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 蕎麦を茹でながら、食事を始めた勝くんの姿を見やる。
 もう少し若いときなら、あのまま腕の中に甘んじていただろうに。
 私は、いつの間にこんなに、理性とか、社会性とかに縛られるようになってしまったのだろう。
 ううん……きっと違う。
 それらしく自分が納得できるような理由をつけているだけだ。
 本当は、怖いだけだ。
 臆病なだけなのだ。
 勝くんに幻滅されることが怖い。
 勝くんや、みっちーとの関係が変わることが怖い。
 蕎麦を沸騰した鍋に入れたとき、お湯が跳ねて手にかかった。

「熱っ」
「大丈夫?」

 勝くんが立ち上がってこちらにやって来る。

「……なんか、ぼんやりしてない? 俺がやろうか?」
「ううん、だ、大丈夫……」

 勝くんの優しさに戸惑う。彼の優しさには慣れているはずなのに、慣れてしまってはいけないような気がして混乱する。勝くんは苦笑して、私の頭に手を置いた。

「……ごめん」
「え?」
「いや、強引だったよね。……ごめん」

 勝くんは言って、鍋の中で踊る麺を箸でほぐしていく。

「俺、麺茹でるの得意なんだ。やるよ」
「え、でも……」
「高校受験のときから、自分の夜食は自分で作っててさ。うどん茹でて食ってたの」

 にこりと笑う姿に、私は「じゃあ」と一歩引く。
 そして、買ってきたエプロンを思い出した。

「あ、あ、勝くん。そうだ。渡したいものがあるの」

 私はぱたぱたと寝室に行き、紙袋から青いエプロンだけを取り出した。
 ラッピングしなくて、逆によかったかもしれない。プレゼントにしてしまっては気を使わせるだろうから。

「これ。使って」

 勝くんは私から差し出されたエプロンを驚いた顔で受け取り、微笑んだ。

「ありがとう。いつでもここで料理していいってことかな」
「ん? え、うん……」

 勝くんは笑い、エプロンを身につけて蕎麦を引き上げた。

「できたよ。梢ちゃんも食べよ、年越し蕎麦」
「うん」

 器に盛りつけながら、勝くんはまた笑った。

「梢ちゃんって、ほんと無自覚」
「ん? え?」
「だから心配。だし、気になる」

 器を手にした勝くんが、私を優しく見つめる。

「……いいよ、急かさないから。待ってる」

 私はその笑顔に見惚れつつ、言葉を解釈しきれずに戸惑う。
 でも、一つだけ思ったのは、やっぱり私よりも勝くんの方が大人なんじゃないか、ってことで。

 ブブブブブ……

 不意に、こたつの上に置いてあった私と勝くんのスマホが、ぶるぶる震えた。
 二人してそちらを見た後、顔を見合せる。

「……勝くんも、セットしてたの?」
「梢ちゃんも?」
「うん。してた」
「そうなんだ」

 言いながら、端末を手にして震えを止めると、改めて顔を見合わせた。

「明けましておめでとうございます」
「今年もよろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げあって、また笑う。

「テレビもラジオもつけないままだと、年が明けたかどうだか分かんないもんね」
「うん」

 話しながらこたつの中に入り、勝くんは夕飯の続きを、私は年越し蕎麦を食べはじめる。

「……よかった、一緒に過ごせて」

 不意に、勝くんが言った。私は「え?」と顔を上げる。

「年越しのときに、梢ちゃんを一人にしたくなかったから」

 勝くんは照れ臭そうに笑って、「帰って来れてよかった」とまた箸を進める。
 ご飯を頬張るその横顔に、胸の苦しさを感じて、ごまかすようにまた蕎麦をすすった。

 なんだか、ずるいなと思う。
 勝くんてば、そういうこと言っちゃうのは、ずるい。

 感情がごちゃまぜになって、よくわからないまま目が潤んでくる。
 それを湯気でごまかして、鼻をすするのも蕎麦を食べているせいにして、私たちは少し話した後、就寝することにした。



 私はベッドに横になって、細く長く息を吐き出した。
 勝くんに抱きしめられた温もりと、唇に触れた柔らかな熱。優しい笑顔に囁く声。
 2時間にも満たない勝くんとのやりとりが、頭と身体を巡っている。
 ドアの向こうでは、勝くんが眠る準備をしているのだろう。ごそごそと音がしていたが、そのうち静かになった。
 高揚した胸を、手で押さえ付けてみる。
 全然落ち着かない。
 なんでこんなにそわそわしてるんだろう。
 自分を抱きしめるようにしてみて、疼いているのは自分の中心だと気づいた。

 ……もっと、欲しい。

 欲求が言葉になった瞬間、顔から火が出る。
 待って。ちょっと。待って。
 想いが通じた(ような気がする)からって、気が早くない? やっぱりあれ? リミット近いぞっていう、子作りの本能的な?
 数少ない元カレたちとは、ゆっくり距離を近づけいくたちだった。一ヶ月でそういう気配があると、「もう少し待って」て言ったくらいなのに。
 なんで、どうして、こうもまぁ……
 はぁと息を吐き出す。

 壁の向こうに聞こえていた物音はなくなり、静けさに包まれている。
 仕事で疲れた彼は、もうすやすやと眠っているだろうか。
 隣の部屋で、勝くんが眠っている。

 呼べば、答えてくれるだろうか。
 求めれば……応えてくれるだろうか。

 胸に押し付けた手を、寝巻の中へ差し入れてみる。
 自分の肩を直接、撫でるようにさすってみる。

 これが、勝くんの手だったら。

 ーー梢ちゃん。

 勝くんが微笑んで、その手を私の身体に這わせて……

 あああああああ。

 思わず声が出そうになり、慌てて枕を顔に押し付ける。
 ダメだって。
 ダーメーだー、って!
 発熱しているんじゃないかっていうくらい、顔が熱い。やだ、もう。ほんとやだ。こんなになること、今までなかったのに。
 ぎゅぅと枕を抱きしめて、深く、深ぁく、息を吐き出す。

 これじゃまるで……へんたいみたい。

 再び枕に顔をうずめた。
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