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第六十三話 上を目指して
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夜会で黒の君に指摘されてから、ずっと考えています。行くか、残るか。行くとしたら、何が問題になるのか。残るのなら、どうすべきか。
何度考えても、答えが出ません。
そんなある雨の日、お母様から声がかかりました。
「園遊会が、この雨で中止になってしまったわ。ベーサ、少し、お部屋で話をしない?」
「はい、お母様」
そういえば、王都が正常に戻って以来、社交に忙しいお母様とゆっくり放す機会も減りましたね。
ガラス張りの部屋で、雨に濡れる庭を眺めながらのお茶も、なかなかいいものです。
「ベーサ」
「はい」
「家を出たいのなら、出ていいのよ」
「! お、お母様……」
驚きのあまり、声がひっくり返りました。いえ、黒の君もご存知でしたから、両親……特にお母様がわからないはずはないんです。昔から、お母様にだけは隠し事は出来た例がありません。
本当に、世の母親とは、皆このように聡い方ばかりなのかしら。
「悩む事はありません。あなたは我が家の一人娘だけれど、あちらの国との行き来には、手間も時間もかからないのでしょう?」
「ええ」
「なら、行ってらっしゃい。あなたが、行きたいと思うのなら」
「ですが、お母様!」
言葉が続きません。もやっとした不安感があるだけで、これという理由がないのですから。
「もしかして」
そう言い置いて、お母様が優しく微笑みました。
「向こうに行ったら、社交界に戻れないと思っている?」
驚きました。今、言われてやっとわかったのです。これこそが、私が悩んでいた理由でした。
貴族にとって、社交は大事です。特に、家を預かる女の社交は、男性のそれとはまた違います。
私は一人娘で、いつか婿を取る事になるでしょう。その時に、女の社交が出来なければ、夫となった人に迷惑をかけてしまいます。
「いいのよ、ベーサ。家の事は気にする必要はありません」
「お母様……」
「あなたが継がなくとも、親類から養子を取ればいいだけだもの。もちろん、あなたが継ぎたいというのであれば、お婿の来手を探すけど」
即答出来ません。でも、それが答えなんですね。ずっと胸にあった靄が、お母様の言葉で晴れていくのを感じます。
「今すぐに、答えを出さなくても――」
「いいえ、お母様。私、決めました」
「……そう」
何をどう決めたのか聞かずに、お母様は微笑むだけです。
「ベーサ、あなたがどんな道を選んでも、あなたは私と旦那様の大事な娘よ。それだけは、忘れないで」
「はい」
優しくも、強いお母様。長く、私の憧れでした。私は、お母様のような貴婦人になりたかったんです。
でも、今、私の中には違う憧れがあるのです。それはとても美しく、キラキラと輝く道。
この道を選んだ先には、きっと困難が待ち受けているでしょう。それでも、今日この時、この道を選ばなければ、きっと私は一生後悔します。
それだけは、わかるんです。
森を抜けると、平原の先に天へと伸びる巨大な塔が見えます。ああ、オーギアン王都、ダシュユーロの迷宮区です。
あの後、お母様に手伝っていただいて、お父様の説得をし、黒の君に報告をし、あれこれ買い込んでサヌザンドの王都を出発しました。
移動には空を行く移動魔法を使ったので、ほんの数時間です。本当に、近く感じますね。
ちなみに、移動魔法の方は改善の余地があるので、時間を見つけて手を入れようと思います。もっと速く移動出来るようになると思うのですよ。
そうすれば、本当に日帰りで塔の攻略が出来るようになるかも……
「ベーサ!」
「ニカ様!」
迷宮区の門を潜ったところに、ニカ様とカルさんが立っています。離れていた日数はそんなに長くないのに、随分と久しぶりに感じるのは何故でしょうね。
「兄上から連絡をもらった時には、驚いたわよ」
「にしても、ニカお嬢もベーサお嬢も、家に帰ったんだろ? また戻ってきちまうなんて、余程迷宮に魅入られたな?」
「それはあなたでしょう? カル」
ああ、こんなやり取りすら、懐かしく思えます。
「立ち話も何だから、移動しましょう」
「何なら、塔の中でもいいぜ」
「そうそう、私とカルで、四十五階まで到達したのよ」
「本当ですか? 凄いです!」
「でもベーサお嬢がいねえから、まだ地図がないんだ。悪い! 地図作ってくれ!!」
カルさんの必死の様子に、思わずニカ様と笑いました。
私は、ここに帰ってきたんですね。そして、これからもこの三人で、塔の攻略を進められるんです。
私の我が儘を許してくださったお父様、お母様。国を出る手続きの全てを代行してくださり、ニカ様への連絡までしてくださった黒の君。
他にもたくさんの人のおかげで、今私はここにいます。もう憂いはありません。ひたすら前を……いえ、上を見て進むだけです。
「どうしたの? ベーサ」
「ぼけーっとしてると、置いていくぞ?」
「酷いですよ! カルさん」
まったくもう、相変わらずなんですから。
「さあ、上を目指して行きましょう!」
目指すは蒼穹の塔の最上階です。先には何が待っているんでしょう。
それは、きっと余所では見られない、素晴らしい景色……
何度考えても、答えが出ません。
そんなある雨の日、お母様から声がかかりました。
「園遊会が、この雨で中止になってしまったわ。ベーサ、少し、お部屋で話をしない?」
「はい、お母様」
そういえば、王都が正常に戻って以来、社交に忙しいお母様とゆっくり放す機会も減りましたね。
ガラス張りの部屋で、雨に濡れる庭を眺めながらのお茶も、なかなかいいものです。
「ベーサ」
「はい」
「家を出たいのなら、出ていいのよ」
「! お、お母様……」
驚きのあまり、声がひっくり返りました。いえ、黒の君もご存知でしたから、両親……特にお母様がわからないはずはないんです。昔から、お母様にだけは隠し事は出来た例がありません。
本当に、世の母親とは、皆このように聡い方ばかりなのかしら。
「悩む事はありません。あなたは我が家の一人娘だけれど、あちらの国との行き来には、手間も時間もかからないのでしょう?」
「ええ」
「なら、行ってらっしゃい。あなたが、行きたいと思うのなら」
「ですが、お母様!」
言葉が続きません。もやっとした不安感があるだけで、これという理由がないのですから。
「もしかして」
そう言い置いて、お母様が優しく微笑みました。
「向こうに行ったら、社交界に戻れないと思っている?」
驚きました。今、言われてやっとわかったのです。これこそが、私が悩んでいた理由でした。
貴族にとって、社交は大事です。特に、家を預かる女の社交は、男性のそれとはまた違います。
私は一人娘で、いつか婿を取る事になるでしょう。その時に、女の社交が出来なければ、夫となった人に迷惑をかけてしまいます。
「いいのよ、ベーサ。家の事は気にする必要はありません」
「お母様……」
「あなたが継がなくとも、親類から養子を取ればいいだけだもの。もちろん、あなたが継ぎたいというのであれば、お婿の来手を探すけど」
即答出来ません。でも、それが答えなんですね。ずっと胸にあった靄が、お母様の言葉で晴れていくのを感じます。
「今すぐに、答えを出さなくても――」
「いいえ、お母様。私、決めました」
「……そう」
何をどう決めたのか聞かずに、お母様は微笑むだけです。
「ベーサ、あなたがどんな道を選んでも、あなたは私と旦那様の大事な娘よ。それだけは、忘れないで」
「はい」
優しくも、強いお母様。長く、私の憧れでした。私は、お母様のような貴婦人になりたかったんです。
でも、今、私の中には違う憧れがあるのです。それはとても美しく、キラキラと輝く道。
この道を選んだ先には、きっと困難が待ち受けているでしょう。それでも、今日この時、この道を選ばなければ、きっと私は一生後悔します。
それだけは、わかるんです。
森を抜けると、平原の先に天へと伸びる巨大な塔が見えます。ああ、オーギアン王都、ダシュユーロの迷宮区です。
あの後、お母様に手伝っていただいて、お父様の説得をし、黒の君に報告をし、あれこれ買い込んでサヌザンドの王都を出発しました。
移動には空を行く移動魔法を使ったので、ほんの数時間です。本当に、近く感じますね。
ちなみに、移動魔法の方は改善の余地があるので、時間を見つけて手を入れようと思います。もっと速く移動出来るようになると思うのですよ。
そうすれば、本当に日帰りで塔の攻略が出来るようになるかも……
「ベーサ!」
「ニカ様!」
迷宮区の門を潜ったところに、ニカ様とカルさんが立っています。離れていた日数はそんなに長くないのに、随分と久しぶりに感じるのは何故でしょうね。
「兄上から連絡をもらった時には、驚いたわよ」
「にしても、ニカお嬢もベーサお嬢も、家に帰ったんだろ? また戻ってきちまうなんて、余程迷宮に魅入られたな?」
「それはあなたでしょう? カル」
ああ、こんなやり取りすら、懐かしく思えます。
「立ち話も何だから、移動しましょう」
「何なら、塔の中でもいいぜ」
「そうそう、私とカルで、四十五階まで到達したのよ」
「本当ですか? 凄いです!」
「でもベーサお嬢がいねえから、まだ地図がないんだ。悪い! 地図作ってくれ!!」
カルさんの必死の様子に、思わずニカ様と笑いました。
私は、ここに帰ってきたんですね。そして、これからもこの三人で、塔の攻略を進められるんです。
私の我が儘を許してくださったお父様、お母様。国を出る手続きの全てを代行してくださり、ニカ様への連絡までしてくださった黒の君。
他にもたくさんの人のおかげで、今私はここにいます。もう憂いはありません。ひたすら前を……いえ、上を見て進むだけです。
「どうしたの? ベーサ」
「ぼけーっとしてると、置いていくぞ?」
「酷いですよ! カルさん」
まったくもう、相変わらずなんですから。
「さあ、上を目指して行きましょう!」
目指すは蒼穹の塔の最上階です。先には何が待っているんでしょう。
それは、きっと余所では見られない、素晴らしい景色……
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