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12.モブ役者のトラウマは突然ぶりかえす
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見覚えのある、やに下がった顔。
ボサボサの髪を後ろでひとつに縛っているのも変わらなければ、本来なら高級ブランドのオシャレなスーツを、ぐだぐだに着くずしているのも変わらない。
あいかわらずヘビースモーカーなのか、近づいてくるだけでツンと鼻を刺激するタバコの臭いがキツかった。
そこにいたのは、年齢不詳気味な『いかにも業界人です』という風体の男だった。
「あれぇー、珍しい、先客ぅ?」
調子のいい、そのさわがしい声も2年前とは変わっていない。
東城なんかよりも、よっぽど会いたくなかった……僕にとってはこの世で一番苦手な人だ。
「んー?なんだ、こんなところにかわいこちゃんがいるなんて、何かあったのかなぁ?!よければお兄さんが話聞いてあげるよぉ!」
とてもお兄さんなんて年齢じゃないだろうに、ヘラヘラと笑いながら近寄ってくるのは、僕にとってのトラウマの原因のひとりである、颯田川プロデューサーだった。
「あ………どう、して……?」
思いがけない人物の出現に、どうしてこんなところにいるんだ、そうつぶやきたいのに声はかすれ、のどの奥に詰まったまま出てこなくなる。
その姿を目にした瞬間からバクバクと心臓が早鐘を打ちはじめ、なのに指先はひんやりと冷たくなっていく。
腕には鳥肌が立ち、身体は小刻みにふるえそうになる。
───この人が、怖い。
耳の奥には、この人に罵倒された言葉の数々が、一瞬にしてよみがえり、こだましていた。
自分に自信が持てなくなったのも、言ってしまえばこの人のせいだ。
『テメェのような地味顔モブ役者が、画面に出たって映えねぇんだよ!』
『いい演技だぁ?んなこと言ってないで、テメェは引き立て役に徹してればいいんだよ!』
面と向かって罵倒され、演技に関する自信を打ち砕かれた記憶がよみがえる。
『俺がどんな思いで厳しいこと言ってるか、わかるだろ?すべて、キミのためなんだよぉ?』
『俺様が引き立ててやったんだから、感謝しろよ?どうあらわすかは、わかってんだろぉ理緒チャン?』
厳しいことを言われたあとには、決まって猫なで声で頭をなでられ、身体中をベタベタと触られた。
耳の奥によみがえるその声は、2年経った今でも僕を恐怖で縛る。
どうしよう、逃げたい。
相手はまだ、僕が誰だか気づいてないのかもしれない。
地味顔のモブ役者なんだ、それこそ、そこら辺に掃いて捨てるほどたくさんいる有象無象のひとりにすぎないはずだ。
だけどあいさつもなしに逃げたら、バレたときに、きっと大変なことになる。
とっさの判断に迷い、うつむいてしまったその間に、相手は距離を詰めてきていた。
「どれどれ、花のかんばせをお兄さんに見せてちょうだいな、と」
あごに手をかけられ、無理やりに上を向かされる。
そこでバッチリと目が合った。
「んー?あれぇ、キミどっかで会ったことある?こんなかわいい子いたら、覚えてるはずなんだけどなぁ……」
調子のいいことを言われ、なにか返さなきゃいけない、そう思うのに、それでも恐怖にすくむ身体は言うことを聞いてくれなかった。
この人が僕のことを『かわいい』なんて、言うはずがない。
きっと誰なのか思い出しているけれど、僕からのあいさつがないことを遠回しに批判するために、知らない人のふりをしているんだ。
「ご、ごぶさたをしております、颯田川さん。2年前のドラマでは、お世話になりました……」
あわてて立ち上がると、いきおいをつけて頭を下げる。
かなり声はふるえてしまったけれど、最低限のあいさつだけはと、必死にのどからしぼり出した。
「んっ、2年前?……って、あぁ、まさか理緒チャン!?うわー、きれいになっちゃって!見ちがえちゃったよー、なになに、彼氏でもできたの?」
「いえ、あの……」
あいかわらずこの人は、距離感がおかしい。
ぐいぐい迫ってくる颯田川プロデューサーは、僕の肩というか二の腕あたりに手をまわすとグッと抱き寄せ、至近距離から顔をのぞきこんでくる。
とたんにタバコの臭いが、鼻についた。
嫌悪感にゆがみそうになる顔を、必死になんてことないように装う。
そうしないと、すぐに機嫌を損ねるであろうことは予見できたから。
そうなってしまったときの颯田川さんは、手のつけようがなくなってしまうことを、経験則で知っていた。
たとえば、そばにあるものを手当たり次第に投げつけてきたり、相手の髪をつかんで床へと這いつくばらせてきたりと、なにをするかわからなくなるんだ。
それでいて、投げられたものに当たって怪我をしようものなら、『タレントとしての自覚が足りない』なんて理不尽に怒られる。
相手の人格を否定するような罵倒なんてものも、よくあることだった。
そのときの怒りを、いつもぶつけられていた身としては、その恐怖を思い出して身がすくんでしまう。
誰か、助けて……!
そう叫び出したい気持ちで、いっぱいになっていた。
でも元からこんなところに、そうそう人が来るわけがない。
なにしろ僕だって、人がいないところを求めてやってきたんだから。
だからここに誰かが来て、この事態をどうにかしてくれるとも思えなくて、絶望に駆られた。
──このプロデューサーさんは、業界内では『ヒットメーカーの敏腕プロデューサー』だなんて言われていて、この人が手がけた番組やタレントは必ず売れると言われていた。
僕とこの人の接点は、2年前、東城との共演したドラマのプロデューサーとして出会ったのが最初だった。
少なくとも、この人が推しているタレントは本当にお茶の間からも人気が出て売れていたから、人の才能を見抜く目に関してだけはまちがいないと思う。
大手芸能事務所期待の大型新人として、大々的に売り出す予定だった東城を、本人の持つ体育会系の礼儀正しさや、さわやかさを全面に押し出して売り出すと決めたのもこの人だ。
こうして東城が、国民的な大スター並みに売れたことをかんがみると、その戦略の立て方も、なにがお茶の間に求められているのかということも、ドンピシャだったんだろう。
やはりこの人には、評価されるだけの実績がある。
……ただし、本人の能力と人格はまったくの別物で、パワハラ、セクハラにモラハラと、ハラスメントの権化だった。
今のご時世、かなりアウトだと思うものの、いまだに芸能界ではその悪習が許容されていた。
「えっと、颯田川さんは、こちらでお仕事ですか?」
逃げ出したい気持ちから腰が引けている僕に、颯田川さんは遠慮なく距離を詰めてくる。
顔がひきつりそうになるのをこらえ、作り笑いを浮かべた。
「そうなんだよねぇ、今女の子のアイドルの売り出し用にドラマ撮ってんのよ。それこそ、あのとき理緒チャンが出てたヤツみたいにさぁ」
本当は今すぐにでも立ち去りたかったけど、それはあまりにも、あからさますぎるだろ。
「颯田川さんから見て、その子たちはどうなんですか?売れそうですか?」
込み上げてくる嫌悪感を理性で抑え込み、世間話をつづけた。
相手の機嫌を損ねないように、適当なところで切り上げないとな。
「いやぁ、あの子たちはダメだねぇ。東城君みたいな、特殊なかがやきがないもん。枕営業でもしなきゃ、ダメだと思うよ」
とりあえずあたりさわりのない話題を振ってみれば、わかりやすく相好をくずして、鼻の下を伸ばしてきた。
その後は、『売れそうにないけれど、エロくていい身体をしている』だとか、『くちびるがぽってりとしていて、いかにもご奉仕向きな口元だ』とか、聞いていて不快になるようなセリフがつづく。
うん、あいかわらず人としては、最低だな。
めちゃくちゃドン引くものの、面と向かってそれを指摘する勇気はないんだけど。
というか、それよりもさっきからさりげなく腕の位置が下がり、腰のあたりをなでまわされているのが気になるというか……。
これって、あきらかにセクハラだよな?!
なんか結構、際どい感じになでられてる気がする。
うぅ、どうしよう……そろそろ切り上げないと。
それにしても、前からむやみやたらと触られることが多かったんだけど、なんでなんだろうか。
颯田川さんいわく、僕なんて、『地味顔モブ役者』なんだろ?
たぶん颯田川さんにとっての好みとは、僕の外見ははずれているからこそ、あんなに厳しくされていたんじゃないのかな……。
だからたぶん、これは気のせいなんだろう。
下手にやめてくれなんてさわいだら、恥をかくのはこっちだ。
「それじゃ、僕はここらで……」
少し不自然ながらも、ちょうど会話が途切れたところで、あいさつをして立ち去ろうとした。
だけど。
踵を返そうとしたところで、ぐいっと手を引かれた。
「なに、帰っちゃうの?いいじゃん理緒チャン、もっと俺とおしゃべりしようよ!」
「っ!」
思った以上に力強いそれに、バランスをくずして、気がつけば相手の腕のなかにすっぽりと収まっていた。
「あ、あのっ、本当にもどらないと……っ!」
「んー、なぁに、理緒チャンのくせに俺様に逆らおうっての?」
しっかりと抱きしめられているのを、身をよじりながら帰らせてほしいと懇願すれば、とたんに相手の目に剣呑な光が宿る。
「い、いえ、そんなことは……」
あぁマズイ、ここで逆らったら、また怒鳴られる。
身体に染みついた恐怖が、僕を縛る。
「それにしても、本当にごぶさたじゃん!理緒チャンもすっかり美人になっちゃって、ずいぶんと相手の男に可愛がられたんじゃねぇの?」
「なにを言ってるか、わかんな……っ」
どういう誤解をしているのかと反論しかけたところで、ガッと正面からあごをつかまれた。
「なによ、ドラマ撮りぃ?女の子みたいなお化粧しちゃってさぁ、こんなにくちびるぷるっぷるにしちゃって、まるで『キスしてください』って誘ってるみたいじゃん!」
なにを言っているんだろうか、この人は。
そんなこと、あるわけないだろうが。
「ちがいます、そんなことはな……んっ!」
そういえばさっき、宮古怜奈の稽古につき合ったときに彼女にされたメイクが、そのままだったことを思い出す。
でもそれは自分の撮影ではないからと否定をしようとしたところで、いきなり口をふさがれた──それも、相手の口で。
つまり、キスをされているんだと頭が認識をするまでにタイムラグがあったのは、あまりにもそれが唐突だったからだ。
しかもそれだけでなく、歯列を割って舌がねじ込まれる。
「ん~~っ!!」
イヤだ、なにをするんだと押し返そうとした手は、手首をつかまれ阻止される。
その隙にも、ぬるぬるとした生あたたかい舌が口内を蹂躙していく。
ただただ気持ち悪くて、タバコの臭いがキツいし、苦いし、嫌で嫌でたまらない。
全力で拒否したいと心は訴えているのに、どうしても僕のなかに残る、この人にさんざん怒鳴られつづけ、人格もなにもかも否定されつづけてできたトラウマは、見えない鎖となって身体を縛る。
突き飛ばして逃げればいいのに、たったそれだけのことができなくなっていた。
泣いても相手が止めてくれるはずもないけれど、自然と目尻には涙がにじみ、ガタガタと身体はふるえ出す。
イヤだ、やめて、僕に触るな────!!
「あいっかわらず理緒チャンてば、かわいい反応してくれるじゃん!ホントその顔見てると、ゾクゾクするよねぇ、もっと虐めてあげたくなっちゃうよぉ」
うわずったような声でうっとりとささやきかけてくるのに、鳥肌が止まらない。
こちらをのぞきこんでくる颯田川プロデューサーの目には、愉悦の色が浮かんでいた。
さらには抱きしめられたときから押しつけられている相手の股間が、若干硬くなってきているのもわかった。
わかったからといって、そこには絶望しかないわけだけど。
「いやぁ、あのときからいずれ化けるとは思ってたけど、本当に綺麗になったよねぇ。どう、俺様の愛人になるなら、いくらでも仕事を斡旋してあげるよぉ」
頬ずりをされても、もう怖くてたまらないし、なにを言われているのか理解できずに、相手のセリフは耳を通りすぎていく。
「ひっ……ヤダ……ぁっ!」
逃げたいのに、しっかりと抱き込まれた相手の腕はびくともしないし、あらためてキスを迫られて必死に顔を背ければ、その分無防備にさらされた首に噛みつかれた。
「羽月さんっ!!」
そのときだった。
この屋上へとつながる扉が、バァンと大きな音を立てて、いきおいよく開かれた。
ボサボサの髪を後ろでひとつに縛っているのも変わらなければ、本来なら高級ブランドのオシャレなスーツを、ぐだぐだに着くずしているのも変わらない。
あいかわらずヘビースモーカーなのか、近づいてくるだけでツンと鼻を刺激するタバコの臭いがキツかった。
そこにいたのは、年齢不詳気味な『いかにも業界人です』という風体の男だった。
「あれぇー、珍しい、先客ぅ?」
調子のいい、そのさわがしい声も2年前とは変わっていない。
東城なんかよりも、よっぽど会いたくなかった……僕にとってはこの世で一番苦手な人だ。
「んー?なんだ、こんなところにかわいこちゃんがいるなんて、何かあったのかなぁ?!よければお兄さんが話聞いてあげるよぉ!」
とてもお兄さんなんて年齢じゃないだろうに、ヘラヘラと笑いながら近寄ってくるのは、僕にとってのトラウマの原因のひとりである、颯田川プロデューサーだった。
「あ………どう、して……?」
思いがけない人物の出現に、どうしてこんなところにいるんだ、そうつぶやきたいのに声はかすれ、のどの奥に詰まったまま出てこなくなる。
その姿を目にした瞬間からバクバクと心臓が早鐘を打ちはじめ、なのに指先はひんやりと冷たくなっていく。
腕には鳥肌が立ち、身体は小刻みにふるえそうになる。
───この人が、怖い。
耳の奥には、この人に罵倒された言葉の数々が、一瞬にしてよみがえり、こだましていた。
自分に自信が持てなくなったのも、言ってしまえばこの人のせいだ。
『テメェのような地味顔モブ役者が、画面に出たって映えねぇんだよ!』
『いい演技だぁ?んなこと言ってないで、テメェは引き立て役に徹してればいいんだよ!』
面と向かって罵倒され、演技に関する自信を打ち砕かれた記憶がよみがえる。
『俺がどんな思いで厳しいこと言ってるか、わかるだろ?すべて、キミのためなんだよぉ?』
『俺様が引き立ててやったんだから、感謝しろよ?どうあらわすかは、わかってんだろぉ理緒チャン?』
厳しいことを言われたあとには、決まって猫なで声で頭をなでられ、身体中をベタベタと触られた。
耳の奥によみがえるその声は、2年経った今でも僕を恐怖で縛る。
どうしよう、逃げたい。
相手はまだ、僕が誰だか気づいてないのかもしれない。
地味顔のモブ役者なんだ、それこそ、そこら辺に掃いて捨てるほどたくさんいる有象無象のひとりにすぎないはずだ。
だけどあいさつもなしに逃げたら、バレたときに、きっと大変なことになる。
とっさの判断に迷い、うつむいてしまったその間に、相手は距離を詰めてきていた。
「どれどれ、花のかんばせをお兄さんに見せてちょうだいな、と」
あごに手をかけられ、無理やりに上を向かされる。
そこでバッチリと目が合った。
「んー?あれぇ、キミどっかで会ったことある?こんなかわいい子いたら、覚えてるはずなんだけどなぁ……」
調子のいいことを言われ、なにか返さなきゃいけない、そう思うのに、それでも恐怖にすくむ身体は言うことを聞いてくれなかった。
この人が僕のことを『かわいい』なんて、言うはずがない。
きっと誰なのか思い出しているけれど、僕からのあいさつがないことを遠回しに批判するために、知らない人のふりをしているんだ。
「ご、ごぶさたをしております、颯田川さん。2年前のドラマでは、お世話になりました……」
あわてて立ち上がると、いきおいをつけて頭を下げる。
かなり声はふるえてしまったけれど、最低限のあいさつだけはと、必死にのどからしぼり出した。
「んっ、2年前?……って、あぁ、まさか理緒チャン!?うわー、きれいになっちゃって!見ちがえちゃったよー、なになに、彼氏でもできたの?」
「いえ、あの……」
あいかわらずこの人は、距離感がおかしい。
ぐいぐい迫ってくる颯田川プロデューサーは、僕の肩というか二の腕あたりに手をまわすとグッと抱き寄せ、至近距離から顔をのぞきこんでくる。
とたんにタバコの臭いが、鼻についた。
嫌悪感にゆがみそうになる顔を、必死になんてことないように装う。
そうしないと、すぐに機嫌を損ねるであろうことは予見できたから。
そうなってしまったときの颯田川さんは、手のつけようがなくなってしまうことを、経験則で知っていた。
たとえば、そばにあるものを手当たり次第に投げつけてきたり、相手の髪をつかんで床へと這いつくばらせてきたりと、なにをするかわからなくなるんだ。
それでいて、投げられたものに当たって怪我をしようものなら、『タレントとしての自覚が足りない』なんて理不尽に怒られる。
相手の人格を否定するような罵倒なんてものも、よくあることだった。
そのときの怒りを、いつもぶつけられていた身としては、その恐怖を思い出して身がすくんでしまう。
誰か、助けて……!
そう叫び出したい気持ちで、いっぱいになっていた。
でも元からこんなところに、そうそう人が来るわけがない。
なにしろ僕だって、人がいないところを求めてやってきたんだから。
だからここに誰かが来て、この事態をどうにかしてくれるとも思えなくて、絶望に駆られた。
──このプロデューサーさんは、業界内では『ヒットメーカーの敏腕プロデューサー』だなんて言われていて、この人が手がけた番組やタレントは必ず売れると言われていた。
僕とこの人の接点は、2年前、東城との共演したドラマのプロデューサーとして出会ったのが最初だった。
少なくとも、この人が推しているタレントは本当にお茶の間からも人気が出て売れていたから、人の才能を見抜く目に関してだけはまちがいないと思う。
大手芸能事務所期待の大型新人として、大々的に売り出す予定だった東城を、本人の持つ体育会系の礼儀正しさや、さわやかさを全面に押し出して売り出すと決めたのもこの人だ。
こうして東城が、国民的な大スター並みに売れたことをかんがみると、その戦略の立て方も、なにがお茶の間に求められているのかということも、ドンピシャだったんだろう。
やはりこの人には、評価されるだけの実績がある。
……ただし、本人の能力と人格はまったくの別物で、パワハラ、セクハラにモラハラと、ハラスメントの権化だった。
今のご時世、かなりアウトだと思うものの、いまだに芸能界ではその悪習が許容されていた。
「えっと、颯田川さんは、こちらでお仕事ですか?」
逃げ出したい気持ちから腰が引けている僕に、颯田川さんは遠慮なく距離を詰めてくる。
顔がひきつりそうになるのをこらえ、作り笑いを浮かべた。
「そうなんだよねぇ、今女の子のアイドルの売り出し用にドラマ撮ってんのよ。それこそ、あのとき理緒チャンが出てたヤツみたいにさぁ」
本当は今すぐにでも立ち去りたかったけど、それはあまりにも、あからさますぎるだろ。
「颯田川さんから見て、その子たちはどうなんですか?売れそうですか?」
込み上げてくる嫌悪感を理性で抑え込み、世間話をつづけた。
相手の機嫌を損ねないように、適当なところで切り上げないとな。
「いやぁ、あの子たちはダメだねぇ。東城君みたいな、特殊なかがやきがないもん。枕営業でもしなきゃ、ダメだと思うよ」
とりあえずあたりさわりのない話題を振ってみれば、わかりやすく相好をくずして、鼻の下を伸ばしてきた。
その後は、『売れそうにないけれど、エロくていい身体をしている』だとか、『くちびるがぽってりとしていて、いかにもご奉仕向きな口元だ』とか、聞いていて不快になるようなセリフがつづく。
うん、あいかわらず人としては、最低だな。
めちゃくちゃドン引くものの、面と向かってそれを指摘する勇気はないんだけど。
というか、それよりもさっきからさりげなく腕の位置が下がり、腰のあたりをなでまわされているのが気になるというか……。
これって、あきらかにセクハラだよな?!
なんか結構、際どい感じになでられてる気がする。
うぅ、どうしよう……そろそろ切り上げないと。
それにしても、前からむやみやたらと触られることが多かったんだけど、なんでなんだろうか。
颯田川さんいわく、僕なんて、『地味顔モブ役者』なんだろ?
たぶん颯田川さんにとっての好みとは、僕の外見ははずれているからこそ、あんなに厳しくされていたんじゃないのかな……。
だからたぶん、これは気のせいなんだろう。
下手にやめてくれなんてさわいだら、恥をかくのはこっちだ。
「それじゃ、僕はここらで……」
少し不自然ながらも、ちょうど会話が途切れたところで、あいさつをして立ち去ろうとした。
だけど。
踵を返そうとしたところで、ぐいっと手を引かれた。
「なに、帰っちゃうの?いいじゃん理緒チャン、もっと俺とおしゃべりしようよ!」
「っ!」
思った以上に力強いそれに、バランスをくずして、気がつけば相手の腕のなかにすっぽりと収まっていた。
「あ、あのっ、本当にもどらないと……っ!」
「んー、なぁに、理緒チャンのくせに俺様に逆らおうっての?」
しっかりと抱きしめられているのを、身をよじりながら帰らせてほしいと懇願すれば、とたんに相手の目に剣呑な光が宿る。
「い、いえ、そんなことは……」
あぁマズイ、ここで逆らったら、また怒鳴られる。
身体に染みついた恐怖が、僕を縛る。
「それにしても、本当にごぶさたじゃん!理緒チャンもすっかり美人になっちゃって、ずいぶんと相手の男に可愛がられたんじゃねぇの?」
「なにを言ってるか、わかんな……っ」
どういう誤解をしているのかと反論しかけたところで、ガッと正面からあごをつかまれた。
「なによ、ドラマ撮りぃ?女の子みたいなお化粧しちゃってさぁ、こんなにくちびるぷるっぷるにしちゃって、まるで『キスしてください』って誘ってるみたいじゃん!」
なにを言っているんだろうか、この人は。
そんなこと、あるわけないだろうが。
「ちがいます、そんなことはな……んっ!」
そういえばさっき、宮古怜奈の稽古につき合ったときに彼女にされたメイクが、そのままだったことを思い出す。
でもそれは自分の撮影ではないからと否定をしようとしたところで、いきなり口をふさがれた──それも、相手の口で。
つまり、キスをされているんだと頭が認識をするまでにタイムラグがあったのは、あまりにもそれが唐突だったからだ。
しかもそれだけでなく、歯列を割って舌がねじ込まれる。
「ん~~っ!!」
イヤだ、なにをするんだと押し返そうとした手は、手首をつかまれ阻止される。
その隙にも、ぬるぬるとした生あたたかい舌が口内を蹂躙していく。
ただただ気持ち悪くて、タバコの臭いがキツいし、苦いし、嫌で嫌でたまらない。
全力で拒否したいと心は訴えているのに、どうしても僕のなかに残る、この人にさんざん怒鳴られつづけ、人格もなにもかも否定されつづけてできたトラウマは、見えない鎖となって身体を縛る。
突き飛ばして逃げればいいのに、たったそれだけのことができなくなっていた。
泣いても相手が止めてくれるはずもないけれど、自然と目尻には涙がにじみ、ガタガタと身体はふるえ出す。
イヤだ、やめて、僕に触るな────!!
「あいっかわらず理緒チャンてば、かわいい反応してくれるじゃん!ホントその顔見てると、ゾクゾクするよねぇ、もっと虐めてあげたくなっちゃうよぉ」
うわずったような声でうっとりとささやきかけてくるのに、鳥肌が止まらない。
こちらをのぞきこんでくる颯田川プロデューサーの目には、愉悦の色が浮かんでいた。
さらには抱きしめられたときから押しつけられている相手の股間が、若干硬くなってきているのもわかった。
わかったからといって、そこには絶望しかないわけだけど。
「いやぁ、あのときからいずれ化けるとは思ってたけど、本当に綺麗になったよねぇ。どう、俺様の愛人になるなら、いくらでも仕事を斡旋してあげるよぉ」
頬ずりをされても、もう怖くてたまらないし、なにを言われているのか理解できずに、相手のセリフは耳を通りすぎていく。
「ひっ……ヤダ……ぁっ!」
逃げたいのに、しっかりと抱き込まれた相手の腕はびくともしないし、あらためてキスを迫られて必死に顔を背ければ、その分無防備にさらされた首に噛みつかれた。
「羽月さんっ!!」
そのときだった。
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