仔猫は月の夜に少女に戻る

まみはらまさゆき

文字の大きさ
1 / 15
1.助けた仔猫

(1)中央分離帯の仔猫をレスキュー

しおりを挟む
 高校2年生の戸田高志と「小夜子」の出会いは、梅雨のさなかの土砂降りの夕刻だった。

 彼は、郊外のバイパスの途中にある停留所でバスを降りた。都心にある歴史だけはある県立校から、40分ほどのバス通学。
 停留所からしばらく歩いて、ふと仔猫の鳴き声を聞いた。
 それはざんざん降る雨が傘を叩く音、地面に跳ね返る音、そしてバイパスを引きも切らず往来する車が濡れた路面を走る音、その他の音、音、音をかいくぐって彼の耳に届いた。

 孝は、思わず周囲を見回した。しかし、彼が目をやった歩道脇の植栽や、道路脇の分譲地の辺りには仔猫の姿などなかった。
 彼は、嫌な予感を覚えながら、車道の方に目を向けた。……そこに仔猫などいませんように、と願いながら。
 しかし声の主は、車道側にいた。それも、激しく車が行き交うバイパス道の中央分離帯の植栽の陰に。
 何がどうしてあんなところに仔猫がいるんだろう……彼は、それを見つけた自分、さらには初めにその声を聞き留めてしまった自分を恨んだ。

 いつだって、そうだったんだ、小学生の頃かそれより前から……彼は何かにつけて、ハズレくじを引いてしまうような運命にあった。自動販売機でホットコーヒーを買おうと缶コーヒーのボタンを押したら熱々のオレンジジュースが出てきたり、2者択一の問題を10問全部外したり、転がってきたボールを投げ返したら全く無関係の通行人の後頭部を直撃したり。
 しかし、見つけてしまったものは仕方がない。というより、激しい雨の中、交通量の多い中央分離帯で助けを求めて震えている仔猫を見捨てるほどの心は持ち合わせていなかった。

 彼は、とりあえず仔猫を救助しようとした。しかし生憎と車の流れはなかなか途切れず、2車線の車道を横断する踏ん切りがつかない。
 工業地帯と高速道路のインターチェンジを結ぶ大動脈だから、大型トラックやトレーラーが多い。それらが水煙を上げながら途切れず走り抜けるその向こうに、三毛の仔猫が彼に何かを訴えかけるような顔を見せて、鳴いている。
 放って立ち去ろうかと思った。しかし、その決心がつかない。
 彼はそんなことができない性格だった。彼より弱い立場の者が困っていると、助けなければ後悔して後々までいじけた気持ちになってしまうのが、彼だった。
 とは言え、車は途切れない。夜中になればウソみたいに交通量は減るはずだったが、それまで待っていられない。
 放っておくとあの仔猫は車道に出て次の瞬間にはトラックのタイヤに潰されてしまうのが目に見えるようだった。しかしそれを救出しようとする彼もまたそのような目に遭わないとも限らない。

 ……どうすべきか。

 しかし、彼の心のなかで答えは決まっていた。結局、それをいつ実行するかという問題だった。
 そうして逡巡する間にも、大型車はひっきりなしに走っていく。その水煙を浴びながら、彼はタイミングを伺っていた。
 車は常に道路の横断を妨げるように流れているわけではなく、上流側の大きな交差点にある信号機のタイミングでその密度に波があった。車が少なくなる僅かなタイミングを見計らって、すり抜けるように渡って行けそうでもあった。

 そして……。

 何度も渡れそうな瞬間が訪れては躊躇するうちにそのチャンスを逃し、何度目かで意を決してダッシュした。もうすでに全身ずぶ濡れになっていたから、邪魔になるだけの傘と、それから通学カバンは歩道に放り投げて。
 道路の向こうからは大型の海上コンテナを牽いたトレーラーが大幅な速度超過で迫ってきて、その船の汽笛のようにけたたましいクラクションが一帯に響いた。
 彼が中央分離帯に飛び込むと、その背後をトレーラーが速度をたいして緩めることなく通過していった。幾台ものトラックやトレーラーがその後に続き、轟音とともに中央分離帯をかすめていく。
 轟音だけではない。軽めの地震のような地響きや身体を倒されそうな風圧、横殴りの水しぶきが容赦なく襲ってきた。

 そんな中で、この仔猫は孤独に助けを求めていたのか……。

 仔猫は、怯えているのか寒いのか全身でブルブル震えながら、大きい目で彼を見上げてニャァニャァ鳴いている。彼こそが、頼れる救世主であるかのように見えるのだろうか。
 親猫は、どこに行ってしまったのだろう。少なくとも、仔猫を探して道路の周辺を歩き回っている様子はなかった。
 ひょっとしたら、仔猫を探しているうちに車輪の下敷きになってしまったのではなかろうか。それとも、悪い人間によって親猫から引き離されて中央分離帯に投げ棄てられたのかもしれない。
 彼は仔猫が愛おしくなり、心がいっぱいになった。「もう大丈夫だよ」と心のなかで話しかけながら、仔猫を抱いた。
 抵抗されて、引っ掻かれるかもしれないと用心した。しかしそれは不要な心配で、仔猫は大人しく彼の腕に抱かれた。
 彼は本格的に猫を飼ったことはなく、その年齢など分からない。ニャァと鳴いたときに開けた口の中に小さい歯が並び始めているところから、かろうじてある程度成長しているなと分かるくらいだ。
 とにかく小さい身体で、それが彼の腕の中でブルブル震えている。小さいけれども確かな生命が、そこにある。
 必死の思いで助けたその生命を、守ってやらねばならない。彼の心には強い決意が湧いてきた。

「良いことしたな」

 そんな思いが彼の心を温かく、優しくくすぐる。彼はそれまで良いことを多くしてきたが、周囲からは評価されることも少なく自己満足で終わることが多かった。
 しかし、彼によって救われた、小さい生命が確かにある。たとえ自己満足だろうが、それだけは動かせない事実だった。
 後は、また道路を横断して歩道に戻って、そこで救助任務完了だ。しかし……。
 トラックやトレーラーはなおも途切れることなく往来し、なかなか向こうに渡るチャンスがやってこなかった。彼が最初に仔猫を見つけてからの間にもだいぶ周囲は暗くなり、雨脚も強まってきた。
 震える生命を抱えながら、目の前の至近距離を通過するトラックやトレーラーの圧力に堪えながら、チャンスを伺う。少しでも間違えれば大型の車体の下に巻き込まれる恐怖にも向き合いながら。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

二重のカーテン (スカートの下の黒い意志)

MisakiNonagase
青春
洗濯物の隙間に隠したのは、母としての祈りと、娘のプライド。 かつて、女子高生という生き物はもっと無防備で、自由だった。 44歳の主婦、愛子が朝のベランダで手にするのは、娘たちが毎日履き替える漆黒のオーバーパンツ、通称「黒パン」。それは、令和を生きる娘たちが自らの尊厳を守るために身に着ける、鉄壁の「鎧」だった。 小学校時代のママ友たちとのランチ会。そこで語られるのは、ブルセラショップに下着を売っていた奔放な50代、無防備なまま凛と歩くしかなかった40代、そして「見せないこと」に命を懸ける10代の、あまりに深い断絶。さらには、階段で石像のように固まる父、生徒の背後に立たないよう神経を削る教師……。 一枚の黒い布を通して浮き彫りになる、現代社会の歪さと、その根底にある不器用なまでの「優しさ」。 ベランダに干された黒いカーテンの向こう側に、あなたは何を見ますか?

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

処理中です...