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キャンパスのアイドルと、冴えない私を繋ぐ糸
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目を覚ますと、見慣れない部屋にいた。
動揺しながら目だけを動かし見渡すと、隣にすやすや眠る美男子の姿。
私よりも長いまつげ、色素の薄い髪、通った鼻筋、ふっくらした唇。
一つ一つがうらやましくなるくらい整っている。
こんなに近くで彼の顔を見るのは初めてだ。綺麗な顔だなぁとは、出会った頃から……いや、見かけたときから思っていたけど。まさに接近戦にも耐えうる顔。
って、そんな悠長に観察してる場合じゃない。
どういうこと? なんで彼が私と……一緒に寝てるわけ……?
思わず、自分の身体に触れる。服は着ている。昨日のままのようだ。
昨日……同期飲みと騙されて、合コンに参加させられた昨日。
服着てるってことは、とりあえず、無事ってことよね。
必死に冷静さを取り戻そうと部屋を観察する。
部屋はホテルではなさそうだった。一面にある棚には、本やその他、様々なものが雑多に詰め込まれている。
そこだけが、部屋の中で唯一カラフルな色合いになっている。ただしそこからはみ出ることは許されていないのか、部屋に物が散乱している様子はなかった。
一見緩いのに押さえ所のしっかりしている彼らしい。と、もう彼の部屋だと確信している自分に気づく。
「……起きた?」
優しく尋ねる声が、ほとんど耳元で聞こえた。変に色気を帯びていて、私は思わずびくりと震える。
驚きの表情を彼に向けると、アーモンド型の目が柔らかく細められている。
髪と同じく色素の薄めの瞳。彼がどこか柔らかく見えるのは、この色合いのせいもあるのかもしれない。
「あっ、あ、あの、私……な、なんで?」
私がおどおどしながら言うと、彼、秋山くんはいたずらっぽく微笑んだ。
「真知田さんとゆっくりしたかったから……お酒、たくさん飲ませちゃった」
その微笑みや言葉使いは、出会った頃と変わらない。そのはずなのに、ひどく大人びて色っぽく感じた。
社会に出て5年。在学当時彼から感じた幼さは、むしろ大人の余裕に変わっている。
生真面目さだけを取り柄に生きてきた私に、そんな男の色気を浴びる機会などあったわけもなく。
自分がどう動くべきか、分からずに戸惑う。
「……あ、あの……」
乾いた喉から声を紡ぐ。秋山くんはふっと笑った。
「大丈夫、何にもしてないから。……まだ」
ま、まだ?
まだって、何ですか?
起き抜けの頭の混乱に混乱を上乗せされて、目が泳ぐ。
そんな私の動揺を察したように、秋山くんは笑った。
大学のときは、私の方がお姉さん気分だったのに。
今や秋山くんの方が、大人になってしまったみたいだ。
「二日酔いとか、なってない?」
「な、ないです」
答えると秋山くんは苦笑した。
「あれだけ飲んだのに……強いんだね」
私は何も言わず肩をすくめる。
ふふ、と笑った秋山くんは、私の顔をじいっと見てくる。私が目を反らした隙に、頬に何かが触れた。
「っ、え」
「ふふふ」
秋山くんは相変わらずの人懐っこい笑顔で私を見て、うーんと伸びをした。
「さてと。朝ごはんにしようか。真知田さん、朝はパン派? ご飯派?」
「えと……ご飯」
秋山くんは嬉しそうに笑った。笑顔は相変わらず可愛くて……なんていうか、犬系男子?
「そうかなと思った。炊けてるはずだから食べよう。みそ汁も作ろうか」
「え、え、あの……お構いなく」
なんだか当然のように振る舞う秋山くんと裏腹に、私はひどく動揺してしまって、戸惑いながら答える。
もともと、人の懐に入り込むのが上手な秋山くんだから、ついつい流されてしまいそうになるのだ。
「わ、私……帰る……」
「ご飯の後にしなよ」
秋山くんは言いながら、部屋着らしいスウェットを脱いだ。
「きゃ」
「あ、ごめん。着替えるね」
「い、言うのが、遅いっ……」
私は多分赤くなった顔を反らして、ごそごそいう音を聞いていた。
「真知田さん、弟いるんじゃなかったっけ」
「い、妹」
「あ、そっか」
会話を交わして、着替え終わった秋山くんが私の顔を覗き込みに来た。
「真知田さん」
「な、なに」
「男のカラダ、見慣れてないんだね」
私は今度こそ間違いなく真っ赤になったのを自覚した。
「な、何言って……」
「可愛いなー」
秋山くんはほくほく顔で、当然のように手を伸ばし、私の髪を撫でる。
不意を突かれ続け、心の防御がしきれないままだ。その温かい大きな手にどきどきしてしまう。
「あ、秋山くん」
「はーい」
「……ごはんのじゅんび」
苦し紛れの言葉に、秋山くんはにっこりした。
「うん、するね。待ってて」
ほっとした私の頬に、二度目のキスを載せて。
鼻歌すら歌いながら、秋山くんは寝室を後にした。
* * *
秋山くんは、大学のときの同級生だ。
でも、学部も学科も違う。教養科目で見かけたり、キャンパスで見かけたりする程度の関係だった。
だから、特段仲がいいわけじゃなかった、と思う。思うのだけど、何故か、彼はいつも、飼い主を見つけて喜ぶ子犬みたいに、私を見つけては駆け寄って来てくれた。「弟がいたらこんな感じかなぁ」と、可愛いげのない妹を持つ私は思ったものだ。
最初に話したのは図書館だった。背の低い私が、書棚に手を伸ばしているところにやってきて、本を取ってくれたのだ。
そのとき、ひょんなことから彼の着ていたパーカーの紐が偏ってしまった。私が一緒に直してあげると、彼は嬉しそうに「ありがとう」と言った。その笑顔はほとんどアイドル級で、きゃーきゃー言ってる女子の気持ちもわかるなぁなんて思った。私はほとんど若者を見守るおばちゃんの気分だ。
秋山くんは、キャンパスの中でも華やかな集団に位置していた。青春を謳歌しようと懸命なその集団の中で、彼は中心に据えられていながら、自然体を保っているように見えた。
真面目一辺倒で、奨学金や奨励金を狙う毎日を送っている私とは別世界の人。たまたま彼に会い、話しかけてもらった日は、アイドルに手を振ってもらったときのような楽しい気分になるけれど、私にとって非現実的な時間だった。
会えばただ挨拶を交わすか、しょっちゅう偏っているパーカーの紐を直してあげるか、それだけの関係。
なのになぜか私たちの仲を勘繰る人もいて、「あっきーと寝たの?」なんてゲスな質問を浴びたりもして、呆れたことを覚えている。
キャンパスで出会う秋山くんは、いつもにこにこしていて、ほわわんとしていて、なんというか、とても無害な感じだった。
私もその「ほわわん」に癒されて、ちょっとご機嫌になったりもした。
卒業後の進路は知らない。
連絡先の交換もすることはなかった。
卒業式、人でごった返す広いキャンパスの中で会うこともなかった。
だから、秋山くんは大学の思い出の一つだ。
みんなに囲まれていたアイドル。遠くから眺めていた可愛い弟分。笑顔が私を癒してくれたときもあった。そんな人。
なのに、まさか就職後5年して、再会することになるだなんて。
金曜の昨夜。
同期で飲みに行こう、と言われた私は、あっさりそれを信じて集合場所に向かった。
合流した同期女子3人はいつも以上に可愛い格好をしていて、化粧もちょっと気合い入ってて、「今日みんな可愛いね」なんて目を丸くしていたら、「お待たせ」って現れたのが、秋山くんと仲のよかった、大学の同級生だった。
「あ、あれ。もしかして、○大出身?」
「こんばんは。やっぱり真知田さんだよね」
ずばり名前を呼ばれて恐縮する。私は彼の名前を知らないのに、どうして彼は私の名前を知ってるんだろう。秋山くんに聞いたのかなと思いながら、私はこくこく頷いた。
「俺、佐伯っていうの」
「佐伯くんとは就活中に会ったんだ。他にも何人か一緒に仲良くなって、前に飲み会してね。まっちーに会いたいっていうから」
「こら、それ言わない約束」
飲みに行こうと言った同期と佐伯くんがテンポのいいやりとりをしている。私は「そうなんだー」とかって言ってたけど、佐伯くんを見つけて近寄って来る男性が二人いて、なんだかおかしいな、って気づき始めた。
「あと一人遅れて来るから、先に行こう」
「え、え、あの……」
まさかこれは、まさか……
合コン、てやつでは……
戸惑う私の腕を、同期女子二人ががっちり掴んで、店まで連行されてしまった。
とりあえず飲み物を頼み、簡単に自己紹介をした。
「真知田さん、もしかしてこういうの初めて?」
「え、えーと……はい……」
「そっか、真面目そうだもんね」
きらきらふりふりの同期に囲まれ、地味ルックな私。
完全に恐縮しきっているから逆に気遣かわれているのか、佐伯くんのお友達は優しく声をかけてくれた。
佐伯くんは目つきが悪いけど、あの秋山くんの世話係だったのだから面倒見がいいのだろう。その友達もしかり、ということか。そんなことを思いつつ苦笑する。
「今日も……その、ただの同期会だと思ってて」
「だってまっちー、合コンって言ったら絶対来ないじゃん」
来ないよ。
来るわけないじゃん。
だってこんなキラキラした感じ、無理だもん。
こういうのは、大学時代に青春を謳歌していた、あっちの集団がしているものであって。
私のような、よく言えば真面目、悪くいえば地味、若者を「若いねぇ」なんてほほえましく見ていた私には、見るも入るも眩しい世界なのであって。
「あ、だからそういう格好なんだ」
言葉がぐさっと胸を刺す。
もしも合コンだとわかっていたからって、私の服はさして変わらない。
持ってる服はモノトーンかベージュ。
おしゃれといえばせいぜい紺色。
パステルカラーなんて一枚あるかないか。
勇気を出しても鞄の指し色程度か。
自分のワードローブを思い出しつつ、どうにか引き攣った笑みを返していると、
「ーー遅れてごめん」
柔らかい声がした。
はっとして、そちらを見やると、スーツ姿のアイドルが立っている。
いや違う、相変わらずアイドルみたいな、秋山くんが立っている。
そして私をとらえると、ふわりと笑った。
「お待たせ、真知田さん」
人の笑顔に破壊力を感じたのは初めてだ。
待ってないよ、ていうかそもそも来るって知らなかったよ。そんな気の効いた返事もできないまま、しどもどして。
乾杯して軽く話した後、気づいたら隣にいた同期がトイレに立ってて、気づいたら秋山くんが「久しぶり~」ってそこにいた。
正直、その後の記憶はあいまいだ。
学生時代でもそんなに近くに長くいたことないのに、そこからずっと、秋山くんがそこにいたもんだから、遠目から眩しくアイドルを見ていたおばちゃん的な私は完全に混乱してしまった。秋山くんがどんどんお酒勧めて来るのを幸い、間がもたなくてついつい口にグラスを運びつづけ、それで……それで……
どうなって今秋山くんの家にいるというのだろう。
記憶がないというのはこんなにも怖いことなのか。私は思わず頭をかかえる。怖いけど、昨日の私の失態を彼に聞くしかないだろう。……すごく怖いけど。
「真知田さん、ごはん準備できたよー」
コンコンとノックしたドアの向こうから、ほのぼのした秋山くんの声が聞こえる。秋山くんて、きっと歌もうまいんだろうな。半ば現実逃避のようにそんなことを考えながら、私ははい、と返事をし、ベッドから這い出た。
「割り箸しかないけど、ごめんね」
「い、いえ……すみません」
恐縮する私に、秋山くんは微笑みを返した。
朝食は白いご飯と目玉焼き、そしてみそ汁。準備にかけていた時間を考えると、手早く作ったものだと感心する。日頃から料理をしているのだろうと察しがついた。
黙って朝食を摂りながら、私はちらちら秋山くんの表情をうかがう。訝しげな顔を向けているだろうに、秋山くんはいやな顔一つせず、むしろご機嫌そうににっこり返して来る。
静かなのに温かい空気は、逆にそわそわと落ち着かない。否、落ち着きそうになる自分を制御するのに必死だ。
こんな朝を、今までも迎えたことがあるような。
これから、当然のように迎えて行くのだというような。
そんな錯覚を抱く自分を、必死で律する。
「……昨日の記憶、曖昧?」
あらかたご飯を食べたところで、秋山くんが静かに聞いた。私は恨めしげな視線を秋山くんに向け、小さく頷く。秋山くんは笑った。
「大丈夫、別に何にもなかったよ。飲み放題3時間、終わって『カラオケ行こう』ってなって、真知田さんが帰ろうとしたから俺が送るって言って、もう少し飲もうよって言って違う店入って、そしたら真知田さんが寝ちゃったから、俺ん家連れてきた」
滞りなく流れる秋山くんの説明を、私はふむふむと聞いてから頭を抱えた。
いろいろ省略されすぎじゃない……?
カラオケに行くとなった女子が、秋山くんと話す機会を伺っていたのは想像に難くない。私と二人で抜け出した後のブーイングは安易に想像できた。
私、来週どんな顔して彼女らに会えばいいの……
所属は違えど同期なのだ。今までどうにか仲良くやってきたと思っているのに、変な関係になってしまったらどうしよう。同期は可愛い子も多くて、キラキラしている彼女らがにこにこ笑いかけてくれるのはおばちゃん(私)のエネルギー源でもあるのだ。それが奪われるかもしれないという恐怖。
そんでもって連れてきたって、さらっというけど、どうやって連れてきたんだろう。抱っこして? おんぶして? 工事現場で使うような一輪車が身近にあるわけもなく、ベビーカーに乗せるわけもなく、当然秋山くんが私を抱えて歩いたのだろう。二軒目のお店の場所もこの家の場所も私には分からないけど、電車に乗って移動した可能性もある。
そう考えればワイドパンツだったのはラッキーだった。下着がチラ見えする心配はないだろうから。
そもそも、スカートなんてスーツの上下しか持ってないけど。
急に高速回転を始めた私の頭はパンク寸前だ。どうしようどうしようと頭を抱える私を見て、秋山くんが柔らかい笑い声をあげる。
その声、どきどきするからやめてほしい。
「どうしよう、って思ってるの? 俺との関係勘繰られるんじゃないか、とか」
言われて、私ははっとする。
そうか、そういう勘繰りもありえるのか!
なにぶんこうした経験に乏しいので想像もつかなかった。
そんな私の表情を見て、また秋山くんは笑う。
「可愛いなぁ、真知田さん。そんなに、考えてること顔に出るんだね」
「ち、違っ、今日はその、混乱して……」
否定しようと振った手をかいくぐり、秋山くんの手が私の頬に伸びる。
「化粧取れても全然変わんない。肌綺麗だね。髪も綺麗だけど」
優しい手つき。綺麗な指でも、触れた感じは女のそれと違ってごつごつしている。その事実が、また私を混乱させる。
「ま、待って」
「うん」
秋山くんは頷いた。頬に添えた手をそのままに。
「て、手、どけて」
「えー」
心底残念そうに唇を尖らせたけど、渋々手をどけてくれた。
私はほっと息を吐き出す。
「待つよ」
不意に聞こえた声は、今までになく真剣みを帯びている。
私がまばたきしながら見上げると、秋山くんは微笑んだまま、真剣な目で私を見つめていた。
「今までもずいぶん待ったし、待てって言われたらいくらでも待つ」
まるで忠犬ハチ公みたいだ。そう思った私には、彼の言葉の意図が分からない。
秋山くんはそうと察したのだろう、ため息をついて苦笑した。
立ち上がり、私の方に寄って来る。
「真知田さん、手貸して」
「手……はい」
まるでお手をするように、秋山くんの手の上に手を重ねる。大きくて温かい手にどきどきする間もなく、秋山くんは私の手を、自分の胸元へと添えた。
「わかる?」
「え? え?」
「……緊張してんの、わかる?」
え? え? 緊張?
秋山くんが緊張? なんで?」
「わ、わ、わかんない」
混乱のあまり、泣きそうになりながら答える。
「わ、私も緊張してるから、わかんないよ」
秋山くんはきょとんとした顔をして、噴き出した。
その顔はやっぱり可愛くて、キャンパスのアイドルだった頃を彷彿させる。
「なんで、真知田さん、緊張してんの」
秋山くんは細めた目を、すこしだけ私に近づけた。
私はその目をどうにか見返しながら、言葉を探す。
「だ、だって、昨日飲み会行ったら合コンだったし、今日起きたら知らない場所だし、あ、秋山くんいるし……」
一つ一つ挙げながら、後は、後はと続ける。
「あ、秋山くんなんか近いし、優しいし、あ、優しいのは前からだけど、でもなんか、とにかく近いし、触って来るし……でもご飯美味しかったし……ええ?」
言っているうちに自分で訳が分からなくなってきた。私は困惑した目を秋山くんに向ける。
「と、と、とにかく、なんか」
唇は、秋山くんのそれで塞がれた。
柔らかい。温かい。不思議な感触。
驚きのあまり見開いた目に、秋山くんの顔がどアップで見える。
アップすぎてピントの合わない中で、「やっぱりまつげ長いなぁ」ととぼけた自分が言う。
聞こえるか聞こえないかの水音をたて、秋山くんの唇が離れた。
私を見つめる顔は、すこしだけバツが悪そうだ。
「……目、閉じてよ……」
「え、え……」
ごめん、と答えながら、混乱する。
ごめん、て私が言うべきところなんだろうか、これ。
大学を卒業してから5年。もう28なのにこんなこと言うのもなんだけど、今までこういう経験はほとんどない。
ていうか、男の子とつき合ったことなんて、今まで一人しかない。就職して、図書館の隣の公園で会った人で、犬の散歩をしていたのによく出会って挨拶を交わすようになり、つき合ったけど彼が転勤になってフェードアウト。そのつき合いは半年そこそこで、ぎりぎり、キス止まり。
不満げに私を見つめる秋山くんの目がなんだか色っぽくて、ドキドキしてしまう。長い前髪の人は嫌いなのに、その隙間から見つめられてそわそわする。アイドル顔の秋山くんだけど、可愛い系はタイプじゃない私にとって、彼は在学中から、本当に、本当に、ただの、同級生……
「真知田さん……」
声がして、温かいものに包まれる。
抱きしめられて当たった胸元から、動悸が聞こえて来る。
私の心臓も暴れていたけど、秋山くんのそれも、確かに。
「……秋山くん、ドキドキしてる」
「だから、言ったじゃん」
もー、とむくれる様は昔よく知った姿を思い出させる。
でも、でも、昔とは違う。何だろう。どうしてだろう。私を包む腕が想像よりも男らしいからだろうか。それとも、今までになく近くにいるからだろうか。それとも、それともーー
秋山くんは私をぎゅっと抱きしめて、大きく息を吐き出した。
「……すごい」
「な、なにが?」
「……ほんとに、また会えると思わなかった」
秋山くんの声が震えていることに気づいて、私は戸惑う。
「え? ……え?」
「だって、連絡先も交換しなかったし」
すん、と鼻をすするような音が聞こえた気がした。私は戸惑いながら、私の肩に乗せられた秋山くんの頭を見る。
「……二度と、会えないかと思ってた……」
「そんなの……」
当然だ。
だって、秋山くんは。
みんなの、キャンパスの、アイドルで。
毎日を、学生生活を、最大限楽しんでいる一団の中心にいて。
私の世界とは、別のところにいた。
大学を卒業すれば、その先の道に、互いはいない。
重なることは、ない。
そのはずだったのにーー
「……秋山くん?」
私の呼びかけに、秋山くんは黙って腕の力を強める。
「あ、秋山くん……」
「やだ。離さない」
いや、離してって言ってないけど。
でもこのままじゃ、ゆっくり話せないっていうか。
緊張するし。顔、見えないし。
思うけど口はぱくぱくするだけだ。秋山くんはまたすんと鼻を鳴らして、顔を上げた。
ちょっと潤んだ目が、私を見つめる。
「……私、お風呂入ってないから、汚いよ」
かろうじて吐き出した言葉はそんなのだった。
なんというか捻りがない自分にあきれる。
秋山くんはきょとんとして、笑った。
誰もが彼を好きになるような、可愛い笑顔。
「汚くないけど、シャワー浴びて来る?」
もう朝食もほとんど済んでいる。
私はとりあえずこの状態から逃れたくて、こくりと頷いた。
バスルームに案内してくれた秋山くんは、しっかり私の手を握りながら、シャワーの出し方やシャンプーなど、一つ一つ説明してくれた。
今まで握ったこともない彼の手に、私は混乱しつつ頷き、早く一人にしてくれないかなと頭のどこかで思う。
「じゃあ、パンツここ置いとくね」と言われたときには思わず眉を寄せた。「昨日、コンビニで買っといたから」と邪気なく笑われて、私は思わず開いた口がふさがらなくなる。
ようやくバスルームに一人残されて、ため息をついた。
なんだか……結局、うまく乗せられた気がする……。
朝ごはんを食べたら、すぐに退室するつもりだったのに。
みんなのアイドル、秋山くんは、今だってみんなのアイドルなんだろう。
仲のいい男友達の佐伯くんだって、なんだかんだ言って秋山くんには弱いようだったし、昨日集まった私の同期も、秋山くんを無視できなかった。私にばかり話しかけてくる秋山くんの気を引こうとしていたように感じる。
男女共に、好かれる明るさ。柔らかさ。
私はため息をつきながら、しかたなく服を脱ぎはじめた。
知らないバスルーム。ホテルでもなんでもないそこで、生まれたままの姿になるのは結構な勇気がいる。
でも、これで入らないって言って帰るのも勇気がいるから、とりあえず入ることにした。
髪をまとめ上げ、身体を洗いながら、秋山くんのことを考える。
一体どういうつもりで。さっきの態度は一体何なんだろう。
まるで恋い焦がれてた人と出会ったような。
演技なんだろうか。どっきりか何か?
私なんかにどっきりして、何になるんだろう。
結局考えれば考えるほどよく分からない。
分からないから、諦めてため息でごまかした。
一通り身体を洗い終わり、身体を拭いて、……秋山くんが買ってくれたパンツを履いて、服を身につける。
オフィス仕様ではあるけど、スーツじゃなくてよかった。スーツだったらシワになるし……変なところによく気づく秋山くんが、「シワになったら困るだろうから」と脱がせてくれたりすることもありそうな気がする。
そう気づいて眉を寄せ、頬が赤くなったのを感じた。
秋山くんはどういうつもりなんだろう。
分からない。アイドルの思考回路なんて分からない。
在学中の彼はただ、いつもにこにこしていて、私を見ると手を振って、わんちゃんみたいに近づいて来て、パーカーの紐が寄ってるから直してと、弟みたいに甘えてきた。
それを可愛いなと思っていた。癒されていた。それ以上を考えたことなんてない。だって、アイドルと一対一のつき合いをしたいなんて、普通思わないものでしょ?
私はまたため息をついて、ドアノブに手をかけた。
勇気を出して、一気に押し開ける。
ごん、と鈍い音と手応えがあった。
「え、え」
「い……たい……」
涙目になった秋山くんが、額を押さえてうずくまっている。
私はドアノブを持ったまま困惑した。
「だ、大丈夫?」
「だめかもぉ……」
私を見上げる目は潤んでいる。私は戸惑った。
「え、えぇと、保冷剤」
「痛いよー、真知田さぁん、痛い~」
「だから保冷剤……」
「そんなのないー」
「じゃあ、タオルを濡らして」
「そんなのいらない」
秋山くんは言って、私の手を取った。
自分の額に押し当てて、じっと見上げてくる。
「こうしててくれたら、治る」
「な、治んないよ!」
「じゃ、ちゅーしてくれたら治る」
「治んない!!」
私の反論に、秋山くんはちぇ、と唇を尖らせる。そもそもなんでそんなにドア近くにいたの、と聞きたいけど聞きたくない。
でも、私の手は彼の額に添えられたまま。身動きができないのはどうしてなのか、考えるには私の頭は混乱しすぎている。
「……まちださん」
秋山くんはじぃっとつぶらな瞳で私を見つめる。
その目、やめてほしい。
なんとなく、捨てられた子犬感っていうか、「拾ってください」みたいに見える。
秋山くんは可愛い顔をしているんだから、その顔を悪用してはいけないと思う。
そう思って一人、そうだそうだと頷く。
秋山くんは笑った。
「なに、考えてるの?」
立ち上がった秋山くんの声が、柔らかく身体に降って来る。
そう思ったとき、もう身体を抱きしめられていた。
「可愛い。ほんと真知田さん可愛い」
「だ、ま、あ、きやまくん」
「駄目?」
秋山くんは私の顔を見つめた。至近距離にあるイケメンに私の目が泳ぐ。
「嫌?」
秋山くんの目は、私の本心を探るようにじっと、じっと、見つめて来る。そわそわと落ち着かず、私は口を開いた。
「い……やではないけど……」
えええ。
えええ、私何言ってんの。
嫌じゃないって、まずいんじゃないの。
この状態でそれ、まずいんじゃないの。
「あ、いや、嫌ではないというか、その」
慌てて取り繕おうとしたけど、秋山くんの心底嬉しそうな笑顔があったからもうそれ以上何も言えなくなった。
「ん?」
「……何でもないです……」
「そう?」
にこにこにこと、秋山くんの笑顔。
可愛いけど。可愛いけど。
私のタイプは、もっと男っぽい顔立ちなのだし。
というか、いわゆるイケメンって、あくまで観賞用で、恋愛対象外だし。
れ、恋愛? 恋愛って何言っちゃってんの。
「あの、秋山くん」
「なに?」
「わ、私のような不慣れな人間を、その、茶化して遊ぼうというのは、趣味がいいとは思えません」
めちゃくちゃ視線を泳がせながら言うと、秋山くんは数度まばたきした。
「ちゃかす……」
柔らかい声が反復し、
「茶化してないよ。本気だよ」
ほ、本気?
「だ、駄目駄目駄目駄目っ」
私の背中をさすり、腰をかすめる手の動きが、その先に何を求めているか、私だってわからなくはない。
慌てて振りほどこうとしたけど、秋山くんも慌てて私を抱きしめた。
「え、待って、待って待って」
「待たない、いや、それはこっちの台詞!」
わちゃわちゃしたやりとりに、私は足を滑らせる。手にしていたタオルが落ちていたのだと気づいたときにはすでに遅く、二人して床に倒れ込む。
かばってくれた秋山くんが肩から激突して、慌てた。
「あ、秋山くん。大丈夫」
「駄目……全然駄目……」
「ほ、保冷剤。買ってくる」
「違う……そっちの話じゃなくて」
秋山くんは私の身体から離した手で、顔を覆った。
「……真知田さんが俺のこと拒否した……」
いや。
いやいやいや。
君。ちょっと。
「いきなりすぎでしょ」
「いきなりじゃないもん……」
秋山くんが顔から手を離し、私の頬に添える。
「……全然、いきなりじゃないもん……」
もん、って。
どんどん学生の頃の秋山くんに戻っていくみたいな。
「……あの」
私の言葉を遮って、秋山くんが動いた。
ごろりと上にのしかかられ、目を見開く。
「秋山くん」
「好きだ」
「えーー」
額にキスが降って来る。見上げた先には秋山くんの切なげな表情。
「好きだよ、真知田さん。ずっと好きだった。出会った頃から。一言、話した頃から。卒業前に連絡先聞きたかったのに機会なくて、絶望したけど、真知田さんと30までに再会できたら、絶対絶対、ちゃんと伝えようって思ってた。好きだって、一緒にいたいって言って、あと連絡先も聞いて」
いきなり事務的な話が入って笑いそうになる。秋山くんはやっぱり秋山くんだ。ちょっとぼけていて、でも押さえ所は押さえていて、感心するとまたボケてくる。
「伝わらない? どうやったら伝わる? たくさんキスすればいい? 抱きしめればいい? 言葉にすればいい? それとも……」
「い、いい。いいから。伝わったから」
思わぬ告白に私の方こそあっぷあっぷだ。でも……と恨めしげに見てくる目はやっぱり子犬っぽくて可愛い。
「つ、伝わった。秋山くんの気持ちは分かった、でも」
「でも?」
私は目をさまよわせる。でも。何だろう。何を言うべきなんだろう。
「でも……私、こういうのはその……ちゃんと将来を誓った人とするべきだと……」
言ってから、失言だと気づいた。
秋山くんの目が今まで見たことがないほどに輝いたからだ。
「誓う、誓う、誓うよ。指輪買いに行く? 高級ホテルのディナーでも行く? あっ、観覧車の中とかがいい? それとも……」
浮き立つ秋山くんの顔が、とにかく可愛すぎて困る。待って待ってと口にしながら、何を待って欲しいのかわからなくなる。
私は。
私の気持ちは。
秋山くんが笑う。
「真知田さんと、ずっと一緒にいたい」
その一言で、私は諦めた。
私の方こそ、すっかり彼の手中にいる。
「……仕方ないなぁ」
私は言った。
同じ言葉を、学生時代にもよく言ったなと思い出す。
彼の偏ったパーカーの紐を直してあげながら。
秋山くんが笑った。同じことを思ったのだろうとなんとなく分かって私も笑う。
手を伸ばして秋山くんの首に絡めた。
「……真知田さん」
「なぁに」
「あのね」
見上げると、秋山くんの笑顔は蕩けたようにふにゃふにゃだ。
学生時代にも見たことがある笑顔だと気づき、彼の想いが嘘でないことを確認する。
「真知田さんにさわらせて」
「はっ?」
「だって、ずっとずっと、憧れだったから」
落ち着きのない彼の手が、やわやわと私の身体の弾力をまさぐり始める。
「確認したいの。真知田さんの身体。シャワーも浴びたしいいよね? 寒いからベッド行こうか」
気遣うべきはそこじゃない、と言いたいのに言えない。真っ赤になった顔を見られたくなくて彼の首にしがみつく。
柔らかい声が耳元で囁いた。
「どれくらい真知田さんのことが好きか、教えてあげるね」
細く見えてつくべき筋肉のついた腕に、あっさりと抱き上げられて、私にできる精一杯の抵抗は、首を横に振るくらいなものだった。
FIN.
動揺しながら目だけを動かし見渡すと、隣にすやすや眠る美男子の姿。
私よりも長いまつげ、色素の薄い髪、通った鼻筋、ふっくらした唇。
一つ一つがうらやましくなるくらい整っている。
こんなに近くで彼の顔を見るのは初めてだ。綺麗な顔だなぁとは、出会った頃から……いや、見かけたときから思っていたけど。まさに接近戦にも耐えうる顔。
って、そんな悠長に観察してる場合じゃない。
どういうこと? なんで彼が私と……一緒に寝てるわけ……?
思わず、自分の身体に触れる。服は着ている。昨日のままのようだ。
昨日……同期飲みと騙されて、合コンに参加させられた昨日。
服着てるってことは、とりあえず、無事ってことよね。
必死に冷静さを取り戻そうと部屋を観察する。
部屋はホテルではなさそうだった。一面にある棚には、本やその他、様々なものが雑多に詰め込まれている。
そこだけが、部屋の中で唯一カラフルな色合いになっている。ただしそこからはみ出ることは許されていないのか、部屋に物が散乱している様子はなかった。
一見緩いのに押さえ所のしっかりしている彼らしい。と、もう彼の部屋だと確信している自分に気づく。
「……起きた?」
優しく尋ねる声が、ほとんど耳元で聞こえた。変に色気を帯びていて、私は思わずびくりと震える。
驚きの表情を彼に向けると、アーモンド型の目が柔らかく細められている。
髪と同じく色素の薄めの瞳。彼がどこか柔らかく見えるのは、この色合いのせいもあるのかもしれない。
「あっ、あ、あの、私……な、なんで?」
私がおどおどしながら言うと、彼、秋山くんはいたずらっぽく微笑んだ。
「真知田さんとゆっくりしたかったから……お酒、たくさん飲ませちゃった」
その微笑みや言葉使いは、出会った頃と変わらない。そのはずなのに、ひどく大人びて色っぽく感じた。
社会に出て5年。在学当時彼から感じた幼さは、むしろ大人の余裕に変わっている。
生真面目さだけを取り柄に生きてきた私に、そんな男の色気を浴びる機会などあったわけもなく。
自分がどう動くべきか、分からずに戸惑う。
「……あ、あの……」
乾いた喉から声を紡ぐ。秋山くんはふっと笑った。
「大丈夫、何にもしてないから。……まだ」
ま、まだ?
まだって、何ですか?
起き抜けの頭の混乱に混乱を上乗せされて、目が泳ぐ。
そんな私の動揺を察したように、秋山くんは笑った。
大学のときは、私の方がお姉さん気分だったのに。
今や秋山くんの方が、大人になってしまったみたいだ。
「二日酔いとか、なってない?」
「な、ないです」
答えると秋山くんは苦笑した。
「あれだけ飲んだのに……強いんだね」
私は何も言わず肩をすくめる。
ふふ、と笑った秋山くんは、私の顔をじいっと見てくる。私が目を反らした隙に、頬に何かが触れた。
「っ、え」
「ふふふ」
秋山くんは相変わらずの人懐っこい笑顔で私を見て、うーんと伸びをした。
「さてと。朝ごはんにしようか。真知田さん、朝はパン派? ご飯派?」
「えと……ご飯」
秋山くんは嬉しそうに笑った。笑顔は相変わらず可愛くて……なんていうか、犬系男子?
「そうかなと思った。炊けてるはずだから食べよう。みそ汁も作ろうか」
「え、え、あの……お構いなく」
なんだか当然のように振る舞う秋山くんと裏腹に、私はひどく動揺してしまって、戸惑いながら答える。
もともと、人の懐に入り込むのが上手な秋山くんだから、ついつい流されてしまいそうになるのだ。
「わ、私……帰る……」
「ご飯の後にしなよ」
秋山くんは言いながら、部屋着らしいスウェットを脱いだ。
「きゃ」
「あ、ごめん。着替えるね」
「い、言うのが、遅いっ……」
私は多分赤くなった顔を反らして、ごそごそいう音を聞いていた。
「真知田さん、弟いるんじゃなかったっけ」
「い、妹」
「あ、そっか」
会話を交わして、着替え終わった秋山くんが私の顔を覗き込みに来た。
「真知田さん」
「な、なに」
「男のカラダ、見慣れてないんだね」
私は今度こそ間違いなく真っ赤になったのを自覚した。
「な、何言って……」
「可愛いなー」
秋山くんはほくほく顔で、当然のように手を伸ばし、私の髪を撫でる。
不意を突かれ続け、心の防御がしきれないままだ。その温かい大きな手にどきどきしてしまう。
「あ、秋山くん」
「はーい」
「……ごはんのじゅんび」
苦し紛れの言葉に、秋山くんはにっこりした。
「うん、するね。待ってて」
ほっとした私の頬に、二度目のキスを載せて。
鼻歌すら歌いながら、秋山くんは寝室を後にした。
* * *
秋山くんは、大学のときの同級生だ。
でも、学部も学科も違う。教養科目で見かけたり、キャンパスで見かけたりする程度の関係だった。
だから、特段仲がいいわけじゃなかった、と思う。思うのだけど、何故か、彼はいつも、飼い主を見つけて喜ぶ子犬みたいに、私を見つけては駆け寄って来てくれた。「弟がいたらこんな感じかなぁ」と、可愛いげのない妹を持つ私は思ったものだ。
最初に話したのは図書館だった。背の低い私が、書棚に手を伸ばしているところにやってきて、本を取ってくれたのだ。
そのとき、ひょんなことから彼の着ていたパーカーの紐が偏ってしまった。私が一緒に直してあげると、彼は嬉しそうに「ありがとう」と言った。その笑顔はほとんどアイドル級で、きゃーきゃー言ってる女子の気持ちもわかるなぁなんて思った。私はほとんど若者を見守るおばちゃんの気分だ。
秋山くんは、キャンパスの中でも華やかな集団に位置していた。青春を謳歌しようと懸命なその集団の中で、彼は中心に据えられていながら、自然体を保っているように見えた。
真面目一辺倒で、奨学金や奨励金を狙う毎日を送っている私とは別世界の人。たまたま彼に会い、話しかけてもらった日は、アイドルに手を振ってもらったときのような楽しい気分になるけれど、私にとって非現実的な時間だった。
会えばただ挨拶を交わすか、しょっちゅう偏っているパーカーの紐を直してあげるか、それだけの関係。
なのになぜか私たちの仲を勘繰る人もいて、「あっきーと寝たの?」なんてゲスな質問を浴びたりもして、呆れたことを覚えている。
キャンパスで出会う秋山くんは、いつもにこにこしていて、ほわわんとしていて、なんというか、とても無害な感じだった。
私もその「ほわわん」に癒されて、ちょっとご機嫌になったりもした。
卒業後の進路は知らない。
連絡先の交換もすることはなかった。
卒業式、人でごった返す広いキャンパスの中で会うこともなかった。
だから、秋山くんは大学の思い出の一つだ。
みんなに囲まれていたアイドル。遠くから眺めていた可愛い弟分。笑顔が私を癒してくれたときもあった。そんな人。
なのに、まさか就職後5年して、再会することになるだなんて。
金曜の昨夜。
同期で飲みに行こう、と言われた私は、あっさりそれを信じて集合場所に向かった。
合流した同期女子3人はいつも以上に可愛い格好をしていて、化粧もちょっと気合い入ってて、「今日みんな可愛いね」なんて目を丸くしていたら、「お待たせ」って現れたのが、秋山くんと仲のよかった、大学の同級生だった。
「あ、あれ。もしかして、○大出身?」
「こんばんは。やっぱり真知田さんだよね」
ずばり名前を呼ばれて恐縮する。私は彼の名前を知らないのに、どうして彼は私の名前を知ってるんだろう。秋山くんに聞いたのかなと思いながら、私はこくこく頷いた。
「俺、佐伯っていうの」
「佐伯くんとは就活中に会ったんだ。他にも何人か一緒に仲良くなって、前に飲み会してね。まっちーに会いたいっていうから」
「こら、それ言わない約束」
飲みに行こうと言った同期と佐伯くんがテンポのいいやりとりをしている。私は「そうなんだー」とかって言ってたけど、佐伯くんを見つけて近寄って来る男性が二人いて、なんだかおかしいな、って気づき始めた。
「あと一人遅れて来るから、先に行こう」
「え、え、あの……」
まさかこれは、まさか……
合コン、てやつでは……
戸惑う私の腕を、同期女子二人ががっちり掴んで、店まで連行されてしまった。
とりあえず飲み物を頼み、簡単に自己紹介をした。
「真知田さん、もしかしてこういうの初めて?」
「え、えーと……はい……」
「そっか、真面目そうだもんね」
きらきらふりふりの同期に囲まれ、地味ルックな私。
完全に恐縮しきっているから逆に気遣かわれているのか、佐伯くんのお友達は優しく声をかけてくれた。
佐伯くんは目つきが悪いけど、あの秋山くんの世話係だったのだから面倒見がいいのだろう。その友達もしかり、ということか。そんなことを思いつつ苦笑する。
「今日も……その、ただの同期会だと思ってて」
「だってまっちー、合コンって言ったら絶対来ないじゃん」
来ないよ。
来るわけないじゃん。
だってこんなキラキラした感じ、無理だもん。
こういうのは、大学時代に青春を謳歌していた、あっちの集団がしているものであって。
私のような、よく言えば真面目、悪くいえば地味、若者を「若いねぇ」なんてほほえましく見ていた私には、見るも入るも眩しい世界なのであって。
「あ、だからそういう格好なんだ」
言葉がぐさっと胸を刺す。
もしも合コンだとわかっていたからって、私の服はさして変わらない。
持ってる服はモノトーンかベージュ。
おしゃれといえばせいぜい紺色。
パステルカラーなんて一枚あるかないか。
勇気を出しても鞄の指し色程度か。
自分のワードローブを思い出しつつ、どうにか引き攣った笑みを返していると、
「ーー遅れてごめん」
柔らかい声がした。
はっとして、そちらを見やると、スーツ姿のアイドルが立っている。
いや違う、相変わらずアイドルみたいな、秋山くんが立っている。
そして私をとらえると、ふわりと笑った。
「お待たせ、真知田さん」
人の笑顔に破壊力を感じたのは初めてだ。
待ってないよ、ていうかそもそも来るって知らなかったよ。そんな気の効いた返事もできないまま、しどもどして。
乾杯して軽く話した後、気づいたら隣にいた同期がトイレに立ってて、気づいたら秋山くんが「久しぶり~」ってそこにいた。
正直、その後の記憶はあいまいだ。
学生時代でもそんなに近くに長くいたことないのに、そこからずっと、秋山くんがそこにいたもんだから、遠目から眩しくアイドルを見ていたおばちゃん的な私は完全に混乱してしまった。秋山くんがどんどんお酒勧めて来るのを幸い、間がもたなくてついつい口にグラスを運びつづけ、それで……それで……
どうなって今秋山くんの家にいるというのだろう。
記憶がないというのはこんなにも怖いことなのか。私は思わず頭をかかえる。怖いけど、昨日の私の失態を彼に聞くしかないだろう。……すごく怖いけど。
「真知田さん、ごはん準備できたよー」
コンコンとノックしたドアの向こうから、ほのぼのした秋山くんの声が聞こえる。秋山くんて、きっと歌もうまいんだろうな。半ば現実逃避のようにそんなことを考えながら、私ははい、と返事をし、ベッドから這い出た。
「割り箸しかないけど、ごめんね」
「い、いえ……すみません」
恐縮する私に、秋山くんは微笑みを返した。
朝食は白いご飯と目玉焼き、そしてみそ汁。準備にかけていた時間を考えると、手早く作ったものだと感心する。日頃から料理をしているのだろうと察しがついた。
黙って朝食を摂りながら、私はちらちら秋山くんの表情をうかがう。訝しげな顔を向けているだろうに、秋山くんはいやな顔一つせず、むしろご機嫌そうににっこり返して来る。
静かなのに温かい空気は、逆にそわそわと落ち着かない。否、落ち着きそうになる自分を制御するのに必死だ。
こんな朝を、今までも迎えたことがあるような。
これから、当然のように迎えて行くのだというような。
そんな錯覚を抱く自分を、必死で律する。
「……昨日の記憶、曖昧?」
あらかたご飯を食べたところで、秋山くんが静かに聞いた。私は恨めしげな視線を秋山くんに向け、小さく頷く。秋山くんは笑った。
「大丈夫、別に何にもなかったよ。飲み放題3時間、終わって『カラオケ行こう』ってなって、真知田さんが帰ろうとしたから俺が送るって言って、もう少し飲もうよって言って違う店入って、そしたら真知田さんが寝ちゃったから、俺ん家連れてきた」
滞りなく流れる秋山くんの説明を、私はふむふむと聞いてから頭を抱えた。
いろいろ省略されすぎじゃない……?
カラオケに行くとなった女子が、秋山くんと話す機会を伺っていたのは想像に難くない。私と二人で抜け出した後のブーイングは安易に想像できた。
私、来週どんな顔して彼女らに会えばいいの……
所属は違えど同期なのだ。今までどうにか仲良くやってきたと思っているのに、変な関係になってしまったらどうしよう。同期は可愛い子も多くて、キラキラしている彼女らがにこにこ笑いかけてくれるのはおばちゃん(私)のエネルギー源でもあるのだ。それが奪われるかもしれないという恐怖。
そんでもって連れてきたって、さらっというけど、どうやって連れてきたんだろう。抱っこして? おんぶして? 工事現場で使うような一輪車が身近にあるわけもなく、ベビーカーに乗せるわけもなく、当然秋山くんが私を抱えて歩いたのだろう。二軒目のお店の場所もこの家の場所も私には分からないけど、電車に乗って移動した可能性もある。
そう考えればワイドパンツだったのはラッキーだった。下着がチラ見えする心配はないだろうから。
そもそも、スカートなんてスーツの上下しか持ってないけど。
急に高速回転を始めた私の頭はパンク寸前だ。どうしようどうしようと頭を抱える私を見て、秋山くんが柔らかい笑い声をあげる。
その声、どきどきするからやめてほしい。
「どうしよう、って思ってるの? 俺との関係勘繰られるんじゃないか、とか」
言われて、私ははっとする。
そうか、そういう勘繰りもありえるのか!
なにぶんこうした経験に乏しいので想像もつかなかった。
そんな私の表情を見て、また秋山くんは笑う。
「可愛いなぁ、真知田さん。そんなに、考えてること顔に出るんだね」
「ち、違っ、今日はその、混乱して……」
否定しようと振った手をかいくぐり、秋山くんの手が私の頬に伸びる。
「化粧取れても全然変わんない。肌綺麗だね。髪も綺麗だけど」
優しい手つき。綺麗な指でも、触れた感じは女のそれと違ってごつごつしている。その事実が、また私を混乱させる。
「ま、待って」
「うん」
秋山くんは頷いた。頬に添えた手をそのままに。
「て、手、どけて」
「えー」
心底残念そうに唇を尖らせたけど、渋々手をどけてくれた。
私はほっと息を吐き出す。
「待つよ」
不意に聞こえた声は、今までになく真剣みを帯びている。
私がまばたきしながら見上げると、秋山くんは微笑んだまま、真剣な目で私を見つめていた。
「今までもずいぶん待ったし、待てって言われたらいくらでも待つ」
まるで忠犬ハチ公みたいだ。そう思った私には、彼の言葉の意図が分からない。
秋山くんはそうと察したのだろう、ため息をついて苦笑した。
立ち上がり、私の方に寄って来る。
「真知田さん、手貸して」
「手……はい」
まるでお手をするように、秋山くんの手の上に手を重ねる。大きくて温かい手にどきどきする間もなく、秋山くんは私の手を、自分の胸元へと添えた。
「わかる?」
「え? え?」
「……緊張してんの、わかる?」
え? え? 緊張?
秋山くんが緊張? なんで?」
「わ、わ、わかんない」
混乱のあまり、泣きそうになりながら答える。
「わ、私も緊張してるから、わかんないよ」
秋山くんはきょとんとした顔をして、噴き出した。
その顔はやっぱり可愛くて、キャンパスのアイドルだった頃を彷彿させる。
「なんで、真知田さん、緊張してんの」
秋山くんは細めた目を、すこしだけ私に近づけた。
私はその目をどうにか見返しながら、言葉を探す。
「だ、だって、昨日飲み会行ったら合コンだったし、今日起きたら知らない場所だし、あ、秋山くんいるし……」
一つ一つ挙げながら、後は、後はと続ける。
「あ、秋山くんなんか近いし、優しいし、あ、優しいのは前からだけど、でもなんか、とにかく近いし、触って来るし……でもご飯美味しかったし……ええ?」
言っているうちに自分で訳が分からなくなってきた。私は困惑した目を秋山くんに向ける。
「と、と、とにかく、なんか」
唇は、秋山くんのそれで塞がれた。
柔らかい。温かい。不思議な感触。
驚きのあまり見開いた目に、秋山くんの顔がどアップで見える。
アップすぎてピントの合わない中で、「やっぱりまつげ長いなぁ」ととぼけた自分が言う。
聞こえるか聞こえないかの水音をたて、秋山くんの唇が離れた。
私を見つめる顔は、すこしだけバツが悪そうだ。
「……目、閉じてよ……」
「え、え……」
ごめん、と答えながら、混乱する。
ごめん、て私が言うべきところなんだろうか、これ。
大学を卒業してから5年。もう28なのにこんなこと言うのもなんだけど、今までこういう経験はほとんどない。
ていうか、男の子とつき合ったことなんて、今まで一人しかない。就職して、図書館の隣の公園で会った人で、犬の散歩をしていたのによく出会って挨拶を交わすようになり、つき合ったけど彼が転勤になってフェードアウト。そのつき合いは半年そこそこで、ぎりぎり、キス止まり。
不満げに私を見つめる秋山くんの目がなんだか色っぽくて、ドキドキしてしまう。長い前髪の人は嫌いなのに、その隙間から見つめられてそわそわする。アイドル顔の秋山くんだけど、可愛い系はタイプじゃない私にとって、彼は在学中から、本当に、本当に、ただの、同級生……
「真知田さん……」
声がして、温かいものに包まれる。
抱きしめられて当たった胸元から、動悸が聞こえて来る。
私の心臓も暴れていたけど、秋山くんのそれも、確かに。
「……秋山くん、ドキドキしてる」
「だから、言ったじゃん」
もー、とむくれる様は昔よく知った姿を思い出させる。
でも、でも、昔とは違う。何だろう。どうしてだろう。私を包む腕が想像よりも男らしいからだろうか。それとも、今までになく近くにいるからだろうか。それとも、それともーー
秋山くんは私をぎゅっと抱きしめて、大きく息を吐き出した。
「……すごい」
「な、なにが?」
「……ほんとに、また会えると思わなかった」
秋山くんの声が震えていることに気づいて、私は戸惑う。
「え? ……え?」
「だって、連絡先も交換しなかったし」
すん、と鼻をすするような音が聞こえた気がした。私は戸惑いながら、私の肩に乗せられた秋山くんの頭を見る。
「……二度と、会えないかと思ってた……」
「そんなの……」
当然だ。
だって、秋山くんは。
みんなの、キャンパスの、アイドルで。
毎日を、学生生活を、最大限楽しんでいる一団の中心にいて。
私の世界とは、別のところにいた。
大学を卒業すれば、その先の道に、互いはいない。
重なることは、ない。
そのはずだったのにーー
「……秋山くん?」
私の呼びかけに、秋山くんは黙って腕の力を強める。
「あ、秋山くん……」
「やだ。離さない」
いや、離してって言ってないけど。
でもこのままじゃ、ゆっくり話せないっていうか。
緊張するし。顔、見えないし。
思うけど口はぱくぱくするだけだ。秋山くんはまたすんと鼻を鳴らして、顔を上げた。
ちょっと潤んだ目が、私を見つめる。
「……私、お風呂入ってないから、汚いよ」
かろうじて吐き出した言葉はそんなのだった。
なんというか捻りがない自分にあきれる。
秋山くんはきょとんとして、笑った。
誰もが彼を好きになるような、可愛い笑顔。
「汚くないけど、シャワー浴びて来る?」
もう朝食もほとんど済んでいる。
私はとりあえずこの状態から逃れたくて、こくりと頷いた。
バスルームに案内してくれた秋山くんは、しっかり私の手を握りながら、シャワーの出し方やシャンプーなど、一つ一つ説明してくれた。
今まで握ったこともない彼の手に、私は混乱しつつ頷き、早く一人にしてくれないかなと頭のどこかで思う。
「じゃあ、パンツここ置いとくね」と言われたときには思わず眉を寄せた。「昨日、コンビニで買っといたから」と邪気なく笑われて、私は思わず開いた口がふさがらなくなる。
ようやくバスルームに一人残されて、ため息をついた。
なんだか……結局、うまく乗せられた気がする……。
朝ごはんを食べたら、すぐに退室するつもりだったのに。
みんなのアイドル、秋山くんは、今だってみんなのアイドルなんだろう。
仲のいい男友達の佐伯くんだって、なんだかんだ言って秋山くんには弱いようだったし、昨日集まった私の同期も、秋山くんを無視できなかった。私にばかり話しかけてくる秋山くんの気を引こうとしていたように感じる。
男女共に、好かれる明るさ。柔らかさ。
私はため息をつきながら、しかたなく服を脱ぎはじめた。
知らないバスルーム。ホテルでもなんでもないそこで、生まれたままの姿になるのは結構な勇気がいる。
でも、これで入らないって言って帰るのも勇気がいるから、とりあえず入ることにした。
髪をまとめ上げ、身体を洗いながら、秋山くんのことを考える。
一体どういうつもりで。さっきの態度は一体何なんだろう。
まるで恋い焦がれてた人と出会ったような。
演技なんだろうか。どっきりか何か?
私なんかにどっきりして、何になるんだろう。
結局考えれば考えるほどよく分からない。
分からないから、諦めてため息でごまかした。
一通り身体を洗い終わり、身体を拭いて、……秋山くんが買ってくれたパンツを履いて、服を身につける。
オフィス仕様ではあるけど、スーツじゃなくてよかった。スーツだったらシワになるし……変なところによく気づく秋山くんが、「シワになったら困るだろうから」と脱がせてくれたりすることもありそうな気がする。
そう気づいて眉を寄せ、頬が赤くなったのを感じた。
秋山くんはどういうつもりなんだろう。
分からない。アイドルの思考回路なんて分からない。
在学中の彼はただ、いつもにこにこしていて、私を見ると手を振って、わんちゃんみたいに近づいて来て、パーカーの紐が寄ってるから直してと、弟みたいに甘えてきた。
それを可愛いなと思っていた。癒されていた。それ以上を考えたことなんてない。だって、アイドルと一対一のつき合いをしたいなんて、普通思わないものでしょ?
私はまたため息をついて、ドアノブに手をかけた。
勇気を出して、一気に押し開ける。
ごん、と鈍い音と手応えがあった。
「え、え」
「い……たい……」
涙目になった秋山くんが、額を押さえてうずくまっている。
私はドアノブを持ったまま困惑した。
「だ、大丈夫?」
「だめかもぉ……」
私を見上げる目は潤んでいる。私は戸惑った。
「え、えぇと、保冷剤」
「痛いよー、真知田さぁん、痛い~」
「だから保冷剤……」
「そんなのないー」
「じゃあ、タオルを濡らして」
「そんなのいらない」
秋山くんは言って、私の手を取った。
自分の額に押し当てて、じっと見上げてくる。
「こうしててくれたら、治る」
「な、治んないよ!」
「じゃ、ちゅーしてくれたら治る」
「治んない!!」
私の反論に、秋山くんはちぇ、と唇を尖らせる。そもそもなんでそんなにドア近くにいたの、と聞きたいけど聞きたくない。
でも、私の手は彼の額に添えられたまま。身動きができないのはどうしてなのか、考えるには私の頭は混乱しすぎている。
「……まちださん」
秋山くんはじぃっとつぶらな瞳で私を見つめる。
その目、やめてほしい。
なんとなく、捨てられた子犬感っていうか、「拾ってください」みたいに見える。
秋山くんは可愛い顔をしているんだから、その顔を悪用してはいけないと思う。
そう思って一人、そうだそうだと頷く。
秋山くんは笑った。
「なに、考えてるの?」
立ち上がった秋山くんの声が、柔らかく身体に降って来る。
そう思ったとき、もう身体を抱きしめられていた。
「可愛い。ほんと真知田さん可愛い」
「だ、ま、あ、きやまくん」
「駄目?」
秋山くんは私の顔を見つめた。至近距離にあるイケメンに私の目が泳ぐ。
「嫌?」
秋山くんの目は、私の本心を探るようにじっと、じっと、見つめて来る。そわそわと落ち着かず、私は口を開いた。
「い……やではないけど……」
えええ。
えええ、私何言ってんの。
嫌じゃないって、まずいんじゃないの。
この状態でそれ、まずいんじゃないの。
「あ、いや、嫌ではないというか、その」
慌てて取り繕おうとしたけど、秋山くんの心底嬉しそうな笑顔があったからもうそれ以上何も言えなくなった。
「ん?」
「……何でもないです……」
「そう?」
にこにこにこと、秋山くんの笑顔。
可愛いけど。可愛いけど。
私のタイプは、もっと男っぽい顔立ちなのだし。
というか、いわゆるイケメンって、あくまで観賞用で、恋愛対象外だし。
れ、恋愛? 恋愛って何言っちゃってんの。
「あの、秋山くん」
「なに?」
「わ、私のような不慣れな人間を、その、茶化して遊ぼうというのは、趣味がいいとは思えません」
めちゃくちゃ視線を泳がせながら言うと、秋山くんは数度まばたきした。
「ちゃかす……」
柔らかい声が反復し、
「茶化してないよ。本気だよ」
ほ、本気?
「だ、駄目駄目駄目駄目っ」
私の背中をさすり、腰をかすめる手の動きが、その先に何を求めているか、私だってわからなくはない。
慌てて振りほどこうとしたけど、秋山くんも慌てて私を抱きしめた。
「え、待って、待って待って」
「待たない、いや、それはこっちの台詞!」
わちゃわちゃしたやりとりに、私は足を滑らせる。手にしていたタオルが落ちていたのだと気づいたときにはすでに遅く、二人して床に倒れ込む。
かばってくれた秋山くんが肩から激突して、慌てた。
「あ、秋山くん。大丈夫」
「駄目……全然駄目……」
「ほ、保冷剤。買ってくる」
「違う……そっちの話じゃなくて」
秋山くんは私の身体から離した手で、顔を覆った。
「……真知田さんが俺のこと拒否した……」
いや。
いやいやいや。
君。ちょっと。
「いきなりすぎでしょ」
「いきなりじゃないもん……」
秋山くんが顔から手を離し、私の頬に添える。
「……全然、いきなりじゃないもん……」
もん、って。
どんどん学生の頃の秋山くんに戻っていくみたいな。
「……あの」
私の言葉を遮って、秋山くんが動いた。
ごろりと上にのしかかられ、目を見開く。
「秋山くん」
「好きだ」
「えーー」
額にキスが降って来る。見上げた先には秋山くんの切なげな表情。
「好きだよ、真知田さん。ずっと好きだった。出会った頃から。一言、話した頃から。卒業前に連絡先聞きたかったのに機会なくて、絶望したけど、真知田さんと30までに再会できたら、絶対絶対、ちゃんと伝えようって思ってた。好きだって、一緒にいたいって言って、あと連絡先も聞いて」
いきなり事務的な話が入って笑いそうになる。秋山くんはやっぱり秋山くんだ。ちょっとぼけていて、でも押さえ所は押さえていて、感心するとまたボケてくる。
「伝わらない? どうやったら伝わる? たくさんキスすればいい? 抱きしめればいい? 言葉にすればいい? それとも……」
「い、いい。いいから。伝わったから」
思わぬ告白に私の方こそあっぷあっぷだ。でも……と恨めしげに見てくる目はやっぱり子犬っぽくて可愛い。
「つ、伝わった。秋山くんの気持ちは分かった、でも」
「でも?」
私は目をさまよわせる。でも。何だろう。何を言うべきなんだろう。
「でも……私、こういうのはその……ちゃんと将来を誓った人とするべきだと……」
言ってから、失言だと気づいた。
秋山くんの目が今まで見たことがないほどに輝いたからだ。
「誓う、誓う、誓うよ。指輪買いに行く? 高級ホテルのディナーでも行く? あっ、観覧車の中とかがいい? それとも……」
浮き立つ秋山くんの顔が、とにかく可愛すぎて困る。待って待ってと口にしながら、何を待って欲しいのかわからなくなる。
私は。
私の気持ちは。
秋山くんが笑う。
「真知田さんと、ずっと一緒にいたい」
その一言で、私は諦めた。
私の方こそ、すっかり彼の手中にいる。
「……仕方ないなぁ」
私は言った。
同じ言葉を、学生時代にもよく言ったなと思い出す。
彼の偏ったパーカーの紐を直してあげながら。
秋山くんが笑った。同じことを思ったのだろうとなんとなく分かって私も笑う。
手を伸ばして秋山くんの首に絡めた。
「……真知田さん」
「なぁに」
「あのね」
見上げると、秋山くんの笑顔は蕩けたようにふにゃふにゃだ。
学生時代にも見たことがある笑顔だと気づき、彼の想いが嘘でないことを確認する。
「真知田さんにさわらせて」
「はっ?」
「だって、ずっとずっと、憧れだったから」
落ち着きのない彼の手が、やわやわと私の身体の弾力をまさぐり始める。
「確認したいの。真知田さんの身体。シャワーも浴びたしいいよね? 寒いからベッド行こうか」
気遣うべきはそこじゃない、と言いたいのに言えない。真っ赤になった顔を見られたくなくて彼の首にしがみつく。
柔らかい声が耳元で囁いた。
「どれくらい真知田さんのことが好きか、教えてあげるね」
細く見えてつくべき筋肉のついた腕に、あっさりと抱き上げられて、私にできる精一杯の抵抗は、首を横に振るくらいなものだった。
FIN.
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