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番外編 暑気払いの効能(多田野の話)
04
シーズン的に暑気払いの予約客でいっぱいだ。開始から2時間半で店側から出て行くように声がかかった。それぞれ紙幣を取り出して幹事に渡し、幹事が支払いを済ませる。
「じゃ、お疲れー!」
「えいよ!」
「栗ちゃん気をつけて帰ってね!」
「はーい!そっちもねー!」
栗原以外は既婚者で、子どもがいる者もいるーーとは、駅に向かって歩きながら、栗原が多田野に言ったことだ。
「ということで、多田野くんは?」
丸い目をくるりと多田野に向けて首を傾げる。
「俺が何?」
問うと、栗原は多田野の左手を指差した。
「指輪がないことは確認しました」
多田野は笑う。
「そんなの見てたの?」
「見てたよー! 見るよ! そりゃ見るでしょ!」
言って、三段階活用、と笑う。ちょっと意味違うんじゃないの、と多田野が言うと、いいの、とまた笑った。
(よく笑う)
よく笑い、よく話し、よく食べてよく飲んでーー
見るからに賑やかな栗原のことを、多田野は嫌いではない。
くるくるとよく動く栗原の目は、見ているだけでも楽しくなる。
「えーと」
栗原は戸惑ったように首を傾げた。
「どうかした?」
多田野も合わせたように首を傾げる。
栗原は困った顔のまま、多田野を見上げた。
「この歳になってこんなこと言うのも何なんですが」
「はい、何でしょう」
「男の人を上手に二軒目に誘うのって、どう言えばいいの?」
多田野は噴き出した。
「上手に、かどうか分からないけど、いいんじゃないの、それで」
「それって、今の?」
「うん」
栗原は納得行かないような顔をする。
「よくなくない? なんかもっとこう、スマートに……もしくは色っぽく……」
「でも、栗ちゃんらしいよ」
迷いのない多田野の言葉に、栗原は言葉を止めた。
少しの間の後、多田野を見上げる。
「それも、多田野くんらしい」
「それって?」
次は自分の番かと、多田野が首を傾げると、
「ーー天然タラシ」
栗原が唇を尖らせた、その頬が少し赤い。
「栗ちゃん、顔赤いよ」
栗原が眉を寄せた。
「アルコールのせいです」
「そうなの?」
「そうです。ーーそういうことに、しといてください」
「じゃあ、そういうことにしとこう」
多田野は言って笑う。そのシャツの袖口を、栗原がおずおずとつまんだ。
多田野はその手が掴むものを、袖口から自分の手に変える。
「栗ちゃん、いつ35になるの?」
栗原は驚いたように目を見開いた。
かと思えば、真っ赤になってうつむく。
「1月です」
「そうなんだ」
言いながら、繋いだ手に少し力を込めた。
「ーー覚えてたの?」
「覚えてたというか、思い出したというか」
多田野が言うと、栗原は脱力したような嘆息をついた。
「ーーもう、やだ」
「何が?」
「多田野くん。私みたいの、タイプじゃないでしょ?」
多田野は栗原の意図を探ろうと、その表情を見やる。
「もっとさぁ、こうーー高嶺の花、みたいな。凛としてて、うーんと……花で言えば百合、猫で言えばロシアンブルー、犬で言えばドーベルマン……いやそれは違うな……」
もそもそと言って、ともかく、と継ぐ。
「私みたいな、ごちゃごちゃ言ううるさいの、タイプじゃないでしょ?」
多田野を見上げるその目は、まっすぐではあるが怯えの色を含んでいる。
多田野は笑った。
「すごい、よく見てるね」
否定はできない。
ーーそれでも。
「合ってるところと、合ってないところがある」
「ドーベルマン?」
「いや、そこじゃなくて。そこどうでもいいから」
完全にズレた着眼点に、多田野は笑った。
「高嶺の花が気になるのは、合ってる」
同僚たる狩野玲子はまさにその例だ。
「でも、栗ちゃんみたいな子がタイプじゃない訳じゃない」
穏やかな笑顔を向けると、栗原が困惑した顔で見返してきた。
「じゃない訳じゃないけど、私のことが好きな訳でもないでしょ。元々好きだった訳でもないし、再会したの今日だし」
「どうかなぁ」
多田野は笑う。空いている方の手を、栗原の頬へ添えた。
「栗ちゃんと一緒にいるの、好きだよ。俺」
栗原といると、力まず笑っている自分に気づく。
憧れでも浮ついた気持ちでもない、温かな思い。
指先で、相変わらず丸い印象のその頬を撫でた。
「今までよくがんばったんだね。昇進、おめでとう」
静かに言うと、栗原の目が潤んだ。
「あー!」
またしてもタックルするように、多田野の胸元に抱き着く。
「もうやだ! 多田野くんてば!」
しばらくぎゃあぎゃあと騒いだかと思えば、不意に静かになった。
額を多田野の胸におしつけ、下を向いて止まる。
かと思うと、多田野の背中に回していた手を、うつむいた自分の顔に寄せた。
「ーーがんばったよぉ」
ぽつり、と小さい呟きは、震えて自信なさげに響く。
「うん。そうだよね」
多田野は微笑んで、その頭を撫でた。
「ーー女が、こんな、トントン、昇進しちゃって」
ときどきしゃくりあげながら、栗原は小さい声で話す。
「同期だって、腹の底では、どう思ってるか、わかんないし、先輩だって、追い抜いちゃうし」
ぐずぐず言い出したので、多田野が見かねてハンカチを差し出す。栗原は顔を上げずに受け取って、目元に添えた。
「がんばったの、評価、されたのは、嬉しいけど。このまま、仕事ばっかりがんばれって、言われたみたいでーー」
言うや、はー、と肩から力を抜くと、多田野を見上げた。
「もし、結婚して子どもできましたー、とか言ったら、罵倒されそうじゃない?」
「罵倒?」
「そうそう。何考えてんだー、みたいな」
「どうかなぁ」
多田野は首を傾げた。
「じゃあ、そのときは俺が仕事セーブすれば」
言いながら、気づく。すでに相手が自分のような口ぶりだ。
「講師だと、そういうこともできるの?」
くるりと丸い目が多田野を見上げた。もう三十半ばと思えない少女じみた視線に、多田野に自然と笑みが浮かぶ。
「うまくやればね。収入減るけど」
「それはまあ、多分大丈夫」
栗原は答えた。
「贅沢できないけど生活していける給与が出るのが公務員だもん。ご承知の通り」
「そうだね。知ってる」
多田野が頷くと、栗原は赤くなった目元のまま笑った。
「変なの」
「何が?」
「私たちが結婚するみたいな話になってる」
多田野は栗原の頬に手を添えた。珍しく、いたずら心のようなものが湧く。
「違うの?」
微笑むと、栗原の目が揺らぐ。
「ーー違うの?」
もう一度問うてみた。栗原はうつむき、また、多田野に抱き着く。
「ーー違わない」
つぶやいて、
「……と、いいなと、思う」
自信なさげに付け足した。
「そうだね。俺もそう思う」
多田野は笑って、抱擁を返す。
栗原の身体は想像以上に小さく感じて、存在を確認するように、いちだんと近くへ引き寄せた。
「多田野くん」
小さな声が名を呼ぶ。
「ーー好きです」
多田野は目を閉じた。
「ーー俺も」
小さくても、確かな声で、答える。
「栗ちゃんが好きだよ」
(こういう気持ちもあるのか)
手の届かない女性に寄せるのとはまた違う想いが、心を満たしていく。
それが心地好かった。
栗原が震える息を吐き出した。
どちらからともなく、目を見つめる。
顔が近づく。
触れ合っただけの唇は、ずいぶんと柔らかく感じた。
FIN.
* * *
ご覧くださりありがとうございました。
栗ちゃんが予想以上にかわいくなって満足です(笑)
実は本編で多田野を出すのは、ギリギリまで避けようと思っていました。
切ない想いを抱くキャラクターを書くのがしのびなくて…(苦笑)
でも残念ながら、玲子に最後の一押しが必要だったので、「ああごめんね多田野……」と思いながら書いた次第です。
でも、そんなキャラもお気に召していただけた方がいて、安心しました。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!
(おまけ)
6月27日のブログに48話の多田野サイドのSSを公開してみました(もちろん切ないやつです(笑)
多田野スキーな方、もしよければご一読くださいませ。
松丹子 拝
「じゃ、お疲れー!」
「えいよ!」
「栗ちゃん気をつけて帰ってね!」
「はーい!そっちもねー!」
栗原以外は既婚者で、子どもがいる者もいるーーとは、駅に向かって歩きながら、栗原が多田野に言ったことだ。
「ということで、多田野くんは?」
丸い目をくるりと多田野に向けて首を傾げる。
「俺が何?」
問うと、栗原は多田野の左手を指差した。
「指輪がないことは確認しました」
多田野は笑う。
「そんなの見てたの?」
「見てたよー! 見るよ! そりゃ見るでしょ!」
言って、三段階活用、と笑う。ちょっと意味違うんじゃないの、と多田野が言うと、いいの、とまた笑った。
(よく笑う)
よく笑い、よく話し、よく食べてよく飲んでーー
見るからに賑やかな栗原のことを、多田野は嫌いではない。
くるくるとよく動く栗原の目は、見ているだけでも楽しくなる。
「えーと」
栗原は戸惑ったように首を傾げた。
「どうかした?」
多田野も合わせたように首を傾げる。
栗原は困った顔のまま、多田野を見上げた。
「この歳になってこんなこと言うのも何なんですが」
「はい、何でしょう」
「男の人を上手に二軒目に誘うのって、どう言えばいいの?」
多田野は噴き出した。
「上手に、かどうか分からないけど、いいんじゃないの、それで」
「それって、今の?」
「うん」
栗原は納得行かないような顔をする。
「よくなくない? なんかもっとこう、スマートに……もしくは色っぽく……」
「でも、栗ちゃんらしいよ」
迷いのない多田野の言葉に、栗原は言葉を止めた。
少しの間の後、多田野を見上げる。
「それも、多田野くんらしい」
「それって?」
次は自分の番かと、多田野が首を傾げると、
「ーー天然タラシ」
栗原が唇を尖らせた、その頬が少し赤い。
「栗ちゃん、顔赤いよ」
栗原が眉を寄せた。
「アルコールのせいです」
「そうなの?」
「そうです。ーーそういうことに、しといてください」
「じゃあ、そういうことにしとこう」
多田野は言って笑う。そのシャツの袖口を、栗原がおずおずとつまんだ。
多田野はその手が掴むものを、袖口から自分の手に変える。
「栗ちゃん、いつ35になるの?」
栗原は驚いたように目を見開いた。
かと思えば、真っ赤になってうつむく。
「1月です」
「そうなんだ」
言いながら、繋いだ手に少し力を込めた。
「ーー覚えてたの?」
「覚えてたというか、思い出したというか」
多田野が言うと、栗原は脱力したような嘆息をついた。
「ーーもう、やだ」
「何が?」
「多田野くん。私みたいの、タイプじゃないでしょ?」
多田野は栗原の意図を探ろうと、その表情を見やる。
「もっとさぁ、こうーー高嶺の花、みたいな。凛としてて、うーんと……花で言えば百合、猫で言えばロシアンブルー、犬で言えばドーベルマン……いやそれは違うな……」
もそもそと言って、ともかく、と継ぐ。
「私みたいな、ごちゃごちゃ言ううるさいの、タイプじゃないでしょ?」
多田野を見上げるその目は、まっすぐではあるが怯えの色を含んでいる。
多田野は笑った。
「すごい、よく見てるね」
否定はできない。
ーーそれでも。
「合ってるところと、合ってないところがある」
「ドーベルマン?」
「いや、そこじゃなくて。そこどうでもいいから」
完全にズレた着眼点に、多田野は笑った。
「高嶺の花が気になるのは、合ってる」
同僚たる狩野玲子はまさにその例だ。
「でも、栗ちゃんみたいな子がタイプじゃない訳じゃない」
穏やかな笑顔を向けると、栗原が困惑した顔で見返してきた。
「じゃない訳じゃないけど、私のことが好きな訳でもないでしょ。元々好きだった訳でもないし、再会したの今日だし」
「どうかなぁ」
多田野は笑う。空いている方の手を、栗原の頬へ添えた。
「栗ちゃんと一緒にいるの、好きだよ。俺」
栗原といると、力まず笑っている自分に気づく。
憧れでも浮ついた気持ちでもない、温かな思い。
指先で、相変わらず丸い印象のその頬を撫でた。
「今までよくがんばったんだね。昇進、おめでとう」
静かに言うと、栗原の目が潤んだ。
「あー!」
またしてもタックルするように、多田野の胸元に抱き着く。
「もうやだ! 多田野くんてば!」
しばらくぎゃあぎゃあと騒いだかと思えば、不意に静かになった。
額を多田野の胸におしつけ、下を向いて止まる。
かと思うと、多田野の背中に回していた手を、うつむいた自分の顔に寄せた。
「ーーがんばったよぉ」
ぽつり、と小さい呟きは、震えて自信なさげに響く。
「うん。そうだよね」
多田野は微笑んで、その頭を撫でた。
「ーー女が、こんな、トントン、昇進しちゃって」
ときどきしゃくりあげながら、栗原は小さい声で話す。
「同期だって、腹の底では、どう思ってるか、わかんないし、先輩だって、追い抜いちゃうし」
ぐずぐず言い出したので、多田野が見かねてハンカチを差し出す。栗原は顔を上げずに受け取って、目元に添えた。
「がんばったの、評価、されたのは、嬉しいけど。このまま、仕事ばっかりがんばれって、言われたみたいでーー」
言うや、はー、と肩から力を抜くと、多田野を見上げた。
「もし、結婚して子どもできましたー、とか言ったら、罵倒されそうじゃない?」
「罵倒?」
「そうそう。何考えてんだー、みたいな」
「どうかなぁ」
多田野は首を傾げた。
「じゃあ、そのときは俺が仕事セーブすれば」
言いながら、気づく。すでに相手が自分のような口ぶりだ。
「講師だと、そういうこともできるの?」
くるりと丸い目が多田野を見上げた。もう三十半ばと思えない少女じみた視線に、多田野に自然と笑みが浮かぶ。
「うまくやればね。収入減るけど」
「それはまあ、多分大丈夫」
栗原は答えた。
「贅沢できないけど生活していける給与が出るのが公務員だもん。ご承知の通り」
「そうだね。知ってる」
多田野が頷くと、栗原は赤くなった目元のまま笑った。
「変なの」
「何が?」
「私たちが結婚するみたいな話になってる」
多田野は栗原の頬に手を添えた。珍しく、いたずら心のようなものが湧く。
「違うの?」
微笑むと、栗原の目が揺らぐ。
「ーー違うの?」
もう一度問うてみた。栗原はうつむき、また、多田野に抱き着く。
「ーー違わない」
つぶやいて、
「……と、いいなと、思う」
自信なさげに付け足した。
「そうだね。俺もそう思う」
多田野は笑って、抱擁を返す。
栗原の身体は想像以上に小さく感じて、存在を確認するように、いちだんと近くへ引き寄せた。
「多田野くん」
小さな声が名を呼ぶ。
「ーー好きです」
多田野は目を閉じた。
「ーー俺も」
小さくても、確かな声で、答える。
「栗ちゃんが好きだよ」
(こういう気持ちもあるのか)
手の届かない女性に寄せるのとはまた違う想いが、心を満たしていく。
それが心地好かった。
栗原が震える息を吐き出した。
どちらからともなく、目を見つめる。
顔が近づく。
触れ合っただけの唇は、ずいぶんと柔らかく感じた。
FIN.
* * *
ご覧くださりありがとうございました。
栗ちゃんが予想以上にかわいくなって満足です(笑)
実は本編で多田野を出すのは、ギリギリまで避けようと思っていました。
切ない想いを抱くキャラクターを書くのがしのびなくて…(苦笑)
でも残念ながら、玲子に最後の一押しが必要だったので、「ああごめんね多田野……」と思いながら書いた次第です。
でも、そんなキャラもお気に召していただけた方がいて、安心しました。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました!
(おまけ)
6月27日のブログに48話の多田野サイドのSSを公開してみました(もちろん切ないやつです(笑)
多田野スキーな方、もしよければご一読くださいませ。
松丹子 拝
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