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第一部
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中学に入るまで、私は東京で生活していた。
お父さんと、お母さんと、そして私の三人暮らし。都内の3LDKのマンション。
私はバイオリンと水泳を習っていて、小学校が終わると、日替わりで塾かバイオリンか水泳の教室に通う生活だった。
そんなとき、お父さんの会社の経営が悪化した。
リストラが始まったかと思いきや、課長だったお父さんにも、誰を辞めさせるか決めろと指示があったらしい。
そこで、お父さんは自ら会社を辞めた。
お母さんは止めなかった。お母さんもフルタイムで仕事をしていたから、生活が急に立ち行かなくなることはないと思ったのだろう。
でも、お父さんは辞めただけじゃなく、地元の福岡に帰る、と言い始めた。
お父さんの実家であるおじいちゃんは、福岡の名産品の工場を営んでいる。
いつかその会社を継ぐことを、お父さんは昔から決めていたらしい。
私も大きくなった今がいい機会だと思ったようだ。
お母さんは反対した。だって、お父さんについて行こうとすれば、お母さんは仕事を辞めなきゃいけなくなる。
子育てもようやく落ち着いてきて、仕事に力を注げると思った矢先だったのだ。
話し合いは平行線で、なかなかまとまらなかった。私はだんだん険悪になる二人を見ていて、嫌になってきた。
「お母さん」
ある日、私はお母さんに言った。
「もし、お父さんが向こうに行くなら、僕もお父さんと行くよ」
お母さんは驚いて私を見た。
「そしたら、お母さんも安心でしょ?」
お母さんはしばらく目を見開いたまま、私をじっと見つめた。
私は思わず、うつむいた。
「……そうね。あなたはしっかりしてるものね」
お母さんは静かに言って、私の身体を抱きしめた。
「ごめんね。お母さん……いいお母さんでいられなくて、ごめんね」
私は首を振った。お母さんは、私にとってたった一人のお母さんだ。いいお母さんかどうかなんて、どうでもよかった。私はお母さんが好きだったし、大切だったし、そして同じくらい、お父さんも大切だった。
「お母さん、お仕事がんばって。僕、福岡から応援してる」
お母さんは泣きそうになりながら微笑んだ。
それが無理に浮かべた微笑だということを、私は子ども心に、分かっていた。
自分のことを僕、と言うようになったのはいつだったのだろう。
よく覚えていない。
でも、毎日帰りの遅いお父さんの代わりに、お母さんを守りたいと思ったからだった気がする。
そして同時に、お父さんと一緒に、たくさん外で遊びたいからだった気もする。
お父さんは学生時代、バスケ部に所属していたらしい。
よく、選手時代の話を自慢げに話していた。
県大会に出ただの何だの、言ってはいるけど、じゃあやってみてとボールを持たせても、イマイチもたついて信憑性がない。
お父さんは仕事が忙しくて、遊びに行く約束も、よく接待のゴルフで潰れた。
お母さんは、できない約束はするなと言ったけど、お父さんは度々同じようなことを繰り返した。
そのうち、大人なんてそんなもんなんだな、なんて思うようになった。
子どもらしからぬ諦観を持った私は、可愛いげのある子ではなかっただろう。
ついでに言えば、バイオリンを習い始めたのは、私の希望ではない。
楽譜を読めると何かと得だからという理由で、お母さんが勧めたのだ。
選択肢にはピアノも入っていて、お母さんはそちらを習わせたがっていた様子だったけど、だからこそ私はバイオリンを選んだ。
好きだったからじゃない。お母さんがいずれ「もういいよ」と言うのを期待したのだ。
それでも、週に一度の稽古は、小学校一年生から六年生まで毎週続いた。
私が福岡に行くときまで。
お父さんとお母さんが、離婚、をしたのかどうか、私は知らない。
でも、私がいるから互いに連絡は取り合っていて、お母さんもときどき私に会いに来る。
だから、嫌い合って別れた訳ではないのだろうと思う。
それとなしにお母さんに聞いてみたときには、苦笑と共に返ってきた。
「お父さんとお母さんは、どうでもいいのよ。問題は、おじいちゃんたちが、どう思うかなの」
言われても、子どもの私にはよく分からなかった。
だから、首を傾げながら、神妙な顔つきでふぅんと相槌を打った。
それ以上は聞かなかった。離婚したと、はっきり聞くのはさすがに怖かったから。
お父さんと、お母さんと、そして私の三人暮らし。都内の3LDKのマンション。
私はバイオリンと水泳を習っていて、小学校が終わると、日替わりで塾かバイオリンか水泳の教室に通う生活だった。
そんなとき、お父さんの会社の経営が悪化した。
リストラが始まったかと思いきや、課長だったお父さんにも、誰を辞めさせるか決めろと指示があったらしい。
そこで、お父さんは自ら会社を辞めた。
お母さんは止めなかった。お母さんもフルタイムで仕事をしていたから、生活が急に立ち行かなくなることはないと思ったのだろう。
でも、お父さんは辞めただけじゃなく、地元の福岡に帰る、と言い始めた。
お父さんの実家であるおじいちゃんは、福岡の名産品の工場を営んでいる。
いつかその会社を継ぐことを、お父さんは昔から決めていたらしい。
私も大きくなった今がいい機会だと思ったようだ。
お母さんは反対した。だって、お父さんについて行こうとすれば、お母さんは仕事を辞めなきゃいけなくなる。
子育てもようやく落ち着いてきて、仕事に力を注げると思った矢先だったのだ。
話し合いは平行線で、なかなかまとまらなかった。私はだんだん険悪になる二人を見ていて、嫌になってきた。
「お母さん」
ある日、私はお母さんに言った。
「もし、お父さんが向こうに行くなら、僕もお父さんと行くよ」
お母さんは驚いて私を見た。
「そしたら、お母さんも安心でしょ?」
お母さんはしばらく目を見開いたまま、私をじっと見つめた。
私は思わず、うつむいた。
「……そうね。あなたはしっかりしてるものね」
お母さんは静かに言って、私の身体を抱きしめた。
「ごめんね。お母さん……いいお母さんでいられなくて、ごめんね」
私は首を振った。お母さんは、私にとってたった一人のお母さんだ。いいお母さんかどうかなんて、どうでもよかった。私はお母さんが好きだったし、大切だったし、そして同じくらい、お父さんも大切だった。
「お母さん、お仕事がんばって。僕、福岡から応援してる」
お母さんは泣きそうになりながら微笑んだ。
それが無理に浮かべた微笑だということを、私は子ども心に、分かっていた。
自分のことを僕、と言うようになったのはいつだったのだろう。
よく覚えていない。
でも、毎日帰りの遅いお父さんの代わりに、お母さんを守りたいと思ったからだった気がする。
そして同時に、お父さんと一緒に、たくさん外で遊びたいからだった気もする。
お父さんは学生時代、バスケ部に所属していたらしい。
よく、選手時代の話を自慢げに話していた。
県大会に出ただの何だの、言ってはいるけど、じゃあやってみてとボールを持たせても、イマイチもたついて信憑性がない。
お父さんは仕事が忙しくて、遊びに行く約束も、よく接待のゴルフで潰れた。
お母さんは、できない約束はするなと言ったけど、お父さんは度々同じようなことを繰り返した。
そのうち、大人なんてそんなもんなんだな、なんて思うようになった。
子どもらしからぬ諦観を持った私は、可愛いげのある子ではなかっただろう。
ついでに言えば、バイオリンを習い始めたのは、私の希望ではない。
楽譜を読めると何かと得だからという理由で、お母さんが勧めたのだ。
選択肢にはピアノも入っていて、お母さんはそちらを習わせたがっていた様子だったけど、だからこそ私はバイオリンを選んだ。
好きだったからじゃない。お母さんがいずれ「もういいよ」と言うのを期待したのだ。
それでも、週に一度の稽古は、小学校一年生から六年生まで毎週続いた。
私が福岡に行くときまで。
お父さんとお母さんが、離婚、をしたのかどうか、私は知らない。
でも、私がいるから互いに連絡は取り合っていて、お母さんもときどき私に会いに来る。
だから、嫌い合って別れた訳ではないのだろうと思う。
それとなしにお母さんに聞いてみたときには、苦笑と共に返ってきた。
「お父さんとお母さんは、どうでもいいのよ。問題は、おじいちゃんたちが、どう思うかなの」
言われても、子どもの私にはよく分からなかった。
だから、首を傾げながら、神妙な顔つきでふぅんと相槌を打った。
それ以上は聞かなかった。離婚したと、はっきり聞くのはさすがに怖かったから。
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