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第1章 眠り姫の今昔
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後悔ばかりが募った逢瀬になったけれど、おかげでその夜以降、元カレのことは思い出さなかった。
外ではひたすら忙しく仕事に励み、帰宅すれば実家暮らしであるのをいいことに据え膳上げ膳で楽をして、メリハリといえば聞こえがいいけど、仕事しかしていない毎日。
横浜店のリニューアルオープンのことは、百貨店員の朝礼を小耳に挟んで知った。社員によってはヘルプに行くことも聞こえた。その一人が曽根なのだろう。そう納得しながら耳を澄ませたけど、いつ戻って来るのか、ということは聞こえなかった。決まっていないのかもしれない。
何より辛いのは、一日で一番楽しみにしていたお風呂が、自己嫌悪を引き起こすアイテムになってしまったことだ。
疲れを癒すはずの浴場が、無言の処刑場状態。母が張ってくれたお湯のありがたさに、「お母さん、お風呂ありがとう」とあの夜曽根に言えなかったお礼を言うと、母が怪訝そうな顔をして、「何、急に。そんなに疲れてんの?」と変に心配されてしまった。
父も母も入った後、最低30分は半身浴するのが趣味みたいなものだったのに、曽根と過ごした後はなんだか落ち着かなくて、そんなにゆっくりできなくなった。
曽根。
不器用で不愛想なその顔を思い出す。
戸惑いながら、「また連絡する」と言った背中を思い出す。
曽根……
次に会ったら、ちゃんと謝らなきゃ。
謝る?
でも、私はあのとき、別に何も言わなかった。
彼がどう思ったか分からないけど、ただのプレイとして、楽しんだかもしれない。
だって、私たちはただの、セフレなんだから。
***
【来週、火、金】
曽根からの短すぎる連絡があったのは、年が明けて2週間ほどした頃だった。いい加減戻ってきてるんじゃないかとそわそわしていた私は、連絡を受けてほっとした。
……つったってこの不愛想さはないんじゃないの。
戻ってきたよ、とかさ。
お待たせ、とかさ。(いや、それは似合わないけど)
もやっとしながら、いそいそと返事をする。
【火曜なら大丈夫です】
本当は遅番だから無理だけど、誰かに代わってもらおう。夜行性の先輩も多いから、遅番を喜ぶ人も結構いる。
そこまでして火曜にと思うのは、やっぱり早く会いたいからだ。
曽根と会わずに過ごした2か月。
ずいぶん長く感じたのは、彼と関係を持ってからというもの、ほとんど毎週逢瀬を重ねていたからだろう。
すっかり習慣になってしまっているのだ。この健全ではない関係が。
……曽根は、どう思ってたんだろう。
あっという間の2か月、だっただろうか。
私と同じように、長いと思ってくれただろうか。
高校3年間、同じ部活で過ごした。そして再会してから1年間、毎週のように会っていた。
それなのに、曽根の気持ちは全然分からない。
嫌ならそう言うだろうから、嫌ではないのだと思うけれど。
私から誘ったのは最初の1か月だけだ。それからは、曽根が候補日を挙げて、私が返事をして、会っていた。
それでも、曽根が本当に私に会いたがっているのかどうか、分からない。
ぐるぐると胸の中を、何とも言えない気持ちが回っている。
それでも、また会えることへの安堵が一番強かった。
***
カフェで待ち合わせた曽根は、いつもと変わらない不愛想だった。
「おつ。横浜どうだった?」
私が笑って声をかけても、「別に」とつれない答えが返ってくるだけだ。
……こんなやつのどこがいいんだか。
花音だったら呆れそうだけど、もう沼にはまってしまった私は抜け出せそうにない。
さりげなく、車道側を歩いてくれるところとか。
人とぶつかりそうになったら、軽く引っ張ってくれるところとか。
それが不器用すぎる優しさだと気づいたら、もう戻れない。
一歩前を歩く曽根の横顔を見上げる。車のライトに照らし出された横顔は、2か月前と変わらない。ぎゅっ、と胸が痛んだ。2か月前のあの夜、私が押し付けた行為は、たぶん曽根の好みではなかっただろう。
ごめん。
謝りたいけど、謝れない。
謝ったら、いろいろ、バレちゃう気がして。
私は黙って、曽根の後ろをついていく。
いつものホテル。いつもの部屋は埋まっていた。
どうするかと思えば、もう一段階高い部屋のボタンを押す。
「安いところでもいいのに」
何と言うこともなく口をついたセリフに、曽根が一瞬私を一瞥したけれど、何も言わずにエレベーターへ歩き出した。
すらりと伸びた背中。
抱き着きたい衝動に耐える。
二人で乗り込んだエレベーターに、ふわりと曽根の香水が漂った。
それだけでそわそわして、泣きそうになる。
……やっぱり、謝ろうか。
この前は、無茶苦茶してごめんって。
お礼、でもいいかもしれない。
お風呂、ありがとうって。
エレベーターが部屋のある3階に着くまでの間に、口を開きかけてつむぐことを繰り返す。
結局何も言えずに、エレベーターのドアが開いた。
自分のふがいなさにがっかりする。
曽根がドアを開けて私をうながす。
「……大丈夫だった?」
エレベーターから降りる私が横を通ったとき、曽根は不意に言った。
見上げると、曽根はもう部屋へ歩き出している。
「……何が?」
「こないだ」
曽根は淡々と言いながら、部屋のドアを開く。中に入る。私も続く。
ドアが閉まる。
「結構……無茶させたから」
曽根の低い声が、腹の底をぎゅっとつかまえる。
私は下唇を噛み締めて、その首に抱き着いた。
外ではひたすら忙しく仕事に励み、帰宅すれば実家暮らしであるのをいいことに据え膳上げ膳で楽をして、メリハリといえば聞こえがいいけど、仕事しかしていない毎日。
横浜店のリニューアルオープンのことは、百貨店員の朝礼を小耳に挟んで知った。社員によってはヘルプに行くことも聞こえた。その一人が曽根なのだろう。そう納得しながら耳を澄ませたけど、いつ戻って来るのか、ということは聞こえなかった。決まっていないのかもしれない。
何より辛いのは、一日で一番楽しみにしていたお風呂が、自己嫌悪を引き起こすアイテムになってしまったことだ。
疲れを癒すはずの浴場が、無言の処刑場状態。母が張ってくれたお湯のありがたさに、「お母さん、お風呂ありがとう」とあの夜曽根に言えなかったお礼を言うと、母が怪訝そうな顔をして、「何、急に。そんなに疲れてんの?」と変に心配されてしまった。
父も母も入った後、最低30分は半身浴するのが趣味みたいなものだったのに、曽根と過ごした後はなんだか落ち着かなくて、そんなにゆっくりできなくなった。
曽根。
不器用で不愛想なその顔を思い出す。
戸惑いながら、「また連絡する」と言った背中を思い出す。
曽根……
次に会ったら、ちゃんと謝らなきゃ。
謝る?
でも、私はあのとき、別に何も言わなかった。
彼がどう思ったか分からないけど、ただのプレイとして、楽しんだかもしれない。
だって、私たちはただの、セフレなんだから。
***
【来週、火、金】
曽根からの短すぎる連絡があったのは、年が明けて2週間ほどした頃だった。いい加減戻ってきてるんじゃないかとそわそわしていた私は、連絡を受けてほっとした。
……つったってこの不愛想さはないんじゃないの。
戻ってきたよ、とかさ。
お待たせ、とかさ。(いや、それは似合わないけど)
もやっとしながら、いそいそと返事をする。
【火曜なら大丈夫です】
本当は遅番だから無理だけど、誰かに代わってもらおう。夜行性の先輩も多いから、遅番を喜ぶ人も結構いる。
そこまでして火曜にと思うのは、やっぱり早く会いたいからだ。
曽根と会わずに過ごした2か月。
ずいぶん長く感じたのは、彼と関係を持ってからというもの、ほとんど毎週逢瀬を重ねていたからだろう。
すっかり習慣になってしまっているのだ。この健全ではない関係が。
……曽根は、どう思ってたんだろう。
あっという間の2か月、だっただろうか。
私と同じように、長いと思ってくれただろうか。
高校3年間、同じ部活で過ごした。そして再会してから1年間、毎週のように会っていた。
それなのに、曽根の気持ちは全然分からない。
嫌ならそう言うだろうから、嫌ではないのだと思うけれど。
私から誘ったのは最初の1か月だけだ。それからは、曽根が候補日を挙げて、私が返事をして、会っていた。
それでも、曽根が本当に私に会いたがっているのかどうか、分からない。
ぐるぐると胸の中を、何とも言えない気持ちが回っている。
それでも、また会えることへの安堵が一番強かった。
***
カフェで待ち合わせた曽根は、いつもと変わらない不愛想だった。
「おつ。横浜どうだった?」
私が笑って声をかけても、「別に」とつれない答えが返ってくるだけだ。
……こんなやつのどこがいいんだか。
花音だったら呆れそうだけど、もう沼にはまってしまった私は抜け出せそうにない。
さりげなく、車道側を歩いてくれるところとか。
人とぶつかりそうになったら、軽く引っ張ってくれるところとか。
それが不器用すぎる優しさだと気づいたら、もう戻れない。
一歩前を歩く曽根の横顔を見上げる。車のライトに照らし出された横顔は、2か月前と変わらない。ぎゅっ、と胸が痛んだ。2か月前のあの夜、私が押し付けた行為は、たぶん曽根の好みではなかっただろう。
ごめん。
謝りたいけど、謝れない。
謝ったら、いろいろ、バレちゃう気がして。
私は黙って、曽根の後ろをついていく。
いつものホテル。いつもの部屋は埋まっていた。
どうするかと思えば、もう一段階高い部屋のボタンを押す。
「安いところでもいいのに」
何と言うこともなく口をついたセリフに、曽根が一瞬私を一瞥したけれど、何も言わずにエレベーターへ歩き出した。
すらりと伸びた背中。
抱き着きたい衝動に耐える。
二人で乗り込んだエレベーターに、ふわりと曽根の香水が漂った。
それだけでそわそわして、泣きそうになる。
……やっぱり、謝ろうか。
この前は、無茶苦茶してごめんって。
お礼、でもいいかもしれない。
お風呂、ありがとうって。
エレベーターが部屋のある3階に着くまでの間に、口を開きかけてつむぐことを繰り返す。
結局何も言えずに、エレベーターのドアが開いた。
自分のふがいなさにがっかりする。
曽根がドアを開けて私をうながす。
「……大丈夫だった?」
エレベーターから降りる私が横を通ったとき、曽根は不意に言った。
見上げると、曽根はもう部屋へ歩き出している。
「……何が?」
「こないだ」
曽根は淡々と言いながら、部屋のドアを開く。中に入る。私も続く。
ドアが閉まる。
「結構……無茶させたから」
曽根の低い声が、腹の底をぎゅっとつかまえる。
私は下唇を噛み締めて、その首に抱き着いた。
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