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第三十二話 十八階

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 迷宮区に戻ってすぐ、星の和み亭に向かいました。対鳥を預けていたのもありますし、部屋も確保したくて。

 お部屋はちょうど空いたとの事で、四階の端の部屋を確保出来ました。預けていた対鳥も引き取り済みです。

 ちゃんと餌も与えてくれて、籠も掃除してありました。一日小銀貨一枚でここまでしてくれるのですから、ありがたい事です。

「まだ日が高いですし、これからどうしましょう?」
「カルに連絡して、明日にでも塔に入りましょう」
「わかりました」

 目的がはっきりしていますし、早く解呪出来る水が手に入るといいのですが。

 カルさんに手紙を書いて対鳥に託し、残りの時間は市場に向かう事にしました。一応、食材の買い増しです。

 肉、野菜、魚……卵もありますね。

「あと、お水も補充しておきましょう」

 魔法でも出せますが、塔の中では魔力を温存しておきたいと思います。魔法収納に入れておけば傷む事もありませんし、いくらでも入れられます。

 探索で入る人向けに、瓶に入った水も売られていました。どうやら瓶自体が魔道具らしく、水が長持ちするんだとか。値段は瓶のものだけだそうです。

「瓶を持ってるなら、探索者が汲めるように水汲み場があるよ」

 教えてもらった場所は、探索者協会のすぐ近くでした。後で汲みに行きましょう。

 めぼしい食材を買い込んで、本日は終了です。いくつか調理されたものも買い込んで、全て魔法収納に入れておきます。

 星の和み亭に戻ると、カルさんから返事が来ていました。

「明日、協会前で待ってるそうです」
「そう」

 何だか、ニカ様の元気がありません。ですが、あまり突っ込んで聞くのも躊躇われます。

 人間誰しもそっとしておいてほしい時って、ありますよね。



 翌日は曇天です。まるでニカ様の心を表しているように思えます。本日も、ご気分が優れないようで、とても心配です。

 協会の前には、こちらも不機嫌なカルさんがいます。あら……どうしたのでしょうか。

「おはようございます、カルさん。どうかしたんですか? 機嫌がよろしくないようですが……」
「おはようさん。機嫌? いい訳ないよなあ? せっかく団を組んでるってえのに、この十日近く、お嬢達は何やってたんだよ」
「あ」

 そういえば、ティージニール嬢とリジーニア嬢二人の一件に関わる事、カルさんに報告しておくのを忘れてました……

 何も言われず、十日近く連絡がなければ、心配にもなりますよね。申し訳ない事をしました。

 謝って、塔で出会った二人の一件に関わっていた事を話すと、納得はしてくれたようです。

「出来れば都区に行く前に、連絡してほしかったぜ」
「それに関しては、許してもらいたく……」
「まあいい。次同じ事があった時は頼んだ」
「はい」
「ところで……」

 カルさんは私を引っ張り、ニカ様から離れました。

「あっちのお嬢の機嫌が悪いようだが、何かあったか?」
「それが、私にもわからないんです。昨日からあの調子でして」

 カルさんも、ニカ様の様子に気付いたんですね。今も、少し離れたところでぼんやり塔を見つめていらっしゃいます。

「……都区で、何かあったか?」
「なかったと思うのですけど……」

 ただ、同じものでも見る人が違えば全く違うものに見える。そう教えてくれたのは、黒の会で一緒だったバエリルさんです。

 腕のいい仕立屋で、貴族の顧客も多かったんだとか。バエリルさんからは、人と接する上でのあれこれを教えてもらいました。

 彼の言葉を借りれば、ニカ様と私とでは、見えていたものが違います。ニカ様は、一体何を見てああなったのでしょう。



 心配は残りますが、今は迷宮探索が先だという事になりました。思い悩んでらっしゃっても、ニカ様はニカ様です。

「いつも通り、結界は任せて」
「よろしくお願いします」
「んじゃ、俺は前衛だな」

 三人で行く時は、前にカルさん、真ん中にニカ様、後ろに私という順です。カルさんは物理攻撃のみですし、ニカ様は真ん中でお守りしなくてはなりません。

 私は魔法で攻撃をしますので、場所は前でも後ろでも問題ありません。背後から魔物や敵が襲ってくる可能性を考えれば、私が最後尾になるのが一番でしょう。

 上り慣れたせいか、あっという間に十三階に到着しました。前回は、ここでティージニール嬢達を見つけたんでしたね。

 確か、十三階にはコウモリや蜘蛛が出るとか……カルさん、お願いします。

 十三階は石造りの聖堂内部という印象です。気のせいか、空気までひんやりしているように感じます。

「はっはっは! どんどん来い!」

 先程から、カルさんが上機嫌です。出てくる魔物を全て切り伏せているからでしょうか。後続の私達は、楽でいいんですけど。

「さすがに襲われかけてる女を見つけるなんて事、迷宮の中でもそうねえよ」
「ですよねえ」

 ティージニール嬢達が特殊すぎたんだと思います。

 十三階から続く聖堂のような造りは、十八階で終わりなんだとか。

「十八階はほぼ拠点地だけと思っていい。で、十九階に行くと魔物がデカくなる。蜘蛛も人間の子供くらいの大きさになるぜ」
「え……」

 子供くらいって……そんなに大きいのが出るんですか!? 今でも十分大きいのに!

 迷宮で出る蜘蛛って、ウサギくらいの大きさがあるんですよ? あれより大きいとか。

「大丈夫よベーサ。きっとカルが一撃で倒してくれるわ」
「そ、そうですよね」
「またそういういらん事を……」

 頑張ってください、カルさん! 後ろから応援してます!



 十三階から上は、今日初めて入る場所です。あの後、十三階から十七階までは誰にも行き会いませんでした。

 蜘蛛の魔物はたくさん出ましたが。全てカルさんが早めに切り捨ててくれたので、こちらに被害はありません。

 ええ、ありませんでした。結界に触れた何かを瞬時に燃やしたような気もしますが、きっと気のせいです。

「……ベーサお嬢の目がやばいぞ」
「本当に虫が苦手だから」

 何か聞こえますが、気にしません。さあ、先に進みましょう!

 とうとう、十七階から上に行く階段に辿り着きました。

「こんなに早く階段に辿り着くとはなー」

 カルさんが遠い目になってます。早く進む事は、いい事なのでは?

「さて、お嬢達。この先に進むに当たって、心構えをしてくれ」
「心構え?」
「何に対してかしら?」

 私とニカ様からの質問に、階段の下でカルさんが真剣な表情でこちらに向き直ります。

「この先には、今現在この塔の最上にいる組が二つ、拠点を構えている。当然、組の構成員も複数いるだろう」
「その連中が、こちらを襲ってくると?」

 ティージニール嬢達のような目に、私達が遭う危険性があるという事でしょうか。

 ニカ様からの確認の言葉に、カルさんは軽く頷きました。

「それもある。で、それに関連して、人同士の戦いに発展する事があるんだ」
「……探索者の自己責任、というやつね?」
「そう。迷宮の中で起こった事は、外には何も影響を及ぼさない。訴えたところで、誰も助けちゃくれない」
「中で助けを求めても、無駄でしょうしね」

 ……やはり、ティージニール嬢達の一件は、普通じゃなかったんですね。

 十八階も、聖堂の区域です。天井は高く、壁も床も石造り。ですが、今までなかったものが聞こえます。人の声です。

 十七階から続く階段の途中から、既に聞こえてきます。すぐ先に、複数人の人がいるようです。

「……いますね」
「そうだな」
「挨拶した方がいいの?」
「やめとけニカお嬢。あいつら、この階に自分達以外の連中が来る事ですら嫌うんだ。出来るだけ、見つからないように進んだ方がいい」

 面倒な人達ですねえ。あ、でもそれなら。

「ニカ様、結界を交替していただいても、よろしいですか?」
「何か、考えがあるの?」
「以前使った、ちょっと面白い結界があるんです」

 黒の会で、魔物の巣に入らなくてはならない時用に、皆で作った結界なんです。

 外側からはみえなくなり、匂いも遮断します。でも、結界の中からは周囲が見えるんです。

 勘のいい魔物や人には気付かれやすいですけど、距離があれば割と誤魔化せます。

 という訳で、隠蔽結界に切り替えて十八階へ到達しました。

「……本当に、人がいますね」
「……しゃべって大丈夫なのか?」
「音は漏れませんから、問題ありませんよ。向こうとは離れていますし」

 相手からは視認出来る程度の距離がありますから、気付かれる事はないでしょう。

 十八階は、階段を上がってすぐに大きなホールがあり、そこから太い通路が三本、奥へと延びています。

 まっすぐ進んだ先にあるのが拠点地で、そこに二つの組が拠点を築いているそうです。

「十八階は造りが単純で、拠点地はでかいのが一つきり。そこではさすがにどっちの組もやり合うつもりはないらしい」

 どちらもそれなりの人数がいる組ですから、恨みを買うと後が大変なんだとか。

「余所の迷宮で、実際にあった話だそうだ。二つの組が拠点地でもめて、片方の組がもう片方の組を全滅させた。ところが、その拠点から逃げ帰った奴がいたらしく、仲間を集めて迷宮の外で闇討ちしたんだ」
「まあ……」
「結局、二つの組が共倒れ状態になっただけっていうな。それ以来、拠点地で手を出すのは絶対やるなって話が広まってるんだよ。まあ、それでもやる奴はやるけどな」

 それは意味がないのでは……

 ともかく、今十八階の拠点地にいるのは「紅蓮組」と「風雷組」の二つ。その組それぞれ最強の団が現在二十一階を目指して二十階を探索中なんだそうです。

「で、俺達としては、拠点地は避けていくべきかと」
「そうですね」
「じゃあ、右か左のどちらかね」

 人の少ない方を選びましょう。まずは魔法で探索を。どうやら、ホールと拠点地以外には、十八階に人はいないようです。

 ですが、ホールに人が多すぎて、ちょっと進むのが難しそうです。

「どうしましょう?」
「そういう時は……」

 カルさんは、腰に付けてあるベルトから、釘のようなものを取り出してホールの左側に放り投げました。

 軽い音を立てて、釘が壁にぶつかります。その音に、ホールにいた人達全員が釘の方へ視線を向けました。

「今だ!」

 彼等の視線がこちらに向く前に、ホールを抜けて左の通路へ入りました。
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