初恋旅行に出かけます

松丹子

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第三部

04

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 山ちゃんとは新宿でウィンドウショッピングして、プチプラ量販店で紺色のポロシャツを買った。衿と胸元に白と赤のラインが入ったそれはなかなかしゃれていて、背の高い山ちゃんによく似合っていた。
「……ぐっちゃんも、買ってやる」
「え、いいよー。お金ないって言ってたじゃん」
「大丈夫、これくらいならある」
 山ちゃんは言って、色違いのポロシャツを手にした。白地に赤と紺のラインが入っている。
「なに、ペアルックしたいの?」
 冗談のつもりで言ったのに、山ちゃんは真っ赤になって押し黙った。その反応に私も照れてうつむく。
「じ、じゃあ、お願いする」
 言うと、おう、と答えが返ってきた。しばらくその場で待っていると、袋を手にした山ちゃんが戻って来る。
 ん、と袋を差し出されて受けとると、真っ赤な顔で歩いていく山ちゃんを追った。
「……ぐっちゃん」
「なに?」
 山ちゃんの隣に追いつくと、手を繋いでいいものかと迷いながら歩いていく。
「次、いつ会えるやろうか」
 ぽつりと呟いたその顔は、むすっとしたまま前を見ていた。
 私は一瞬感じた切なさを振り払うように明るく笑う。
「なぁに言ってるの。まだ六時にもなってないよ。あと四時間もあるよ」
「そんなにない」
 山ちゃんはぶすっとしていた。私は首を傾げる。
「なんで?」
「家まで、送っていく。ぐっちゃんは何となく危なっかしいけん」
 そんなことを言われたのは初めてで、思わず照れた。
「あ、危なっかしくなんてないもん」
 言うと、山ちゃんは少し眉を寄せる。かと思うと、ふいっとそっぽを向いた。
「……俺が心配なんよ」
 その耳の赤さに、くすぐったさを感じて微笑む。
 そろりと手を伸ばして彼の手を握ると、少しだけ視線をこちらに投げた山ちゃんが握り返してくれた。
 そっとその肩に頭を寄せてみる。
 山ちゃんはぴくりと肩に力を入れた。
「……ありがと。心配してくれて」
 うつむきがちに言うと、うん、と短い返事があった。
 心臓はどきどき言っているのに、心はすごく落ち着いていた。不思議な感覚に、くすくす笑う。
「……どしたん?」
 私の顔が近くにあるから、山ちゃんの声は囁くようなボリュームになった。
 その声に、男らしさを感じて目を上げる。
 頬は赤いけど、まっすぐに私の目を見る彼の顔が、思った以上に近くにあった。
 視線が絡まり、照れ臭さにどちらからともなく笑う。
「……変な感じ」
「何が?」
「不思議な感じ」
「だから、何のこと」
 私は山ちゃんの手を両手で包んだ。
「山ちゃんが東京にいる」
「うん。……それが?」
「私の隣にいる」
 山ちゃんはじっと私を見ていた。
「……それが、不思議な感じ。嬉しい」
 笑うと、山ちゃんが困った顔をした。
 私は首を傾げる。
「どうしたの?」
「いや……なんか……」
 山ちゃんは首後ろに手を置いて、ため息をついた。
「ぐっちゃん、そういうキャラやったっけ」
 私はまばたきをした。首を傾げて笑う。
「意外と甘えん坊?」
「そうかも……」
 山ちゃんの目は落ち着きなく、あたりをさまよう。
「……他のやつの前では、せんようにな」
「何を?」
「その……甘えん坊モード」
 私は思わず噴き出した。
「残念。しちゃってる」
 山ちゃんが渋面になる。
「その、初恋の人?」
「うん」
「……なら、その人と、俺の前以外は、駄目よ」
「え、いいの? 神崎さんの前では」
 山ちゃんは複雑な表情で唇を尖らせた。
「嬉しくはないけど、仕方ないっちゃろ」
 握った手の力を強めて、山ちゃんは言う。
「ぐっちゃんにとって大事な人なんやったら、その人への気持ちも含めてぐっちゃんやろ。俺が無理に引きはがすのは変な話やん」
 山ちゃんの言葉がすとんと胸に落ちてきた。
 この人は、私を私から奪おうとしない。
 分かっていたはずのことを改めて感じて、嬉しくなる。
「山ちゃん」
「何」
「好きだよ」
 山ちゃんははっとして私を見た。
 私は照れ臭さに笑いながら、その顔を見返す。
「山ちゃんのそういう優しいところ」
 照れ臭くても、伝えたかった。
 私が感じた安堵の気持ちを。感謝の気持ちを。
 ちゃんと彼に伝えなきゃと思った。
「お、おうよ」
 山ちゃんは照れて赤くなりながら、またふいっと前を向いた。

 山ちゃんは本当に、私の家の前まで送ってくれた。
 時計は九時を少し過ぎた頃で、外はもう暗かった。
 街灯の明かりが照らし出すアスファルトの道を手を繋いで歩きながら、どちらからともなく無言になった。
 あともう少しでバイバイなんだ。
 切なくて、寂しくて、うつむきがちになる。
 顔を上げると、もう家が見えた。
「あそこ」
 お母さんと住んでいる家は、オートロックのマンションの一室だ。
 立ち止まって指差すと、山ちゃんは頷いた。
 そして、二人してじっと立ちすくむ。
 どちらかが別れを切り出すのを待つように。
 なかなか動かない山ちゃんの手を、私は両手で包んだ。
「ありがとう、今日。楽しかった」
 自分より大きくて無骨なその手を見つめながら、言葉を紡ぐ。
「……次は、私が行くよ、大阪。案内してくれる?」
「うん。……どこに行きたい?」
「山ちゃんが通ってるキャンパス」
 山ちゃんの顔を見ると、彼も笑っていた。
「何もおもしろくないやん」
「おもしろくなくていいよ」
 私は笑う。
「山ちゃんのいつもの場所に、今度は私が行くの。それだけで充分楽しい」
「そうかぁ?」
 二人でくすくす笑って、ゆっくりと手を離す。
「気をつけて帰ってね」
「うん……」
 山ちゃんは頷いたが、そわそわと落ち着かない。
 私は首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや……その」
 告白したとき以上に、山ちゃんは緊張していた。彼の顔を覗き込むと、街灯の明かりでもわかるほど顔が赤くなっている。
「……あの、ぐっちゃん」
「何?」
「き……キス、してもいい?」
 私はまばたきを数度した。山ちゃんは私の顔を見られないらしい。まだそわそわと視線をさまよわせている。
「……今日、両想いになったばっかりだよ」
「そうやけど……そうやけど、次、いつ会えるか分からんし」
「私が行くの、待てないの?」
「待て……るけど……待つけど……でも、いつ来るか分からんやろ」
 確かにいつになるかは分からない。長期休暇には講習があることもあるし、九州に行くかもしれないし、お母さんと旅行に行く可能性もある。
 そう気づいて、私も黙った。黙った私を、気遣わしげに山ちゃんが見つめる。
「……一瞬なら」
「え?」
「ん」
 私は目を閉じた。胸がどきどき言っている。
「はやくして。お母さん帰って来ちゃう」
「う、うん……」
 目を閉じたまま言うと、山ちゃんがまたそわそわする気配がした。
 しんと静かになったとき、ごくごくわずかに、唇に何かが触れる。
 柔らかくて温かい何かは、ちょん、と触れただけで離れた。
 目を開くと、山ちゃんは半分引け腰になっている。
「……なんで逃げようとしてるの?」
「いや、逃げようとは、しとらんけど」
 山ちゃんはやっぱり落ち着かない。私は笑った。
「そんなに緊張するなら、やめとけばよかったのに」
「ち、違、緊張なんかしとらん、ただちょっと、その……」
 二人で言い合っていると、
「ヒカル?」
 聞き慣れた声にぴくりと肩が震えた。
 ちょうど角を曲がってきたところに、仕事帰りのお母さんが立っている。
「あら、ずいぶん遅かったのね。……お友達?」
 ちらりと目を上げて山ちゃんを見ると、山ちゃんは大慌てで直立不動の姿勢を取った。
「あ、あの。高校の同級生で、山内と言います。ヒカルさんを送り届けたので、帰ります。失礼しますっ」
 一気に言うと、ぺこりと一礼し、私の顔を見もしないで走り出した。
「お、おやすみ!」
 私がその背中に声をかけると、一瞬だけ振り向いた。軽く手を上げて、お母さんにまた頭を下げて、走っていく。
 その手には小さな袋がゆれていた。
 私が買ってあげたポロシャツが入ったそれと同じ袋が私の手元にもあることに気づき、お母さんがにやりとする。
「そっかー。ヒカルもそういうお年頃になったかぁ」
「ち、違うもん。そんなんじゃ……」
 ない、と言い切れずに唇を引き結んだ。ほとんど触れるか触れないかだったけれど、キスまでしてしまった、と気づく。
 山ちゃんが可愛かったから、ついほだされた。
 こんな軽々しいことじゃいけない。私は袋を手にしたまま。ちょっとだけ拳を握った。
 二人で家に向かう間、お母さんは私の赤い頬を茶化して笑った。私は唇を尖らせながら、まだ高鳴っている動悸に気づかれないよう、そっぽを向いた。
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