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第八話 彼女の理由

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 出発は、昼を少し過ぎた頃です。

「これからだと、そんなに距離は稼げねえが、まあこの先は宿場街も多いから何とかなるだろ」

 ここからの移動は、徒歩です。街道なので、道なき道を行く程疲れないとは思いますが……あ。

「いっそ、魔法で移動しましょうか?」
「却下だ」
「何故ですか?」
「目立ちすぎる。街道を行くのに魔法を使うなんて奴はいねえよ」

 でも、私はまだしも王女であるニカ様を長く歩かせるのは避けたいところです。

「では、どこかで馬車を買いましょう」
「そんな金あんのか? あと、馬も馬車も手入れが必要だぞ?」
「じゃあどうすればいいんですか!」

 あれもダメ、これもダメと言われては、もう案など浮かびません!

 大きな声を張り上げて、その事に自分でも驚きました。私ったら、何てことを。

「……申し訳ありません。大声を出すなど」
「いや、確かにお嬢達が疲れてるのは当然だよな。悪い。旅慣れていない身なのを忘れてた」

 カルさんが、頭を下げてしまいました。違うんです、悪いのは私で……

「二人とも、そこまで。歩くにしても、少し休憩を多めに入れれば、何とかなるのではないかしら?」
「ニカ様……」
「現状、それが一番有効な手段だな」

 結局、街道での休憩を多めに取る事で、ゆっくり進もうという事になりました。

「まあ、辛いのはホアガン国内だけだ。オーギアンに入っちまえば、いい移動手段があるからさ」
「移動手段?」

 首を傾げる私達、カルさんがにかっと笑います。

「ああ、乗り合いの車だ。馬車じゃねえぞ? 引くのは馬じゃなくて、でっかい魔物だからな」
「魔物……」
「と言っても、人に飼い慣らされたおとなしいやつだよ。でも、体はでかくて力があるから、荷車や人を乗せた車を引かせるのに使ってるんだ」

 驚きました。世の中には、魔物を有効活用しようという国もあるようです。

 サヌザンドでは、皮や角、内蔵などを素材として使う事はありますが、飼い慣らそうとした人はいません。

 これも、国の違いというものでしょうか。

「とはいえ、お嬢二人の足を考えると、ホアガンを抜けるのに八十日近くかかるかもな……」
「そんなにですか!?」

 一年の四分の一近くですよ!? そんなにかけていられません!!

「だよなあ、時間がかかりすぎる。オーギアンに入っちまえば問題はないんだが……」
「ここはやはり、魔法を使いましょう!」
「いやいやいや、待て待て待て」
「それとも、カルさんがもう一度狼になって、私達を乗せてくれますか?」

 にっこりと笑って言えば、何故だかカルさんが引いています。

 そんなに、狼の姿になるのは嫌ですか?

 話し合いの結果、これまで通り人の少ない街道を選んで、魔法で移動をする事に決まりました。

 良かった……これでニカ様に苦労させずに済みます。

 魔法での移動は、敷きものの上に三人で乗って、そのまま魔法で浮かべて動かす方法です。

 これも、黒の会で色々案が出た中で、一番移動に適した術式と評価されたものでした。

 他にも風の結界で周囲を囲み、そのまま上に放り投げるような移動方法もありましたけど、着地点がえぐれてしまうのであまり評価が高くなかったんです。

「これは……馬車よりも速いし楽ね」
「本当だな……」
「やっぱり、魔法で移動が楽ですよね!」

 ニカ様もカルさんも納得しているようです。カルさんは本当に人気のない街道をよく知っていますねえ。

「まあ、狼の姿で日中行き来出来る道を探してたら、な」

 ああ、あの大きさの狼では、魔物と間違われて討伐されてしまいます。確かに、人目は避けた方がいいでしょう。

 すぐにミアスよりも大きな街の近くまで到着したので、カルさんが走って街まで向かいました。

 しばらく外で待っていたら、夕方頃になってようやく姿が見えます。両手には、何やら色々と抱えているようですよ。

「お帰りなさい、カルさん。両手のそれは……服ですか?」
「おお、着替えをな! 靴は向こうで履き替えてきた。サンダルは、あのまま使い回そうと思ってる。返さねえとダメか?」
「いいえ? あれはカルさんに差し上げたものですから、ご自由に」

 今更返されても困るという面もあります。だって、カルさんの足って大きいから、あのサンダルを自分用にする訳にもいきませんし。

 そうこうしているうちに、暗くなってきたので急いで天幕を出しました。カルさんが慌ててその中に飛び込んだのは、ちょっとおかしかったです。



 魔法での移動を入れて、日中の日が高い時間帯だけ行動するようにしました。夜は月明かりが危険ですから。カルさんにとっては、ですけど。

 夜は早めに野営の準備をします。街の宿屋に泊まってもいいんですけど、それにはカルさんから待ったがかかりました。

「当たり前だろ! あんな高級宿屋ばかり選んで。ちったあ財布の紐を締めやがれ」
「でも、安宿だとニカ様も私も安心して眠れませんし」

 一度、カルさんお薦めの宿屋に泊まろうとしたんですが、ベッドが硬い上に虫が多くて悲鳴を上げて逃げる羽目に。あんな経験は二度としたくありません。

 高級宿屋なら虫は出ませんし、ベッドも柔らかくて寝やすいんです。もちろん、実家のベッドには比べられませんけれど。

 それに、お金なら黒の君にいただいた袋があります。あれ、中身は全てこちら側で使われている貨幣でした。

 なんでも、エント、ホアガン、オーギアンは国同士の行き来も多く、お互い輸出入も多いので、共通の貨幣を使っているのだとか。

 いただいた袋の中には、全ての種類の貨幣が入っていました。高額貨幣は使いどころに困ると、ニカ様が仰ってましたね。

 それにしても、どうして黒の君はこちらの貨幣をこんなに持っていたんでしょう。謎です。

 お金はあるのでそれなりの宿屋に泊まりたいと説明しても、何故かカルさんが首を縦に振ってくれません。結局、毎回街の外での野営になりました。

「まあ、この天幕があっちゃあ、野営の方が遙かに楽だもんな……」
「特別製の天幕ですので、月の光も通しませんよ!」
「ありがたいこって……」

 カルさんに貸している大型の天幕は、素材に蜘蛛型の魔物の糸を使用しています。加工に手間と魔力がいりますが、丈夫で保温性に優れ、水や汚れにも強いんです。

 ただ、染色が難しいので、生成りのままですが。それさえ克服出来れば、貴婦人のドレスの生地にもいいと思うのですけど。

 なかなか上手くいかないものです。

 天幕にはいくつか家具も揃えていて、もちろんベッドはこだわって作ってます。マット部分には魔法銀を素材にコイル状にして硬すぎず柔らかすぎない最高の状態を目指しました。

 寝具はくちばしに毒を持つ大きな鳥の羽毛を使ってます。もちろん、布地は全て蜘蛛糸から取った丈夫な糸で織りました。

 枕にもこだわりがありますよ。優しく頭を支えてくれる枕の中身は、カエル型の魔物の粘液を固めたものが入っています。

 ある種のカエル型の魔物の粘液は、魔力を通すと硬さや柔軟性が変わるので面白い素材なんです。

 ただ、これら全てを事細かに説明するのはやめておけと、黒の会で何度も言われましたので、ニカ様にもカルさんにも、聞かれても答えていません。

 月明かりに触れる訳にはいかないカルさんは、夜は早めに天幕に入ってしまいます。

 おかげで、夜はニカ様と二人で過ごす時間が多いです。

 そういえば、ニカ様にはまだ色々と聞かなくてはならない事がありました。ここなら、話していただけるでしょうか?

「ニカ様、ここで話を伺ってもいいでしょうか?」
「そうね……ベーサ、結界をもう一つ、遮音で張ってもらえる?」
「承知いたしました」

 結界は、常に周囲に張り巡らせています。その事はニカ様もご存知のはず。だから、今から張るのはカルさんに聞かれないようにする為のものです。

「手間をかけさせるわね」
「もったいないお言葉です、ニカ様」
「……私は一つ、あなたに許しを請わなくてはならない事があるの」
「何でしょう?」

 ニカ様が私に謝らなければならないなんて。一体、これから何を聞く事になるのかドキドキします。

「……私が国を出なければならない理由、それは、弟であるオリサシアンの罪の証拠を、私が持っているからなの」
「オリサシアン様の……ですか? ですが、それがどうして――」
「あの子は自分の罪を、あなたのお父様にかぶせたのよ」
「え」

 それは、どういう……

「実際に密輸に関わっていたのは、オリサシアンなの。私は、その証拠となるあの子の自署が入った取引の書類を持っているのよ」

 目の前が、真っ暗になりました。ニカ様が私の名を呼ぶ声が聞こえますが、申し訳ありません。今はお答えする事が出来そうもないんです。

 オリサシアン様が、お父様を陥れた犯人。そして、ニカ様はその証拠を持っている。

 では、どうしてお父様は鉱山送りにされたの? オリサシアン様は、そこまで私をお厭いなの?

 どうして、ニカ様はその証拠でお父様を助けてくださらなかったの?

「ベーサ、あなたの気持ちは理解出来るわ。でも、あの場所で私が持っている証拠を出す訳にはいかなかったの」
「なぜ……ですか?」
「あなたは気付いていなかったかもしれないけれど、今の王宮はおかしいのよ。これは、兄上も同意されている事です」
「くろの……きみが……?」
「よく聞いてね、ベーサ。王宮は現在、オリサシアンの手によって支配されています。だから、あなたのお父様の裁判もあんなに簡単に終わったの。そこには、何らかの魔法か何かが使われているそうよ。それについては、黒の会が総力を挙げて捜査しています。結果がわかり次第、私達にも知らせてくれるという約束です」
「黒の会の、皆様が?」
「ええ。他ならぬ、あなたのご家族が巻き込まれた事件だから。彼等は喜んで助力を申し出てくれたらしいわ」

 ああ、脳裏に彼等の姿が浮かびます。黒の会は、発足の頃から結束力が高いそうです。

 皆、魔力の高さをうらやましがられる一方で、滅多にいない黒髪に畏怖される事も多かったと聞きます。

 私も、そうでした。令嬢達の集まりにあまり出なかったのも、家の家格が低いからと言い訳をしていましたけれど、実際は怖がられているからです。

 おかげで同年代のお友達も出来ませんでした。私はその分も、黒の会に依存していたように思えます。

 何より、彼等がお父様の罪が冤罪だと知っている事、それが嬉しい!

 ですが、一つ気になる事があります。

「……オリサシアン様は、どうして密輸などという犯罪に手を染めたのでしょうか」

 あの方は、王族としても珍しいくらい薄い色の髪でした。それだけ、魔力量が少ないという事です。

 ですが、王族として何不自由のない生活をしていたはずなのに。どうして、密輸などという犯罪に手を染めてしまわれたのか。

「理由はわからないわ。欲しいものがあっただけかもしれないし。ただ、その為に王宮をおかしな力で支配した事は許せない」
「ニカ様……」

 ニカ様の母君は身分が低い為、王女としての序列は低いんです。ですが、王族としての誇りは、誰よりも高い方だと聞いています。

 ニカ様にとって、今の歪な王宮は我慢ならない場所なのでしょう。

 それにしても、話を聞くだに妙な感じがします。魔力の低いオリサシアン様が、魔法を使いこなせるとは思えません。

「ニカ様、オリサシアン様は魔法を殆ど使えません。なのに、王宮を掌握出来る程の術式を使ったと?」
「ええ。それは間違いないわ。あの父でさえ、オリサシアンのする事に黙って従っていたくらいですもの」
「それは……確かに……」

 今上陛下は大変厳しい方で、度々オリサシアン様の考え方や言動を窘める事があったと聞きます。

 まあ、陛下はあの黒の君にも厳しい方ですので、それが常であると言いますか。

 ともかく、オリサシアン様には特にあれこれ仰っていた姿を何度か見ています。その時の、オリサシアン様の様子も。

 あの方を信じたい気持ちと、やっぱりという気持ちがない交ぜです。

「ともかく、オリサシアンがどのような手を使って王宮を支配しているかわからない以上、私の持つ証拠を出すわけにはいかなかったの。そのせいで、あなたのお父様が……」
「お顔をお上げください、ニカ様。父が冤罪に問われたのは、ニカ様のせいではありません」

 元を正せば、自分が法を犯しているにもかかわらず、その罪をお父様になすりつけたオリサシアン様が悪いのです。

 それに……

「ニカ様が証拠をお持ちなら、王宮が正常な状態に戻り次第、すぐに父の冤罪を晴らせます。これで、少し気持ちが楽になりました」

 半分本当で、半分嘘です。冤罪を晴らす前に、お父様が鉱山で健康を損ねていたらと思うと、居ても立ってもいられません。

 でも、ここでそれを口にしては、ニカ様を責める形になってしまいます。

 だから、私は笑いました。

「まずは私達が安全に逃げ延びる事。そして、黒の会の方々が王宮の異変の正体を暴くのを待ちましょう。今の私達がしなくてはならないのは、この二つだと思います」
「そうね……オーギアンで、兄上からの連絡を待ちましょう」

 ニカ様の顔にも、ようやく笑みが浮かびました。良かった。

 それはそうと、一つ気になる事が。

「その事なのですが……黒の君は、ニカ様の所在を知ってらっしゃるんですか?」
「ああ、それなら」

 ニカ様が首元から鎖を引っ張りました。その先には、丸いメダルがついています。あら? これは……

「魔道具ですね」
「ええ。兄上が制作されたそうよ。これが、兄上に私の居場所を教えるんですって」

 なるほど。確かに特殊な魔力の波動を感じます。これを頼りに、ニカ様の現在地を割り出すんですね。

 黒の会の会員は、皆様優秀な方ばかりです。一番年少の私の事も、とても可愛がってくださいました。

 彼等の腕を信じて、オーギアンで待っていましょう。
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