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書籍化記念小話 二巻 夏祭り

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 船の中で夏祭りをやろう、とアンネゲルトが言い出しのは、改造会議の少し後だった。
「護衛隊のみんなも招待して、船の従業員も参加出来るようにするの。どうかな?」
「どうか、と言われましても……大体、どうして急に夏祭りなんですか?」
 相談相手のティルラに冷静に返されて、アンネゲルトは一瞬詰まる。ここで単純にやりたいから、と言った所で要望が通らない事はよくわかっていた。
 なので、もっともらしい言い訳をしておく。
「ほら、いつまでも護衛隊の人達を野宿させておく訳にはいかないじゃない? で、魔導に不慣れな彼等にピクニックのランチを通して帝国文化に慣れてもらうって事になってるでしょう? それと同じように、祭りというイベントを通して魔導に親しんでもらえればなあって思って」
 言ってる本人も苦しいと思ったが、護衛隊員に魔導に慣れてもらうというのは当面の大きな目標の一つなのは本当だった。
 何せ彼等は現在離宮の傍にある、狩猟館周辺で野宿しているのだ。いつまでもそのままという訳にはいくまい。
「もたもたしていると、あっという間に冬になっちゃうみたいだし」
 北の国であるスイーオネースの冬は厳しい。帝国も他国に比べれば北に位置していて冬の寒さは厳しいが、スイーオネースはいわゆる北極圏の国なのだ。
 そんな中で野宿などさせては、護衛隊員の命に関わる。それはティルラもエーレ団長もよくわかっていた。
「その為の手段が、その夏祭りとやらだという訳ですかな?」
「う……べ、別に他の手段があればいいのよ? あれば、ね」
 アンネゲルトの返答に、団長は黙り込む。相手に代替案がない事を確信しての、アンネゲルトの発言だった。
「お祭りをやるのは構いませんが、それで余計に護衛隊員が混乱したら、どうするんですか?」
 相変わらず冷静な指摘をするティルラの言葉に、今度はアンネゲルトが黙り込んだ。
 言われて気付いたが、その可能性がない訳でない。何かいい手立てはないかと考えても、アイデアは浮かんでこなかった。
「まあ、祭りをやるにしても準備の期間が必要ですから、それまで様子見をする、という事でどうでしょう? 例のピクニック作戦ももうじき始めるんですし、彼等の反応を見て決めるという事でよろしいのではありませんか?」
 つまり、ランチごときで狼狽えるようなら現段階で船に入れる事は出来ないと判断した方がいい、という事だ。
「……その場合はお祭りそのものも取りやめになるの?」
「いいえ。そのまま続行でいいと思いますよ。第一、中止にしてしまっては準備がもったいないですし。護衛隊員がいなくても、船の従業員や護衛艦の兵士達、それにアンナ様の小間使い達が参加すればいいんです」
 実質ティルラの了承を得られた事で、夏祭り開催は決定したも同然だ。
「本当ね? やったー!!」
「アンナ様、そんな大きな声を出すなんて、お行儀が悪いですよ」
「あ、はい……」
 二人のやり取りを見て、エーレ団長が小さく笑う声がアンネゲルトの耳に入った。

 祭りは「納涼祭」という事になった。スイーオネースは日本のように暑い夏ではないが、時期的にはこれが一番しっくりくるだろうという事で決まったのだ。
 納涼祭の準備は、設立された実行委員会が行う事に決定している。委員会のメンバーは各所から若干名が選ばれていた。ちなみに委員長にはエーレ団長が就いている。
 本当なら言い出しっぺのアンネゲルトも参加するべきなのだろうが、クロジンデのおかげで社交行事が目白押し状態になり、納涼祭に関わっている暇がなくなったのだ。
「ついこの間までのんびりしていたのに……」
 出かける仕度をしながらこぼすアンネゲルトの愚痴に、ティルラが宥める様に返した。
「忙しいのはいい事ですよ。やりたい事がたくさんあるんでしょう? その為の大事な一歩なんですから」
 ティルラの正論に、返す言葉もない。
「そういえば、納涼祭の方はどうなっているの?」
「準備は着々と進んでいますよ。船の従業員が中心に盛り上がっているみたいですね。これでやっとイベント事が出来ると喜んでいるようです」
 本来「アンネゲルト・リーゼロッテ」号は長い航海に耐えられるように作られている。それは何も船の頑丈さだけではない。
 航海の間、乗客を飽きさせない為の施設も豊富に用意されているのだが、これまでそれらが日の目を見た事はなかったのだ。
「じゃあ、劇場なんかもやっと本来の姿になるって事かしら」
 何せ劇場が使われたのは、前回の離宮改造会議が初めてだったのだ。
「劇場ではサーカスをやる企画が立っているそうですよ」
「サーカス? どこかから呼ぶの?」
 意外だった。船への出入りはセキュリティの面から厳重に管理されているはずなのに、外部の人間を入れるとは。
 だがアンネゲルトの予想は大きく外れた。
「いいえ、護衛艦の兵士達で構成するそうです」
「……帝国兵士って、曲芸までこなすの?」
「私も知らなかったんですが、曲芸まがいの事を訓練で行っているそうですよ。提案なさったのはおそらく――」
 ティルラの濁した語尾には、おそらく母の名前が入るのだろうとアンネゲルトは予測する。あの母ならやりかねない事だ。
 はたしてそれらが本当に兵士の訓練として役立っているのかどうかは謎だが、これで一つ楽しみが増えた。
 ――それにしても、帝国兵士って大変だよね……
 しみじみとそう思うアンネゲルトだった。

 本番当日までに、アンネゲルトが社交界復帰をしたり、過労からダウンしたり、卑劣な連中によって狩猟館が焼け落ちたりしたが、祭りの準備は着々と進められていた。
 図らずも、狩猟館炎上という事件を受けて護衛隊員を全員船に収容する事になったが、納涼祭自体は取りやめにはならない。
「当初の目的からは外れましたが、親睦を深める為でよろしいんじゃないでしょうか」
 そう言ったのはティルラだ。船内納涼祭の開催は、明日に迫っている。
「そっかー。まあ、お祭りに参加出来れば、目的が何であれいいや」
 アンネゲルトの本音が漏れた。
 ホームシックという程ではないが、日本の文化に郷愁めいたものを感じているのは確かだ。
「そういえば、頼んだものは用意出来た?」
「ええ。奈々様が喜んでお力をお貸しくださいました」
「お母さんが?」
 ティルラはにっこり笑ってアンネゲルトのクローゼットへ向かう。その中からある物を取り出した。
「こちらはアンナ様の分です」
「いつの間に……」
 自分のクローゼットだが、中身の全てを把握している訳ではない。それは小間使いや側仕えの仕事なのだ。
 ティルラは手にした物を広げて、アンネゲルトに柄を見せる。
「新作だそうですよ」
「綺麗ね。みんなの分もあるのよね?」
「もちろんです。数を揃えるのが大変だったようですよ」
「後でお母さんにお礼言っておくわ」
 まだ帝国との通信は出来ないが、ビデオレターのようなものなら送る事が可能だ。アンネゲルトの手元には、家族からのビデオレターもどきがいくつか届いている。無論、彼女からも届けていた。
「当日が楽しみね」
 そう言うアンネゲルトの表情は、悪戯を仕掛けた時の従兄弟達に似ていたのだが、本人は気付いていない。
 これで全ては整ったのだ。後は明日を待つばかりだった。

「これは?」
 目の前に広げた物を目にしたエンゲルブレクトは、首を傾げていた。
「これは浴衣というのよ」
 といっても、これは日本で生産されたものではない。生地も縫製も帝国内にある工場製である。
 奈々が持ち込んだ浴衣は、今では帝国の夏の風物詩となりつつある。上流階級はもちろん、中流階級にまでブームが広がっているらしい。
 アンネゲルトの返答に、エンゲルブレクトは困惑の表情だった。
「ガウンのようですが……どうしてこれを私に?」
「今夜、船内で納涼祭をやるのは知ってるでしょう? 参加する人には、全員浴衣を着てもらおうと思って。もちろん、隊長さんや他の隊員の人にも」
 その為に、帝国に大量の浴衣を発注しておいたのだ。急な発注だったせいか、間に合うかどうかが怪しかったが、数日前に無事納品されてほっとしたアンネゲルトだった。
 楽しそうなアンネゲルトとは対照的に、エンゲルブレクトは困惑しっぱなしなのが見て取れる。
「もしかして……迷惑だったかしら?」
 納涼祭を楽しみにしているのは帝国側の人間ばかりで、スイーオネース側、というか護衛隊の人達にとっては迷惑なのではないか。アンネゲルトは今更ながらにそんな事に思い至る。
「いえ! そんな事は……」
 エンゲルブレクトは即座に否定したが、語尾がどうにも怪しい。とはいえ、もう納涼祭は明日だ。建前であっても、迷惑ではないという言質も取ったのだ。ここは一つ、立場を思いきり利用して押し切ってしまえ。
「良かったわ! 今回の納涼祭は、交流会を兼ねているの。ほら、護衛隊の人達も船で生活するようになったし、船の従業員や帝国の兵士達との交流があってもいいと思って」
 笑顔で言い切った。多少相手が引いてる気がするが、気にしない。今はお祭りを成功させる方が重要だ。
 アンネゲルトだけではない。他にも多くの人が関わって準備した納涼祭なのだ。どちらかというと、アンネゲルト以外の人の方が頑張っていたが。
 それに、交流会を兼ねているというのも本当だ。せっかく縁あって同じ船に乗っているのだから、少しは交流があってもいいだろう。
「という訳で、護衛隊のみんなにもこの浴衣、着てもらいます。いいですか? いいですよね?」
「は……はい」
 ミッションコンプリート。そんな言葉がアンネゲルトの脳裏に浮かんだ。

 納涼祭は昼の十二時から開始となった。
「夜じゃないの?」
 私室で浴衣の着付けをしてもらっているアンネゲルトは、ティルラに尋ねた。ちなみに、ティルラは既に浴衣に着替え済みである。
「メインの時間帯は夜になりますが、まあこの時間帯からいつ行ってもいいという事で」
 ティルラはアンネゲルトの浴衣の帯を締めながら、そう答えた。開催時間に関しては、実行委員会の話し合いで決まったらしい、とも付け加える。
 納涼祭の会場は、船のメインストリートを中心に、劇場、デッキ、後部デッキなどが解放される事になっていた。
 普段はセキュリティレベルによって出入り出来るエリアが決まっているのだが、この日だけは納涼祭エリアに限りフリーとなっている。
 メインストリートには屋台が建ち並び、劇場ではサーカスや大道芸が、デッキでは主にゲーム系の屋台が立ち並び、後部デッキでは水を使った見世物を用意しているという。
「さすがに盆踊りはないのね」
「開催したところで、踊れる人がいませんよ」
 ティルラの返答に、アンネゲルトはそれもそうかと納得した。振りそのものは簡単なものが多いから、事前に練習会でも開けばどうにかなっただろう。
 だがアンネゲルト自身、気付いたのはたった今であるし、そもそも盆踊りにそこまでの思い入れはない。
「どこから回ろうかしら」
 着付けが終わったアンネゲルトは、椅子に座って納涼祭のパンフレットに見入っている。そこにはどこにどんな屋台や出し物があるか、事細かに記されていた。
「今日はお一人で回られますか?」
 ティルラの問いに、アンネゲルトは頷く。
「船の中だから、一人でも平気でしょ?」
 祭りなどというものは、一人で回るものではないとアンネゲルトは思う。あれは親しい人と行ってこそだ。
 だが、立場上常に周囲に人がいるアンネゲルトにとって、人混みに紛れて一人になるというのは久しくない事だった。
「たまには一人きりを楽しみたい!」
 そう力説アンネゲルトに、ティルラははいはいと軽く返す。彼女もアンネゲルトの鬱屈した思いを理解しているのだろう。
 ティルラは、アンネゲルトが日本でどのように過ごしていたか知っている一人だ。
「どうぞご自由にお楽しみください」
 ティルラは優しい笑みを浮かべて、そう言った。

「やったー!!」
 アンネゲルトの喜びの声が辺りに響いた。射的の屋台で目当てのお菓子を落としたのだ。
 屋台の主はがらんがらんと大きなベルを鳴らした。景品を当てた人が出た場合に鳴らすものらしい。
「はい、どうぞ」
「ありがとう!」
 デッキ部分に並ぶゲーム系の屋台の一つである射的は、そこそこの人気らしい。射的の他にも、弓矢を使った的当てや、ボールを指定位置に入れるゲーム、他には剣で的を切る強さによって景品が出る屋台などがあった。
 アンネゲルトが手に入れた景品は、何の変哲もないキャラメルだ。ただし、日本製のものである。
 こちらでも菓子類は食べられるのだが、こうした日本製のものはほとんど口に出来ない。
「たまに懐かしくなるのよね~」
 射的の屋台から離れながら、手に入れたばかりのキャラメルを開けて、一つ口に放り込む。懐かしい味が口中に広がった。
「さて、次は何をやろうかな?」
「妃殿下?」
 背後から掛けられた声に振り向くと、そこにはエンゲルブレクトの姿があった。ちゃんと浴衣を身につけている。
「あら、隊長さん……は、何か怒ってるのかしら?」
 怖い顔をしてこちらを見ているエンゲルブレクトに、何をした訳でもないのに妙に後ろ暗く感じるのは何故だろうか。
「まさかと思いますが、妃殿下はお一人でいらっしゃるんですか?」
「え? ええ、もちろん」
 アンネゲルトの返答に、エンゲルブレクトは深くて長い溜息を吐く。一人でいる事が、そんなに問題なのだろうか。
 今回の納涼祭に関して、外から人を入れない事は彼にも報告されているはずだ。
 アンネゲルトの護衛隊隊長を務めているエンゲルブレクトの立場からしてみれば、例え安全な船の中でも一人で出歩いているのは良くないという事なのだろう。
 わかってはいても、貴重な自由を手放す気にはなれない。だから言ってみた。
「船の中だから、平気よ?」
「それでも、お一人でいらっしゃるのは感心出来ません」
 今にもティルラの所へ引っ立てられそうな雰囲気だ。彼女が今どこにいるかは知らないが、今のエンゲルブレクトでは祭りを余所に探しかねない。
 どうしたものかと考え込んだアンネゲルトの脳裏に、一つの案が浮かぶ。これはいい機会なのではないだろうか。
「……じゃあ、隊長さんが一緒にいてくれる?」
 まるでデートのようだな、と思ったことは内緒だ。どきどきしながら聞いたアンネゲルトに、エンゲルブレクトは即座に返答する。
「無論です。妃殿下をお守りするのが私の役目ですから」
 何故だか、嬉しさよりも空しさを感じるアンネゲルトだった。

 二人はデッキからメインストリートへ向かう為、エレベーターに乗り込んだ。
 エンゲルブレクトが着ている浴衣の柄は、吉原つなぎと呼ばれるものだった。由来を考えるとあまりいい意味のある柄とは言えないが、男性用の浴衣の柄としては古くからあるものだ。
 ちなみに、アンネゲルトの浴衣の柄は撫子柄である。藍の地に三色の花柄が描き出されていた。
 最初は白地に赤の花模様にしようと思ったのだが、画面で見た生地が子供っぽかったのでこちらに変えたのだ。
「その浴衣、似合っているわ」
「ありがとうございます。どうにも薄くて落ち着かなかったのですが、ティルラに『慣れろ』と言われましたよ」
 苦笑するエンゲルブレクトを見上げて、彼に浴衣を着付けたのがティルラだと知った。
「妃殿下も、よくお似合いです」
「……ありがとう」
 社交辞令だとしても、やはり嬉しい。今日は浴衣に合わせて、普段は下ろしている事が多い髪を結い上げているのだ。髪飾りには銀細工のかんざしを一本さしている。
 エレベーターは、程なくメインストリートのあるフロアに到着した。ここには食べ物系の出店が固まっている。
「……賑わっていますね」
「そうね。みんなが楽しんでくれればいいのだけど」
 デッキの出店にも人が多かったが、殆どが帝国側の人間だった。彼等彼女等が楽しんでいるのは見て取れたが、護衛隊の面々は楽しんでいるだろうか。
 メインストリートには、本来様々なショップが軒を連ねている。とはいえ、商人まで乗せる訳にはいかなかったので、その多くが閉店状態だったのだが。
 今はその店の前に様々な屋台が出ている。屋台の中にいるのは、船の従業員が殆どだ。
 それぞれの出店の前に人だかりが出来ているのだが、中にも一際繁盛している店があった。
「あそこ、凄い人だわ」
「本当ですね……うちの連中か……」
 集まっている中に見知った顔を見つけたのか、エンゲルブレクトの眉間に皺が寄っている。
 大方、この納涼祭の間も浮かれたりしないように隊員に釘を刺していたのだろう。
 真面目なのはいい事だけど、メリハリは付けた方がいいのではないか。アンネゲルトはエンゲルブレクトの腕を取って人だかりのする店へ引っ張った。
「私達もちょっと行ってみましょう」
「あ、妃殿下」
 さすがにアンネゲルトに逆らう気はないのか、エンゲルブレクトはおとなしく引っ張られている。
 近寄って見ると、屋台はどうやらクレープの店らしい。
「ご注文をどうぞ~」
「はい、ツナレタス出来ましたー」
「チョコバナナのクレープでーす」
 出店で売り子をしているのは、アンネゲルトの小間使い達だ。みんな浴衣を着て殺到する客を捌いている。
 今日の納涼祭に、現金の出番はない。事前に金券が渡されていて、それが現金の代わりとなっている。
 金券は消費するだけでなく、ゲーム系の出店では増やす事も出来るのだ。また食べ物系の店ではチャレンジメニューとして大盛りメニューが用意されていて、制限時間内に食べきったら金券をゲット出来る。
 さて、クレープの店に集まっている客の九割以上は男性だ。しかも護衛隊や護衛艦乗りの兵士が多い。
 日頃女性との接触が少ない彼等にとって、浴衣姿の小間使い達はいい目の保養といった所か。
「何か、アイドルとファンみたい」
 アンネゲルトの小間使いになる女性達は、年は彼女より少し下が多く、容姿も考慮されている為見目のいい者ばかりだ。男性陣が群がった所で無理はあるまい。
「あいどるとふぁん? それはどういういみですか?」
 アンネゲルトの悪い癖で、気を抜いている時はつい日本語を使ってしまう。今も無意識に日本語で呟いていたらしく、エンゲルブレクトに質問された。日本語で。
「えーと……アイドルっていうのは、こちらで言う歌劇の女優……みたいなものかしら。あ、でも男性アイドルもいるから、俳優のくくりになるの?」
 アイドルとはなんぞやと聞かれても、うまく説明が出来ない。普段何気なく使っている言葉でも、きちんと説明出来ない事は多いものだ。
「ファンは彼女達の信奉者みたいなものね」
「なるほど。理解出来ました」
 アンネゲルトの拙い説明でも、エンゲルブレクトはわかってくれたようだ。というより、目の前の光景を見て理解したのかもしれない。
 小間使い達のクレープ屋に集まった男性陣は、背後にいるアンネゲルトとエンゲルブレクトに気付いていないようだ。
「こっち向いてー」
「ああ、あの笑顔。癒やされるー」
「可愛いよなあ。あんな子を嫁さんにしたい」
 彼等の言葉を聞いて、アンネゲルトは苦笑しか出来ない。見たところ、スイーオネース側も帝国側も、ここに集まっているのは平民出身の者ばかりのようだ。
 貴族階級の軍人ならまだしも、平民の彼等には女性との出会いそのものがないのかもしれない。
「いくら何でも気を抜きすぎだ」
「隊長さん、今日は大目に見て。ね?」
 どんな形であれ、彼等が楽しんでいるのならば邪魔はしたくない。日常を忘れられるのも、祭りのいい所だ。
 人だかりの一番外側にいた二人に気付いたのは、売り子をしていた小間使いの一人である。
「まあ、姫様!」
「あら、本当」
「いらっしゃいませ。どれか召し上がりませんか?」
 小間使いたちは、即席とはいえ優秀な売り子になっているらしい。
「ありがとう。後でよらせてもらうわね」
「お待ちしております」
 小間使いたちの明るい声に送られて、アンネゲルトはその場を後にする。まずはもう少しお腹にたまるものが欲しい。
「隊長さんは、何か食べたいものはあるかしら?」
「そう聞かれましても……どれも見たことがないものばかりなので、選びようがありません」
 それもそうか、と思う。屋台に出ているのは日本の縁日では定番のものが多いく、それらはスイーオネースの人々にとっては未知の食べ物だった。
「じゃあ、もう少し奥の方に行きましょうか。確か、スイーオネースの料理を出している屋台もあったはず……ああ、あそこはどう?」
 アンネゲルトが指さした先には、スイーオネースの家庭料理の定番、魚と野菜のスープを出している屋台がある。
 見慣れない食べ物ばかり並べても、反発されるだけで受け入れられないのではないか、という意見から、スイーオネースでもよく食べられている料理の屋台をいくつか用意してあるのだ。
 屋台にはそこそこ人がいる。
「結構繁盛しているわね。あれなら隊長さんも大丈夫じゃないかしら」
 そう言いながら屋台に近づいたアンネゲルトは、その場にいる人物を見て目が丸くなった。
「料理長、何やってるの?」
「おお、こりゃ姫様。どうです? 一杯召し上がりませんか?」
 屋台の中で大鍋をかき回していたのは、船のメインダイニングを中心に、料理系の店全般を統括する総料理長だ。まさか、彼まで屋台に出ていたとは。
「えーと、二つもらえるかしら?」
「はいよ! 二つだね」
 威勢のいい声で請け負うと、料理長は素焼きの器に手際よくスープを盛りつけて出してくれた。この器は後でリサイクルされると聞いている。
 同じく素焼きのスプーンと一緒に出されたそれを、アンネゲルトは縁日に手渡した。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
 どうしていいのかわからない様子で目を白黒させるエンゲルブレクトを見て、アンネゲルトはこっそり笑う。彼のこんな姿を見る日が来ようとは。
 ――お祭りやって、良かった。
 周囲でも、あちこちで所属の違う者同士が賑やかにやっている。そこには、多分にアルコールの力もあるようだが。

 その後もあちこち歩き回り、小間使い達との約束通りにクレープ屋にも寄り、楽しい一日を過ごした。
 この後に待っているのは、社交シーズンを締めくくる一大行事、王宮で行われる大舞踏会だ。開始前には、夫である王太子ルードヴィグとの対話も待っている。
 まだまだ目指すゴールまでは遠い道のりだが、一歩ずつ着実に歩いて行けばいい。助けてくれる人達はたくさんいるのだから。


おまけ

「一緒に回りませんか?」
「いやです」
 ヨーンからの申し出に、ザンドラは即答した。アンネゲルトから、本日の祭りは全員浴衣を着るように、との指示が出ているので着替えたが、着替えた部屋から出た途端、前述の人物に捕まったのだ。
 大柄なスイーオネース人は、最初の出会いの時にザンドラを子供扱いした人物だった。それ自体は問題ないが、いきなり抱き上げられた事には物申したい。
 今も目の前で、大きな体を縮めてしょげているのを見ると、悪い事をしたかと思うが、この人物には散々悩まされているのでこれでいいのだ。
 ヨーンが落ち込んでいる隙を突いて、ザンドラはその場を立ち去った。

 ザンドラの家は、その昔暗殺を生業としていた一族である。今でも子供が生まれると、歩き出す前から武器を覚えさせるような家だ。
 暗殺業自体は祖父の代で廃業したと聞いているが、その後は帝国皇帝に中性を近い、騎士爵という身分と引き替えに、国の暗部の仕事を請け負う一族となったのだ。
 依頼主が不特定多数から皇帝に代わっただけではないのかとザンドラなどは思うが、家ではその事に対して意見をする事は禁じられている。
 そんな家に生まれたザンドラは、生まれた時から小さかったという。まともに育たないかもしれないという周囲の心配をよそに、同時期に生まれた親族の子供達の中で一番丈夫に育った。
「この子は一番の使い手になる」
 ザンドラを見てそう言ったのは、彼女の曾祖父である。まだ幼かったザンドラに、手ずから技術を仕込んだのも彼だった。
 一族の誰よりも優れた暗殺技術を体得したザンドラだったが、成長は誰よりも遅かった。身長が伸びないのだ。
 その事を親族に揶揄される事も多かったが、ある時からそれがぴたりと止む事になる。人生初の「仕事」を終えた時だった。
 ザンドラはその小柄な体を生かし、標的に子供として近づいたのだ。そこらにいるような子供が暗殺者だなどと、誰が思うだろう。
 昼日中の仕事だったが、周囲の誰もザンドラの事を疑わなかった。それ以来、彼女の仕事は高評価を得て今に至る。

「スイーオネース……ですか?」
「そうだ」
 ある日、父に呼び出されて言いつけられた仕事は、皇帝の姪姫に付き従って、北の国であるスイーオネースへ行く事だった。
「皇帝陛下の姪君であるアンネゲルト姫が、スイーオネースの王太子に嫁ぐ事が決まった。だが、今回の結婚に反対する連中もいるようでな。先日、陛下の親族である伯爵令嬢が亡くなった話は知っているか?」
「はい。表向きは病死との事ですが、実際には殺された、と」
 貴族の間ではよくある事だ。暗殺されたと表沙汰にすると外聞が悪いので、病死という事にする。件の伯爵令嬢の事は知らないが、犯人が捕まった事は小耳に挟んでいた。
「帝国国内だけでなく、スイーオネースにも同様に今回の結婚を阻もうとする者達がいるらしい。お前の仕事は、そうした連中からアンネゲルト姫をお守りする事だ」
 表向きは側仕えとして侍るらしい。その後は必要事項の説明と、後日行われる顔合わせの内容を聞き、自室へと戻った。
 ザンドラの年齢で未だに実家にいる者は少ない。大概は嫁に行き、婚家をもり立てている。
 ――自分には求婚者も現れなかったし、このまま仕事に生きるのも手か……
 今年二十二歳だというのに、見た目は十代半ばにしか見られない外見の女では、嫁のもらい手もないらしい。
 元々結婚に夢を見ていた訳ではないので、このままでも何ら不都合はなかった。家族も特に何も言わないし、自分はこれでいいのだろう。
 そう、思っていた。
 なのに、何故かスイーオネースでやたらとでかい男に絡まれている。あまり感情を表に出さないザンドラが、あからさまに迷惑だと顔に出しているというのに、相手は意に介さないらしい。
 ――バカなんだろうか?
 その割には、護衛隊隊長の副官なぞをやっている。どうにもよくわからない人物だった。

「あら、ザンドラも一人?」
 適当に祭りの会場をふらついていると、脇から声がかかった。ティルラである。
 子爵家令嬢の彼女は、実質ザンドラの直属の上司だ。多くの命令は彼女を通して与えられる。
「ティルラ様もお一人なんでしょうか?」
「ええ、アンナ様がお一人で回りたいと仰ったから」
 なるほど、と思う。
 異世界育ちのアンネゲルトは、普通の貴族令嬢とは大分違っていた。スイーオネースに来る途中のオッタースシュタットでも、わざわざ変装して街に出るというお遊びをした程だ。
 普通の令嬢、それも皇帝陛下の姪姫ともなれば、もっと雲の上の存在のような人かと思っていたのだが、アンネゲルトはザンドラの予想を遙かに超えていた。
 ドレスを嫌がり、船にいる時は異世界から持ってきたという下着のような服装を好んでしている。小間使い達にも愛想が良く、たまに何人かで内緒話をしているのを見かけた。
 かといって令嬢らしからぬ所ばかりかというと、そうでもなく、着飾って社交行事に出る時にはきちんと「王太子妃」として振る舞っている。
 そういえば、とザンドラは思い出した。今船が停泊している島、カールシュテイン島に襲撃者が現れた時だ。護衛として側についていたザンドラは、襲撃者からアンネゲルトを逃がす為に、側にあった生け垣の迷路に逃げ込んだ事がある。
 迷路の道は狭いので、いざとなったら各個撃破が可能だと判断した為だ。その際、握っていた手をアンネゲルトが離す様に指示した。
 大方、置いてきた兵士達が心配だから戻るとでも言い出すのだろうと思ったザンドラは、その予想を裏切られた。
『手を繋いだまま走るより、離して走った方が早いでしょ!』
 驚いた拍子に、繋いでいた手を離してしまった。アンネゲルトは宣言通り、全速力で迷路を走っていく。もちろん、入り口とは反対方向へ、だ。
 アンネゲルトを守るのは、ザンドラの仕事だったが、もしかしたらこれ程守りやすい人は初めてかもしれない。
 その後は、護衛隊隊長のエンゲルブレクトと奇跡の邂逅を果たし、無事にアンネゲルトを守り切る事が出来た。
 その後もアンネゲルトは何度か危ない目にあったが、こちらの指示通りにきちんと動いてくれるので助かる。たまに今日のような面倒くさい事に巻き込まれたりもするが。
 結局、ザンドラは今の「仕事場」が気に入ってるのだ。だからこそ、それを脅かす例の男は許しがたい。
 顔には出さずにむっとしていると、ティルラが溜息交じりに言ってきた。
「グルブランソン子爵、青い顔で向こうをふらふら歩いていたわよ」
「そうですか」
「あなた、何か言ったの?」
「……特には」
 嘘は言っていない。一緒に回ろうという誘いを断っただけだ。
「まあいいわ。そうそう、その浴衣、似合ってるわよ」
「ありがとうございます。ティルラ様の浴衣も、とてもお似合いです」
 これも嘘ではない。紺地に色とりどりの蝶の柄が入った浴衣は、ティルラによく似合っていた。ちなみに、ザンドラの浴衣は金魚とかいう赤い魚の柄である。アンネゲルトによれば、金魚は祭りに欠かせない魚なのだそうだ。
 その後も何となくティルラと一緒に祭りを回った。所々で鬱陶しい視線を感じたが、こちらが一人でないせいか突撃される事もなく平穏で助かる。
 デッキに場所を移した所で、ティルラから聞かれた。
「あなた、そんなに子爵の事が嫌い?」
 いきなりな上に、随分と直接的で彼女らしくない。だが、上司であるティルラの言葉を無視する訳にもいかなかった。
「……身分が違います」
 一番の問題はそこだった。向こうは現在子爵で、実家を継げば伯爵位になるという。
 ザンドラの家は祖父の代に騎士爵になったばかりの新興貴族で、しかも爵位らしい爵位もない。所詮は暗殺者集団がほんの少し成り上がった程度の家だ。スイーオネースの伯爵家にはそぐわないだろう。
 ザンドラの簡潔な答えに、ティルラは頬に手を当てて苦笑する。
「そうねえ……でも、あちらはそれでも構わないようだけど」
「ご実家の方々は、認めはしないでしょう」
 いっそ遊びだと割り切ってくれれば、こちらも対処のしようがあるというものなのに。
 何が気に入ったのか、こんな子供みたいな女を相手にしようなんて物好き、この先も出てくるとは思えないし、遊びなら後腐れもないだろう。迷惑なのは彼の本気であって、彼本人ではない事にザンドラ本人ももう気付いている。
 ザンドラは知らずのうちに溜息をついていた。
「あまり思い詰めない事よ」
 ティルラは軽く笑ってそう忠告する。自分より遙かに男女の事に詳しい彼女がそう言うのだから、そうなのだろう。事これに関しては、自分の思いが一番信用出来なかった。
 その日、ザンドラは面倒と思った祭りを程々に楽しみ、ゲーム系の屋台ではあらし扱いまでされるに至る。

 祭りの後もヨーンを避ける日々が続いたが、ある出来事をきっかけに少しだけ見る目を変える事になるのだが、それはまだ少し先の話である。
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