21 / 100
本編
20
しおりを挟む
翌土曜日は花田との約束があったが、日中は仕事で家にこもっていた。
花田から連絡があったのは午後三時頃だ。何も考えず電話を取った冬彦だったが、相手の声が上擦っているのを聞き取って表情を引き締めた。
『あ、小野田? 悪ィ、今日の飲み会、パスするわ。空けといてもらったのに悪いな』
「……どうした?」
『あー、いや……うん、ちょっとな。気にすんな。また今度飲み行こうぜ。落ち着いたら連絡する』
「……ああ」
花田からの電話はそれだけで切れた。冬彦は怪訝に思いながらも、そのまま書類の作成を続けようとしたが、気になって落ち着かない。
少し出かけようと財布を手にした。
「どっか行くの?」
水泳帰りの秋政が玄関先にいた。
「ああ。ちょっと散歩」
「ふぅん」
秋政は言いながら、靴を脱いで揃える。
冬彦が座って靴を履いていると、秋政は思い出したように立ち止まった。
「市営プールの前でさ、事故があったみたいだったよ」
「事故?」
「うん。自転車と車の衝突事故。七曲がりの坂のとこ」
秋政は言いながら、手を洗いに洗面所へ向かう。
「兄さんも昔、あそこで事故起こしたよね。中学の時」
秋政の言葉を聞きながら、冬彦はなんとなく嫌な予感がしていた。
* * *
駅前のビルにある本屋は、そこそこ蔵書が充実している。
専門書からスタートして、雑誌、新書と足を向けた。
小説を読む趣味はないのでそこはスルーしたが、書棚の横を通ったとき、見知った姿を見かけて足を止めた。
「……相楽」
「え?」
文庫を手にしたあゆみは冬彦をみとめてうろたえた。うっすらと頬が赤く染まったが、極力ポーカーフェイスを取り繕おうとしているのがわかる。
「……どうも」
「どーも」
冬彦は思わず、あゆみの横顔を観察した。あゆみはそれで会話を終わりにしたつもりらしい。手にした文庫本を眺めているようで、その実冬彦の存在を気にしているのがありありと分かった。
何となく不機嫌そうなのは、昨夜見られた梨華とのキスシーンのせいか。
一方の冬彦は、だからこそ逆に落ち着いていた。今の自分がどういう男かなど、説明せずとも分かっただろう。
ーー初恋の人。
あゆみの言った言葉は過去のことだ。しかし、それで今の冬彦に幻想を抱かれては困る。どこかでそう思っている自分がいた。
自分はくだらない男だ。くだらない大人だ。くだらない人間だ。
馬鹿がつくほど生真面目で努力家でお人よしなあゆみに評価されるべき要素など、どこにもない。
「……何よ」
動かず横顔を見ている冬彦に、あゆみはちらりと視線を向けた。が、目を見る勇気はないのだろう。ただ冬彦の方を見やったという程度の目の動き。
冬彦は柔らかく微笑んだ。大人になって身につけた社交性の仮面。
「ううん。何でもない。昨日、相楽に似た人を見たから」
あゆみが喉の奥で呻いた。冬彦は微笑みを崩さずその動揺を見守る。
「……それで?」
あゆみの声はかすれていた。
「だから、何?」
「別に、何でも」
冬彦はくつくつと笑う。笑いながら、あゆみに近づく。
あゆみが文庫本を手にしたまま身構えた。が、やはり冬彦を見上げる勇気はないらしい。その視線は冬彦の胸元あたりで止まっている。
「そっちこそ、どうかした? 全然俺のこと見てくれないけど」
冬彦はわざとらしく言いながら、あゆみの顔を覗き込んでみた。
急に視線が交わり、あゆみがうろたえて目をさまよわせる。
(こんなに分かりやすくて、教師とか大丈夫なのかな)
つい、不要な心配をしてしまう。あゆみにとっては余計なお世話だろうが。
「相楽ーー」
静かに呼んだとき、あゆみのかばんから電子音がした。
あゆみはちらりと冬彦に目をやってから電話に出つつ、本屋から離れ始めた。
あゆみの視線は安堵の色を含んでいた。それは同時に冬彦との会話の終了を告げていたのだが、ちょうど冬彦もそろそろ帰ろうと思っていた頃だったので後ろをついていく。
「もしもしーーあ、いえ。はいーーえ、え? 一中の子が? え、何年生なんですか。……クラスは……花田先生は」
冬彦は歩みを止める。あゆみも視線を巡らせ、冬彦を探しあてた。
「病院はーーはい、はい。ーーはい、分かりました。いえ、大丈夫です。また……」
あゆみは電話を切った。冬彦は次の言葉を待つ。
秋政の言葉が脳裏に蘇っていた。
ーー事故があったらしいよ。
秋政の言葉を振り払うように、頭を振る。
あゆみが息を吐き出してから、言葉を紡ぎはじめた。
「……市営プール前の七曲がりの坂」
あゆみの声は少し、かすれていた。
「花田くんのクラスの生徒二人が、自転車事故起こしたって。一人は意識不明の重体、もう一人も入院。ーー今、市民病院にいるらしい」
冬彦はじっとあゆみの口元を見つめる。
「今日、一中の先生と一緒に出かけようって約束してたわだけど……教師に緊急連絡網が回ってきて、延期してほしいって……花田くんは病院にいるみたい」
言い終わったあゆみは、困惑した眼差しを冬彦に向けている。
冬彦は言葉を失ったまま、あゆみの次のアクションを待った。
あゆみは気遣うように冬彦を覗き込む。
「……大丈夫?」
「何が?」
「小野田くん……ショック受けてる」
冬彦は笑おうとした。
が、笑えなかった。
目を反らし、顔を反らして、息をつく。
心中はざわざわして、落ち着かなかった。
「中二」
「うん」
「俺が事故ったときと一緒だな」
「……そうだね」
落ち着こうと深呼吸をする。
一度。二度。
胸の中のざわめきは消えない。
(花田は大丈夫か?)
事故のとき、冬彦はとっさに花田をかばった。
止まれ、と手で指示したのだ。
後ろを走っていた花田は、冬彦が車に突っ込み、横転するのを見ていた。
花田も無事だった訳ではない。慌ててブレーキをかけ、ハンドルを切った結果、片足を思い切りアスファルトにこすりつけた。
だから彼の左脚には、今でも小さな傷がいくつか、消えずに残っている。
『死んだかと思った』
花田が泣きながら冬彦のベッド脇に崩れた姿を思い出す。
冬彦は横転後に頭を打ち、意識が飛んだ。戻ったのは病院で一通りの処置が終わった後だ。
その冬彦に、花田は必死で呼びかけていたらしい。
意識が戻った後聞いたその声は、ガラガラに掠れていた。
『俺も死んだかと思ったよ』
冬彦は答えた。
『もうチキンレースはやめとこう』
『ったりめーだろ、馬鹿』
二人で言い合い、花田は照れ臭そうに涙を拭いた。冬彦は笑った。嬉しかった。
あのとき冬彦は、自分を本当に思いやってくれる友達を、初めて見つけた気がしたのだ。
花田から連絡があったのは午後三時頃だ。何も考えず電話を取った冬彦だったが、相手の声が上擦っているのを聞き取って表情を引き締めた。
『あ、小野田? 悪ィ、今日の飲み会、パスするわ。空けといてもらったのに悪いな』
「……どうした?」
『あー、いや……うん、ちょっとな。気にすんな。また今度飲み行こうぜ。落ち着いたら連絡する』
「……ああ」
花田からの電話はそれだけで切れた。冬彦は怪訝に思いながらも、そのまま書類の作成を続けようとしたが、気になって落ち着かない。
少し出かけようと財布を手にした。
「どっか行くの?」
水泳帰りの秋政が玄関先にいた。
「ああ。ちょっと散歩」
「ふぅん」
秋政は言いながら、靴を脱いで揃える。
冬彦が座って靴を履いていると、秋政は思い出したように立ち止まった。
「市営プールの前でさ、事故があったみたいだったよ」
「事故?」
「うん。自転車と車の衝突事故。七曲がりの坂のとこ」
秋政は言いながら、手を洗いに洗面所へ向かう。
「兄さんも昔、あそこで事故起こしたよね。中学の時」
秋政の言葉を聞きながら、冬彦はなんとなく嫌な予感がしていた。
* * *
駅前のビルにある本屋は、そこそこ蔵書が充実している。
専門書からスタートして、雑誌、新書と足を向けた。
小説を読む趣味はないのでそこはスルーしたが、書棚の横を通ったとき、見知った姿を見かけて足を止めた。
「……相楽」
「え?」
文庫を手にしたあゆみは冬彦をみとめてうろたえた。うっすらと頬が赤く染まったが、極力ポーカーフェイスを取り繕おうとしているのがわかる。
「……どうも」
「どーも」
冬彦は思わず、あゆみの横顔を観察した。あゆみはそれで会話を終わりにしたつもりらしい。手にした文庫本を眺めているようで、その実冬彦の存在を気にしているのがありありと分かった。
何となく不機嫌そうなのは、昨夜見られた梨華とのキスシーンのせいか。
一方の冬彦は、だからこそ逆に落ち着いていた。今の自分がどういう男かなど、説明せずとも分かっただろう。
ーー初恋の人。
あゆみの言った言葉は過去のことだ。しかし、それで今の冬彦に幻想を抱かれては困る。どこかでそう思っている自分がいた。
自分はくだらない男だ。くだらない大人だ。くだらない人間だ。
馬鹿がつくほど生真面目で努力家でお人よしなあゆみに評価されるべき要素など、どこにもない。
「……何よ」
動かず横顔を見ている冬彦に、あゆみはちらりと視線を向けた。が、目を見る勇気はないのだろう。ただ冬彦の方を見やったという程度の目の動き。
冬彦は柔らかく微笑んだ。大人になって身につけた社交性の仮面。
「ううん。何でもない。昨日、相楽に似た人を見たから」
あゆみが喉の奥で呻いた。冬彦は微笑みを崩さずその動揺を見守る。
「……それで?」
あゆみの声はかすれていた。
「だから、何?」
「別に、何でも」
冬彦はくつくつと笑う。笑いながら、あゆみに近づく。
あゆみが文庫本を手にしたまま身構えた。が、やはり冬彦を見上げる勇気はないらしい。その視線は冬彦の胸元あたりで止まっている。
「そっちこそ、どうかした? 全然俺のこと見てくれないけど」
冬彦はわざとらしく言いながら、あゆみの顔を覗き込んでみた。
急に視線が交わり、あゆみがうろたえて目をさまよわせる。
(こんなに分かりやすくて、教師とか大丈夫なのかな)
つい、不要な心配をしてしまう。あゆみにとっては余計なお世話だろうが。
「相楽ーー」
静かに呼んだとき、あゆみのかばんから電子音がした。
あゆみはちらりと冬彦に目をやってから電話に出つつ、本屋から離れ始めた。
あゆみの視線は安堵の色を含んでいた。それは同時に冬彦との会話の終了を告げていたのだが、ちょうど冬彦もそろそろ帰ろうと思っていた頃だったので後ろをついていく。
「もしもしーーあ、いえ。はいーーえ、え? 一中の子が? え、何年生なんですか。……クラスは……花田先生は」
冬彦は歩みを止める。あゆみも視線を巡らせ、冬彦を探しあてた。
「病院はーーはい、はい。ーーはい、分かりました。いえ、大丈夫です。また……」
あゆみは電話を切った。冬彦は次の言葉を待つ。
秋政の言葉が脳裏に蘇っていた。
ーー事故があったらしいよ。
秋政の言葉を振り払うように、頭を振る。
あゆみが息を吐き出してから、言葉を紡ぎはじめた。
「……市営プール前の七曲がりの坂」
あゆみの声は少し、かすれていた。
「花田くんのクラスの生徒二人が、自転車事故起こしたって。一人は意識不明の重体、もう一人も入院。ーー今、市民病院にいるらしい」
冬彦はじっとあゆみの口元を見つめる。
「今日、一中の先生と一緒に出かけようって約束してたわだけど……教師に緊急連絡網が回ってきて、延期してほしいって……花田くんは病院にいるみたい」
言い終わったあゆみは、困惑した眼差しを冬彦に向けている。
冬彦は言葉を失ったまま、あゆみの次のアクションを待った。
あゆみは気遣うように冬彦を覗き込む。
「……大丈夫?」
「何が?」
「小野田くん……ショック受けてる」
冬彦は笑おうとした。
が、笑えなかった。
目を反らし、顔を反らして、息をつく。
心中はざわざわして、落ち着かなかった。
「中二」
「うん」
「俺が事故ったときと一緒だな」
「……そうだね」
落ち着こうと深呼吸をする。
一度。二度。
胸の中のざわめきは消えない。
(花田は大丈夫か?)
事故のとき、冬彦はとっさに花田をかばった。
止まれ、と手で指示したのだ。
後ろを走っていた花田は、冬彦が車に突っ込み、横転するのを見ていた。
花田も無事だった訳ではない。慌ててブレーキをかけ、ハンドルを切った結果、片足を思い切りアスファルトにこすりつけた。
だから彼の左脚には、今でも小さな傷がいくつか、消えずに残っている。
『死んだかと思った』
花田が泣きながら冬彦のベッド脇に崩れた姿を思い出す。
冬彦は横転後に頭を打ち、意識が飛んだ。戻ったのは病院で一通りの処置が終わった後だ。
その冬彦に、花田は必死で呼びかけていたらしい。
意識が戻った後聞いたその声は、ガラガラに掠れていた。
『俺も死んだかと思ったよ』
冬彦は答えた。
『もうチキンレースはやめとこう』
『ったりめーだろ、馬鹿』
二人で言い合い、花田は照れ臭そうに涙を拭いた。冬彦は笑った。嬉しかった。
あのとき冬彦は、自分を本当に思いやってくれる友達を、初めて見つけた気がしたのだ。
0
あなたにおすすめの小説
Blue Bird ―初恋の人に再会したのに奔放な同級生が甘すぎるっ‼【完結】
remo
恋愛
「…溶けろよ」 甘く響くかすれた声と奔放な舌にどこまでも落とされた。
本宮 のい。新社会人1年目。
永遠に出来そうもない彼氏を夢見つつ、目の前の仕事に奮闘中。
なんだけど。
青井 奏。
高校時代の同級生に再会した。 と思う間もなく、
和泉 碧。
初恋の相手らしき人も現れた。
幸せの青い鳥は一体どこに。
【完結】 ありがとうございました‼︎
網代さんを怒らせたい
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「なあ。僕たち、付き合わないか?」
彼がなにを言っているのかわからなかった。
たったいま、私たちは恋愛できない体質かもしれないと告白しあったばかりなのに。
しかし彼曰く、これは練習なのらしい。
それっぽいことをしてみれば、恋がわかるかもしれない。
それでもダメなら、本当にそういう体質だったのだと諦めがつく。
それはそうかもしれないと、私は彼と付き合いはじめたのだけれど……。
和倉千代子(わくらちよこ) 23
建築デザイン会社『SkyEnd』勤務
デザイナー
黒髪パッツン前髪、おかっぱ頭であだ名は〝市松〟
ただし、そう呼ぶのは網代のみ
なんでもすぐに信じてしまい、いつも網代に騙されている
仕事も頑張る努力家
×
網代立生(あじろたつき) 28
建築デザイン会社『SkyEnd』勤務
営業兼事務
背が高く、一見優しげ
しかしけっこう慇懃無礼に毒を吐く
人の好き嫌いが激しい
常識の通じないヤツが大嫌い
恋愛のできないふたりの関係は恋に発展するのか……!?
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
結婚式に代理出席したら花嫁になっちゃいました
ゆきりん(安室 雪)
恋愛
美希は平日派遣の事務仕事をしているが、暇な土日に便利屋のバイトをしている。ある日、結婚式の友人の代理出席をする予定で式場にいたのに!?
本編は完結してますが、色々描き足りなかったので、第2章も書いています。
ヒロインになれませんが。
橘しづき
恋愛
安西朱里、二十七歳。
顔もスタイルもいいのに、なぜか本命には選ばれず変な男ばかり寄ってきてしまう。初対面の女性には嫌われることも多く、いつも気がつけば当て馬女役。損な役回りだと友人からも言われる始末。 そんな朱里は、異動で営業部に所属することに。そこで、タイプの違うイケメン二人を発見。さらには、真面目で控えめ、そして可愛らしいヒロイン像にぴったりの女の子も。
イケメンのうち一人の片思いを察した朱里は、その二人の恋を応援しようと必死に走り回るが……。
全然上手くいかなくて、何かがおかしい??
訳あり冷徹社長はただの優男でした
あさの紅茶
恋愛
独身喪女の私に、突然お姉ちゃんが子供(2歳)を押し付けてきた
いや、待て
育児放棄にも程があるでしょう
音信不通の姉
泣き出す子供
父親は誰だよ
怒り心頭の中、なしくずし的に子育てをすることになった私、橋本美咲(23歳)
これはもう、人生詰んだと思った
**********
この作品は他のサイトにも掲載しています
サディスティックなプリテンダー
櫻井音衣
恋愛
容姿端麗、頭脳明晰。
6か国語を巧みに操る帰国子女で
所作の美しさから育ちの良さが窺える、
若くして出世した超エリート。
仕事に関しては細かく厳しい、デキる上司。
それなのに
社内でその人はこう呼ばれている。
『この上なく残念な上司』と。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる