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番外編② 花田先生と事務員さん
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それから一週間が経つ頃には、康太の気持ちは落ち着いてきた。
毎日の通院が相当にストレスだったのだと、改めて気づく。
放課後、廊下を歩いていると、壁に向かって何かしている加地を見かけた。
真剣な横顔に手元を見ると、絵を繋げて壁に固定している。生徒の夏休みの宿題だろう、と算段をつける。
高いところには踏み台代わりの椅子に乗って手を伸ばしたが、位置が少しずれていた。足元を見てため息をつき、一度降りて踏み台をずらす。
また靴を脱ぎ、椅子に足をかける。
レールにそれをかけて、顔を傾けた。少し歪んでいたのだろう、微調整する。
(そんな歪み、誰も気にしないのに)
生徒が触れでもしたら、もしくは廊下の窓を開けて風が吹き込みでもしたら、どうせすぐ歪んでしまうだろう。
加地は一人頷き、椅子を降りて次の作品を繋ぐ。
上手い絵も下手な絵も、一枚一枚丁寧に、飾っていく。
真剣な横顔。
穏やかな目。
懐かしそうな、愛おしそうな。
康太は不意に、杉山と三人で飲んだ日のことを思い出した。
(消去法で、学校事務を選んだって?)
加地の姿を見ながら、康太は後ろ頭をかく。
(それにしては、ずいぶん……)
自分の幼さに苦笑した。
仕事を選んだ理由なんて、どうだっていい。
どういう気持ちで学校にいるか、それが大事だ。
「加地さん」
椅子から降りたところを見計らって声をかけると、加地が驚いた顔を康太に向けた。
「あっ……あ、あ、花田先生……」
頭を下げ、「お疲れさまです」と言う声はほとんど囁きに等しい。
康太はだいぶ、その恐縮しきった態度にも慣れてきた。
ゆっくり近づき、張り出された絵を見る。
「全員分張るの?」
「え、あ、はい。せっかくみんな、がんばって描いてるので……美術の岡原先生は、大変だからいいって言ってたんですけど……」
加地は自分が張り出した絵を眺めながら、どこか照れ臭そうに笑った。
「私、美術が苦手で……でも、一度だけ、全員の絵が廊下に張り出されたことがあったんです。下手だけど、一所懸命描いたから、みんなに見てもらえて嬉しかったし……あ、この子みたいに」
加地は一枚の絵を示した。ひまわりを描いた絵だ。花弁の一枚一枚も、その中心につまった種も、丁寧に描いている。
「一つ一つ描かなきゃって、すごい時間かけて描いて……クラスメイトの絵が上手な子に、『すごいがんばったんだね』って言ってもらえたんです。下手だって分かってるから、嬉しかった」
懐かしそうに言ってから、康太の視線に気づき、うろたえる。
「あ、すみません、べらべらと……」
「いや」
康太の口元には、自然と笑みが浮かんだ。
「あとどれくらい?」
「えーと……今、半分くらいです」
「今日、全部張るの?」
「そのつもりです」
「がんばるねぇ」
話しながら、康太は気づく。
こうやって、普通に会話を交わしたのは初めてかもしれない。
二人の間流れる穏やかな空気。
康太は気持ちを改めて口を開いた。
「……この前は、言いすぎた。ごめんね」
「えっ、あ、いえ。私がちゃんとしないから……すみませ……あっ」
謝りかけて、加地がはっと口を押さえる。
康太がちらりと横顔を見やると、ほんのり頬を赤く染めた加地がうつむきがちに話した。
「あ、あの、花田先生に言われて、反省したんです。確かに私、なんでも『すみません』って言えばいいって、どこかで思ってるのかもしれない……」
言うと、うんうんと一人頷き、ちらりと康太を見上げた。
加地の垂れがちな目が、康太を上目遣いで見上げて来る。
「だから、少しずつ、他の言い方で言ってみようと、思ってるんです」
その視線は彼女なりに、決意のような強さがあった。
康太は視線を受け止め切れず、一瞬目を泳がせる。
同時に、加地が頭をぺこりと下げた。
肩まで伸ばした髪が揺れる。
上半分だけ後ろでまとめた部分が、頭を下げた勢いでぴょんと跳ねるのが見えた。
「花田先生、ありがとうございます」
「……なんで?」
康太は困惑して、問い返す。
下げたときと同じくらいの速度で、加地は頭を上げた。
「そういうこと、言ってくれたの、花田先生が初めてだったので」
加地はどこか嬉しそうに、しかし照れ臭そうに、康太に微笑んだ。
そして、はっと視線を下げる。
「あ、あの、誤解を招いていたようなので、一応、お伝えしておきますが」
康太の首もとあたりを見ながら、加地は真剣な面持ちで言った。
「私が花田先生と話してて、おどおどしてしまうのは、先生のことが怖いからではなくて……」
康太は前髪からのぞく加地のまつげをぼんやりと眺めていた。
加地の頬が、赤みを増してくる。
「その……素敵な、顔だなって」
康太はまばたきした。
「……はぁ?」
予想していなかった言葉に、間の抜けた声が出る。
加地は今までで一番うろたえ、わたわたと無意味に手を動かしながら言った。
「だ、だからその、なんていうか、花田先生のお姿って、言えばその、私のタイプで、顔まともに見られなくて、あの、すみません……じゃなくて、ええと」
康太は思わず噴き出す。
加地が真っ赤な顔で康太の笑う顔を見つめた。
「加地さん、結構面白いんだね」
「えっ、えっ! そう、そうですか!?」
わたわたする加地を見ながら、康太はまた笑う。
加地は耳や首筋まで真っ赤になって、頬を手で覆った。
「す、すみませ……」
「そこは、ありがとうでいいよ」
「え?」
康太は笑いながら、加地の肩をぽんと軽く叩いた。
「面白いって、褒め言葉。じゃ、お疲れ」
言って、軽く手を上げる。
加地がきょとんとしながら康太を見送った。
「おつかれ……さまです……」
加地の震えた声を背中で聞きながら、康太はまた笑いそうになった。
(少しずつ、知っていくのもいいかもな)
突けばまだまだ面白いところが見つかりそうだ。
真っ赤な頬を両手で覆った加地の顔を思い出し、康太はついつい頬が緩むのを感じた。
FIN.
* * *
お付き合いくださりありがとうございました!
*本編の後日談→花田たちの後日談と公開します(11月15日修正)
毎日の通院が相当にストレスだったのだと、改めて気づく。
放課後、廊下を歩いていると、壁に向かって何かしている加地を見かけた。
真剣な横顔に手元を見ると、絵を繋げて壁に固定している。生徒の夏休みの宿題だろう、と算段をつける。
高いところには踏み台代わりの椅子に乗って手を伸ばしたが、位置が少しずれていた。足元を見てため息をつき、一度降りて踏み台をずらす。
また靴を脱ぎ、椅子に足をかける。
レールにそれをかけて、顔を傾けた。少し歪んでいたのだろう、微調整する。
(そんな歪み、誰も気にしないのに)
生徒が触れでもしたら、もしくは廊下の窓を開けて風が吹き込みでもしたら、どうせすぐ歪んでしまうだろう。
加地は一人頷き、椅子を降りて次の作品を繋ぐ。
上手い絵も下手な絵も、一枚一枚丁寧に、飾っていく。
真剣な横顔。
穏やかな目。
懐かしそうな、愛おしそうな。
康太は不意に、杉山と三人で飲んだ日のことを思い出した。
(消去法で、学校事務を選んだって?)
加地の姿を見ながら、康太は後ろ頭をかく。
(それにしては、ずいぶん……)
自分の幼さに苦笑した。
仕事を選んだ理由なんて、どうだっていい。
どういう気持ちで学校にいるか、それが大事だ。
「加地さん」
椅子から降りたところを見計らって声をかけると、加地が驚いた顔を康太に向けた。
「あっ……あ、あ、花田先生……」
頭を下げ、「お疲れさまです」と言う声はほとんど囁きに等しい。
康太はだいぶ、その恐縮しきった態度にも慣れてきた。
ゆっくり近づき、張り出された絵を見る。
「全員分張るの?」
「え、あ、はい。せっかくみんな、がんばって描いてるので……美術の岡原先生は、大変だからいいって言ってたんですけど……」
加地は自分が張り出した絵を眺めながら、どこか照れ臭そうに笑った。
「私、美術が苦手で……でも、一度だけ、全員の絵が廊下に張り出されたことがあったんです。下手だけど、一所懸命描いたから、みんなに見てもらえて嬉しかったし……あ、この子みたいに」
加地は一枚の絵を示した。ひまわりを描いた絵だ。花弁の一枚一枚も、その中心につまった種も、丁寧に描いている。
「一つ一つ描かなきゃって、すごい時間かけて描いて……クラスメイトの絵が上手な子に、『すごいがんばったんだね』って言ってもらえたんです。下手だって分かってるから、嬉しかった」
懐かしそうに言ってから、康太の視線に気づき、うろたえる。
「あ、すみません、べらべらと……」
「いや」
康太の口元には、自然と笑みが浮かんだ。
「あとどれくらい?」
「えーと……今、半分くらいです」
「今日、全部張るの?」
「そのつもりです」
「がんばるねぇ」
話しながら、康太は気づく。
こうやって、普通に会話を交わしたのは初めてかもしれない。
二人の間流れる穏やかな空気。
康太は気持ちを改めて口を開いた。
「……この前は、言いすぎた。ごめんね」
「えっ、あ、いえ。私がちゃんとしないから……すみませ……あっ」
謝りかけて、加地がはっと口を押さえる。
康太がちらりと横顔を見やると、ほんのり頬を赤く染めた加地がうつむきがちに話した。
「あ、あの、花田先生に言われて、反省したんです。確かに私、なんでも『すみません』って言えばいいって、どこかで思ってるのかもしれない……」
言うと、うんうんと一人頷き、ちらりと康太を見上げた。
加地の垂れがちな目が、康太を上目遣いで見上げて来る。
「だから、少しずつ、他の言い方で言ってみようと、思ってるんです」
その視線は彼女なりに、決意のような強さがあった。
康太は視線を受け止め切れず、一瞬目を泳がせる。
同時に、加地が頭をぺこりと下げた。
肩まで伸ばした髪が揺れる。
上半分だけ後ろでまとめた部分が、頭を下げた勢いでぴょんと跳ねるのが見えた。
「花田先生、ありがとうございます」
「……なんで?」
康太は困惑して、問い返す。
下げたときと同じくらいの速度で、加地は頭を上げた。
「そういうこと、言ってくれたの、花田先生が初めてだったので」
加地はどこか嬉しそうに、しかし照れ臭そうに、康太に微笑んだ。
そして、はっと視線を下げる。
「あ、あの、誤解を招いていたようなので、一応、お伝えしておきますが」
康太の首もとあたりを見ながら、加地は真剣な面持ちで言った。
「私が花田先生と話してて、おどおどしてしまうのは、先生のことが怖いからではなくて……」
康太は前髪からのぞく加地のまつげをぼんやりと眺めていた。
加地の頬が、赤みを増してくる。
「その……素敵な、顔だなって」
康太はまばたきした。
「……はぁ?」
予想していなかった言葉に、間の抜けた声が出る。
加地は今までで一番うろたえ、わたわたと無意味に手を動かしながら言った。
「だ、だからその、なんていうか、花田先生のお姿って、言えばその、私のタイプで、顔まともに見られなくて、あの、すみません……じゃなくて、ええと」
康太は思わず噴き出す。
加地が真っ赤な顔で康太の笑う顔を見つめた。
「加地さん、結構面白いんだね」
「えっ、えっ! そう、そうですか!?」
わたわたする加地を見ながら、康太はまた笑う。
加地は耳や首筋まで真っ赤になって、頬を手で覆った。
「す、すみませ……」
「そこは、ありがとうでいいよ」
「え?」
康太は笑いながら、加地の肩をぽんと軽く叩いた。
「面白いって、褒め言葉。じゃ、お疲れ」
言って、軽く手を上げる。
加地がきょとんとしながら康太を見送った。
「おつかれ……さまです……」
加地の震えた声を背中で聞きながら、康太はまた笑いそうになった。
(少しずつ、知っていくのもいいかもな)
突けばまだまだ面白いところが見つかりそうだ。
真っ赤な頬を両手で覆った加地の顔を思い出し、康太はついつい頬が緩むのを感じた。
FIN.
* * *
お付き合いくださりありがとうございました!
*本編の後日談→花田たちの後日談と公開します(11月15日修正)
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