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本編
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翌朝、紗也加は喉の乾きで目が冷めた。時計を見ると早番の日と変わらない時間だ。休日なのにもったいない気がしながら、水を飲みにキッチンに向かった。
ダイニングテーブルには、トーストにかじりつく優一の姿がある。
「おはよ」
「おはよ。遊び人」
「どっちが」
兄の言葉に半眼を返し、コップに水を注ぐ。
起きぬけそのままで来たので、結んでいない髪が肩周りにふわふわと広がっていた。乱雑にかき上げてコップの水を飲み干す。
「翔に会った?」
「……会ったよ」
「あ、そ。ならよかった」
兄が言って、トーストの最後の一口を頬張った。手を合わせて「ごちそうさま」と立ち上がる。
「翔くん、どうかしたの?」
紗也加に朝食はいるか聞いた母が、優一の言葉に首を傾げた。優一は軽く首を振る。
「別に、何でも。あ、でも紗也加がやるなら、二次会の幹事やってもいいって言ってた」
「何、それ。なんとなく上から目線」
「お前もな」
優一は紗也加に笑う。紗也加はむすっとして、部屋へ戻ろうと歩き出した。
「あ、そーだ。紗也加。年末年始、仕事?」
「えー。まあ、うん。稼ぎ時だからね」
「あー、そうか……残念」
心底残念そうに言われて、紗也加は立ち止まった。
優一がそれに気づいて苦笑する。
「いや、翔と二人で宅飲みしようかって言ってたんだけどさ。翔んちのご両親、今年は田舎に帰省するらしくて。翔は留守番だって……ほら、あいつ犬飼ってるから」
「ああ、ラブちゃん」
翔の家にいるゴールデンレトリバーだ。
高校生になるや否や、「翔が構ってくれない」とすねた父親がいきなり買ってきたという。ネーミングも翔の両親がしたものだが、ラブラドールレトリバーを買うつもりでいて、購入前に決めていたらしい。翔の両親には紗也加も数度会ったことがあるが、なかなかお茶目なところがあった。
「でも、ラブちゃん何歳なんだろう。もう、相当おばあちゃんでしょう」
「15年くらいになるもんな。そうだと思うよ。散歩も家の周りぐるっとするだけだって言ってたし」
「そっかぁ。……元気だったときの印象しかないや」
紗也加は動物が好きだ。一度、散歩を手伝いたいと言って優一と共につきそった。やたらと気に入られた優一が散々追いかけられ、なめ回されていたのを覚えている。
「ま、もしよければ来いよ。宅飲み。ラブに会いに」
優一に言われて、紗也加は苦笑した。
「そんな、自分の家みたいに。ていうか、男二人で年越ししようとしてたの?」
「キモいこと言うな、八重も一緒だよ。……終電まではな」
八重とは優一のフィアンセだ。紗也加にとってはもうすぐ義姉になる人である。
落ち着いた、自立した雰囲気の女性だ。優一に言わせると「ときどきズレててツッコミ所満載」らしいが、それはおそらく彼なりののろけの一種だろうと見ている。
「八重ひとりじゃ後片付け大変だし。お前、飲みながら片付けんの得意だろ」
「家政婦代わりかい」
呆れて半眼になりながら紗也加は言い、ため息をついた。
「……まあ、ちょっと……考えとく」
百貨店では大晦日の夕方まで営業し、元旦には二日から始まる初売りのための準備をする。
気分を新たに来客してもらうおうと、短期間で大幅に品物や掲示物を入れ替えるため、大晦日の営業終了後と元旦の勤務は毎年おおわらわだ。
ただでさえ疲れ切ってしまう一大行事。--とはいえ。
(しょーくんちに行ける……ラブちゃんに会える……)
それは大変、心ときめく提案だった。
* * *
優一と話してから再度一眠りした紗也加は、洗面所で身支度を整えた。
軽く化粧をし、髪をとかす。
絡まりやすく、色素が薄い髪は、ゴールデンレトリバーのしっぽに似ているーーと、言ったのはもちろん翔だ。
極力髪を傷めないよう、ゆっくりと梳いていく。
日頃ポニーテールにくくっているので、今日はハーフアップにしてみた。
肩周りに広がるのが気になるが、いつも同じ結び方をしていると髪が薄くなる、と、友人の理都子に聞いてからちょっとだけ気にしている。
手で自分の髪を撫でて、ため息をついた。
朝食をとり、部屋に戻ってスマホを手に取ると、優一からメッセージが入っていた。
【幹事、やってくれるってことでいい? 翔に連絡しといて】
続けて「一応、連絡先」と記載がある。優一が学生の間、連絡がつかないときなどに翔に連絡したことがあるが、社会人になってからは一度も連絡したことはない。
連絡先を目にして唇を引き締める。
自分の肩先にかかった髪を指先にくるくると巻付けた。
散々迷った挙げ句、優一が送ってくれた連絡先をタップする。
【おはよー】
【しょーくんが寂しいらしいから、私も幹事を引き受けてあげることにしました】
送って、時計を見やる。10時半。もう仕事中なのだろう、すぐに既読になることはない。
紗也加は自分から引きはがすようにスマホを机に置き、ベッドに横になる。
ごろりと横向きになると、広がった髪がふわふわと頬を撫でた。
少しでも女らしく見られたくて、伸ばしたままの髪。
ーー残念ながら、犬のしっぽとしか認識されなかったようだが。
それでも、事あるごとに引っ張って来るのは、学生の頃から変わらない。
変わらないからこそ、髪型を変えることもできないまま、今に至っている。
色気も何もない、じゃれ合いのような触れ合い。
それでも、紗也加にとっては、大切なひとときなのだ。
(髪を切れば……忘れられるのかな)
幾度もよぎった想いが、改めて脳裏をよぎる。
翔に会っても会わなくても、自分の髪が目に入るたびに、翔のいたずらっぽい笑顔を連想する。
大学1年のとき、一度だけ髪を切ったことがあった。
進展の望めない翔との関係を諦めて、告白してくれた男子とつき合ったときだ。
みんなからは一様に似合っていると褒められたボブショートは、翔には大変不評だった。
『……せっかく、ふわふわの髪してるのに。そんな髪型したら、普通の女みたい』
普通の女って何だ、と心中でつっこんだが、口に出すことはできなかった。
言いたいことを言った翔が、途端に紗也加に興味を失ったように、優一と話しはじめたからだ。
そして、髪を伸ばしていれば、翔にとって「その他大勢の女」にならずに済むのかと、一瞬で計算した自分に気づいたからでもある。
当然、そのときの彼氏とはすぐに別れた。
その後も、告白されてつき合った男は何人かいた。
ただ、それは紗也加にとっては友達の延長のようなつき合いだった。恋人らしく手を握っても、キスをしても、紗也加の気持ちは変わらなかった。
恋人との肌の触れ合いよりも、愛の囁きよりも、翔の少年じみた笑顔や、髪に触れる手の方が、紗也加をときめかせるのだ。
スマホが鳴った。どきりと心臓が高鳴る。
机に手を伸ばして引き寄せると、翔からのメッセージがあった。
【年末の宅飲み、優一から聞いた? 俺も彼女紹介するから、サヤも来てよ】
メッセージに次いで、写真が送られて来ている。
【これ、俺の女。15歳。超可愛いから】
そこには柔らかそうな毛並みのゴールデンレトリバーが、笑っているような顔で写っていた。
ダイニングテーブルには、トーストにかじりつく優一の姿がある。
「おはよ」
「おはよ。遊び人」
「どっちが」
兄の言葉に半眼を返し、コップに水を注ぐ。
起きぬけそのままで来たので、結んでいない髪が肩周りにふわふわと広がっていた。乱雑にかき上げてコップの水を飲み干す。
「翔に会った?」
「……会ったよ」
「あ、そ。ならよかった」
兄が言って、トーストの最後の一口を頬張った。手を合わせて「ごちそうさま」と立ち上がる。
「翔くん、どうかしたの?」
紗也加に朝食はいるか聞いた母が、優一の言葉に首を傾げた。優一は軽く首を振る。
「別に、何でも。あ、でも紗也加がやるなら、二次会の幹事やってもいいって言ってた」
「何、それ。なんとなく上から目線」
「お前もな」
優一は紗也加に笑う。紗也加はむすっとして、部屋へ戻ろうと歩き出した。
「あ、そーだ。紗也加。年末年始、仕事?」
「えー。まあ、うん。稼ぎ時だからね」
「あー、そうか……残念」
心底残念そうに言われて、紗也加は立ち止まった。
優一がそれに気づいて苦笑する。
「いや、翔と二人で宅飲みしようかって言ってたんだけどさ。翔んちのご両親、今年は田舎に帰省するらしくて。翔は留守番だって……ほら、あいつ犬飼ってるから」
「ああ、ラブちゃん」
翔の家にいるゴールデンレトリバーだ。
高校生になるや否や、「翔が構ってくれない」とすねた父親がいきなり買ってきたという。ネーミングも翔の両親がしたものだが、ラブラドールレトリバーを買うつもりでいて、購入前に決めていたらしい。翔の両親には紗也加も数度会ったことがあるが、なかなかお茶目なところがあった。
「でも、ラブちゃん何歳なんだろう。もう、相当おばあちゃんでしょう」
「15年くらいになるもんな。そうだと思うよ。散歩も家の周りぐるっとするだけだって言ってたし」
「そっかぁ。……元気だったときの印象しかないや」
紗也加は動物が好きだ。一度、散歩を手伝いたいと言って優一と共につきそった。やたらと気に入られた優一が散々追いかけられ、なめ回されていたのを覚えている。
「ま、もしよければ来いよ。宅飲み。ラブに会いに」
優一に言われて、紗也加は苦笑した。
「そんな、自分の家みたいに。ていうか、男二人で年越ししようとしてたの?」
「キモいこと言うな、八重も一緒だよ。……終電まではな」
八重とは優一のフィアンセだ。紗也加にとってはもうすぐ義姉になる人である。
落ち着いた、自立した雰囲気の女性だ。優一に言わせると「ときどきズレててツッコミ所満載」らしいが、それはおそらく彼なりののろけの一種だろうと見ている。
「八重ひとりじゃ後片付け大変だし。お前、飲みながら片付けんの得意だろ」
「家政婦代わりかい」
呆れて半眼になりながら紗也加は言い、ため息をついた。
「……まあ、ちょっと……考えとく」
百貨店では大晦日の夕方まで営業し、元旦には二日から始まる初売りのための準備をする。
気分を新たに来客してもらうおうと、短期間で大幅に品物や掲示物を入れ替えるため、大晦日の営業終了後と元旦の勤務は毎年おおわらわだ。
ただでさえ疲れ切ってしまう一大行事。--とはいえ。
(しょーくんちに行ける……ラブちゃんに会える……)
それは大変、心ときめく提案だった。
* * *
優一と話してから再度一眠りした紗也加は、洗面所で身支度を整えた。
軽く化粧をし、髪をとかす。
絡まりやすく、色素が薄い髪は、ゴールデンレトリバーのしっぽに似ているーーと、言ったのはもちろん翔だ。
極力髪を傷めないよう、ゆっくりと梳いていく。
日頃ポニーテールにくくっているので、今日はハーフアップにしてみた。
肩周りに広がるのが気になるが、いつも同じ結び方をしていると髪が薄くなる、と、友人の理都子に聞いてからちょっとだけ気にしている。
手で自分の髪を撫でて、ため息をついた。
朝食をとり、部屋に戻ってスマホを手に取ると、優一からメッセージが入っていた。
【幹事、やってくれるってことでいい? 翔に連絡しといて】
続けて「一応、連絡先」と記載がある。優一が学生の間、連絡がつかないときなどに翔に連絡したことがあるが、社会人になってからは一度も連絡したことはない。
連絡先を目にして唇を引き締める。
自分の肩先にかかった髪を指先にくるくると巻付けた。
散々迷った挙げ句、優一が送ってくれた連絡先をタップする。
【おはよー】
【しょーくんが寂しいらしいから、私も幹事を引き受けてあげることにしました】
送って、時計を見やる。10時半。もう仕事中なのだろう、すぐに既読になることはない。
紗也加は自分から引きはがすようにスマホを机に置き、ベッドに横になる。
ごろりと横向きになると、広がった髪がふわふわと頬を撫でた。
少しでも女らしく見られたくて、伸ばしたままの髪。
ーー残念ながら、犬のしっぽとしか認識されなかったようだが。
それでも、事あるごとに引っ張って来るのは、学生の頃から変わらない。
変わらないからこそ、髪型を変えることもできないまま、今に至っている。
色気も何もない、じゃれ合いのような触れ合い。
それでも、紗也加にとっては、大切なひとときなのだ。
(髪を切れば……忘れられるのかな)
幾度もよぎった想いが、改めて脳裏をよぎる。
翔に会っても会わなくても、自分の髪が目に入るたびに、翔のいたずらっぽい笑顔を連想する。
大学1年のとき、一度だけ髪を切ったことがあった。
進展の望めない翔との関係を諦めて、告白してくれた男子とつき合ったときだ。
みんなからは一様に似合っていると褒められたボブショートは、翔には大変不評だった。
『……せっかく、ふわふわの髪してるのに。そんな髪型したら、普通の女みたい』
普通の女って何だ、と心中でつっこんだが、口に出すことはできなかった。
言いたいことを言った翔が、途端に紗也加に興味を失ったように、優一と話しはじめたからだ。
そして、髪を伸ばしていれば、翔にとって「その他大勢の女」にならずに済むのかと、一瞬で計算した自分に気づいたからでもある。
当然、そのときの彼氏とはすぐに別れた。
その後も、告白されてつき合った男は何人かいた。
ただ、それは紗也加にとっては友達の延長のようなつき合いだった。恋人らしく手を握っても、キスをしても、紗也加の気持ちは変わらなかった。
恋人との肌の触れ合いよりも、愛の囁きよりも、翔の少年じみた笑顔や、髪に触れる手の方が、紗也加をときめかせるのだ。
スマホが鳴った。どきりと心臓が高鳴る。
机に手を伸ばして引き寄せると、翔からのメッセージがあった。
【年末の宅飲み、優一から聞いた? 俺も彼女紹介するから、サヤも来てよ】
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