55 / 126
第二章 はなれる
55 男たち
しおりを挟む
阿久津が予約した店は、会社から徒歩15分ほどのこじんまりした居酒屋だった。座敷席とテーブル席は4人がけが二つずつ、カウンター席が6人ほど。
予約していたのは座敷席の一つだった。四人席だがどうにか5人で座り、乾杯のビールを頼む。
カウンター席の一部を除き、店は満員だった。
「じゃ、マーシーの九州支部への赴任を歓迎して。かんぱーい!」
阿久津の号令に合わせて、俺、江原さん、二人の男性社員が生ビールのジョッキを掲げた。
二人の男性職員は、わずかに俺たちより年上のようだが、まだ30代だろう。痩せ型で眼鏡をかけているのが桑原、会社ではヨウジという名前からYZと呼ばれている。もう一人は高橋晋作。シン、というのが呼び名で、そこそこ多弁な男のようだ。
「親が幕末の志士が好きでね。今でも名乗る度にはずかしいんだけど」
高橋さんは中肉中背だが、年齢相応に腹が出てきている。
そういえば俺も最近ジムに行ってないな。こっちにいいところあるか探さないと。
隣に座る高橋さんの腹を見て思いながら、俺はビールを傾けた。苦い泡が喉を伝い落ちる。
「ごめんねぇ、席が狭くて」
お通しを持ってきてくれたのは、60手前の女性だった。ふくよかな体格と丸みのある頬、顔に刻まれた笑いじわは、多くの客を引き付けてきたのだろうという人懐こさを感じた。
「いえ、急に人数が増えたのはこっちの都合なんで」
俺が言うと、女性はくしゃりと人のいい笑顔を見せた。
「阿久津さん。ずいぶんかっこいい人と一緒やね」
「やだなぁ、女将さんもこういう顔好きなの?こいつ連れてると、いつも女性の関心を持ってかれてさ」
阿久津が大袈裟に肩を竦めると、女将さんは笑った。
「阿久津さんだって、十分男前じゃないの。やっぱり東京の人は違うのかねぇ」
女将さんは阿久津の肩を軽く叩きながら笑う。
俺はそれを聞きながら、お通しの白和えを口にする。家庭的だが旨い。
そういえば、こいつが連れて来る居酒屋は、割といい店が多い。料理がうまくて接待が気持ちいい店だ。偶然ではなかったらしいと見直しつつ、俺はまたビールを口にした。
「で、どうだった。今日」
阿久津は予約のときに、つまみを何品か頼んでおいたらしい。出てきた枝豆をつまみながら聞いてきた。俺は苦笑を返す。
「秘書の山口さんにしか会えなかったよ。組合会長の奥さんなのかな?」
阿久津はああ、と頷いた。
「ずいぶんしょっぱい対応だな。うちみたいな大手企業と仕事できるなんて、中小ばっかりの組合にとっても悪くない話なのにさ」
「まあ、新しいことをするのは頭が固い経営者にとっては勇気がいるんじゃない?」
高橋さんが口を出す。俺は適当に相槌を打ちつつ聞いていた。
「阿久津が中心になって進めてるの?プロジェクト」
「俺たち三人な。今のプロモーションと広報は、他のメンバーが主にやってて、アキはそれぞれちょっとずつ携わってる。こっちは本社と違って部署も人も少ないから、本社が部単位でやってる内容を課が請け負ってる感じだ。アキは新人だし、支部スタートのメリットは広く浅く経験できることだから、経験してもらおうってとこだな」
阿久津は言った。分厚い唇に太い眉、釣り上がり気味の三白眼。堅めの髪は短めに切って前髪を立てているが、本社勤めのときはツーブロックに整えていた記憶がある。
「俺たちも、去年の8月から動き始めて、どうにかあれこれコネを作って会長に会えたのが10月。今まで3回会ったけど、そっから二ヶ月、硬直状態」
阿久津は言った。
「もう一つの、新しい方の組合ーー北九州織物組合は、多少話が分かるんだけどさ。そっちと話進めようと思っても、関係が悪くなると困るって、とりあえず福岡織物組合に話を通してくれって。一社だけと連携するには、会社の規模が小さすぎて生産量を確保できないし」
「過去の話は?なんか出た?」
「さあな、何かあったのかもしれねぇけど。調べてもわかんねぇし、相手にとって嫌な思い出なら、わざわざこっちから掘り返すのもバカバカしいだろ。とにかく向こうさんは、あんたたちとは仕事できない、する気にならない、北九州織物組合が引き受けるなら止めないが、今後良好な関係を保てるかどうかは分からん、と繰り返すだけだ」
「織物じゃなくて他の工芸品の案は?」
「出したよ、一応な。でも、本社から、布張り椅子を、って要望ーーっつか、実質、縛りだよな。そんなのがあって。にっちもさっちも行かず、年も明けたってわけ。2月末には来年の方向性を本社でプレゼンするだろ。それまでに会長にうんと言ってもらえないなら、多分本社が引き取るんだろうな、コラボレーション品の件は」
阿久津は言ってビールをあおり、苦々しい顔をした。
「やめようぜ、仕事の話は。せっかくの酒がまずくなる」
「そうだな。マーシーは、本社で何やってたの」
「プロモーションイベントの企画実施です」
「それで、何でこっちに寄越されたんだろうね。飛ばされたとか?」
高橋さんは何となく胡散臭い笑みで聞いてくる。どうもあまり好かれていないらしい、とは聞かずとも分かった。
「左遷するにも、時期も場所も悪いよ。女関係で何かあったとか?とにかく、かき回すのはやめてくれよ」
ようやく口を開いた桑原の台詞は、なかなかに辛辣だった。俺は苦笑しつつビールをあおる。斜め向かいに座った江原さんの表情が硬くなり、反論しようとしたのが分かって目で制する。
ーー言わせとけ。
だいたい、かき回すほど物事が進んでいるとは思えない。三人なりに頑張ったのだろうが、本職が営業ではないので相手に売り込む姿勢に欠けているようだ。心のどこかで、中小企業は当然大企業に従うものという自意識があるのだろう。
ーーどいつもこいつも、要らないプライドに縛られるもんだな。
橘を大学名や年収で切り捨てた男たち。小規模の経営者に教えを請えない阿久津たち。
阿久津はビールを飲み干すと、女将さんを手で呼びつつ言った。
「寒いから次焼酎行こうぜ。芋でいい?」
「悪い、俺、麦で頼む」
「私、黒糖行ってもいいですか」
「勝手にしろ。団体行動のできないやつらだな」
俺と江原さんに、阿久津が笑った。
予約していたのは座敷席の一つだった。四人席だがどうにか5人で座り、乾杯のビールを頼む。
カウンター席の一部を除き、店は満員だった。
「じゃ、マーシーの九州支部への赴任を歓迎して。かんぱーい!」
阿久津の号令に合わせて、俺、江原さん、二人の男性社員が生ビールのジョッキを掲げた。
二人の男性職員は、わずかに俺たちより年上のようだが、まだ30代だろう。痩せ型で眼鏡をかけているのが桑原、会社ではヨウジという名前からYZと呼ばれている。もう一人は高橋晋作。シン、というのが呼び名で、そこそこ多弁な男のようだ。
「親が幕末の志士が好きでね。今でも名乗る度にはずかしいんだけど」
高橋さんは中肉中背だが、年齢相応に腹が出てきている。
そういえば俺も最近ジムに行ってないな。こっちにいいところあるか探さないと。
隣に座る高橋さんの腹を見て思いながら、俺はビールを傾けた。苦い泡が喉を伝い落ちる。
「ごめんねぇ、席が狭くて」
お通しを持ってきてくれたのは、60手前の女性だった。ふくよかな体格と丸みのある頬、顔に刻まれた笑いじわは、多くの客を引き付けてきたのだろうという人懐こさを感じた。
「いえ、急に人数が増えたのはこっちの都合なんで」
俺が言うと、女性はくしゃりと人のいい笑顔を見せた。
「阿久津さん。ずいぶんかっこいい人と一緒やね」
「やだなぁ、女将さんもこういう顔好きなの?こいつ連れてると、いつも女性の関心を持ってかれてさ」
阿久津が大袈裟に肩を竦めると、女将さんは笑った。
「阿久津さんだって、十分男前じゃないの。やっぱり東京の人は違うのかねぇ」
女将さんは阿久津の肩を軽く叩きながら笑う。
俺はそれを聞きながら、お通しの白和えを口にする。家庭的だが旨い。
そういえば、こいつが連れて来る居酒屋は、割といい店が多い。料理がうまくて接待が気持ちいい店だ。偶然ではなかったらしいと見直しつつ、俺はまたビールを口にした。
「で、どうだった。今日」
阿久津は予約のときに、つまみを何品か頼んでおいたらしい。出てきた枝豆をつまみながら聞いてきた。俺は苦笑を返す。
「秘書の山口さんにしか会えなかったよ。組合会長の奥さんなのかな?」
阿久津はああ、と頷いた。
「ずいぶんしょっぱい対応だな。うちみたいな大手企業と仕事できるなんて、中小ばっかりの組合にとっても悪くない話なのにさ」
「まあ、新しいことをするのは頭が固い経営者にとっては勇気がいるんじゃない?」
高橋さんが口を出す。俺は適当に相槌を打ちつつ聞いていた。
「阿久津が中心になって進めてるの?プロジェクト」
「俺たち三人な。今のプロモーションと広報は、他のメンバーが主にやってて、アキはそれぞれちょっとずつ携わってる。こっちは本社と違って部署も人も少ないから、本社が部単位でやってる内容を課が請け負ってる感じだ。アキは新人だし、支部スタートのメリットは広く浅く経験できることだから、経験してもらおうってとこだな」
阿久津は言った。分厚い唇に太い眉、釣り上がり気味の三白眼。堅めの髪は短めに切って前髪を立てているが、本社勤めのときはツーブロックに整えていた記憶がある。
「俺たちも、去年の8月から動き始めて、どうにかあれこれコネを作って会長に会えたのが10月。今まで3回会ったけど、そっから二ヶ月、硬直状態」
阿久津は言った。
「もう一つの、新しい方の組合ーー北九州織物組合は、多少話が分かるんだけどさ。そっちと話進めようと思っても、関係が悪くなると困るって、とりあえず福岡織物組合に話を通してくれって。一社だけと連携するには、会社の規模が小さすぎて生産量を確保できないし」
「過去の話は?なんか出た?」
「さあな、何かあったのかもしれねぇけど。調べてもわかんねぇし、相手にとって嫌な思い出なら、わざわざこっちから掘り返すのもバカバカしいだろ。とにかく向こうさんは、あんたたちとは仕事できない、する気にならない、北九州織物組合が引き受けるなら止めないが、今後良好な関係を保てるかどうかは分からん、と繰り返すだけだ」
「織物じゃなくて他の工芸品の案は?」
「出したよ、一応な。でも、本社から、布張り椅子を、って要望ーーっつか、実質、縛りだよな。そんなのがあって。にっちもさっちも行かず、年も明けたってわけ。2月末には来年の方向性を本社でプレゼンするだろ。それまでに会長にうんと言ってもらえないなら、多分本社が引き取るんだろうな、コラボレーション品の件は」
阿久津は言ってビールをあおり、苦々しい顔をした。
「やめようぜ、仕事の話は。せっかくの酒がまずくなる」
「そうだな。マーシーは、本社で何やってたの」
「プロモーションイベントの企画実施です」
「それで、何でこっちに寄越されたんだろうね。飛ばされたとか?」
高橋さんは何となく胡散臭い笑みで聞いてくる。どうもあまり好かれていないらしい、とは聞かずとも分かった。
「左遷するにも、時期も場所も悪いよ。女関係で何かあったとか?とにかく、かき回すのはやめてくれよ」
ようやく口を開いた桑原の台詞は、なかなかに辛辣だった。俺は苦笑しつつビールをあおる。斜め向かいに座った江原さんの表情が硬くなり、反論しようとしたのが分かって目で制する。
ーー言わせとけ。
だいたい、かき回すほど物事が進んでいるとは思えない。三人なりに頑張ったのだろうが、本職が営業ではないので相手に売り込む姿勢に欠けているようだ。心のどこかで、中小企業は当然大企業に従うものという自意識があるのだろう。
ーーどいつもこいつも、要らないプライドに縛られるもんだな。
橘を大学名や年収で切り捨てた男たち。小規模の経営者に教えを請えない阿久津たち。
阿久津はビールを飲み干すと、女将さんを手で呼びつつ言った。
「寒いから次焼酎行こうぜ。芋でいい?」
「悪い、俺、麦で頼む」
「私、黒糖行ってもいいですか」
「勝手にしろ。団体行動のできないやつらだな」
俺と江原さんに、阿久津が笑った。
3
あなたにおすすめの小説
それは、ホントに不可抗力で。
樹沙都
恋愛
これ以上他人に振り回されるのはまっぴらごめんと一大決意。人生における全ての無駄を排除し、おひとりさまを謳歌する歩夢の前に、ひとりの男が立ちはだかった。
「まさか、夫の顔……を、忘れたとは言わないだろうな? 奥さん」
その婚姻は、天の啓示か、はたまた……ついうっかり、か。
恋に仕事に人間関係にと翻弄されるお人好しオンナ関口歩夢と腹黒大魔王小林尊の攻防戦。
まさにいま、開始のゴングが鳴った。
まあね、所詮、人生は不可抗力でできている。わけよ。とほほっ。
シンデレラは王子様と離婚することになりました。
及川 桜
恋愛
シンデレラは王子様と結婚して幸せになり・・・
なりませんでした!!
【現代版 シンデレラストーリー】
貧乏OLは、ひょんなことから会社の社長と出会い結婚することになりました。
はたから見れば、王子様に見初められたシンデレラストーリー。
しかしながら、その実態は?
離婚前提の結婚生活。
果たして、シンデレラは無事に王子様と離婚できるのでしょうか。
【完結】僕ら二度目のはじめまして ~オフィスで再会した、心に残ったままの初恋~
葉影
恋愛
高校の頃、誰よりも大切だった人。
「さ、最近はあんまり好きじゃないから…!」――あの言葉が、最後になった。
小島久遠は、新たな職場で、元カレとまさかの再会を果たす。
若くしてプロジェクトチームを任される彼は、
かつて自分だけに愛を囁いてくれていたことが信じられないほど、
遠く、眩しい存在になっていた。
優しかったあの声は、もう久遠の名前を呼んでくれない。
もう一度“はじめまして”からやり直せたら――そんなこと、願ってはいけないのに。
それでも——
8年越しのすれ違いは、再会から静かに動き出す。
これは、終わった恋を「もう一度はじめる」までの物語。
君に恋していいですか?
櫻井音衣
恋愛
卯月 薫、30歳。
仕事の出来すぎる女。
大食いで大酒飲みでヘビースモーカー。
女としての自信、全くなし。
過去の社内恋愛の苦い経験から、
もう二度と恋愛はしないと決めている。
そんな薫に近付く、同期の笠松 志信。
志信に惹かれて行く気持ちを否定して
『同期以上の事は期待しないで』と
志信を突き放す薫の前に、
かつての恋人・浩樹が現れて……。
こんな社内恋愛は、アリですか?
苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」
母に紹介され、なにかの間違いだと思った。
だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。
それだけでもかなりな不安案件なのに。
私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。
「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」
なーんて義父になる人が言い出して。
結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。
前途多難な同居生活。
相変わらず専務はなに考えているかわからない。
……かと思えば。
「兄妹ならするだろ、これくらい」
当たり前のように落とされる、額へのキス。
いったい、どうなってんのー!?
三ツ森涼夏
24歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務
背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。
小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。
たまにその頑張りが空回りすることも?
恋愛、苦手というより、嫌い。
淋しい、をちゃんと言えずにきた人。
×
八雲仁
30歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』専務
背が高く、眼鏡のイケメン。
ただし、いつも無表情。
集中すると周りが見えなくなる。
そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。
小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。
ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!?
*****
千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』
*****
表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101
友達の肩書き
菅井群青
恋愛
琢磨は友達の彼女や元カノや友達の好きな人には絶対に手を出さないと公言している。
私は……どんなに強く思っても友達だ。私はこの位置から動けない。
どうして、こんなにも好きなのに……恋愛のスタートラインに立てないの……。
「よかった、千紘が友達で本当に良かった──」
近くにいるはずなのに遠い背中を見つめることしか出来ない……。そんな二人の関係が変わる出来事が起こる。
これって政略結婚じゃないんですか? ー彼が指輪をしている理由ー
小田恒子
恋愛
この度、幼馴染とお見合いを経て政略結婚する事になりました。
でも、その彼の左手薬指には、指輪が輝いてます。
もしかして、これは本当に形だけの結婚でしょうか……?
表紙はぱくたそ様のフリー素材、フォントは簡単表紙メーカー様のものを使用しております。
全年齢作品です。
ベリーズカフェ公開日 2022/09/21
アルファポリス公開日 2025/06/19
作品の無断転載はご遠慮ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる