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第二章 はなれる
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「お世話になりました」
訪問先の最後は福岡織物組合の山口会長だった。俺が頭を下げると、山口会長は手を振った。
「いや、こちらこそ。――あんたがいてくれて助かった」
俺は阿久津を気にしながら、ためらいつつ口を開いた。
「その後、ヒカルはどうです?」
「ああ、もう本人は大丈夫と言うとるが……」
言いながら、やはりちらりと阿久津を見やる。阿久津は腰を上げた。
「先に車に戻ってます。何なら後から迎えに来るけど」
冗談めかした目線で言われて、俺は苦笑した。
「そこまで長引かないよ。悪いな」
阿久津はひらりと手を挙げて、部屋から去った。
「あいつもなかなかいい男だがなぁ」
腕組みをする山口会長は苦笑を浮かべている。
「関東育ちには、あんたみたいな柔らかいのが人気か」
「どうなんでしょうねぇ。わかりませんが」
俺も苦笑を返した。
「ヒカル、多少は甘えるようになりましたか?」
どこまで口出しする権利があるのか、俺にもよくわからない。わからないままに、それでも少女が笑顔で――できれば心からの笑顔で、生活できることを望んでいる。
「少しずつは」
山口会長は答えた。
「そうですか、ならよかった」
ーー俺が踏み込んでいいのは、ここまでだ。
分かっていながら、感じる名残惜しさを禁じ得ない。
山口会長はそれを察してか苦笑した。
「まあ、妹とでも思って、ときどきは便りば寄越してくれるとあの子も喜ぶ」
「そうですねーーもし、お役に立てそうなことがあれば、連絡ください。できることはします」
山口会長はちらりと目を上げて俺を見た後、わずかに頷いた。
俺はヒカルのヒーローじゃない。ヒーローになれないなら、これ以上近づくのはヒカルのためにならない。ーー冷たいと思われようとも、名残惜しかろうとも、ちょうどいいタイミングなのかもしれない。
「いつから、向こうに?」
「5月最初の月曜からです」
「そうか、じゃああと二週間かそこらだな」
呟くと、山口会長は俺に背を向けた。
「ヒカルは、あんたにだけ話したんだろう。本当に起こったこと」
俺は黙って応接室の外に目をやる。
「本人が言いたくないなら無理に聞かん方がいいと家内が言うからな。聞くに聞けんが」
ちらりと投げられた目線に、俺はわずかに頭を下げた。
「すみません、ーー言えません」
「そうやろうな。じゃなきゃ、ヒカルもよう言わん」
山口会長は苦笑を浮かべて、頭を下げた俺の肩を叩いた。
「色男の気持ちは分からんが、あんたを巻き込んだのは俺やけんな。もし気にかかることがあっても、気に病むな」
ーー俺がいなければ、川田が暴走することも、ヒカルが被害に遭うことも、なかったんじゃないか。
そう心のどこかで思っていたのは事実だった。何も言えないままじっとしている俺の肩を、会長がまた叩く。
「さ、もう一人の色男が待ちよるやろ。そろそろ行ってやれ」
俺は改めて礼をしてから、応接室を後にした。
「悪い、待たせた」
声をかけて助手席に乗り込むと、運転席の阿久津はちらりと目線をこちらに寄越した。
「なあ、マーシー」
エンジンをかけ、ハンドルを握りながら、阿久津が言いづらそうに切り出す。
「あの夜、何があったんだ?」
俺は何も答えず、窓の外に目をやった。
阿久津は諦めたように嘆息して、それ以上何も言わずに会社まで車を走らせた。
訪問先の最後は福岡織物組合の山口会長だった。俺が頭を下げると、山口会長は手を振った。
「いや、こちらこそ。――あんたがいてくれて助かった」
俺は阿久津を気にしながら、ためらいつつ口を開いた。
「その後、ヒカルはどうです?」
「ああ、もう本人は大丈夫と言うとるが……」
言いながら、やはりちらりと阿久津を見やる。阿久津は腰を上げた。
「先に車に戻ってます。何なら後から迎えに来るけど」
冗談めかした目線で言われて、俺は苦笑した。
「そこまで長引かないよ。悪いな」
阿久津はひらりと手を挙げて、部屋から去った。
「あいつもなかなかいい男だがなぁ」
腕組みをする山口会長は苦笑を浮かべている。
「関東育ちには、あんたみたいな柔らかいのが人気か」
「どうなんでしょうねぇ。わかりませんが」
俺も苦笑を返した。
「ヒカル、多少は甘えるようになりましたか?」
どこまで口出しする権利があるのか、俺にもよくわからない。わからないままに、それでも少女が笑顔で――できれば心からの笑顔で、生活できることを望んでいる。
「少しずつは」
山口会長は答えた。
「そうですか、ならよかった」
ーー俺が踏み込んでいいのは、ここまでだ。
分かっていながら、感じる名残惜しさを禁じ得ない。
山口会長はそれを察してか苦笑した。
「まあ、妹とでも思って、ときどきは便りば寄越してくれるとあの子も喜ぶ」
「そうですねーーもし、お役に立てそうなことがあれば、連絡ください。できることはします」
山口会長はちらりと目を上げて俺を見た後、わずかに頷いた。
俺はヒカルのヒーローじゃない。ヒーローになれないなら、これ以上近づくのはヒカルのためにならない。ーー冷たいと思われようとも、名残惜しかろうとも、ちょうどいいタイミングなのかもしれない。
「いつから、向こうに?」
「5月最初の月曜からです」
「そうか、じゃああと二週間かそこらだな」
呟くと、山口会長は俺に背を向けた。
「ヒカルは、あんたにだけ話したんだろう。本当に起こったこと」
俺は黙って応接室の外に目をやる。
「本人が言いたくないなら無理に聞かん方がいいと家内が言うからな。聞くに聞けんが」
ちらりと投げられた目線に、俺はわずかに頭を下げた。
「すみません、ーー言えません」
「そうやろうな。じゃなきゃ、ヒカルもよう言わん」
山口会長は苦笑を浮かべて、頭を下げた俺の肩を叩いた。
「色男の気持ちは分からんが、あんたを巻き込んだのは俺やけんな。もし気にかかることがあっても、気に病むな」
ーー俺がいなければ、川田が暴走することも、ヒカルが被害に遭うことも、なかったんじゃないか。
そう心のどこかで思っていたのは事実だった。何も言えないままじっとしている俺の肩を、会長がまた叩く。
「さ、もう一人の色男が待ちよるやろ。そろそろ行ってやれ」
俺は改めて礼をしてから、応接室を後にした。
「悪い、待たせた」
声をかけて助手席に乗り込むと、運転席の阿久津はちらりと目線をこちらに寄越した。
「なあ、マーシー」
エンジンをかけ、ハンドルを握りながら、阿久津が言いづらそうに切り出す。
「あの夜、何があったんだ?」
俺は何も答えず、窓の外に目をやった。
阿久津は諦めたように嘆息して、それ以上何も言わずに会社まで車を走らせた。
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