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第一章 こちふかば
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「おっひさっしぶっりでーす」
ひょこりと顔を覗かせると、マリさんがあらと声をあげた。
「珍しいわね、土日に来るの。出勤だったの?」
「いいえ。先週来なかったなと思って」
言いながらいつも通り、カウンター席に腰掛ける。ゼンさんとマリさんが互いに目配せした。
「はい、いつもの」
飲み物を置いてくれたのはマリさんだった。ゼンさんはそそくさと奥の方にいる他の客と談笑を始める。客が吸った煙草の煙が流れて来るのを無意識に避けつつ、私は置かれたグラスに口をつけた。
「昨日、晃くんが早めに店切り上げて来たのよ。今日は外れって言いながらーー木曜以外に来たの、初めてだったんだけど」
マリさんは声をひそめて言う。その声が弾んでいる。
「あきちゃんと最近会えないって残念がってたよ」
恋バナは女子の好物です、と、数年前、自分が神崎さんに放った言葉を思い出した。私は苦笑を浮かべる。
「あー、そうですか」
グラスの酒を一口飲んで、小首を傾げる。
「すみません、適当につまみもらっても?」
「はぁい」
マリさんはチーズとナッツの盛り合わせを出してくれた。それをつまみながら、浮き立つ風を装ってカウンターの中のマリさんを見上げる。
「そうそう、彼氏できたんですよ、私」
努めて明るく言うと、マリさんはあら、と目を瞬かせた。
「なるほどね、それでちょっと足遠くなってたのね」
「まあ、そんなところ」
私は言いながら、さてどうしたもんかと考えていた。
「じゃあ、そのうち、彼も連れておいでよ。晃くんには残念でしたって言っとくから」
マリさんは無邪気に微笑んでいる。私も無邪気さを装って、そうですねと頷いた。これで直接晃さんに連絡を取らずに済む。ほっとしてまたグラスを傾ける。
そういえば咲也の方はどうだったんだろう。思ってスマホを取り出し、咲也にメッセージを送る。
【首尾は上々?】
咲也からは少ししてから返事が来た。
【おかげさまで。写真撮ってて良かった】
語尾に苦笑いした絵がついている。マジか。そこまで食い下がったか、恋に恋する女子は。
そのメッセージに私も苦笑して、
【お疲れ】
一言返した。
【あきちゃんは?】
グラスを傾けながら返事を書こうと思ったとき、
「あらー、残念」
ゼンさんの声がした。どうもマリさんが事情を話したらしい。
「またうちの店でカップル成立かと思ったのに。あきちゃんも嫌じゃなかったんでしょ、晃くんのこと」
ええまあ。友人としては。
喉元まで出かかったが愛想笑いだけを返す。
ーー残念だなぁ。
咲也に返信しようとしていたスマホ画面の照明を一度落とし、つまみを一つ口に運ぶ。
ーー残念。
居心地がいい店は、無駄な色恋沙汰で居心地のよさを失ってしまった。私は酒とその場の会話を楽しみに来ていただけで、恋人の斡旋までお願いしたつもりはない。
どうせ私は通りすがりの客の一人。来なくなればいずれ忘れ去られるだけの話だ。
来るのは今日で最後だ。
心中で呟きながら、表情はいつもの笑顔を絶やさない。あくまでいつも通りのくだらない話をして、いつも通りのペースでその一杯を飲み干すと、じゃあ、と立ち上がった。
「もう帰っちゃうの?」
ゼンさんが問う。
「昨日もあんまり寝てなくて」
言ってから、しまった、と内心苦笑した。
「やーだぁ、ほやほやカップルはいいわね」
ええまあ、とも、違います、とも言えずに、私は当たり障りのない笑顔でお代を置いた。マリさんからはお釣りが返って来る。
日本にも、チップの文化があればいいのに。
釣銭を受け取りながら、私はふとそう思った。
「ごちそうさまでした」
「またね。次は是非彼氏も連れてきて」
「そうですね、聞いてみます」
罪悪感を覚えない程度の嘘を織り交ぜて答えると、私は軽く手を上げて店を出た。
店の明かりから街灯の照らし出す夜道に風景が移った途端、上辺に浮かべていた表情がかき消える。
細く、長く、息を吐き出した。
「やれやれ」
凝りをほぐすように、首を、右へ、左へ。
家に帰ったらストレッチでもしよう、と思いながら、帰路を歩いた。
ひょこりと顔を覗かせると、マリさんがあらと声をあげた。
「珍しいわね、土日に来るの。出勤だったの?」
「いいえ。先週来なかったなと思って」
言いながらいつも通り、カウンター席に腰掛ける。ゼンさんとマリさんが互いに目配せした。
「はい、いつもの」
飲み物を置いてくれたのはマリさんだった。ゼンさんはそそくさと奥の方にいる他の客と談笑を始める。客が吸った煙草の煙が流れて来るのを無意識に避けつつ、私は置かれたグラスに口をつけた。
「昨日、晃くんが早めに店切り上げて来たのよ。今日は外れって言いながらーー木曜以外に来たの、初めてだったんだけど」
マリさんは声をひそめて言う。その声が弾んでいる。
「あきちゃんと最近会えないって残念がってたよ」
恋バナは女子の好物です、と、数年前、自分が神崎さんに放った言葉を思い出した。私は苦笑を浮かべる。
「あー、そうですか」
グラスの酒を一口飲んで、小首を傾げる。
「すみません、適当につまみもらっても?」
「はぁい」
マリさんはチーズとナッツの盛り合わせを出してくれた。それをつまみながら、浮き立つ風を装ってカウンターの中のマリさんを見上げる。
「そうそう、彼氏できたんですよ、私」
努めて明るく言うと、マリさんはあら、と目を瞬かせた。
「なるほどね、それでちょっと足遠くなってたのね」
「まあ、そんなところ」
私は言いながら、さてどうしたもんかと考えていた。
「じゃあ、そのうち、彼も連れておいでよ。晃くんには残念でしたって言っとくから」
マリさんは無邪気に微笑んでいる。私も無邪気さを装って、そうですねと頷いた。これで直接晃さんに連絡を取らずに済む。ほっとしてまたグラスを傾ける。
そういえば咲也の方はどうだったんだろう。思ってスマホを取り出し、咲也にメッセージを送る。
【首尾は上々?】
咲也からは少ししてから返事が来た。
【おかげさまで。写真撮ってて良かった】
語尾に苦笑いした絵がついている。マジか。そこまで食い下がったか、恋に恋する女子は。
そのメッセージに私も苦笑して、
【お疲れ】
一言返した。
【あきちゃんは?】
グラスを傾けながら返事を書こうと思ったとき、
「あらー、残念」
ゼンさんの声がした。どうもマリさんが事情を話したらしい。
「またうちの店でカップル成立かと思ったのに。あきちゃんも嫌じゃなかったんでしょ、晃くんのこと」
ええまあ。友人としては。
喉元まで出かかったが愛想笑いだけを返す。
ーー残念だなぁ。
咲也に返信しようとしていたスマホ画面の照明を一度落とし、つまみを一つ口に運ぶ。
ーー残念。
居心地がいい店は、無駄な色恋沙汰で居心地のよさを失ってしまった。私は酒とその場の会話を楽しみに来ていただけで、恋人の斡旋までお願いしたつもりはない。
どうせ私は通りすがりの客の一人。来なくなればいずれ忘れ去られるだけの話だ。
来るのは今日で最後だ。
心中で呟きながら、表情はいつもの笑顔を絶やさない。あくまでいつも通りのくだらない話をして、いつも通りのペースでその一杯を飲み干すと、じゃあ、と立ち上がった。
「もう帰っちゃうの?」
ゼンさんが問う。
「昨日もあんまり寝てなくて」
言ってから、しまった、と内心苦笑した。
「やーだぁ、ほやほやカップルはいいわね」
ええまあ、とも、違います、とも言えずに、私は当たり障りのない笑顔でお代を置いた。マリさんからはお釣りが返って来る。
日本にも、チップの文化があればいいのに。
釣銭を受け取りながら、私はふとそう思った。
「ごちそうさまでした」
「またね。次は是非彼氏も連れてきて」
「そうですね、聞いてみます」
罪悪感を覚えない程度の嘘を織り交ぜて答えると、私は軽く手を上げて店を出た。
店の明かりから街灯の照らし出す夜道に風景が移った途端、上辺に浮かべていた表情がかき消える。
細く、長く、息を吐き出した。
「やれやれ」
凝りをほぐすように、首を、右へ、左へ。
家に帰ったらストレッチでもしよう、と思いながら、帰路を歩いた。
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