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2 学園編
89 エリザベス・キース 5
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学園に入学してからも、王太子との接点は特になかった。
というか、そもそも王太子は多忙で学園にいることが稀だったし、学園にいるときはいつも側近候補たちに囲まれて近づけなかった。
父には、時折王太子とお茶をしているように報告をしていたけど、当然嘘だった。
正直、王太子よりも学園で学ぶ学問の方がはるかに興味深い。
学問に夢中になっていることは父には秘密にしていた。
男よりいい成績を取るなど、言語道断という父の考えに逆らうことは、母に危険が及ぶ可能性があるから。
教師に頼んで成績表を操作してもらっていた。
低い方に。
高い方に操作することはできないが、以前父と似た様な考え方の父親が成績優秀な女子生徒を退学させた事例があったことから、教師たちは協力してくれた。
学内での成績は内密に操作されていた。
昨年はついに首席を取ってしまったが、表沙汰にはなっていない。
世界を知り、探求する。
そして私は残念ながら父の子で、商売が好きだということに気がついた。
算術や地理、政治の時間はワクワクする。
いつか外国に行って商売がしたい。
誰かに誰かが作った物を売って喜ばれる。
その対価も受け取れる。世の中を豊かにする仕事だと思う。
それに、外国のものをこの国に運んだり、この国の優れた品を外国で売ってみたい。
きっと世界にはまだまだ私の知らない素晴らしいものがたくさんあるに違いない。
新しいものを国に持ち込んで、それで人々の暮らしが豊かになるなんて想像するだけで楽しくなる。
多分これが私が一番生き生きと過ごせる生き方なのだ。
当然様々な国の言語も習得しなくてはならない。
夢中になって学問に没頭している間に一年が過ぎ、王太子の想い人である聖女が入学してくるという噂が学園中を駆け巡った。
聖女が入学してくる日は、ほとんどお祭り騒ぎだった。
大勢の生徒がステラを見ようと車止めに押しかけていた。
そして、聖女を待つ生徒たちの先頭にいたのは、なんとあの王太子殿下だった。
聖女を待つ王太子の目は期待に輝いていて、心なしか頬が紅潮しているようにすら見える。
(あんな顔もできたんだ)
氷の王太子が血が通った人間のように見えたのはこの時が初めてのことだった。
ステラはあのお茶会から変わらず自由だったが、王太子の厳命で婚約者の部屋に住み王太子の庇護を直接受けることになったことが学園中に告知された。聖女に仇なす者は、王家に反逆する者と見なす、という意味だ。
父は、第二夫人でも第三夫人でもいいから、と私を焚きつけていたが、あの王太子が第二夫人を娶りたがるとはとても思えなかった。婚約者候補たちには判で押したような態度をとっていた王太子は、ステラの前では怒ったり笑ったり、まるで普通の生きた人間のように見える。他の人間に対する全く感情の動きをかけらも感じさせない機械のような態度とは違いすぎる。
本人が気がついているかどうかはわからないが、あれがまさに「夢中」という状態なのでは?
あれが、王太子の心を掴んだ、ということなのだろうか?
その瞬間、母のくぐもったようなうめき声を思い出す。
だめだ、忘れてはダメ。
なんとしてでも、私が王太子の心を掴まなければ。
でも、どうしたら?何も思いつかない。
ステラが妬ましい。
何故彼女は男爵家と低い家格の、ましてや私生児なのに、堂々としているの?
彼女と成り代りたい。
そうすれば、母をあの家から、父から解放してあげられるかもしれない。
悶々とした想いにとらわれる。
ここから抜け出したい。父の支配から逃れたい。
本当は王太子妃になんてなりたくない。
私がしたいのはそんなことじゃないのに。
私は父の道具じゃない。
女である自分の性を、家のために利用させられるなんて真っ平ごめんだ。
でも、母や弟のことを考えると、ここから逃げることもできない。
道具じゃないと思っても、実際には道具として利用されるジレンマに引き裂かれそうな気持ちだった。
そんなある日。
それは、魔が差した、としか言いようがない出来事だった。
たまたま掃除のために2階の渡り廊下を水の入ったバケツを持って歩いていた時に、ちょうどステラが真下を歩いていた。
(ステラさえいなければ、私がこんな思いをすることもないのに。)
そう思った瞬間、ステラの頭の上からバケツの水をぶちまけていた。
我に返って慌ててしゃがみこむ。
周りを見回すと誰もいなかった。聖女の頭に水をかけたなんて狂信的な信者にばれたらタダじゃ済まない。
しかも王太子にバレたら、どんな罰を与えられるかわからない。
急に怖くなって足が震えだした。怖い。急いでその場から逃げ出した。
あはははは。バレない。誰にもバレなかった。ついてる。
笑いがこみ上げてくる。
恐怖と安堵が混じり合いおかしなテンションで大笑いした。
ステラのことはいつも信者が遠巻きに見守っているのに、今日に限って誰もいなかった。
あの弟もいなかった。
王太子に告げ口するような誰かもいなかった。
あいつは一人だった。
あはははは。
笑いがとまらない。
面白いわけじゃない。でもなんだか爽快な気分だ。
ステラが水に溶けていなくなったらいいのに。
そうなったら、笑える。
あはははは。
私はおかしくもないのに乾いた笑い声を上げ続けた。
その笑い声は、私の耳にこびりつき、その後もずっと聞こえ続けているような気がした。
というか、そもそも王太子は多忙で学園にいることが稀だったし、学園にいるときはいつも側近候補たちに囲まれて近づけなかった。
父には、時折王太子とお茶をしているように報告をしていたけど、当然嘘だった。
正直、王太子よりも学園で学ぶ学問の方がはるかに興味深い。
学問に夢中になっていることは父には秘密にしていた。
男よりいい成績を取るなど、言語道断という父の考えに逆らうことは、母に危険が及ぶ可能性があるから。
教師に頼んで成績表を操作してもらっていた。
低い方に。
高い方に操作することはできないが、以前父と似た様な考え方の父親が成績優秀な女子生徒を退学させた事例があったことから、教師たちは協力してくれた。
学内での成績は内密に操作されていた。
昨年はついに首席を取ってしまったが、表沙汰にはなっていない。
世界を知り、探求する。
そして私は残念ながら父の子で、商売が好きだということに気がついた。
算術や地理、政治の時間はワクワクする。
いつか外国に行って商売がしたい。
誰かに誰かが作った物を売って喜ばれる。
その対価も受け取れる。世の中を豊かにする仕事だと思う。
それに、外国のものをこの国に運んだり、この国の優れた品を外国で売ってみたい。
きっと世界にはまだまだ私の知らない素晴らしいものがたくさんあるに違いない。
新しいものを国に持ち込んで、それで人々の暮らしが豊かになるなんて想像するだけで楽しくなる。
多分これが私が一番生き生きと過ごせる生き方なのだ。
当然様々な国の言語も習得しなくてはならない。
夢中になって学問に没頭している間に一年が過ぎ、王太子の想い人である聖女が入学してくるという噂が学園中を駆け巡った。
聖女が入学してくる日は、ほとんどお祭り騒ぎだった。
大勢の生徒がステラを見ようと車止めに押しかけていた。
そして、聖女を待つ生徒たちの先頭にいたのは、なんとあの王太子殿下だった。
聖女を待つ王太子の目は期待に輝いていて、心なしか頬が紅潮しているようにすら見える。
(あんな顔もできたんだ)
氷の王太子が血が通った人間のように見えたのはこの時が初めてのことだった。
ステラはあのお茶会から変わらず自由だったが、王太子の厳命で婚約者の部屋に住み王太子の庇護を直接受けることになったことが学園中に告知された。聖女に仇なす者は、王家に反逆する者と見なす、という意味だ。
父は、第二夫人でも第三夫人でもいいから、と私を焚きつけていたが、あの王太子が第二夫人を娶りたがるとはとても思えなかった。婚約者候補たちには判で押したような態度をとっていた王太子は、ステラの前では怒ったり笑ったり、まるで普通の生きた人間のように見える。他の人間に対する全く感情の動きをかけらも感じさせない機械のような態度とは違いすぎる。
本人が気がついているかどうかはわからないが、あれがまさに「夢中」という状態なのでは?
あれが、王太子の心を掴んだ、ということなのだろうか?
その瞬間、母のくぐもったようなうめき声を思い出す。
だめだ、忘れてはダメ。
なんとしてでも、私が王太子の心を掴まなければ。
でも、どうしたら?何も思いつかない。
ステラが妬ましい。
何故彼女は男爵家と低い家格の、ましてや私生児なのに、堂々としているの?
彼女と成り代りたい。
そうすれば、母をあの家から、父から解放してあげられるかもしれない。
悶々とした想いにとらわれる。
ここから抜け出したい。父の支配から逃れたい。
本当は王太子妃になんてなりたくない。
私がしたいのはそんなことじゃないのに。
私は父の道具じゃない。
女である自分の性を、家のために利用させられるなんて真っ平ごめんだ。
でも、母や弟のことを考えると、ここから逃げることもできない。
道具じゃないと思っても、実際には道具として利用されるジレンマに引き裂かれそうな気持ちだった。
そんなある日。
それは、魔が差した、としか言いようがない出来事だった。
たまたま掃除のために2階の渡り廊下を水の入ったバケツを持って歩いていた時に、ちょうどステラが真下を歩いていた。
(ステラさえいなければ、私がこんな思いをすることもないのに。)
そう思った瞬間、ステラの頭の上からバケツの水をぶちまけていた。
我に返って慌ててしゃがみこむ。
周りを見回すと誰もいなかった。聖女の頭に水をかけたなんて狂信的な信者にばれたらタダじゃ済まない。
しかも王太子にバレたら、どんな罰を与えられるかわからない。
急に怖くなって足が震えだした。怖い。急いでその場から逃げ出した。
あはははは。バレない。誰にもバレなかった。ついてる。
笑いがこみ上げてくる。
恐怖と安堵が混じり合いおかしなテンションで大笑いした。
ステラのことはいつも信者が遠巻きに見守っているのに、今日に限って誰もいなかった。
あの弟もいなかった。
王太子に告げ口するような誰かもいなかった。
あいつは一人だった。
あはははは。
笑いがとまらない。
面白いわけじゃない。でもなんだか爽快な気分だ。
ステラが水に溶けていなくなったらいいのに。
そうなったら、笑える。
あはははは。
私はおかしくもないのに乾いた笑い声を上げ続けた。
その笑い声は、私の耳にこびりつき、その後もずっと聞こえ続けているような気がした。
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