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番外編① 狂想之序曲(*R18 梨華主役)
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「り……里崎さん。少しいいかな」
昼休みに入る前、村瀬から声をかけられて梨華は副社長室へと入った。
副社長室、と言ってもドアは開けたままだ。人事関係を除き、社員と二人きりになるときは不要な疑いのないよう開け放っておくのが誠実な村瀬らしい。
「何か」
「うん……」
村瀬は椅子に座ったまま、困惑した顔で立ち上がった。
梨華とほぼ目線が変わらない形になり、一瞬梨華の後方にあるドアを見やってから静かに言う。
「……和樹なんだけど」
梨華は村瀬をじっと見つめ、続きを待った。
「えーと……大丈夫?」
梨華は息をついた。
「さっきの……話ですけど。副社長が私のことで、何かしたんですか?」
兄に指摘されたときの村瀬の動揺を思い返しながら言う。
村瀬は苦笑した。
「……したといえばしたけど、してないといえばしてない」
梨華は説明を求めるような視線を向ける。
「君に……相手ができれば、和樹も……妹離れするんじゃないかと、おじさんと話しただけだ」
おじからの見合いの話に、そんな前話があったとは知らなかった。
「……会うと決めたのは私です」
「そうだね」
梨華はため息をついた。
「……副社長は、気になさらないでください」
「うん……」
村瀬は困ったような笑顔で頷く。
話が終わったと察して、梨華は黙って頭を下げた。
(私が振り回されることで、おじさんも村瀬さんも振り回しているなんて……)
村瀬の前を辞しつつ、思わぬところまで波及しているものだと、梨華は眉を寄せた。
* * *
終業時間になると、案の定和樹が梨華を迎えに来た。
朝と同じスーツを身にまとっているが、彼のものではない香水の香りがする。
「お疲れ。梨華、残業は?」
「……ありませんが」
社長の妹ということは、知らぬ間に社員に知れ渡っている。同じ秘書ーーという名の庶務担当ーーたち数名からの視線を感じつつ、梨華は当たり障りのない笑顔で応じる。
「じゃあ、帰ろう。みんなもお疲れ」
和樹は長い脚を梨華のデスクに向け、その上にあるコーラルピンクの鞄に手を伸ばす。梨華は黙って先に鞄を肩にかけた。行き場を失った和樹の手が一瞬宙をさ迷い、じっと梨華の横顔を見つめる。
「あれ。まだご機嫌斜め?」
「平常通りです、社長」
にっこりと、梨華は笑った。会社でいちいち心の内面を暴露する必要はない。取り繕う笑顔は得意技だ。
「お疲れ様でしたー」
ワントーン声を高め、同僚に声をかける。
変なところでお馬鹿キャラを崩してしまっては、今まで築いてきた楽な地位が台なしだ。あくまで明るく薄っぺらい振るまいを心掛ける。
先に歩き出した梨華のわずかに後ろを、和樹がふぅんと言いながらついてきた。
和樹は車で来ていたらしい。家の駐車場に停まった外車は、乗るのが1番のメンテナンスということでおじが定期的に使っている。梨華は免許を持たないので、月に一度か二度、帰ってくるかどうかの和樹のために置いてある。
駐車場の契約だけでも月万単位の維持費がかかる。それでもマイカーが欲しいと思うその心理が分からない梨華には、その外車がどこの国の何というメーカーなのかもわからない。ただ、形も色もちょっと珍しい、青とも紺ともつかない、しゅっとしたデザインの車だということだけだ。
そしてその横に立っても、運転席に座っても、和樹によく似合っている。まさにアクセサリーのように。
見る度に、兄を思い出す。
梨華にとっては、ただそれだけの車。
「ほら、乗った乗った」
「……どうして」
「どうしても何も。帰るでしょう」
当然のように助手席を開けたその姿の自然さ、厭味のなさが逆に鼻につく。そう、兄はどんな女にも、こうして紳士的な振るまいをする。それが結局彼にとって得だと知っているからだ。
嫌われる方が得だと判断したのなら、彼はあっさりと手の平を返してそうなるように振る舞うだろう。
敵に回したくない人。そう評したのは村瀬だったか、おじだったか。
しかし、梨華にはどうでもいいことだ。敵か味方かという前に、梨華にとっては唯一の兄。唯一の直接的な血縁者。
父も母もいない今となっては。
「……お兄ちゃんがいるなら、帰りたくない」
梨華がうつむいて言うと、和樹が一瞬目を見開き、楽しげに笑った。
昼休みに入る前、村瀬から声をかけられて梨華は副社長室へと入った。
副社長室、と言ってもドアは開けたままだ。人事関係を除き、社員と二人きりになるときは不要な疑いのないよう開け放っておくのが誠実な村瀬らしい。
「何か」
「うん……」
村瀬は椅子に座ったまま、困惑した顔で立ち上がった。
梨華とほぼ目線が変わらない形になり、一瞬梨華の後方にあるドアを見やってから静かに言う。
「……和樹なんだけど」
梨華は村瀬をじっと見つめ、続きを待った。
「えーと……大丈夫?」
梨華は息をついた。
「さっきの……話ですけど。副社長が私のことで、何かしたんですか?」
兄に指摘されたときの村瀬の動揺を思い返しながら言う。
村瀬は苦笑した。
「……したといえばしたけど、してないといえばしてない」
梨華は説明を求めるような視線を向ける。
「君に……相手ができれば、和樹も……妹離れするんじゃないかと、おじさんと話しただけだ」
おじからの見合いの話に、そんな前話があったとは知らなかった。
「……会うと決めたのは私です」
「そうだね」
梨華はため息をついた。
「……副社長は、気になさらないでください」
「うん……」
村瀬は困ったような笑顔で頷く。
話が終わったと察して、梨華は黙って頭を下げた。
(私が振り回されることで、おじさんも村瀬さんも振り回しているなんて……)
村瀬の前を辞しつつ、思わぬところまで波及しているものだと、梨華は眉を寄せた。
* * *
終業時間になると、案の定和樹が梨華を迎えに来た。
朝と同じスーツを身にまとっているが、彼のものではない香水の香りがする。
「お疲れ。梨華、残業は?」
「……ありませんが」
社長の妹ということは、知らぬ間に社員に知れ渡っている。同じ秘書ーーという名の庶務担当ーーたち数名からの視線を感じつつ、梨華は当たり障りのない笑顔で応じる。
「じゃあ、帰ろう。みんなもお疲れ」
和樹は長い脚を梨華のデスクに向け、その上にあるコーラルピンクの鞄に手を伸ばす。梨華は黙って先に鞄を肩にかけた。行き場を失った和樹の手が一瞬宙をさ迷い、じっと梨華の横顔を見つめる。
「あれ。まだご機嫌斜め?」
「平常通りです、社長」
にっこりと、梨華は笑った。会社でいちいち心の内面を暴露する必要はない。取り繕う笑顔は得意技だ。
「お疲れ様でしたー」
ワントーン声を高め、同僚に声をかける。
変なところでお馬鹿キャラを崩してしまっては、今まで築いてきた楽な地位が台なしだ。あくまで明るく薄っぺらい振るまいを心掛ける。
先に歩き出した梨華のわずかに後ろを、和樹がふぅんと言いながらついてきた。
和樹は車で来ていたらしい。家の駐車場に停まった外車は、乗るのが1番のメンテナンスということでおじが定期的に使っている。梨華は免許を持たないので、月に一度か二度、帰ってくるかどうかの和樹のために置いてある。
駐車場の契約だけでも月万単位の維持費がかかる。それでもマイカーが欲しいと思うその心理が分からない梨華には、その外車がどこの国の何というメーカーなのかもわからない。ただ、形も色もちょっと珍しい、青とも紺ともつかない、しゅっとしたデザインの車だということだけだ。
そしてその横に立っても、運転席に座っても、和樹によく似合っている。まさにアクセサリーのように。
見る度に、兄を思い出す。
梨華にとっては、ただそれだけの車。
「ほら、乗った乗った」
「……どうして」
「どうしても何も。帰るでしょう」
当然のように助手席を開けたその姿の自然さ、厭味のなさが逆に鼻につく。そう、兄はどんな女にも、こうして紳士的な振るまいをする。それが結局彼にとって得だと知っているからだ。
嫌われる方が得だと判断したのなら、彼はあっさりと手の平を返してそうなるように振る舞うだろう。
敵に回したくない人。そう評したのは村瀬だったか、おじだったか。
しかし、梨華にはどうでもいいことだ。敵か味方かという前に、梨華にとっては唯一の兄。唯一の直接的な血縁者。
父も母もいない今となっては。
「……お兄ちゃんがいるなら、帰りたくない」
梨華がうつむいて言うと、和樹が一瞬目を見開き、楽しげに笑った。
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