さくやこの

松丹子

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第二章 ふくらむつぼみ

75 親子の愛情指数

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「書斎の方が落ち着くんやったら、そっち行こか」
「わぁい。ありがとうございます」
 私は喜んでヨーコさんの招きに応じた。
 ヨーコさんの書斎は、本棚、デスクとパソコン、1人掛けのソファと、その横に小さなスツールがある。
 私にソファを勧めたヨーコさんは、いれた紅茶をお盆ごとスツールに乗せて、自分はデスク用の椅子を引き寄せた。
 本棚の一部はインテリアが飾ってあり、座るとちょうど目線の高さに二人のウェディングフォトがあった。四枚飾れる額縁に、和装の二人と洋装の二人、そして両親らしき人と一緒に写ったものと、二人の顔から上が写ったもの。
 安田さんの表情は誇らしげで、数年前だというのに何となく幼く見えた。ヨーコさんはわずかに照れ臭そうな微笑みを浮かべて写っている。とても綺麗だった。
 それをぼんやりと眺めながら、私は知らない内に微笑んでいた。
「あんまり見んといて。恥ずかしいわ」
 ヨーコさんが苦笑する。私は笑った。
「何でですか、素敵ですよ」
「さよか。アキちゃんくらい若ければ様になるやろうけど、年増が無理してるように見えてなぁ」
 ヨーコさんは言いながら自分の写真にちらりと目をやる。
 私はその横顔を見た。
 確かに、その肌は三十の私に比べて張りがないようにも見える。
 けれども、私にとっては憧れるほどに、綺麗だ。
 きっとそれは、見た目だけのことではないんだろう、と私は思った。
「ヨーコさんは、どうして、結婚しようと思ったんですか?」
 思わず質問が口をついて出た直後、わずかに後悔した。自分から地雷を踏みに行ってどうする。そう思ったのだが、ヨーコさんは目を数度まばたかせた後、ふわりと微笑んだ。
「元々は結婚する気なんてあらへんよ」
 ヨーコさんは言いながら、わずかに視線を落とす。何かを思い出すような目で続けた。
「うちの母はなぁ。理想のお嬢さん、を育てようと躍起になって、うち自身を見てくれへん人やった」
 理想のお嬢さん。私が黙っていると、
「お茶、お花、日舞、書道、ピアノーー」
 指折り数えたのは幼少期の習い事。
「で、いい大学にまで行かせて」
 ヨーコさんは関西随一の国立大学出身だ。
「立派な男を連れて来させようとしたんやろな。でもうちが引っ掛けるのはたちの悪い男ばかりやし、うちも結婚なんか考えられへんまま、親元を離れたくて都内に就職」
 ヨーコさんの過去が、わずかに自分の生き方と重なる。母を切り捨てて自分の生き方を選ぼうとした娘。
「自分の理想とうちの生き方が違いすぎて、もう理解できへんかったんやろな。どんどん関係は険悪になって、うちもさらに頑なになった。親の理想通りになんてならへん、てな」
 ヨーコさんは私の顔を見て微笑む。その微笑みはやっぱり美しかった。
「ジョーは、ああいう男やろ」
 ヨーコさんの視線は、次いで飾ってあるウェディングフォトに向いた。
「うちなんか遊びやろうと思うててーーまあ、あの子のことやから、最初から本気だったとも思うてへんねんけどな」
 まあでも、しつこかったわ、とヨーコさんは笑った。
「三年、付き纏われたら、もう諦めもつくやろ、人間」
 私もつられて笑う。ヨーコさんに付き纏い続ける安田さんを思い浮かべたからだ。
「でも、嫌じゃなかったんですね。纏わり付かれて」
「最初は嫌やったで」
 ヨーコさんは言いながら、お茶を口に含む。
 柔らかそうな唇に白いコップが押し付けられる様を、私はぼんやり眺めた。
「まあでも、ほだされたんやろうな。ついつい」
 分かる気はした。いつでも明るくてマイペースな安田さん。思い出す顔はいつも笑顔だーー本心からの笑顔。
「ワンコやからなぁ」
 ヨーコさんがぼやいた。
「ジョーは、世の中の全てが、自分を受け止めてくれると、本気で思てる。無自覚やろうけどな。それが、苦手やった」
 分かる気がして私も笑う。
「でも、隣にいることを選んでからは、それがうちの救いになったーー人間て都合のいいもんやな」
 私はそうですねと頷き、写真の一枚に目を移す。
 両家の親との集合写真だ。不仲と言ったが、ヨーコさんのご両親らしい夫婦も写っている。
「ご両親、嬉しそうですね」
 緊張してはいるが、その表情は嬉しげだ。
「そう見えるか」
 ヨーコさんは目を細めた。
「ほんとは呼ぶ気なかったんやで。あの写真」
「そうなんですか?」
「言ったやろ。あんまり親子仲がいい訳やないさかい」
 ヨーコさんはコップを机に置いた。コップに添えた指先は綺麗に揃えられていて、やっぱり育ちのよさを感じる。
「でも、ジョーといろいろ決めてるときに、書留が届いてな」
「書留?」
 ヨーコさんは私の顔を見ながら頷き、笑う。
「通帳やで、通帳。うちが産まれてから、ジョーと結婚するて言うまで、うち名義で貯金してはったんや」
 ヨーコさんはまた写真に視線を戻した。
「阿呆やなて思うたわ。一言、愛してるて言えばーーいや、一瞬でも、抱きしめてくれれば、うちはそれだけでええのに、て」
 私もまた写真に映るヨーコさんのご両親を見た。
「届いた通帳に愛情感じるやなんて、馬鹿みたいやろ」
 ヨーコさんの呟きを聞いて、私は思った。
 きっと、私だったら、その通帳に愛情を感じることはなかっただろう。
 ただの手切れ金として、清々した気持ちで受け取って、写真に呼ぶこともなかったに違いない。
 それを愛情だと思えるだけ、ヨーコさんは親の愛を、どこかで感じていたんだろう。
 でも、それをひがむ気にはなれなかった。馬鹿にする気にもなれなかった。
 むしろ、ちょっとだけほっとした。ヨーコさんは、ちゃんとした人だ、と思えたから。
 ちゃんとした、というのが、具体的な言葉にできなくて、ちょっともどかしいけれどーー
 私の好きなヨーコさんは、やっぱりヨーコさんだった。
 そんな馬鹿げた納得に、ついつい口元が緩む。
「そうでもないです」
 私は言った。ヨーコさんが横目で私を見やる。
「ヨーコさんは、ご両親想いで、素直で優しい娘さんなんだなって、よく分かりました」
 ヨーコさんはまた目を弓なりに細めて微笑んだ。私はヨーコさんがいれてくれた紅茶を口に含む。わずかな苦みと温もりの中に、ほんのり甘さを感じた。
 ヨーコさんの紅茶は、本当に美味しい。
「ヨーコさん」
「何や?」
「今度、紅茶入れ方、教えてください」
 ヨーコさんは軽やかに笑った。
「ええよ」
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