第二王子は憂鬱~divine femto~ 学園都市ピオニール編

霜條

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33.隣の部屋④

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 人を待つというのは、こんなにも心が落ち着かないことなのかと、なんだか初めて知った。待たされるなんて経験は何度かあるはずだ。
 一体その時はどうやって時間をつぶしていたのか、思い出せないほど今は考えがまとまらなかった――。
 ひとりの時間をいままでどう過ごしていただろう――。読書や勉強についやしていた気がする。姉弟たちといれば歓談することもあったが、それでもなにかひとりでいたはずだ。自分がどうしてこうなっているのか分からなかった。
 本を手にしても一行いちぎょうも頭に入ってこない。ふと時間を見ると大して過ぎていない。今度は予習でもと教科書やノートを開いてみるも、同じように思考が散漫さんまんとするばかりでどことなくぼんやりする。
 今日が楽しかったから、思ったより疲れているのだろうか。
 意味もなくちらりと時計を見るも、待ち人がくる気配を教えてはくれなかった。――忙しいのだろう。半ば今日はもう来ないかもとぼんやり考えているとアイベルがいつの間にかそばに来ており、なんだか見覚えのある封筒を手にしていた。
「――今朝ヴァイス卿がお持ちしたこちらの封筒、中身を確認いたしませんか? 無用のものであればいつも通りいたしますので」
 あぁ、そんなものがあったな。なんて言って持ってきたかは忘れたが、結構な大きさのあるそれを受け取る。
 ずしりと重みのあるそれは硬く、それなりに厚みがあった。――手の感触からハードカバーの本のように思えた。
 もし本であるなら、結構な大きさのあるこれもやはりろくでもないものの気がして、このまま処分してもいいのではと投げやりに考える。
 裏返すと丸タックと玉紐たまひもがついており、マチも付いているこれは書類用の封筒のようだ。封筒自体は何度か使用したのか真新しいものには見えず、きっと流用したのだろう。――どちらかというとこういう細かい部分まで気をつかうタイプなので、気にかかるも、中身がそれほど大したものではないということなのかもしれない。
 丸タックにかかる紐をくるくると外し、フラップを開き中からそれに手をかけ取り出す――。
「…………?」
 封筒から取り出したそれ・・がよくわからなかった。
 本ではある。ハードカバーに巻かれたフルカラーの表紙に大きく人物が映っており、取り出した拍子ひょうしに目が合う。
「――そ、そんなものがあるのですね……」
 少し困った様子のアイベルがなけなしの感想を述べているが、やはりよくわからなかった。
「誰?」
「えっ、これは、その……。私見ですが、東方天さまのように見受けられますが……」
 ――東方天? 今日何度か写真を見る機会があったけれど、ブロンドと青い眼は同じだが、同一人物には見えなかった。裏返してみるも、この人物が誰かは書いていない。表紙をもう一度見返し、こちらに視線を送る人物を見てみる。
「……違くないか」
 愛嬌あいきょうのある笑み――、と言えなくもないが、手にした相手にびるように細められた表情に、隙の無い白い軍服を着た少女だ。
「そうでしょうか……? ヴァイス卿の姪御めいご様ですし、彼がわざわざ似た他人の写真集を持ってくるなんて……」
 アイベルもそこまで言ってから、あり得る可能性に思い当たったのか言葉をにごす。やっぱりろくでもないものだ。ため息とともに封筒に戻し机の上に放り出しながら、ソファに深く身体を預けた。
 乱暴な態度に驚く侍従は、機嫌を損ねたと慌てていた。
「でも、もしご本人様でしたら――」
 そんな訳があるはずがない。こんなにも違うと頭が拒否しているのだ。――次にヴァイスにあった際に伝える文句が増えていき、不快感もつのる。
 頬杖ほおづえをつき、火のともる暖炉に目を向ける。誰だか知らないが、あの人を汚すような真似をしているこの本を投げ入れてもいいのではと考えた。
 コンコン。
 小さなノックの音が聞こえる。――だが背後から届くその音に二人で振り返る。扉は自分の正面にあり、背後にあるのは窓なのだ。――しかもここは七階だ。
「――殿下、お下がりください」
 警戒からそばに寄り、小さな声で下がるように侍従が言いながら腰の剣に手を伸ばしていた。
 でも分かる。――あの人が来たのだ。以前セーレが、窓から出入りして困っていると話していたことを、期待感と共に思い出す。
 忠告を無視し、閉じられたカーテンを開ける。――自分を呼ぶ声がするが、ガラスの向こうに見えるものが先に映る。
「すまない、随分ずいぶん遅くなってしまった……。」
 どうやって立っているのか分からないが、宙に立っているように見えた。真っ暗な窓の向こうにいる人物に驚ているようで、アイベルは言葉を失っている。
「入口で追い返されてな。――仕方なくこちらから様子を見に来た。……驚かせてしまったな。」
 昼間会ったときとは違い、コートを羽織っているようだった。硝子がらすしに伝わる不明瞭ふめいりょうな声が申し訳なさそうにしているのだが、窓の開け方が分からず、アイベルに頼むことにした。呆気あっけに取られていた侍従が、なんとか来訪者を部屋に入れると、夜風が一緒に部屋に入り一瞬冷える。
「ど、どうして……」
「見るからに学生でもないからな。普通に不審者ふしんしゃとして追い返されてしまった。――きちんと仕事をしていて偉いな彼は。」
 なぜここから来たのか理解しがたかったようで、アイベルが尋ねた。
 不審者として追い返されたというのが申し訳なかった。
守衛しゅえいに伝えるべきだった……。――気が利かなくてすまないことをした」
「いや、警備体制がしっかりしていることが分かって安心したくらいだ。別に窓からうかがえばいいと思っていたし。」
 ふっと不敵に笑う自信のある力強さのある目が、先ほど見たものと全然違った。――自分が知っているのはこの目だ。安堵感あんどかんから先ほどのいら立ちが消える。
「どうやって窓の外に立って、……浮遊術か?」
「いや、精霊を足場にして立っていただけだ。――これ、遅れた分のおびだ。」
 コートのポケットから小さな包みを渡される。
「うちの者が、借りている宿舎のキッチンをいたく気に入ったようでな。たくさん作っていたからお裾分すそわけだ。」
 アイベルにも同じ包みを渡す。開いてみるとフィナンシェだろうか。焼き菓子が三つ出て来た。
「……正直、中を通るよりこの窓の方が宿舎から近いから楽だな。ちなみにあそこだ。なにか用があれば立ち寄ってくれ。いつも誰かいるし、話し好きの奴らだから声を掛ければ皆喜ぶだろう。」
 中途半端に開かれたカーテンの先を指さす。普段は使用していない建物のひとつに明かりがついていることに気付く。――目と鼻の先にいたのかと初めて知る。
 羽織っているコートを脱ぐと、日中見たときと服が変わっているようだった。わざわざ着替えたのだろうか。――まだ状況についていけてないアイベルが、慌てて彼からコートを預かった。
 身軽になった彼に席を勧め、昨日と同じように隣に座った。
「……随分ずいぶんと会議が長引いたんだな」
「あぁ……。少し予定が変わってしまってな、別のことを考えていたらあっという間に夜だ。ヨアヒム殿下が来てくれなければもっと遅くなっていたかもしれん。――もしかして、もう休むところだったか?」
 夕方まで一緒にいた叔父とあの後会ったのか。会うとは聞いていなかったので、変わった予定のおかげで無事に来てくれたのだと感謝する。
「いや、少しアイベルと話してただけだから気にしないでくれ」
「それならよかった。――ここに来る前に少し良くない場所にいたから身を清め、今日の分の雑事を終わらせていたせいでだいぶ遅れた。」
 余程慌ただしかったのだろう、言葉に疲労感がにじんでいるようだった。
「……まさか、とぎを?」
「アイベル、――失礼なことを言うな」
 ふとした疑問だったのだろうが、彼の不愉快な邪推じゃすいに、暖かだった気持ちに水を差されて冷めていく。
「も、申し訳ありません……。フィフス殿、大変失礼致しました」
「――? よく分からないが、私は気にしていない。」
「彼が失礼なことを言ってすまない……。どうか忘れてくれ」
「わかった。――だが、もしなにか武器の手入れが必要なら慣れているから任せろ。私も砥石なら持っている。」
 自信満々に見当違いなことを言う様を見て、アイベルも本当に違うことを理解したようだった。しかし不躾ぶしつけな言葉をこの人にぶつけられたことが許せず、気持ちの切り替えがすぐにはできそうになかった。
「もしかしてこの部屋にもなにかあるのか? できれば魔剣というものを見てみたい。――普段誰か所持しているのか? 武器保管庫とかこの寮にあったりするのだろうか。」
「いえ、殿下は所持しておりませんし、この寮にもそのようなものは……」
「そうなのか? 護身用に何も持っていないのか?」
 うつむく自分の顔をのぞき込まれ、こちらをうかがう青い眼が懸念けねんに満ちていた。
「一本くらい所持していた方がいいんじゃないのか? 私も普段隠し武器も含めて十は持っているぞ。」
「…………そんなに?」
「あぁ。――見てろよ。」
 その場で立つと、どこからともなく大小さまざまなナイフが次々に出てきて、机の上に並べていく。服の下にいくつ隠していたのかと、呆気あっけにとられてしまう程だった。
「あとこのブーツは特注でな。この中に仕込みナイフがある。さすがにこれは危ないから見せてやれないが。」
「……重そうだ」
 一通り出し終わったようで、満足そうにまたソファに座る。先ほど失言した侍従もこの様子に呆気に取られていた。
「普段からこれくらいのそなえを私でもしている。この重さも別に鍛錬たんれんだと思えば大したことはない。体重のかさましになるしな。」
 身長だけでなく体重もかさまししているのかと、いらない知識が増えふっとひとつ気が抜ける。こちらの様子に満足したのか、一度出されたナイフたちが元の場所に仕舞われていく。
「――剣もあるのに、厳重なんだな」
「あぁ、これは飾りだからな。仕掛けがついていて、簡単に抜けないようになっている。」
 飾りと言う言葉の意味が分からなくて、帯剣しているそれを見る。――鞘はシンプルな作りで、ツバにぎりが金のこまかな装飾そうしょくほどこされており、交差したところに乳白色で透明感のある石がはめられているようだった。宝石の類ではないようで、いくつもの雪の結晶が石の中にあるようにも見える。
「当家からこちらでの過度な戦闘は禁止されていてな、抜けば抜剣したことが分かるようになっている。――そういう制約の剣だ。」
「……どうしてそのような制約が――?」
 アイベルが尋ねる。今日も護衛役としてついていたと思っていたからだろう。
「鍛錬のひとつだな。――ひとつの事に頼りすぎるのはよくないと教えられていて、その一環だ。別にこれは剣として使えなくても、受け身もとれるし、殴れば鈍器だ。問題ない。――剣がなくとも私は強いからな。」
 剣を鈍器に使うとは、さすがにそのような発想がなかったためか、侍従もなにやら真面目に話を聞いているようだった。
 ――この人のおかげで気まずい空気がなかったことになる。
 もしかしたらわざと話をずらしてくれたのかもしれない。そんな気遣いを、忙しい中来てくれてたこともどれもが申し訳なかった。
「それで、頼んでいた新聞だが、読ませてもらってもいいだろうか? ――今日も疲れているだろう? 遅れてしまった私が言うべきでないが、あまり遅くなってはお前たちにも申し訳ないからな。」
 彼の言葉に侍従が用意していた新聞を運んでくる。普段は聖都、ピオニール、王都と全部で三種類の新聞を読んでいた。一応今日の分もあるが、聖都の新聞はちょうど襲撃事件後からしばらく手を付けていなかったため二週間とちょっとが手元にあり、移動の間読めなかった分も目を通すかと思い用意してもらっていた。
「こんなにあるのか――。正直驚いた。用意してくれて感謝する。」
「普段は何を読んでいるの?」
 聖都の新聞がやはり気になるようで、手にして日付順に、新聞の名が見えるように重ねて並べていた。――少し不思議な並びに、どうやって読むつもりなのか気になった。
「……そうだな。聖国関係の新聞の新聞を一通りだな。それ以外は他の者から話を聞くことが多い。」
 並べ終わるとじっと並べたそれを見ているようだった。――見えている部分が新聞名と天気、あとは隙間から見える記事の一部でしかないのだが、そこから何を読み取っているのか不明だ。だが、前のめりになってそれを見る目は真剣そのものだった。
「何を――?」
 声が聞こえていないのか、返事はなく視線もこちらを向かない。――そういえばヴァイスも何か新聞について触れていたと思い出す。
 この友人が落ち込んでいるという説明があり、それが新聞を見ればわかるとも言っていたはずだ。――見えている情報が天気しかないのだが、それのことだろうか。
 触れていいか分からない話題に悩んでいると、深いため息とともに彼がソファに深く座り直した。
「はぁー……、これほど多くのもを用意してくれて感謝する。おかげで心配事がひとつ解決できた。」
「もう……、新聞はいいのか?」
「いや、目を通す。――少し読んでいってもいいか? 持って帰ると面倒だから、ここで読ませてもらうと助かるんだが……。」
 ちらりと並んでいるものに目をやる。その欄を気にしたことがないので向こうの普段の天気がわからないのだが、何日か曇りが並んだ後、晴れや雨といった天気が続き、こちらとあまり変わらないように見えた。聖都は砂漠に隣接した場所にあるので、気温や湿度を見ても正直変なところがあるのかよくわからなかった。
「好きにするといい。こちらの新聞は今日の分しかないけど、それもよければ……」
「気遣いに感謝する。だが、他のはいい。――私があまり情報を得るものよくないからな。」
 断られると思わず、驚いていると、申し訳なさそうな顔がこちらに向いた。
「……悪く思わないで欲しいんだが、向こうでもそうなんだ。人を介した情報であればいいのだが、公開されているものでも、こちらのことを私が深く知ることは控えている。――女王がいい顔しない。」
「祖母が――?」
 先ほど叔父から聞いた話と関わりがあるのだろうか。
「あぁ、うちの当代はよく頭が回る。――私の知る情報はアイツも知ることになると考えれば警戒するのも当然だ。……決して害意がいいがある訳じゃないんだが、女王からすれば小賢こざかしくて嫌なんだろう。……何度も言い負かされているしな。」
「オクタヴィア様が……?」
 アイベルも思わず口に出してしまう。強く隙のない祖母が誰かに言い負かされるなど誰も想像もしたことがないことだ。――確かその当代と呼ばれる人は四年前は15歳だったと聞いたが――それほど年齢の変わらない頃から、あの祖母に対峙たいじできるだけの度胸を持ち合わせているのだろうか。
「面白い話でなくてすまないな。だからお前たちに不利ふりになるようなことは私に言わない方がいい。耳にした時点で情報を持ち帰ることになるから、聞かなかったフリはできかねる。」
 真面目に忠告をしてくれるも、見えない線が引かれている事実を目の前に出されたようだ。寂寥感せきりょうかんうすら寒い気持ちと一緒にやって来る。
「……その、昨日会ったとき、あまり俺のことが分からなかったようだが、――それが理由だったりするのか?」
「そうだ。向こうにいる文官たちもその件を知っているから、直接家に関わることやこちらの内政については情報を精査した上で共有してくれている。……みんなうちの当代アイツのことを知っているからな。」
 誰も伝えてくれなかった理由が分かるも、あまり心は晴れなかった。
「だが皆お前たちに会えば分かる、と以前から揃って口にしていた。グライリヒ陛下についても多くの者たちが尊敬しているし、その子ども達もいいやつらなんだろうと思っていた。……昨日は顔合わせする予定もあったから、ただ会えばいいと思っていた。――今日の街の反応から見ても彼らの言に間違いはなかったようだ。」
 にこりと穏やかな笑みが向けられる。
「街の……?」
「誰もお前たちのことを邪魔しに来なかったただろう? 誰もがお前たちの時間を尊重していた。――もちろん王家の人間だからというのもあるだろうが、治世が安定していることや、お前たちの普段の行いが良くなければあぁはなるまい。誰も邪険にしている様子はなかったと、少なくとも私は感じた。」
「それは、多分普段関わらないからなだけかと……」
 今日の出来事に、そのような意味を見出していたとは知らず、目の前の人物からの優しい評価が晴れない胸に響く。
「まぁ、それもいいところなんじゃないか? 相手のことをよく知らなくても、好意を持ってもらえることなんてよくある。――人に好かれるのも長所のひとつだ。私なんかは動物に避けられるしな。」
 最後に自嘲じちょうが付け足される。だがどの言葉も飾っていないからか、その評価がどれも嬉しく感じた。――単純すぎる自分の心が少し恥ずかしくもなったが、向けられるさやかな想いが悪くなかった。
 ローテーブルに広げられていた新聞をまとめると、一番新しいものを手に取り、各ページに目を通し始めた。広げられたスペースにアイベルがいつの間にか用意した紅茶を置く。
 手にした新聞紙がこすれ、めくられる音だけが響く。昨日とはまた別の静かな時間だ。
 先ほどまではこの静寂が落ち着かないものだったのに、今は違うことが不思議でならなかった。

「――おかげで向こうの状況が知れて助かった。感謝する。」
 三日分の新聞を読んで満足したようで、ようやく紙面から目が離される。
「……もういいのか?」
「あぁ。――また次都合がいい時があれば、読ませてくれるとありがたい。」
「いつでも問題ない。――今度は守衛しゅえいに伝えておくから、……」
 誘っておきながら、寮に入ることができなかったのは最大の失態だったろう。――だが、思い直す。
「――いや、また窓から来てもいい。大したことはしていないと思うから、部屋にいるときならばいつもで構わない」
 何か言いたげなアイベルが視界のはしで見えたが、口出しすることはなかった。
「許可がもらえてありがたい。……窓から来るなと言われるかと思った。」 
 思わぬ許可が面白かったようで笑っていた。
「――そういえば昨日思ったが、お前は相当疲れているんだな。あの時秒で寝落ちするとは思わなかった。――最速記録だぞ。」
 その流れで昨日の夜の話を突然され、心臓が跳ねる。――記憶がすぐなくなったが、そのことだろう。
「……あのとき何を?」
 アイベルも相当疲れているという話に心配そうに身を乗り出している。気まずい。
「よく眠れるようにしただけだ。――効きのいいときは二秒くらいでだいたいみんな寝るんだが、まさかあんなに効くとは思わなかった。」
「今朝、殿下がよくお休みになっていたのはフィフス殿のおかげだったのですね。――ありがとうございます」
「昨日みたいなひどい日は休むのも大変かと思ってな。役に立てたならよかった。」
 満足そうにしている様子がなんだか微笑ましく思う。先ほどまで気まずさが勝っていたのだが、気になることをついでに確認することにした。
「昨日、ここで寝た後、どうしてベッドにいたのか分からないんだが……」
「それは外にいたゾフィの執事たちに任せたからだ。それ以外は何もしていない。」
「帰らせたはずだけど、まだ――」
 まさかまだいたとは――、気付かなかった。
「あぁ。でもゾフィは女王の命令で来てたし、最後までめい遂行すいこうするまで帰らないヤツだろ。」
 自分よりもあのメイドについて詳しい様子に、叔父から聞いた話を思い出す。――何か面倒に巻き込まれているんじゃないかと。朝叔父の前で行われたゾフィとヴァイスのやり取りについての話などを考えると、ただの知り合いに思えなかった。
「……叔父上から今朝の話を聞いたけれど、祖母や父となにかあったのだろうか。叔父上が貴方が面倒に巻き込まれているんじゃないかと心配していた」
 先ほどまで笑顔を見せていた顔がなくなり、こちらの質問におもむろに横へれる。何かあるのだろうが、言いたくない様子だ。――隠し事が心底苦手な様子に苦笑する。
「――言いたくないならいい。ただ困っていることがあればと」
 悩ましげに背けた顔が言葉を探しているようで、眉間に手を当てている。
「……何かあったといえばそうなのだが、今は言いたくない。――この件について、いずれお前たちに協力して欲しいこともある。……だがどうすべきかまだ検討中で、……とりあえず今は親しくしてるだけで十分だ。」
「親しく……? それだけでいいのか?」
「あぁ。そうしてくれると助かる。――ヨアヒム殿下にもそう伝えてくれればありがたい。」
 困っていることが親しくすることで解消されることなのだろうか。関連性が分からないが、今のような関係を続けることが友人の助けになるのであれば、悪い話ではないような気がしてくる。
 そうだ――、親しくなれることは自分にとっても嬉しい話だ。
「分かった。何かあれば教えてくれ。――貴方のことが大事だから、これからも親しくありたい」
 すぐ隣に座る彼に向かいまっすぐと伝えると、わずらわしげに困っていた顔がこちらを向く。
 言葉に気持ちが乗ったとしても、その気持ちがすべて相手に届くことはないだろう。届かないものがあったとして、できるだけ短い言葉に、この気持ちが少しでも伝わって欲しいと願いを込めてまっすぐと見つめた。
 このような機会を得るなんて考えたことがなかったのだ。たとえつかの間、須臾しゅゆの夢ほどの短い時間だとしても、今の気持ちを少しでも伝えたかった。
 黒く染められたまつ毛がその目を隠し、再び開かれると力強くまっすぐとこちらに注がれる。
「有難い申し出だ。――どうか、よろしく頼む。」
 握手を求められ、自分よりも小さなその手を握る。力強く握り返されるその手の平が頼もしくもあるが、やはり小さくてどこか頼りなげに感じた。
「もう寝るならまた寝かしつけてやろうか。」
 さらりと先ほどの続きに引き戻される。
「……あれって、他の人にもやってるの?」
「嫌だったか? 身内や友人にはしている。」
 なら昨日から友人にカウントしてくれているのだろう。悪くない話だ。――昨日は距離の詰め方に戸惑ったが、気兼ねする時間も今はもったいないとすら感じる。アイベルのいる手前気まずいと思っていたが、開き直った今はもう気にする必要もないだろう。
「嫌じゃない、今日もしてほしい――」
 立ち上がり、寝室へ向かう。侍従が何が始まるのかと戸惑っている様子が伝わり、その場で待機してもらう。昨日の様子から別に時間のかかることではないのだ。――眠りに落ちる前まで傍にいてくれるなど、こんなに嬉しいことはないだろう。
「……もしかして眠いのか? すぐ寝かしつけてくるから少し待っててくれ。」
 アイベルに話しかけているようで、戸惑う彼を置いてついてきてくれた。
「でっか――! なんだこのベッド!」
 あかりのない寝室に入るなり視界に入るそれに驚いたようで、フィフスのテンションが上がったようだった。まさかそこでそういう反応をされると思わず、振り返る。
「え? ……お前の身長がそんなにあるのも、まさかベッドがでかいから……?」
 信じられないものを見るように、驚きに満ちた眼差しがこちらに向けられる。
「……たぶん関係ないと思う」
「まて、一体何人寝れるんだ。……詰めれば四,五人はいけそうだな。――ちょっと大きさを測ってもいいか?」
 すぐに別のことに気が移ったようで、どこに持っていたのかメジャーを取り出しおもむろに測量そくりょうを始めた。
「……そんなものまで持ってるんだ」
 どういうタイミングで使うのだろうか。――いや、今使っているなと思わず自分で突っ込んでしまう。突然そんな情熱をこのような場所で発揮され、しばし様子をながめることにした。
 楽しんでいるのだろうか、生き生きとした様子がなんだかおかしかった。
「殿下、大丈夫でしょうか……」
 待つように指示をされたものの、何か様子がおかしいことを心配したアイベルが遠くから声を掛ける。
「なぁ――、王子がこのサイズなら王とか女王って更にベッドが大きくなるのか……?」
 はかり終わったのかこちらに来て、神妙しんみょうな顔でたずねられる。
「どうだろう……。父は確か大きかったけれど、祖母の部屋は尋ねたことがないから分からないな……」
「なるほど――。ありがとう、勉強になった。」
 何か学びを得るものがあっただろうか。
「待たせてすまない。――さぁ。こっちへ早く。」
 そのままのテンションで急かされる。先ほどの少し真面目だった雰囲気も台無しだ。――でも存外ぞんがい悪い気がしないのは、この気安さからか。
 普段暗く静かで味気ないこの寝室場所が、今はこの友人のおかげで賑やかでいつもより明るく楽しい場に感じる。
 背が高すぎるからとベッドに腰かけるよう言われ、友人の方が少し目線が高くなる。
「遅くなって悪かったな。今日もゆっくり休むといい。」
 昨日ヴァイスにしていたように友人が両手を広げると、触れていいのかとためらいがちに抱き寄せる。――細い身体だ。伝わる体温が心地よく、呼吸とともに友人の匂いがする。――あまりよろしくないのではと、片隅かたすみで思うもそのまま意識は今日も沈んでいく。
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