マイ・リトル・プリンセス

松田丹子(まつだにこ)

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.7 年の差カップル

33 バレンタインデー

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 そして迎えたバレンタインデー、俺は政人の言うた通り、スーツにバラの花束抱えて、橘家を訪問した。
 ……けど、ガッチガチに緊張していて、なにをどう話したもんか、正直よく覚えてへん。
 まともに覚えてるんは、バラの花束抱えた俺を、礼奈がぽかんと見上げてはったのがえらいかわいかったことと、同じく俺を見た瞬間、政人と健人が腹を抱えて笑い出したことくらいや。
 それでも、礼奈の笑顔を久しぶりに見たこと、手を繋いで歩いたこと……そう、買い物に行こー言うから、何欲しいんやろて思たら、俺の渡した花束を活ける花瓶が欲しい言うて、これまたかわいさに身もだえたんやて……そんな心地のいい思い出はぽつりぽつりと残っていて、帰路についた俺の心はあたたかい。外気の冷えもなんのその、ほっかほかや。
 結局のところ、礼奈が俺を遠ざけようとしたのは、元カレへの罪悪感だったらしい。
 彼がどんなに優しくしてくれても、俺に会えばすぐ上書きされてしまうと分かった――それはそのまま、これ以上ないほどまっすぐな俺への告白で、がっつり心をつかまれつつも、まさに礼奈らしいなと思うた。

 電車の中、手を握りしめてはほどき、握りしめてはほどいて、繋いだ礼奈の手のぬくもりを思い返した。
 午後からバイトだと言った礼奈が、別れ際、名残惜しそうに俺を見つめて、

「栄太兄……次、いつ会える……かな?」

 なんて、気恥ずかしそうに言いはった姿を思い出した。
 はぁぁぁぁぁ、かわええ。
 顔が歪んだのを自覚して、俺は片手で口元を押さえた。閉まったドアに背中を押しつける。
 礼奈からいい返事をもろた後、俺の口元は始終緩みっぱなしや。照れたような顔も、困ったような気恥ずかしそうな顔も、礼奈はどんな顔しててもかわええねんもん。怒った顔もかわええなー思うてたくらいやから当然といえば当然かもしれへんけど、ほんまかわいいが過ぎる。
 はぁー、ええんやろうか、俺こんな幸せで。ついこの間まではえらい孤独感じてたはずやねんけど、関係ひとつでこうも心境が変わるもんか。
 関係、言うたかて、俺と礼奈はやっぱり俺と礼奈やし、今までとそう急に変わることもないはずや。
 政人の手前、いい加減なつき合いするつもりもないし、俺はその……婚前はアレやし。
 そこまで考えてふと気づく。

 ……婚前はアレやけど、婚後はソレやな?

 関係が関係だけに、結婚を前提につき合いたい、とは礼奈にも言うた。言うた、はずや。何度も言うけど自分が何言うたか全然覚えてへんから、伝えられたかいまいち自信はないけど。礼奈がどう答えたかもよう覚えてへんけど、なんか条件出された記憶もないから、たぶん、普通にうなずいてくれたはずや。

 そんで、だからその、順調に行けば、ゆくゆくは、結婚して……
 結婚したら……
 俺、礼奈と、するん?

 感極まって抱き寄せたぬくもりを思い出した。華奢とはいえ、すっかり女の身体になった感触。

 俺が? 礼奈を……抱く?
 あかん、動悸が妙に乱れ始めた。
 いや、でも、そうやろ。そりゃ、男と女の関係、いうたらそういうことやろ。
 でも……待って。
 礼奈を? 俺が?

 いうて、逆も困るけど。礼奈に抱かれても困るけど。「栄太兄、慣れてないなら私がリードするね」なんて言われても……いや、それもアリやな……なんて一瞬思うたけどそれはあかんやろ。最初は俺が、俺が、礼奈を……
 ……リードなんてできへんやん!!

 気づくや突然、頭の熱が引き始めた。今度は逆に血の気が引いていく。電車の揺れにふらつきそうになってドア横の鉄棒を握った。

 ――あかん。どないしよう。礼奈は俺が経験豊富やと思てはるやろか。

 昔、健人が言うてたのを思い出した。「経験豊富だと思ってたからさ」「誠実なおつきあいしてたみたいよって」「礼奈にも言っとく」――言うてもらってた方がよかったかな。いや、それもどうなんや。
 今日もつい、勢いと雰囲気で、抱き寄せてキスしかけた。健人が現れて未遂になったけど、礼奈からしたら「やっぱり大人だな」とか「手ぇ早いな」とか、思うたりしかもしれん。
 違う。違うんや。前の話から二年も間空いたし、キスくらいは、とか思わなくもなかっただけで、俺が知ってるのはその辺までやねん。いや、嘘ついた。ペッティングまでは、知らなくもない。アレをアレせんでもカノジョに満足してもらえへんか、これでも少しはがんばった時期もあったからな。けど、カノジョがどうしてもアレを望むようになって、ムスコはやっぱり頭を垂れたままで、俺ももうあかんなーて思て……

 ガコンガコン、電車の揺れに合わせて頭がゴツゴツ鉄棒にぶつかる。

 ――結婚、なんて言うてたくせに、俺、もしかしたらほんまに言わないけんこと、言い忘れたんやないやろか。

 子どもが欲しい、なんて話は、礼奈から聞いたこともない。けど、もしそう望むなら、そして俺のこの症状が治らないなら、苦労させてまうことは目に見えとるやんか。

 セックスができないだけで、自慰はできる。できる……と思う。最近忙しくてそんな余裕なかったからしてへんけど、できるはずや。今日帰ったらしてみよ……いやおい、公共交通機関で何考えてんねん、俺。でも、とにかく、どういう手段でも、タネを出せるなら子どもができへんことはない、はずや。
 けど……
 ……どないしよ。
 婚前性交云々言う前に、礼奈にカミングアウトすべきなんやないやろか。
 俺はセックスしたことがありません。童貞です。元カノとしようと思ったけど母さんの呪いでできませんでした。
 ――アホかいな!
 カミングアウトの場面を想像してうめき声を抑える。額を鉄棒に押しつけると、ゴツンとまた鈍い音がした。

 できへん原因のひとつが母さんの「婚前は禁止」っちゅう言葉や、いうんは間違いない。けど、結婚したからいうて、そう都合良く呪いが解けるもんやろか。
 母さんの脅しが心理的な足かせになっとるのは確かやけど、過去数度の挫折が若干トラウマになってるんも原因のような気はする。

 ――ああ、あかん、分からん。分からんけど不安ばっかり募るわ。とりあえず今日ひとりで……なんや、おかしいやろ! 礼奈に告白した帰路に何でオナニーのこと考えてんねん!!

 俺は奥歯をかみしめ、無表情を取り繕って姿勢を正した。とにかく帰るで。それからのことは帰ってから考えればええねん。帰ってから――
 顔を上げた先にはベビーカーがあって、中に乗っている赤ん坊が、不思議そうにじぃっと俺の顔を見てはった。
 まんまるい無垢な目を直視できず、思わず窓の外へ目を逸らす。
 けがれっちまったオッサンに、無邪気な赤子の視線は痛い。
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