色づく景色に君がいた

松丹子

文字の大きさ
13 / 14

.12

しおりを挟む
 店を出ると、外はすっかり涼しくなっていた。
 日中に感じられる夏の名残は、日が落ちるともう陰を潜める。
 橘くんと連れ立って駅へ向かいながら、僕はわずかに、もの足りなさを感じていた。
 改札をくぐると、橘くんは自分の路線を指し示した。

「じゃあ、俺、こっちなんで」
「そっか。都内に住んでるんだっけ」
「はい。いつでも遊びに来てください」

 橘くんはそう言ったけれど、それが冗談だとは表情から分かった。
 きっともう、彼と会うことはないだろう。
 お互いどこかでそう思っているのに、いつかまた、と別れる。
 そんな嘘なら、悪くない。
 僕も笑ってうなずいた。
 それじゃあ、と足を踏み出したとき、橘くんが立ち止まっていることに気づいた。
 大人になった橘くんの微笑みが、穏やかに僕を見下ろしている。

「お幸せに」

 一言。
 はっきりと聞こえる、優しい声。
 スマートに挙げられた手。
 絵に描いたような立ち姿。
 まばたきをシャッター代わりに、僕はその姿を、まぶたの裏に焼き付ける。

「うん。ありがと」

 笑って、答える。
 彼の記憶にも、僕の笑顔が残ることを祈って。
 もう、そこには強がりも後悔もない。
 でも。

「橘くん」

 呼びかけると、橘くんは不思議そうに僕を見つめた。
 素になった彼に、僕は笑って続ける。
 甘酸っぱい何かが、喉元にこみ上げていた。

「――君に、出会えてよかった」

 すっと出てきた言葉は、彼に一番、言いたいことだった。
 そうだ。僕はこれを言うために、今日彼と会ったんだ――そう思った

 橘くんは一瞬、目を見開いた後、くしゃりと破顔した。
 高校時代も見たような、耐えかねたような笑顔。

「……先輩も、結構な人たらしですね」

 言い残すと、ひらりと身を翻す。
 スーツをまとった長身が、人込みの中へと入って行った。
 それでも、その背中が雑踏に溶け込むことはない。
 周りの人がときどき、彼を振り向く。何も知らない人は誰もが、羨望の眼差しで彼を見る。
 彼も、それに気づいている。そして、受け止めている。彼らが彼を、別世界の存在として扱うことを。
 それが孤独を受け入れた背中なのだと、今の僕は知っている。

「……ありがと」

 着実に僕から離れていく姿に、小さく呟く。
 彼は彼だった。あのときも、今も、変わらずに彼でいてくれた。
 彼は僕の青春だった。そして再会した今でもそのまま、僕の中で輝き続けてくれる。
 そのことが嬉しくて、同時にどこか、酸っぱい。

 お幸せに。

 橘くんの声が、言葉が、耳の奥でリフレインしている。

 橘くんも、幸せにね。

 口にしたかったけれど、ためらった言葉を、心の中で祈るように呟いた。
 橘くんは自分の路線のホームへと姿を消した。
 僕も、自分の乗る電車のホームへと歩き出す。
 一瞬だけ重なり合った彼と僕の道は、きっとこの先も重なることはないだろう。
 それでもいい。それでも、彼の存在は、きっと僕の中に生き続けている。――もしかしたら、たぶん、彼の中にも、僕が。
 そこには少しだけ、願望が混ざっているけれど。
 気恥ずかしさに苦笑が浮かんだ。荷物を持ち直して、大股で階段を昇り始める。
 黒い革靴が、堅い音を立てる。見ると、つま先が少し擦れていた。そろそろ、買い換え時かもしれない。

『まもなく……○番線に……』

 階段の上から、電車の訪れを知らせるアナウンスが降ってきた。
 顔を上げれば、ホームはもうすぐそこだ。
 天井近くに下がった電光掲示板が、都心の外れにある駅名を表示している。
 その電車の行く先が、今の僕が帰る先だ。

 ホームに走ってきた電車が、僕の髪を柔らかく撫で上げる。
 口元には、自然と笑みが浮かんでいた。

 Fin.
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

明日のために、昨日にサヨナラ(goodbye,hello)

松丹子
恋愛
スパダリな父、優しい長兄、愛想のいい次兄、チャラい従兄に囲まれて、男に抱く理想が高くなってしまった女子高生、橘礼奈。 平凡な自分に見合うフツーな高校生活をエンジョイしようと…思っているはずなのに、幼い頃から抱いていた淡い想いを自覚せざるを得なくなり…… 恋愛、家族愛、友情、部活に進路…… 緩やかでほんのり甘い青春模様。 *関連作品は下記の通りです。単体でお読みいただけるようにしているつもりです(が、ひたすらキャラクターが多いのであまりオススメできません…) ★展開の都合上、礼奈の誕生日は親世代の作品と齟齬があります。一種のパラレルワールドとしてご了承いただければ幸いです。 *関連作品 『神崎くんは残念なイケメン』(香子視点) 『モテ男とデキ女の奥手な恋』(政人視点)  上記二作を読めばキャラクターは押さえられると思います。 (以降、時系列順『物狂ほしや色と情』、『期待ハズレな吉田さん、自由人な前田くん』、『さくやこの』、『爆走織姫はやさぐれ彦星と結ばれたい』、『色ハくれなゐ 情ハ愛』、『初恋旅行に出かけます』)

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

鷹鷲高校執事科

三石成
青春
経済社会が崩壊した後に、貴族制度が生まれた近未来。 東京都内に広大な敷地を持つ全寮制の鷹鷲高校には、貴族の子息が所属する帝王科と、そんな貴族に仕える、優秀な執事を育成するための執事科が設立されている。 物語の中心となるのは、鷹鷲高校男子部の三年生。 各々に悩みや望みを抱えた彼らは、高校三年生という貴重な一年間で、学校の行事や事件を通して、生涯の主人と執事を見つけていく。 表紙イラスト:燈実 黙(@off_the_lamp)

僕《わたし》は誰でしょう

紫音みけ🐾新刊2月中旬発売!
青春
※第7回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。 【あらすじ】  交通事故の後遺症で記憶喪失になってしまった女子高生・比良坂すずは、自分が女であることに違和感を抱く。 「自分はもともと男ではなかったか?」  事故後から男性寄りの思考になり、周囲とのギャップに悩む彼女は、次第に身に覚えのないはずの記憶を思い出し始める。まるで別人のものとしか思えないその記憶は、一体どこから来たのだろうか。  見知らぬ思い出をめぐる青春SF。 ※表紙イラスト=ミカスケ様

意味が分かると怖い話【短編集】

本田 壱好
ホラー
意味が分かると怖い話。 つまり、意味がわからなければ怖くない。 解釈は読者に委ねられる。 あなたはこの短編集をどのように読みますか?

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

処理中です...