それは麻薬のような愛だった

春夏冬

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一章

8



「私も似たようなもの。それにしても、随分と遅くまで学校に残ってるんだね」

「家だと集中できねえんだよ」

「確かに。誘惑多いよね」

笑いながら言ってカレーをスプーンですくい、雫は再び伊澄へ問いかける。

「そういえば、中辛で良かった?うちいつも辛さもルウもこれなんだけど……」

「特にこだわり無いし、普通に美味い」

「……そっか。それなら良かった」

「ま、カレーを不味く作る方が難しいけどな」

「ひと言余計だよ」


それがなければときめいたのに。

そのままを言えば、伊澄は手を止め、視線を上げた。

「なに?」

「……別に」

何か言いたいことがあったんじゃないかとは思ったが、聞いたところで返ってこない事も分かったのであえて追い討ちはかけなかった。

音のない部屋に静寂が落ちる。伊澄が自宅にいる事なんて別に珍しくもないのに、食事をしているだけで、どうしてこうも緊張するのだろう。

体を重ねている時の方が、よっぽど恥ずかしい事をしているのに。


「……ご馳走様」

いつのまにか伊澄は食べ終えており、おかわりが必要かと聞けば「いらねえ」と返された。

「満腹になったら眠くなる」

「そっか。確かにそうだね」

ストイックな彼らしい。伊澄は食器を持って立ち上がると、シンクへと運び洗い物を始めた。

「置いておいてくれていいよ?」

「さすがに飯食わせてもらっておいて何もしねえわけにはいかねえよ。対価だ、対価」

「あ……じゃあ、ありがとう」

伊澄が洗い物をしてくれている間に雫も食べ終わり、空になった皿を持って伊澄の隣へ並ぶ。伊澄はそれを無言で受け取り、一緒に洗ってくれた。

乾燥は食洗機に任せるので綺麗になった皿を丁寧に詰め、乾燥ボタンを押す。

水の残るキッチン台を拭きあげながら、雫は隣で手を拭く伊澄に声をかけた。

「いっちゃん、手伝いありがとう。どうする?アイスでも食べる?それかもう帰……」

「雫」

名前を呼ぶと同時に伊澄の顔が寄り、唇が重なる。背中に回る手に雫は肩を小さく震わせ、伊澄を押し返した。

「いっちゃん…ダメだよ」

「………」

「お父さん……帰ってくるから、」

時刻は20時を半ば過ぎ、父の帰宅までそれほど時間は無い。案の定、伊澄はしばらく雫を見つめはしたが、そのまま何もせずに離れた。

(父親って、パワーワードだな……)

そう思いつつ離れていく伊澄に、雫はふと声をかけた。

「ねえ、いっちゃん」


——どうして私なの?


そう続けようとして、やめた。

今更それを聞いたところで何になる?もうあと数ヶ月もすれば高校も卒業で、進路が分かれる。

これまでだってこの関係を甘んじて受け入れていたのは雫自身だ。理由なんてどうだっていいと、都合がいいと割り切ったのも。

そもそも、自分は一体伊澄とどうなりたいんだろう。

初めは確かに伊澄の彼女の立場に憧れた。けれどそんなころころと取り替わるものになったところで意味は無いし、なりたいとも思わない。

(……ああ、そっか……)

雫はとっくに諦めていたのだ。伊澄の特別になることを諦め、見切りをつけていた。

恋というものを、手放していた。

ならばもう、この質問はまるで意味がない。


「……なんだよ」

急に黙り込む雫に、伊澄が訝しげな顔を向ける。その顔を見た雫は、穏やかに笑い返した。


「……ううん。……お互いに受験、頑張ろうね」

そう言って、帰宅する伊澄に手を振り見送った。



その後も伊澄との関係は何も変わらず、時折声がかけられては、誘いに応じた。

そんなことを繰り返しているうちに高校卒業を目の前にした頃にはもう──伊澄が好きなのかどうか、雫には分からなくなっていた。








「いっちゃん、私、家を出るんだ」


高校の卒業式の前日、登校の必要がなくなり、家にいた雫に伊澄から連絡がきた。

伊澄の家に赴き、いつものようにセックスをした後、服を着ながらおもむろに雫は言った。

「県外の大学に受かったの。明日の卒業式終わったらすぐに引っ越しするから」

未だベッドに横たわったままの伊澄が起き上がり、雫は背中を向けたままシーツの布が擦れる音を聞いた。

「だから今日でおしまい」

他意はない。この関係を終わらせるには丁度いいタイミングだと思ったからそう告げた。

伊澄の返答を聞く気は無いし、きっと彼は止めてはこない。案の定、伊澄は雫の着替えが終わるまで、一言も言葉を発さなかった。

服を全て身につけ、雫は部屋の入り口の前まで歩いてドアを引く。

部屋を出る前に一度だけ振り返り、伊澄に向かって笑顔で手を振った。

「じゃあ元気でね、いっちゃん。お互い大学生活楽しもうね」

そう言った時ですら、何も感じなかった。その時伊澄がどんな顔をしていたのかも覚えていない。


こうして物理的に距離が離れた事で、伊澄との歪な関係は至極あっさりと幕を閉じた。

当然、第二ボタンなんてものはもう、必要なかった。




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