とされ、それを持っていたはずの伊澄の手が雫の腕を掴んでいた。

「え……」

言うと同時に、視界がぐらりと揺れる。気付けば伊澄の顔とその後ろに天井が見えていた。

「いっちゃ──」

最後まで言いきる前に口は塞がれた。突然の事に理解が追いつかなかったが、自分の唇と重なっているのが伊澄のそれと同じだと分かった瞬間、雫は思い切り彼の胸を押した。

「……なんで……?」

「それはこっちの台詞だ。お前が誘ってきたんだろーが」

「誘っ……」

身体がかっと熱を帯びて言葉を詰まらせていると、伊澄の長い指が雫の露わになっていた鎖骨を撫でた。

「会うなり胸元開けて、理由つけてはノコノコ家に上がってきたのはそういうことだろ」

違うと言おうとしたのに、声が出なかった。全身が心臓にでもなったかのようにドキドキと鳴り響き、頭が真っ白になる。

沈黙を肯定と捉えたのか、伊澄の唇が首筋に落ちてきた。

「……っ、あっ……」

短い声が漏れて、事が進んでいくにつれて次第にその声は恥ずかしくなるくらい甘みを帯びてくる。

そうして抵抗する事なく、雫は初めて異性と身体を重ねた。








そこに愛がない事など百も承知だった。

それでも別に良いとさえ思った。伊澄がどう思っていようが彼の事が心から好きだったから。初めてを好きな人で散らせるなら本望だった。

けれど予想外だったのは、その後。


「明日の昼、また来い」

下半身に鈍い痛みを感じながらブラウスのボタンを留めていると、ベッドの縁に腰掛けていた伊澄がそう言ってきた。

「……え…?」

「数学の課題やんだろ」

「………」

伊澄はこちらを見ない。課題のことなどすっかり頭から抜けていたし、この期に及んで何を言っているんだろうと不思議に思った。

けれど間も無くして流れてきた伊澄の視線に、雫は彼の言いたいことを察した。

「……分かった」

悲しくはなかった。例えどんな形でも好きな人といられる事は、すっかり伊澄を疎遠に感じてしまっていた雫にとっては嬉しいことでしかなかった。

あわよくば、このまま伊澄の彼女になれれば──なんて、馬鹿な期待を抱いてしまったのだ。

「じゃあ……また明日ね」

夏の昼は長い。けれどそろそろ帰らねば母に言い訳が立たなくなる。

そう思い立ち上がろうとしたのだが、思いの外脚に力が入らずよろけてしまった。 

「わっ……」

短い声が漏れて伊澄に向かって倒れかかる。咄嗟に伊澄は支えてくれたが、未だ上半身に衣類を纏っていない彼の肌を直に感じてしまい、先程の行為を思い出してかっと熱が集まった。

「大丈夫かよ」

「あ、ありがとう……」

あまりの恥ずかしさに目が合わせられず、それを伏せたまま体から離れた。今度はしっかり床を踏み締め立ち上がる。

もう一度伊澄へと挨拶をし、羞恥と嬉しさで訳の分からなくなった気持ちを抑えながら、雫は伊澄の家を後にした。





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