素直になれない眠り姫

松田丹子(まつだにこ)

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第2章 王子様は低空飛行

21

「そ、曽根。どこ行くつもりよ……」

 エレベーターの下りボタンを押して立ち止まった曽根の袖を引く。
 曽根はちらりと私を見下ろし、「うん」と曖昧な返事をした。
 ぴんぽん、と開いたドアの中に、自然な動きで私を促す。
 閉じたドアの中、二人きりの個室に、いつも通りの沈黙が満ちた。

 なんだか、夢が終わりを告げたみたいな。

 あ、そっか。曽根は私の気持ちを察して、外に出してくれただけなのかもしれない。
 さっきのキスも……みんながぐちゃぐちゃ言わないように、気を利かせてくれただけかも……。

 ぽつりぽつりと思い当たり、エレベーターの高さと共に私の気持ちも沈んでいく。ぽーん、と1階でドアが開いて、曽根が私の手を引いた。

「……どこ、行きたい?」

 一歩、エレベーターから外に出て。
 曽根が不思議な声音で言う。
 今まで聞いたことのない声だ。
 思って見上げると、曽根は気まずそうな顔をしていた。
 その頬が赤い。

「……前、失敗したから。お前の意見、聞いた方がいいかと思って」

 目を合わせようとしないのは、照れているからだろうか。
 とたんに胸がまたドキドキ言い始める。繋いだ手が、ひどく熱く感じる。
 久々に重なった唇。
 引き寄せられた腰や肩の温もり。

「……ホテル」
「はぁ?」

 曽根が呆れたような顔をした。
 そして、腹の底からため息をつく。

「お前な……」

 せっかく人が、とか、結局それか、とか、曽根はブツブツ言って唇を尖らせる。私はくいくいと手を引いて「だって、曽根が悪い」と真似するように唇を尖らせてみる。
 何でだよ、と聞かれて、じっと見上げた。

「だって……熱いんだもん」

 触れられたところが。唇が。

 こころが。

 曽根は言葉を失って、私から目を逸らし、半ばにらみつけるように、私を見た。

「……そういうの」

 外でやるんじゃねぇよ。

 苦々しく吐き出された声に、身体が震える。

 ……はやく。
 曽根が欲しい。

 ***

 曽根はそのまま、ホテルのカウンターで部屋の空き状況を訪ねた。
 私が困惑していたら、「いつものホテルじゃあんまりだろ」とあっさり答える。

「……このままっていうのも、あんまりじゃない?」
「どこが?」

 曽根はにやりと笑った。

「嫌な記憶で終わるより、違う思い出で上書きしといた方がいいだろ」

 ぎゅ、と胸が締め付けられる。
 私のことを察してくれている、のは、分かった。けど。
 どこまで、伝わってるんだろう。

「……曽根」
「つき合ってたんだろ」
「え」
「小川先輩と」

 私は驚いて、曽根を見上げる。気づいていたのか。元カレが、康広くんだってことーー

 ホテルの従業員が、「ご案内します」と一礼して歩き出す。エレベーターのボタンを押して、上階へ行く。

「……気づいてたの?」
「お前があのまま、諦めて他の男に行くとは思えない」

 おずおず問うと、あっさり答えが返ってきた。
 私は苦笑する。

「……ずいぶん、私のこと知ったような口ぶりだね」
「そりゃ、見てたからな」

 曽根の言葉に、どきりとする。
 期待を込めて見上げると、曽根ははっとした顔で私を見下ろした。

「ち、違……そういう意味じゃねぇぞ、今のは……」
「うん、じゃあ、どういう意味?」

 私が上目遣いで訊ねると、曽根は「ぐっ」と喉を鳴らした。
 ぽーん、とエレベーターが上階について、ドアが開く。
 私たちが案内されたのは、セミスイートだった。

「……ま、待って、曽根。ちょっと……奮発、しすぎじゃない……?」
「かもな」

 二人きりになった部屋で、曽根は息をついてベッドに腰掛ける。

「うわ、すっげふわっふわ」
「だ、だって……そりゃ、セミスイートなら……」
「お前も座ってみろよ。すげぇぞ」

 曽根はいつもよりちょっとテンションが高い。手招きされて、おずおずと横に腰かけた。
 スプリングと寝具がふわりと私の腰を受け止める。

「わ、ほんとだ。すごい」
「だろ」

 曽根はくつくつ笑った。その笑顔に、ぎゅっと胸が締め付けられる。
 言わなくちゃ。ちゃんと……気持ちを。
 今のまま、曖昧な関係のまま抱かれたら、今までと何も変わらない。そんなの嫌だ。身体だけの関係なんて。私は、本当の意味で、曽根に、

「っ……!」

 急に頬に触れられて、びくんと肩が震えた。曽根は驚いたように手を離し、「ごめん」と目を逸らすと、膝に肘をついてため息をついた。
 その様子が心底困り果てたように見える。

「……曽根?」

 曽根はちらりと私を見て、またため息をついた。

「お前が何考えてんのか、全っ然わかんねぇ」

 ぽつりと吐き出した言葉を皮切りに、曽根は諦めたように話し出す。

「割りきった方がいいのかと思えば……なんか違う顔するし。かと思えば、これ以上近づくなって顔するし……ホテル誘えば怒るし」
「そ、それは……気分じゃないときだったから」

 立ち食い蕎麦屋でのヒール攻撃がずいぶん堪えているらしい。どおりでしばらく連絡を寄越さなかったわけだと納得する。

「そ、そういう……曽根こそ、どうなの」

 問うと、とたんに心細くなった。
 曽根が望んでいる関係。
 私とどんな距離でいたいのか。
 聞いてしまったら、後戻りはできない。

「俺?」

 曽根は首を傾げて、一拍後、気まずそうに目を逸らした。

「……俺のことはどーでもいいよ」
「よくない」

 私はむっとして顔を上げる。

「曽根は、どーなのよ。私と……セックスだけ、の、方が……いいの?」

 言葉にしてから、泣きそうになった。ここで頷かれたらどうしよう。私の気持ちなんて、心の在り場なんて関係ないって、そう言われたら……

「俺、そんなこと言ったっけ?」

 曽根がむっとした顔をする。

「何とも思ってないやつ、抱けるほど器用じゃない」

 言ってから、はっとした顔をする。私がぽかんとしていると、曽根は慌てた様子で続けた。

「ち、違う。今のは……言葉の綾で」
「……私のことが好きなの?」

 ずばり聞くと、曽根は喉奥を鳴らした。

「っ……俺は……」

 言葉を探すように宙を見て、「悪いかよ」とうつむく。
 その顔が、耳まで赤い。

 ほ、ほんとに?
 でも、だって。

「再会したとき……私のこと、忘れてたじゃない」
「は? お前、何言ってんだ?」

 私の言葉に、曽根が怪訝そうに眉を寄せる。

「だって、食堂で会ったとき……」

 スーツ姿の曽根を見て、私は少なからず、旧友との再会を喜んだ。
 懐かしい顔に笑顔で手を挙げ、「久しぶり」と近づいたのに……

「誰お前、って顔してたじゃん」
「いや、あれは……」

 曽根が眉を寄せて唇を尖らせる。

「お前、化粧しすぎ。変わりすぎ。誰かわかんなくて当然だろ、美容部員てみんな同じような顔してんだから」

 私はまばたきして、はぁ、とあいづちを打った。

 確かに、美容部員は比較的同じようなメイクをする。
 ブランドイメージを保ち、お客様の見本になる必要があるからだ。
 だけど、それにしたって。

「だいたい、いつも大口開けて笑ってたような奴が、いきなりおしとやかな女みたいになってたら、驚きもするだろ」

 ……大口開けて?

「そ、そんな、笑ってないよ」
「笑ってたよ」
「笑ってないっ」
「笑ってただろーが、さっきのスライド観てねぇのか」

 指摘されて、うっ、と唸る。

 確かに……あのスライドに写った私は、いつもいい笑顔をしていた。

「自分じゃ気づかねぇだろうけどさ」

 曽根はむくれた唇のまま、そう言った。

「いつも、笑ってたよ。誰にでも。お前は。感情の起伏が激しくてさ。人のためにも泣いてたし」

 ……そうだったっけ……

 駄目だ、全然覚えてない。私の中にあったクールな私像がガラガラと崩れていく。

「……だから、つい……怒らせたくなって」

 曽根は言って、苛立たしげに短い髪をくしゃりと握った。一瞬、私に向けられた目が、まるでいたずらの発覚した少年のように気恥ずかしげできゅんとする。

「……お前と……二人で……なんて、そんな機会……ないと思ってたから」

 曽根は息を吐き出して、ばふんとベッドに倒れた。顔を手で覆い、はぁあと悔しそうな息をつく。

「っんだよ、くそ……今日そんな格好で来るからだぞ」

 曽根は言って、迫力のない目で私をにらんだ。
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