兄さん、あんたの望みを教えてくれよ。

藍音

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第四幕〜終わりの始まり〜

218 【リュカ】本当の望み

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厚い扉が閉まり、兄さんは俺を自分の人生から、あっさりと追い出した。
俺は今までずっと公爵家から出ていきたかった。
でも、それが兄さんから離れる結末になるってことを、本当には理解していなかったように思う。

じゃあ、どうなると思っていたんだ?
自分に問いかけても答えは出ない。

単なる邪魔者でしかない俺。
兄さんが生まれながらに背負わされている大きな責任。
どこをどうしても釣り合わない。
しかも、俺は子を産んでやれるわけでもなし・・・いや、そもそも弟だし。
でも、ただの補佐役として兄さんのそばにいて、妻や愛人の存在に耐えるには、兄さんを愛しすぎていた。

それなのに。
未練たらしく、ドアの前で兄さんが追いかけてきてくれるのを待つ。

兄さんのドアを守る騎士が怪訝な顔で俺をじろじろと見た。
薄ら笑いを浮かべて誤魔化しても、にこりともしない強面に思わず視線をそらす。

(そうか、兄さんは本気で男妾を厄介払いしたかったんだ)

それに気がついた時、ずきりと胸が痛み、涙がにじんだ。

俺は、バカだ。
分かっていたけど、やっぱり、バカだ。
兄さんを追い詰めて、俺を追い出させる理由を与えるなんて。
本当はそばにいたかったくせに。
でも、兄さんが母ちゃんが死ぬ原因を作ったってことを知ったいま、いままでと同じ関係でいられるわけもなかった。

でも・・・

未練たらしく、扉に握った拳と額を押し当て中の様子を伺う。
耳をすますと、これほどつらく悲しい声があるのかと思うほど苦しげな、押し殺したようなうめき声が聞こえてきた。
そばに駆け戻り、抱きしめたい。

なぜ?どうして?
男妾を厄介払いしてせいせいしたんじゃないのか?
なぜ、そんなに苦しそうにしているの?

・・・ああ。
兄さんは、俺を自分から逃したんだ。
互いにどうしようもないほどの執着を経て、辿り着く先はどこにもない。

俺たちが兄弟じゃなかったら?男同士じゃなかったら?
どうにかなったのか?
わからない。
でも、そんなことを考えても現実は変わらない。

だけど、いま、俺たちがたどり着いたここが現実なんだ。
強大な公爵家そのものである兄はあまりにも大きな責任を負っていて、逃げることは許されない。
だが、俺を逃がすことはできる。

それが、兄さんの望みだったんだ。

兄さんは、俺を愛してはいなかったかもしれないが、失って悲しむ程度は情があったと思ってもいいのかな。
涙がぼろぼろとこぼれ、床を濡らした。

兄さん、俺、兄さんのことめちゃくちゃ好き。
他の誰よりも好き。
一生愛してる。

でも、俺、行くよ。
それが、兄さんの望みだから。

まだ、兄の苦しげな声が聞こえてくる。
ああ、兄さん。あんたが呼んでくれれば俺は足に羽が生えたように素早く戻るよ。
だが、だめだ。行かなくては。
ここはもう俺の家ではない。
いや、最初から俺の家ではなかった。

俺は、顔を上げた。
大した人間じゃないし、大それたことは出来ない。
でも、俺、必死で生きるよ。
兄さんが弟として誇りに思えるように。
少なくとも恥ずかしくはない人間だと思ってもらえるように。
それが、俺の愛情だから。

頬を濡らした涙を右手でゴシゴシとこする。
騎士が気の毒に思ったのか、どこからか出したリネンを差し出してくれた。

「ありがとう」

礼を言って顔を拭うと、玄関に向かった。
ここに初めてきたのは、いくつの時だったっけ?ずいぶん幼かった。そう、7歳の時だ。長い時間が経った。その時からずっと兄さんは俺の真ん中にいた。そして、これからも真ん中に居続けるだろう。
二度と会えない。
俺と兄さんの本当の距離。それは、あの凱旋パレードの時に思い知らされていた。
信じられないほど大勢の人並みの中、豆粒のように小さく見えたきらめく存在。

(星か・・・)

急にネルのことを思い出した。

(ネル、お前の言うとおりだ。やっぱり、兄さんは星だったよ)

階段を降りると、踊り場の窓から、女が赤子の世話をしている姿が見えた。
おそらく、乳母とイネスの産んだ子だろう。

どきりと胸が鳴る。まさか・・・

赤子が大声で泣き、乳母が赤子を抱き上げ、体をやさしく揺すると、いやいやと首を振った赤子の首から帽子が落ち、はっきりと顔が見えた。

(なんだ・・・)

ほっと息が漏れた。

(兄さんの子じゃないか)

誰が見ても、赤子は兄さんの胤だった。

(よかった。だけど俺はますます用済みだな)

まだ、傷つくことができる。兄がイネスとの間に子を作ったという事実は、ナイフを胸に突き立てたような痛みと俺の子じゃなくてよかったという安堵を同時にもたらした。
もう、なにも俺を公爵家に留めるものはなかった。

階段を降りると、玄関ホールではベネディクトが気遣わしげにウロウロと歩き回っていた。
俺たちがなにを話していたのか、察していたんだろう。
俺の姿を認めると、初めて冷静さを崩して駆け寄ってきた。

「リュカ様、どうかマティアス様を許して差し上げてください、どうか、御心を広く・・・」

正直、そうしたかった。
兄の罪を明らかにして、どう贖罪するのかはともかく、正直に言ってくれれば何かが変わると思っていた。
だが、何も変わらなかった。
兄は、それを望まなかった。

「許すことなんてありませんよ」

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