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(9)高良社長からの誘い

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10時半から始まった「勉強会」には、雄次も幹事役として同席していた。
毎回、新技術や業界を巡る新しい動きなどに触れられて、聴いているだけでエキサイティングなのだが、今回に限り彼は上の空で聴いていた。

どうしても、弁当の注文でしくじった事、それをよりにもよって社長と管理部長に見られた事、その弁当の支払いの事、そして・・・奈美の事、それらが思考のすべてを占拠しようとしていた。
集まった経営者たちは、今回はAIとドローンと遠隔操縦を組み合わせた土地造成について意見を出し合い、議論していたのに。

正午を過ぎて、昼食の時間となった。
雄次のぶんも含めて11個の上幕の内弁当が配られた。

「うん、こないだからこの店の弁当みたいだけど、これはいいね! 毎度の事ながら思うよ!」

ある社長さんが、弁当を調達した雄次に向かって賛辞を述べた。
彼は作り笑いをしながら、頭を下げた。

昼食の間も意見交換は続き、議論はそのまま午後の部へとなだれ込んでいった。
ますます白熱する勉強会とは反対に、雄次の気持ちはどんどん沈んでいく。

予定の15時を30分も過ぎて、勉強会は終わった。
会議室の机や椅子を整えながら、雄次は深い溜め息をついた。

部屋を出たところで、管理部長と出合った。
午前中の失態を見られてコソコソと逃げ出したい思いだったが、そこを呼び止められた。

「今回は、大変だったな。なんだ? 10倍の数を注文しちまったってわけか?」
「はい、そうです」
「なんだぁ、ふて腐れて。この手のミスは、人間だから誰でもやりがちだ」

管理部長は笑って彼の肩をたたいた。
慰めるつもりなんだろうが、むしろ傷口に塩を擦り込まれるような思いがして、彼の心はジクジクと痛む。

「俺だって、先月だったかな、ボールペンの替芯を10本注文するつもりが、10本入りを10ケース注文しちまったんだ。まぁ、同じミスを繰り返さないこったな」

管理部長は自虐のつもりでボールペンの替芯の話を持ち出したようだが、あれは腐るものではないからそのうちに捌けていくし、金額もたかが知れている。
一方で弁当は今日のうちになんとかしないといけないし、金額も文房具の比ではない。

思わず雄次は視線をまっすぐ合わせずに、管理部長の方角を睨みつけた。
しかし管理部長はそれには気付かないのか気付かないふりをしているのか、更に突っ込んで訊いてきた。

「で、あの大量の弁当は、どうしたんだ?」
「・・・寄付、しました」
「寄付?」
「はい・・・私が前に勤めていた職場で、ちょうど今日、炊き出しをやるんです。そこに寄付しました」
「なんだぁ、そうなら良かった。万事めでたしめでたしだ」
「・・・何がめでたいんですか?」

思わず、管理部長に突っかかってしまう。
その日の朝から彼に一挙に降り掛かった災難に加えて管理部長との会話のせいで、もう投げやりな気分にもなってしまっていた。

「いや、捨てずに有効利用するよう素早く手配したのは大したものだ。しかも人の役、社会の役に立つ方向に、だ。やるじゃないか!」
「・・・」
「ああ、でもな、経費で落とせるのは11人分までだからな。それは分かってるな?」
「はい・・・11人分の領収書を別に用意してくれるよう、もう頼んであります」
「おお、なかなか気が回るじゃないか・・・まぁ、今回の事は本当に気にするなよ!」

管理部長はまた彼の肩を今度は強めにたたいて、なんだか機嫌良さげに喫煙所の方へ行ってしまった。
雄次は自分のデスクのある事務室に重い足取りで向かいながら、やはり、どうしても気にしてしまう。

(もう、今日は仕事は止めだ!)

どうせ、土曜出勤しているのは彼ひとりだ。
そのまま、他に誰もいない事務室で午前の仕事の続きをする気には、なれなかった。

弁当の山が届いた直前の「時」がそのまま残されたデスクの上を片付け、鞄を手に取った。
もうこのまま、どっか適当な居酒屋に入って、飲んで忘れたい気分だった。

そこへ、電話の着信があった。
スマホの画面を見ると、高良社長だった。

「もしもし・・・」
「おお、ユウジくん、いま話せるかい?」
「・・・はい」
「時間がないから、手短にしようか。・・・うん、まずは弁当の寄付、ありがとう。感謝してもし足りないくらいだ」
「・・・ありがとうございます」
「んで、厚かましいようだがもうひとつ、助けてくれるかな?」
「何です?」
「炊き出し、手伝ってくれないかなぁ・・・無理にとは言わないが」
「・・・」
「・・・どう?」
「・・・行きます。お手伝いさせてください」
「いやぁ、ありがとう! ただ、さすがにいますぐにとは言わない。来れるときでいいから、お願い、頼むよ!」

電話は向こうから切れた。
高良さんの周囲では、炊き出しの準備をするにぎやかな声が聞こえてきた。

本当だったら・・・奈美と別れていなければ、あのにぎやかさの中に今年もいたはずだ。
そう思うとなぜか、「行かなければ」という思いが沸き上がってきた。

彼は会社を飛び出した。
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