モテ男とデキ女の奥手な恋

松丹子

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第二章 はなれる

57 女子の大好物

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「そろそろいい時間だな」
 23時頃、金色の腕時計を見て言ったのは高橋さんだった。阿久津がにやりと笑って頷く。
「女将さん、お勘定お願い」
 次の店に行くのだとは、その様子から察した。俺は断る文句を探して目をさまよわせる。が、何と言えば逃れられるのか分からない。今まで何も考えずにつき合っていた自分のせいだ。
 江原さんが意味深な視線でこちらを見て頷いた。俺が戸惑うと、江原さんが机に突っ伏す。
「……飲みすぎたみたいですー」
 ーーなるほど。
 俺は苦笑した。
「え、大丈夫?アキ」
 阿久津は言いながらも、意識は違うことに向いているのが分かる。
「ちょっと気分悪いですー」
「阿久津たちは気にせず行ってこいよ。俺、付き添うから」
「でもーー」
「ありがとうございますー。YZさんとシンさんもー、行ってらっしゃいー」
 突っ伏したまま、江原さんはひらりと手を振る。阿久津たちは顔を見合わせた。
「どうする」
「もうリオナちゃんに連絡したし、行こうぜ」
 高橋さんと桑原さんが言って、阿久津が頷き、俺を見る。
「送り狼にはなるなよ」
「ならないよ」
 お前じゃないんだから、という言葉は飲み込んだ。
 三人が店を出て行くと、女将さんが水とお茶を持ってきてくれた。
「具合は?大丈夫?」
「あ、ありがとうございますー」
 江原さんが顔を上げ、水を口にする。
「水飲んだらスッキリしました!ごちそうさまでした」
 復活早すぎだろ。
 笑いを堪える俺の横で、女将さんが笑った。
「ふふ、お付き合いも大変やね。阿久津さんて強引なところあるしーーそこが男らしいとこやけど」
「男らしい、ね……」
 長所は短所、短所は長所。弟の言葉を脳裏に思い浮かべながら、俺は肩をすくめた。
「神崎さん。ダメですよ、自分で断れるようにならなきゃ。彼女いるんでしょ」
「え?」
 そんなこと一言も言ってない。いや、そもそも俺と橘ってどうなんだ?彼氏彼女ってやつなのか?
「だって、今日電話してたじゃないですか。会社の人なんでしょ」
 ……もしかして、冗談で言った"ハニー"を聞いて?
 戸惑いまくっている俺を置いて、江原さんは楽しそうに話す。多少は彼女も酔っているのか。
「冗談みたいにハイハニー、なんて言ってましたけど、バレバレです。その後、あまーい顔しちゃって」
「甘い顔って」
 ハイハニー、の後?何があったっけ。橘が動揺しているのを察して、ああ見たかったなぁと思っ……
 俺はふと思い出した。橘にコーヒーのお礼を返したときのことを。あのときも、完全に無意識に表情が緩んでいた。
 ーーもしかしたら、電話のときも。
「うわぁ、かっわいー」
 赤面して口を押さえ、顔を背けた俺の肩を、江原さんはにやにやとつつく。
「いや、違っーー」
「えー、いいじゃないですか。恋バナは女子の大好物ですよ。今日助けてあげたお礼に、のろけでもなんでも聞かせてくださいよ」
 江原さんの笑顔が姉のそれと重なって見える。やっぱり女はみんな悪魔だ、油断はならないーーそう思いながら頭を抱えた。
 あー、最悪。一回り年下の女子にいじられるなんて勘弁してほしい。
「どんな人なんですか、神崎さんの彼女。あっ、もしかして片思いとか?」
「俺に黙秘権は……」
「えー、阿久津さんに言っちゃいますよ。神崎さんにはいい人がいるらしいって。知ってる人なんでしょ?阿久津さんに言わないってことは」
 予測と妄想の積み重ねだろうが、結構当たっているのが恐ろしい。俺は顔を背けた。
「彼女さん、きっと心配してるでしょう。神崎さん来るもの拒まずだから。言っといてください、心配いりませんよって。うちの部署、独身の女は私だけだし、私、見た目だけなら阿久津さんの方が好みですから」
 初めて言われた言葉なので、興味を感じた俺はつい目を上げた。江原さんはふふと笑う。
「美男美女の基準は、場所によってちょっと違うかもしれないですね。九州だと阿久津さんみたいな強引さは、むしろ男らしいって、好む人多いと思いますよ」
 そう言い終わると、でも、と顔をしかめる。
「若い女を下に見て、九州を田舎と見るのは許せません。九州支部を踏み台にしてやろう、って感じがありありとわかりますもん」
 拳を握って批難する姿に、俺は噴き出した。
「ま、じゃあ、負けないようにがんばんないとな。阿久津に」
「そうですよ!ぎゃふんと言わせてやります。ぎゃふんと!」
 江原さんはぶんぶんと手を振り上げて言うと、俺の方を振り返った。
「ということで、私のエネルギー充電のために、神崎さんの恋バナお願いしまっす!」
「……覚えてたか」
「ったり前ですよー!」
 俺と江原さんはあれこれ言い合いながら店を出て、もう時間が時間だからとどうにか丸め込んで解散した。
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