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第二章 ふくらむつぼみ
72 最初で最後の人
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気付けばカレンダーは最後のページを残すのみになり、世の中はすっかりクリスマスムードだ。
財務部の仕事は、十二月も忙しくなる。繁忙期の足音に辟易している私をさらに辟易させるのが、この世間のクリスマスへの盛り上がりようだ。
きらきらと輝くイルミネーションや、クリスマスならではの広告にうんざりした私は、帰るや否やぶつぶつと文句を言い始めた。
「ったくさぁ。クリスマスなんて明らかに商業戦略じゃない。乗せようとしてる人たちに乗せられる人の気持ちがわかんない。盛り上げようとしてるの分かったら、冷めたりしないわけ?」
咲也はそんな私の言葉も、にこにこしながら聞いてくれる。
いつもそうなので、ストレスがたまらないのかと一度聞いたことがあるが、あきちゃんの愚痴は平和だよ、と一蹴されて二の句が接げなかった。
「みんな、もっと素直で単純なんじゃないの」
咲也に言われて唇を尖らせる。
「どーせ、私はひねくれ者ですよ。神崎さんの魅力も感じないくらいに」
咲也は笑った。
「うん、まあ、それはすごいと思う」
「そうでしょ。みんなが陥るトラップに陥らない自分が誇らしいわ」
わざとらしく胸を張ると、咲也も手を叩いて、よっ、孤高の女、とか言ってくる。私は笑った。
「いいね、孤高の女」
「いいの?」
「うん」
二人で笑いながら配膳を整える。仕事で遅くなる私を待っていてくれた咲也が準備してくれたのは鍋だ。
「はー。冷え込んで来ると、鍋の美味しさが身にしみるね」
私がその汁をわずかに口に含んでしみじみ言うと、咲也がいたずらっぽい目で私を見た。
「独り寝の寂しさが身にしみたりは?」
「何それ。しない、しない」
私はためらうことなく手を振った。咲也がまた笑う。
「俺はしみるけどなぁ」
私は口に運びかけた箸を止め、咲也の表情を見た。
それを口に入れ、咀嚼してから、口を開く。
「ええと。私、出ていこうか?」
「何でそうなるの」
「だって、私がいたら男連れ込めないでしょ」
言うと、咲也は笑った。
「そんなことしないよ。今までだってしたことない」
確かに、咲也はずっと実家暮らしだったのだ。であれば自宅に連れ込むこともなかったろう、と納得する。
「……てことは」
私は神妙な顔で咲也を見た。
「試してみる?」
「ううん、やめとく」
さらっと返されて、私はちょっとだけ唇を尖らせた。これでも一応、小さな決意を固めたのに。
「ごめんごめん。冗談だよ」
言って、咲也は箸を動かした。
「冬はね、思い出すんだ」
私が目を上げると、
「言ったでしょ。初恋の人」
穏やかな微笑みと共に答えて、続ける。
「出会ったのも、別れたのも、冬だったから」
遠い目をして咲也は言った。その目が向く先はカレンダーの写真ーーイギリス、バッキンガム宮殿。
「話しても?」
咲也に静かに問われて、私はどうぞと言いながら座り直した。
咲也は遠い目をしながら、ゆっくり話し始めた。
咲也が初めてその人に出会ったのは、二十歳のときだった。
自分は男が好きであることに気づきながら、カミングアウトする勇気もない。そうして悶々と日々を過ごしていた咲也は、二十歳になったことを期に、いわゆる出会いの場を探し始めた。インターネット、ゲイバー、オフ会……
しかし、実際その場に行くと勇気が出せず、店の中に入らず帰ってくるーーそんな日が続いていたが、冬の寒さが後押しして、初めて店に入ったそうだ。
そこで、一人の男に声をかけられた。
勧められるまま酒を飲み、足元が覚束なくなった咲也を、男は当然のように連れて行こうとした。
「そこで、助けてくれたのが彼だった」
咲也が店に入って来たときから、様子を見ていたらしい。最初に声をかけた男も、慣れない若者と見て、いいようにしようと思ったのだろう。
「彼が助けてくれなかったら、ほんといいようにされただろうね。何も分からなかったしーー相手もさ、こんなとこ来るんだから、当然それが目的だろう、って主張できるし」
咲也は懐かしそうに言いながら、ご飯を一口、口にした。
「そのとき、俺、飲み過ぎてもう前後不覚で、とても帰れそうになかったから、彼の家まで連れていってくれたーーもちろん何もされなかったけど」
されてもよかったんだけどさ、と咲也は笑う。私も笑った。こんなに嬉しそうに過去を話す咲也は初めて見たから。
「それから、彼の紹介で何人か、仲間に会ってーーその中の何人かと、つき合った。彼にはもう、特定のパートナーがいてね。その人もいい人だったよ。イギリス人だって言ってたし、たどたどしい日本語だったけど」
だから、彼のことを好きになっても仕方ないと分かってたんだ。分かってたんだけど、やっぱり好きで、ずっとつるんでたーー
「前職を辞めた後、一度だけ彼と会った。イギリスへ戻ったパートナーを追って、イギリスへ発つと言っていて」
咲也の顔から、一瞬だけ、感情が失われた。
「今、彼を失ってしまったら、俺は生きていられないと思った」
私は咲也の表情をうかがった。失った感情の先に何かが見えるような気がして。
「彼に泣き縋ってーー一度だけ抱いてもらった」
咲也は笑った。その笑顔は無理に作った痛々しいものだった。
「ひどい奴だよね、俺」
私は何も言わず、手を止めて咲也の顔を見ている。
「イギリスでは、彼のパートナーが待っているのに。抱いてくれないんだったら、殺して行ってくれ、って迫ったんだ」
すごい二択じゃない?と咲也はまた乾いた笑いを浮かべる。私は黙ったまま、咲也の顔を見ていた。
「でも、それですっきりしたんだ。もう彼の人生の邪魔はしない。俺は俺で、ちゃんと生きていかなきゃって」
言ってから、首を傾げる。
「ちゃんと生きるーーって、よく分からないけど。とりあえず、仕事して、母とも離れて、そうして一人で暮らしはじめて、少しずつ心から笑えるようにもなってきてーーあきちゃんに出会った」
咲也は言って、にこりといつもの笑顔を浮かべた。私も笑顔を返して頷く。
「そっか」
それ以上の言葉が出て来ず、私が呟くように言うと、うん、と咲也が答える。
「俺、今、ちゃんと生きてるかな」
「少なくとも、その彼の邪魔はしてないよ」
ついでに言えばーー私の支えになっている。
そう、言いたい気もしたけど、彼の思い出話に水を差す気もしてやめた。
それから、二人で黙って鍋を食べたけれど、その沈黙は決して重いものではなかった。
財務部の仕事は、十二月も忙しくなる。繁忙期の足音に辟易している私をさらに辟易させるのが、この世間のクリスマスへの盛り上がりようだ。
きらきらと輝くイルミネーションや、クリスマスならではの広告にうんざりした私は、帰るや否やぶつぶつと文句を言い始めた。
「ったくさぁ。クリスマスなんて明らかに商業戦略じゃない。乗せようとしてる人たちに乗せられる人の気持ちがわかんない。盛り上げようとしてるの分かったら、冷めたりしないわけ?」
咲也はそんな私の言葉も、にこにこしながら聞いてくれる。
いつもそうなので、ストレスがたまらないのかと一度聞いたことがあるが、あきちゃんの愚痴は平和だよ、と一蹴されて二の句が接げなかった。
「みんな、もっと素直で単純なんじゃないの」
咲也に言われて唇を尖らせる。
「どーせ、私はひねくれ者ですよ。神崎さんの魅力も感じないくらいに」
咲也は笑った。
「うん、まあ、それはすごいと思う」
「そうでしょ。みんなが陥るトラップに陥らない自分が誇らしいわ」
わざとらしく胸を張ると、咲也も手を叩いて、よっ、孤高の女、とか言ってくる。私は笑った。
「いいね、孤高の女」
「いいの?」
「うん」
二人で笑いながら配膳を整える。仕事で遅くなる私を待っていてくれた咲也が準備してくれたのは鍋だ。
「はー。冷え込んで来ると、鍋の美味しさが身にしみるね」
私がその汁をわずかに口に含んでしみじみ言うと、咲也がいたずらっぽい目で私を見た。
「独り寝の寂しさが身にしみたりは?」
「何それ。しない、しない」
私はためらうことなく手を振った。咲也がまた笑う。
「俺はしみるけどなぁ」
私は口に運びかけた箸を止め、咲也の表情を見た。
それを口に入れ、咀嚼してから、口を開く。
「ええと。私、出ていこうか?」
「何でそうなるの」
「だって、私がいたら男連れ込めないでしょ」
言うと、咲也は笑った。
「そんなことしないよ。今までだってしたことない」
確かに、咲也はずっと実家暮らしだったのだ。であれば自宅に連れ込むこともなかったろう、と納得する。
「……てことは」
私は神妙な顔で咲也を見た。
「試してみる?」
「ううん、やめとく」
さらっと返されて、私はちょっとだけ唇を尖らせた。これでも一応、小さな決意を固めたのに。
「ごめんごめん。冗談だよ」
言って、咲也は箸を動かした。
「冬はね、思い出すんだ」
私が目を上げると、
「言ったでしょ。初恋の人」
穏やかな微笑みと共に答えて、続ける。
「出会ったのも、別れたのも、冬だったから」
遠い目をして咲也は言った。その目が向く先はカレンダーの写真ーーイギリス、バッキンガム宮殿。
「話しても?」
咲也に静かに問われて、私はどうぞと言いながら座り直した。
咲也は遠い目をしながら、ゆっくり話し始めた。
咲也が初めてその人に出会ったのは、二十歳のときだった。
自分は男が好きであることに気づきながら、カミングアウトする勇気もない。そうして悶々と日々を過ごしていた咲也は、二十歳になったことを期に、いわゆる出会いの場を探し始めた。インターネット、ゲイバー、オフ会……
しかし、実際その場に行くと勇気が出せず、店の中に入らず帰ってくるーーそんな日が続いていたが、冬の寒さが後押しして、初めて店に入ったそうだ。
そこで、一人の男に声をかけられた。
勧められるまま酒を飲み、足元が覚束なくなった咲也を、男は当然のように連れて行こうとした。
「そこで、助けてくれたのが彼だった」
咲也が店に入って来たときから、様子を見ていたらしい。最初に声をかけた男も、慣れない若者と見て、いいようにしようと思ったのだろう。
「彼が助けてくれなかったら、ほんといいようにされただろうね。何も分からなかったしーー相手もさ、こんなとこ来るんだから、当然それが目的だろう、って主張できるし」
咲也は懐かしそうに言いながら、ご飯を一口、口にした。
「そのとき、俺、飲み過ぎてもう前後不覚で、とても帰れそうになかったから、彼の家まで連れていってくれたーーもちろん何もされなかったけど」
されてもよかったんだけどさ、と咲也は笑う。私も笑った。こんなに嬉しそうに過去を話す咲也は初めて見たから。
「それから、彼の紹介で何人か、仲間に会ってーーその中の何人かと、つき合った。彼にはもう、特定のパートナーがいてね。その人もいい人だったよ。イギリス人だって言ってたし、たどたどしい日本語だったけど」
だから、彼のことを好きになっても仕方ないと分かってたんだ。分かってたんだけど、やっぱり好きで、ずっとつるんでたーー
「前職を辞めた後、一度だけ彼と会った。イギリスへ戻ったパートナーを追って、イギリスへ発つと言っていて」
咲也の顔から、一瞬だけ、感情が失われた。
「今、彼を失ってしまったら、俺は生きていられないと思った」
私は咲也の表情をうかがった。失った感情の先に何かが見えるような気がして。
「彼に泣き縋ってーー一度だけ抱いてもらった」
咲也は笑った。その笑顔は無理に作った痛々しいものだった。
「ひどい奴だよね、俺」
私は何も言わず、手を止めて咲也の顔を見ている。
「イギリスでは、彼のパートナーが待っているのに。抱いてくれないんだったら、殺して行ってくれ、って迫ったんだ」
すごい二択じゃない?と咲也はまた乾いた笑いを浮かべる。私は黙ったまま、咲也の顔を見ていた。
「でも、それですっきりしたんだ。もう彼の人生の邪魔はしない。俺は俺で、ちゃんと生きていかなきゃって」
言ってから、首を傾げる。
「ちゃんと生きるーーって、よく分からないけど。とりあえず、仕事して、母とも離れて、そうして一人で暮らしはじめて、少しずつ心から笑えるようにもなってきてーーあきちゃんに出会った」
咲也は言って、にこりといつもの笑顔を浮かべた。私も笑顔を返して頷く。
「そっか」
それ以上の言葉が出て来ず、私が呟くように言うと、うん、と咲也が答える。
「俺、今、ちゃんと生きてるかな」
「少なくとも、その彼の邪魔はしてないよ」
ついでに言えばーー私の支えになっている。
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