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間奏曲 ――五番――
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女王の侍女に連れられて学園内を歩く。
目的地は校舎の東奥にある近衛兵の詰め所だ。
校舎の西側に降ろされたため目的地までだいぶ距離があるが、人に見られ認知されることが自分の役割であり、必要なことだった。
10月に入ったばかりで、まだ15時だというのに既に西に夕日が見えるのは聖国の極東に位置するシューシャを思い出させる。――学園都市ピオノールに来るずっと前に通り過ぎたが、訪れる度に変わる故郷の姿が活気を示していた。
普段いる聖都ではもう少しだけ日が長いため、時間の感覚がまだつかめない。
また、こちらでは太陽が北にあるのも混乱する原因になっていた。東から登るのは変わらないが、太陽を背にすることを忘れると方角がすぐに分からなくなる。
すぐ隣にある国だというのに、常識がなにもかも異なることが、やはり違う場所なのだと身につまされる。
「市内観光はいかがでしたでしょうか?」
「――軽く見ただけだが、街のどこにも警邏隊とやらがいなかった。昨日の今日でこれとは……、舐めているとしか思えない。」
わざわざ学園から離れた庶民の多い場所へ行ったのは、確かめるため。――比較的人の多い場所で、どの程度の警備体制が敷かれているかを確かめだった。
だが、想像以上に近隣に警邏の姿はなく、これでは昨日のような事態がまた起こるだろう。警邏隊に所属している人数を軽く聞いてはいたのだが、その者たちはどこへ行ってしまったのか――。
「ヨアヒム様にお伝えせねばなりませんね。彼が学園の防備の総括をしておりますので」
「……セーレ様からも聞いてはいたが、随分お優しい方なのだな。荒事が得意なように見えないが。」
「そうですね。――荒事や対立が苦手な方ですが人に寄り添える方ですので、何が必要かはきちんと分かっておりますわ」
「確かに、そういう人間は必要だな。」
今朝いつもの調子で叔父とこの侍女に接していたが、どうやらその調子ではダメだと後で気付いた。左翼が止めてくれればよかったのだが、彼にそんな義務はないので仕方がない。
「――それから通りに面した本屋だが、あそこは監視した方が良いだろう。今日立ち寄ったから引き上げているかもしれないが、終末論やら、世界の更新やらを謳った本が置いてあった。あんな本を置きに来た連中がいるということは、学園都市内にまだまだ不穏分子がいると考えるべきだろう。――学生が知らずに手を出して取り込まれでもしたら面倒だ。」
「――承知しました。そちらは我々が見ておきましょう。他の場所もこちらで調べてみます」
「アイベルだけは気付いていた。――侍従は全員が把握しているわけではないのか?」
「……あの子たちに今一度知らしめておく必要がありますね。――教えてくださりありがとうございます」
終末論、終末思想、世界の更新と言った内容は神と世界に対する冒涜である。それを憂える者が正しく訴えるのならばまだよかった。――だが、この思想はある犯罪組織の特徴でもあった。
『Avici』と名乗るそれは、3000年に渡る戦を続けていた王家と四家を誅し、彼らを信奉する民を一掃し、新たな世界を作るなどと妄言を吐く組織だ。
大戦を続けていた二つの家を恨むのは分かる。――だがそれはただの題目で、実態は違法な人体実験や精霊術や魔術を融合した新たな暴力の創造といった、この世界の理外の何かを求めることに熱心になっているだけの狂人共の集まりとなっている。
ただの妄言で済めばよかったのだが、彼らは成してしまった。理外の力を行使する術を。
――それが聖都襲撃事件で行使された。
今なお彼らの邪術に苦しめられている者が聖都におり、残っている者たちで今も対処している。
時期が時期だったため、ラウルス国にも警告をした――。そして襲撃事件で一部逃がしてしまった連中を家の者が探させたところ、ここ学園都市ピオニールに来ていることが判明したのが襲撃から数日経った後だった。
同じことをしようとしているのだろう。――東方天に一矢報いたことが彼らに勢いをつかせてしまった。
普段であれば、遅れをとることなど決してなかった。――ただあの頃、大切なものが手元から離れてしまい気持ちが揺れていた。
早く気持ちを切り替えねばならなかったのに、それが出来ず、愚かにも失態を演じた。
思い返すたびに落ち込む。――東の空を見上げれば、心の中と同じ色に染まっていくようだった。
「――そういえば博物館に海洋学者が来ていたな。あれはヒルトの采配か。」
「……こちらも良かれと思って、北方天さまと東方天さまが参加されていることもあり招いたのですが、――またうまく使われた気がしますわ」
侍女は苦笑していた。彼らは自分を知っていた。――以前から青龍商会の看板のひとつに、自分たちのことが掲げられているのを知っていた。
出番など二度とないだろうと思っていたのに、今こうして『五番』として駆り出されることとなる。
そして今回の仕事のためにこの空虚な名を、学生たちが好奇と共に名を広めてくれるだろう。
あの場に王子たちもいたことで、興味深げに周囲に人が集まって多くの人が話を聞いていた。子どもの多いこの場所で、新たな刺激を与えれば、彼らがこちらにとって都合の良い働きをすることは想像に難くない。
「――こちらとしては仕事がしやすくなって助かる。」
何もかもこちらに都合よく働いていることが少々不安だが、二度と同じ失態を晒すまいと剣の柄を握った。
学園の南東の端にある近衛の詰め所に近付くと、なにやら騒然としていた。――かすかに血と人の焼けた匂いがする。
不穏な気配に侍女の案内が少し早まり、大足でついていく。外にいた兵士が侍女の姿を見るなり、周囲の者たちに声を掛け合い、慌ただしさをやめ整然と並び道を作っていく。
「一体なにが」
「――昨夜捕らえた者が何者かに殺されました。警備をしていた者も……」
死者が出た。――ただの悪戯ではないと思っていたが、近衛兵の牢の中に入れるほどの人物ということで、周囲に動揺が走っているようだ。
この近衛兵の詰め所は校舎の裏で目立たない場所ではあるが、女王のいるピオニール城と上流階級者向けの男子寮も近い位置にある場所だ。
これだけ警戒の厚い場所だというのに、随分と恐れを知らない者がいたようだ。
「――陛下は?」
「先ほどいらっしゃったところです。どうぞこちらへ――」
伴われて女王のいる場所へ向かう――。どうやら『話し合い』はなくなったようだ。
そこは半地下のようで、あまり広くない階段を降りるとすぐに女王の姿があった。いかなる場所であれ威光を絶やすことのないこの人物は、場違いな黒のドレスを身にまとい、ファーがたっぷりあしらわれた上着を羽織っていた。
王の象徴たる二本の白い角が黒髪を分けて覗かせているのが、階上からでも良く見える。双角の高さも含め180は優に超える。
こんな狭い場所でも天井にぶつからないのは、この場所に王が来ることを見越して設計しているのだろうかと、余計なことを考えた。
「来たか」
こちらを一瞥した女王に、無事を確認した侍女から少し安堵した気配を察する。
彼らの先に目をやると異様な状況だった。それぞれの独房にひとつずつ黒焦げの人だったものが四体転がっている。そして牢ではない奥まった場所にも剣で刺し貫かれ、無残にも焼かれた死体がもう一つあった。
「……対策されているな」
精霊がここにはなかった。――精霊封じがなされているようだ。
元からされているのではなく、壁や床に広がった黒い模様がそれだろう。彼らを処分した後残したものだろうか――。
魔術でもそういう術があるが、今回それを使用してるのかどうかは彼らに調べてもらわねば分からない。
「貴様でも分からないか。――まったく使えないな」
現場を眺めていた女王が、鼻でひとつ笑うとこちらを振り返り侍女を呼ぶ。誰よりも最初に見分させるようだ。――女王は他の人間を近付けさせないよう指示をした。
「ここは随分足元が緩いようだな。――女王の名とやらも大したことがない。」
「ぬかせ。――ただの小童に落ちぶれた貴様など、畏るるに足らん」
揶揄の混じる嗜虐的な笑みを、女王は浮かべている。
「――いつでも構わないが。」
淡々と応じる。抜けない剣の柄に手を伸ばす。――この剣を使用するためには条件があるのだが、それを満たさない今は鈍器として使用するしかない。
「――グライリヒ陛下より、お二人が喧嘩する際は呼ぶよう言われておりますので、また後にしてくださいませね」
くすくすと、死体の傍にいる大柄の侍女が言う。
「巫山戯るな。何故アイツの余興にならねばならない――。あの阿呆には、自分の事に集中しろと伝えておけ」
「ふふっ、大層愛らしいではありませんか。そのような頼み事をされるなんて、一体何年振りのことか」
昔を思い出しているようで懐かし気に声を弾ませながら、腰につけた腰の装身具を起動させて何かの魔術を発動した。言葉はこちらに向けられるも、侍女は己の役割を忠実にこなしていく。
「…………もうそんな可愛い年じゃないだろ」
呆れるように苦々しく女王が呟いた。
グライリヒ陛下が来るまでは大人しくしいてろ、という話だと理解し、柄から手を放す。早く来て欲しい気持ちもあるが、彼が来てしまうと父も一緒に来ることになるだろう。――今この危険な場所に招くことは絶対に避けたかった。
「――発見は?」
「……昨夜の捕り物劇の際、参加した近衛と警護隊にそれぞれ聴取していた時だったそうだ。ここを警備していた者に話を聞こうとした際、見つけたというが……。ずいぶん人が多かったからな。――貴様の出番だ、小童」
この場は侍女に任せ、二人で階上へ進む。――ここでは使い物にならなくても、己の天賦はまだ活用方法がある。
女王が主導となり、一通りここにいる者たちの話を聞き情報を集めた。事前に侍女が呼んだ護衛が女王を守り、ここに集まる人々を監視しながら、新たな問題が起こらないようにと周囲を警戒している。
この街には大きく分けて三種類の兵がいる。
近衛兵は王都から派遣され、ここでは女王と王弟の命を聞く者たちだ。
警護隊も同様に王家の関係者に採用された人たちではあるのだが、王都に行くことはなく、この学園に居を構える人間である。主に山の手エリアから学園内、寮の警護を担当している。
そしてクライゼル警邏隊と呼ばれる、この街を警備する学生が中心の組織がある。――彼らはここで研鑽と修練を経て、将来騎士や兵士、王都や地方で職を得るための修業の場となっている。
その三種類の兵士をまとめているのが、ヨアヒム王弟殿下ということだ。――少し前までは問題なく運用されていたのだが、このような事件が起きるまでの何かがこの都市で起きているようだ。
女王から離れ、彼女と兵士たちが話す様子が見える位置で全体を観察する。――話す内容ではなく、彼らの話し方や心の動きを見る。これはいくら訓練していても、思考を持つ生き物であればなにかしら必ず反応が出るものだ。――それらを見極めることが出来るのが、持ち合わせている天賦のひとつだった。
今日この場にいた人物は呼ばれた者含め、50人程度か――。本来の数より少ないが、昨日参加した者しか呼ばなかったため、この人数となっている。
女王による情報収集を終えると、階下にいた侍女が現れた。どうやら用が済んだらしい。――近衛の中から信頼できる者を指名し、彼らに現場の調査を引き継がせ、この場を後にした。
「随分と余裕があるようだ。――嘘をついている者がいたぞ。」
女王と侍女と護衛に伴われれ、王城の執務室に到着する。道中この集団の中で10代がひとり、しかも周囲に埋もれる程の小柄な人物となると黒髪であろうと少し目立った。
「……何人だ」
執務室の最奥にある椅子に女王が腰を沈める。立派な革製の黒の椅子が、音を立てて主を支える。
「ひとり。――他に仲間がいるかもしれないが、とりあえず警護隊は注視していた方がいい。」
巨大な執務机がこの人物の偉大さを象徴しているようだが、自分には関係がない。その机を挟んで対峙する。
「チッ、警護の連中か……。全員洗い直せ」
周囲が静かに受命する。
「――地下にあったのは魔術だけではないので、噂の邪術のようですね。どれも芯まで炭化するほど念入りに燃やされておりましたが、これだけの火力をあの人数にばれないように行うとは……。手慣れた者のようですね」
「後でこちらで持っている情報を共有しよう。新しくいくつか手に入れた。」
「……協力者がいると聞いていたが、まさか蒼家の人間じゃないだろうな」
「さあな。私が命じたわけじゃない。――使えるものであれば、どのようなものであれ使うつもりだ。」
苦々し気にこちらを睨むが、そのようなものは気にする必要がない。そのひと睨みでこの命を奪う訳ではないのだから。
「気になるなら見つけて追い返せばいい。――それが出来ればな。」
「ふん……。せいぜい利用させてもらうさ。だが、小賢しい真似をするなよ小童。――あの小僧にもよくよく伝えておけ」
女王が手を振ると、傍らに控えている従僕たちが女王へとワインを差し出した。
赤く濃厚なアルコールの香りが、グラスを振るたびに漂う。グラスを回しながら、こちらを揶揄するように鋭い黒の瞳が歪む。
「昨日も思ったが、その見た目はなんだ。――ハインハルトの真似か?」
「違う。」
この髪色はもう一人の兄弟子である右翼という人物を真似たものだ。黒髪である方がこの国では馴染みやすいという理由もあるが、左翼とよく共にいるのが右翼であり、この二人は聖都でも存在がよく知られている。
青龍商会の名を知る者であれば警戒される人物であり、どの程度知っているか炙り出すための偽装のひとつであった。――彼の特徴だけ知っている者であれば、警戒をするだろうが、実物と対峙、ないし見たことがある者であれば、彼より格の低い自分を先に排除しに来るであろうと見越しての偽装であり、この名前だった。――決して先代の真似などでなはい。
「それに五番か……。フン、ふざけた名前だ。――どうせあの小僧のつけた名なのだろう」
「実力順だし、分かりやすくていい。」
「よく言う。あの性悪のことだ。――攪乱するため、貴様を五番なんて中途半端なものにしているんだろう」
「なるほど。――思っているより、私のことを買ってくれているのか。」
ゾフィが適当な飲み物をシャンパングラスに入れて持ってきた。――色や香りからしてオレンジだろうか。特にこだわりがないのでいいのだが、洒落たグラスにアンバランスな内容物が、どうにも子ども扱いされているように思えた。
こちらの様子を察したのか、微笑まれる。
「精霊術を行使されておりましたでしょう? 甘いものが欲しいかと。――必要があればいくらでもご用意いたします、どうぞご随意に」
「勝手に承るな。貴様は私の従僕だろうが」
「まぁ、なんとありがたいお言葉。――身に余る光栄ですわ」
心底嬉しそうなゾフィに女王が呆れていた。この大きなメイドはいつもこの調子なので気にすることはない。
「……分かり次第情報を共有しよう。ひとまず貴様が見た嘘つきがどいつか教えろ」
アルコールを入れてこの後話し合いをするつもりなのか。――呆れつつ、用意されたものに口をつける。
これからこの場所で『釣り』が行われる。どんな釣果がでるか、自分の働きと周囲の協力次第だろう。――『釣り餌』である自分は派手に行動しなければならない。そのために王子たちの協力にも助力してもらわねばならないだろう。
この国で暮らす父や叔父に悪意が降りかからないように、守るために来たのだ。
目的地は校舎の東奥にある近衛兵の詰め所だ。
校舎の西側に降ろされたため目的地までだいぶ距離があるが、人に見られ認知されることが自分の役割であり、必要なことだった。
10月に入ったばかりで、まだ15時だというのに既に西に夕日が見えるのは聖国の極東に位置するシューシャを思い出させる。――学園都市ピオノールに来るずっと前に通り過ぎたが、訪れる度に変わる故郷の姿が活気を示していた。
普段いる聖都ではもう少しだけ日が長いため、時間の感覚がまだつかめない。
また、こちらでは太陽が北にあるのも混乱する原因になっていた。東から登るのは変わらないが、太陽を背にすることを忘れると方角がすぐに分からなくなる。
すぐ隣にある国だというのに、常識がなにもかも異なることが、やはり違う場所なのだと身につまされる。
「市内観光はいかがでしたでしょうか?」
「――軽く見ただけだが、街のどこにも警邏隊とやらがいなかった。昨日の今日でこれとは……、舐めているとしか思えない。」
わざわざ学園から離れた庶民の多い場所へ行ったのは、確かめるため。――比較的人の多い場所で、どの程度の警備体制が敷かれているかを確かめだった。
だが、想像以上に近隣に警邏の姿はなく、これでは昨日のような事態がまた起こるだろう。警邏隊に所属している人数を軽く聞いてはいたのだが、その者たちはどこへ行ってしまったのか――。
「ヨアヒム様にお伝えせねばなりませんね。彼が学園の防備の総括をしておりますので」
「……セーレ様からも聞いてはいたが、随分お優しい方なのだな。荒事が得意なように見えないが。」
「そうですね。――荒事や対立が苦手な方ですが人に寄り添える方ですので、何が必要かはきちんと分かっておりますわ」
「確かに、そういう人間は必要だな。」
今朝いつもの調子で叔父とこの侍女に接していたが、どうやらその調子ではダメだと後で気付いた。左翼が止めてくれればよかったのだが、彼にそんな義務はないので仕方がない。
「――それから通りに面した本屋だが、あそこは監視した方が良いだろう。今日立ち寄ったから引き上げているかもしれないが、終末論やら、世界の更新やらを謳った本が置いてあった。あんな本を置きに来た連中がいるということは、学園都市内にまだまだ不穏分子がいると考えるべきだろう。――学生が知らずに手を出して取り込まれでもしたら面倒だ。」
「――承知しました。そちらは我々が見ておきましょう。他の場所もこちらで調べてみます」
「アイベルだけは気付いていた。――侍従は全員が把握しているわけではないのか?」
「……あの子たちに今一度知らしめておく必要がありますね。――教えてくださりありがとうございます」
終末論、終末思想、世界の更新と言った内容は神と世界に対する冒涜である。それを憂える者が正しく訴えるのならばまだよかった。――だが、この思想はある犯罪組織の特徴でもあった。
『Avici』と名乗るそれは、3000年に渡る戦を続けていた王家と四家を誅し、彼らを信奉する民を一掃し、新たな世界を作るなどと妄言を吐く組織だ。
大戦を続けていた二つの家を恨むのは分かる。――だがそれはただの題目で、実態は違法な人体実験や精霊術や魔術を融合した新たな暴力の創造といった、この世界の理外の何かを求めることに熱心になっているだけの狂人共の集まりとなっている。
ただの妄言で済めばよかったのだが、彼らは成してしまった。理外の力を行使する術を。
――それが聖都襲撃事件で行使された。
今なお彼らの邪術に苦しめられている者が聖都におり、残っている者たちで今も対処している。
時期が時期だったため、ラウルス国にも警告をした――。そして襲撃事件で一部逃がしてしまった連中を家の者が探させたところ、ここ学園都市ピオニールに来ていることが判明したのが襲撃から数日経った後だった。
同じことをしようとしているのだろう。――東方天に一矢報いたことが彼らに勢いをつかせてしまった。
普段であれば、遅れをとることなど決してなかった。――ただあの頃、大切なものが手元から離れてしまい気持ちが揺れていた。
早く気持ちを切り替えねばならなかったのに、それが出来ず、愚かにも失態を演じた。
思い返すたびに落ち込む。――東の空を見上げれば、心の中と同じ色に染まっていくようだった。
「――そういえば博物館に海洋学者が来ていたな。あれはヒルトの采配か。」
「……こちらも良かれと思って、北方天さまと東方天さまが参加されていることもあり招いたのですが、――またうまく使われた気がしますわ」
侍女は苦笑していた。彼らは自分を知っていた。――以前から青龍商会の看板のひとつに、自分たちのことが掲げられているのを知っていた。
出番など二度とないだろうと思っていたのに、今こうして『五番』として駆り出されることとなる。
そして今回の仕事のためにこの空虚な名を、学生たちが好奇と共に名を広めてくれるだろう。
あの場に王子たちもいたことで、興味深げに周囲に人が集まって多くの人が話を聞いていた。子どもの多いこの場所で、新たな刺激を与えれば、彼らがこちらにとって都合の良い働きをすることは想像に難くない。
「――こちらとしては仕事がしやすくなって助かる。」
何もかもこちらに都合よく働いていることが少々不安だが、二度と同じ失態を晒すまいと剣の柄を握った。
学園の南東の端にある近衛の詰め所に近付くと、なにやら騒然としていた。――かすかに血と人の焼けた匂いがする。
不穏な気配に侍女の案内が少し早まり、大足でついていく。外にいた兵士が侍女の姿を見るなり、周囲の者たちに声を掛け合い、慌ただしさをやめ整然と並び道を作っていく。
「一体なにが」
「――昨夜捕らえた者が何者かに殺されました。警備をしていた者も……」
死者が出た。――ただの悪戯ではないと思っていたが、近衛兵の牢の中に入れるほどの人物ということで、周囲に動揺が走っているようだ。
この近衛兵の詰め所は校舎の裏で目立たない場所ではあるが、女王のいるピオニール城と上流階級者向けの男子寮も近い位置にある場所だ。
これだけ警戒の厚い場所だというのに、随分と恐れを知らない者がいたようだ。
「――陛下は?」
「先ほどいらっしゃったところです。どうぞこちらへ――」
伴われて女王のいる場所へ向かう――。どうやら『話し合い』はなくなったようだ。
そこは半地下のようで、あまり広くない階段を降りるとすぐに女王の姿があった。いかなる場所であれ威光を絶やすことのないこの人物は、場違いな黒のドレスを身にまとい、ファーがたっぷりあしらわれた上着を羽織っていた。
王の象徴たる二本の白い角が黒髪を分けて覗かせているのが、階上からでも良く見える。双角の高さも含め180は優に超える。
こんな狭い場所でも天井にぶつからないのは、この場所に王が来ることを見越して設計しているのだろうかと、余計なことを考えた。
「来たか」
こちらを一瞥した女王に、無事を確認した侍女から少し安堵した気配を察する。
彼らの先に目をやると異様な状況だった。それぞれの独房にひとつずつ黒焦げの人だったものが四体転がっている。そして牢ではない奥まった場所にも剣で刺し貫かれ、無残にも焼かれた死体がもう一つあった。
「……対策されているな」
精霊がここにはなかった。――精霊封じがなされているようだ。
元からされているのではなく、壁や床に広がった黒い模様がそれだろう。彼らを処分した後残したものだろうか――。
魔術でもそういう術があるが、今回それを使用してるのかどうかは彼らに調べてもらわねば分からない。
「貴様でも分からないか。――まったく使えないな」
現場を眺めていた女王が、鼻でひとつ笑うとこちらを振り返り侍女を呼ぶ。誰よりも最初に見分させるようだ。――女王は他の人間を近付けさせないよう指示をした。
「ここは随分足元が緩いようだな。――女王の名とやらも大したことがない。」
「ぬかせ。――ただの小童に落ちぶれた貴様など、畏るるに足らん」
揶揄の混じる嗜虐的な笑みを、女王は浮かべている。
「――いつでも構わないが。」
淡々と応じる。抜けない剣の柄に手を伸ばす。――この剣を使用するためには条件があるのだが、それを満たさない今は鈍器として使用するしかない。
「――グライリヒ陛下より、お二人が喧嘩する際は呼ぶよう言われておりますので、また後にしてくださいませね」
くすくすと、死体の傍にいる大柄の侍女が言う。
「巫山戯るな。何故アイツの余興にならねばならない――。あの阿呆には、自分の事に集中しろと伝えておけ」
「ふふっ、大層愛らしいではありませんか。そのような頼み事をされるなんて、一体何年振りのことか」
昔を思い出しているようで懐かし気に声を弾ませながら、腰につけた腰の装身具を起動させて何かの魔術を発動した。言葉はこちらに向けられるも、侍女は己の役割を忠実にこなしていく。
「…………もうそんな可愛い年じゃないだろ」
呆れるように苦々しく女王が呟いた。
グライリヒ陛下が来るまでは大人しくしいてろ、という話だと理解し、柄から手を放す。早く来て欲しい気持ちもあるが、彼が来てしまうと父も一緒に来ることになるだろう。――今この危険な場所に招くことは絶対に避けたかった。
「――発見は?」
「……昨夜の捕り物劇の際、参加した近衛と警護隊にそれぞれ聴取していた時だったそうだ。ここを警備していた者に話を聞こうとした際、見つけたというが……。ずいぶん人が多かったからな。――貴様の出番だ、小童」
この場は侍女に任せ、二人で階上へ進む。――ここでは使い物にならなくても、己の天賦はまだ活用方法がある。
女王が主導となり、一通りここにいる者たちの話を聞き情報を集めた。事前に侍女が呼んだ護衛が女王を守り、ここに集まる人々を監視しながら、新たな問題が起こらないようにと周囲を警戒している。
この街には大きく分けて三種類の兵がいる。
近衛兵は王都から派遣され、ここでは女王と王弟の命を聞く者たちだ。
警護隊も同様に王家の関係者に採用された人たちではあるのだが、王都に行くことはなく、この学園に居を構える人間である。主に山の手エリアから学園内、寮の警護を担当している。
そしてクライゼル警邏隊と呼ばれる、この街を警備する学生が中心の組織がある。――彼らはここで研鑽と修練を経て、将来騎士や兵士、王都や地方で職を得るための修業の場となっている。
その三種類の兵士をまとめているのが、ヨアヒム王弟殿下ということだ。――少し前までは問題なく運用されていたのだが、このような事件が起きるまでの何かがこの都市で起きているようだ。
女王から離れ、彼女と兵士たちが話す様子が見える位置で全体を観察する。――話す内容ではなく、彼らの話し方や心の動きを見る。これはいくら訓練していても、思考を持つ生き物であればなにかしら必ず反応が出るものだ。――それらを見極めることが出来るのが、持ち合わせている天賦のひとつだった。
今日この場にいた人物は呼ばれた者含め、50人程度か――。本来の数より少ないが、昨日参加した者しか呼ばなかったため、この人数となっている。
女王による情報収集を終えると、階下にいた侍女が現れた。どうやら用が済んだらしい。――近衛の中から信頼できる者を指名し、彼らに現場の調査を引き継がせ、この場を後にした。
「随分と余裕があるようだ。――嘘をついている者がいたぞ。」
女王と侍女と護衛に伴われれ、王城の執務室に到着する。道中この集団の中で10代がひとり、しかも周囲に埋もれる程の小柄な人物となると黒髪であろうと少し目立った。
「……何人だ」
執務室の最奥にある椅子に女王が腰を沈める。立派な革製の黒の椅子が、音を立てて主を支える。
「ひとり。――他に仲間がいるかもしれないが、とりあえず警護隊は注視していた方がいい。」
巨大な執務机がこの人物の偉大さを象徴しているようだが、自分には関係がない。その机を挟んで対峙する。
「チッ、警護の連中か……。全員洗い直せ」
周囲が静かに受命する。
「――地下にあったのは魔術だけではないので、噂の邪術のようですね。どれも芯まで炭化するほど念入りに燃やされておりましたが、これだけの火力をあの人数にばれないように行うとは……。手慣れた者のようですね」
「後でこちらで持っている情報を共有しよう。新しくいくつか手に入れた。」
「……協力者がいると聞いていたが、まさか蒼家の人間じゃないだろうな」
「さあな。私が命じたわけじゃない。――使えるものであれば、どのようなものであれ使うつもりだ。」
苦々し気にこちらを睨むが、そのようなものは気にする必要がない。そのひと睨みでこの命を奪う訳ではないのだから。
「気になるなら見つけて追い返せばいい。――それが出来ればな。」
「ふん……。せいぜい利用させてもらうさ。だが、小賢しい真似をするなよ小童。――あの小僧にもよくよく伝えておけ」
女王が手を振ると、傍らに控えている従僕たちが女王へとワインを差し出した。
赤く濃厚なアルコールの香りが、グラスを振るたびに漂う。グラスを回しながら、こちらを揶揄するように鋭い黒の瞳が歪む。
「昨日も思ったが、その見た目はなんだ。――ハインハルトの真似か?」
「違う。」
この髪色はもう一人の兄弟子である右翼という人物を真似たものだ。黒髪である方がこの国では馴染みやすいという理由もあるが、左翼とよく共にいるのが右翼であり、この二人は聖都でも存在がよく知られている。
青龍商会の名を知る者であれば警戒される人物であり、どの程度知っているか炙り出すための偽装のひとつであった。――彼の特徴だけ知っている者であれば、警戒をするだろうが、実物と対峙、ないし見たことがある者であれば、彼より格の低い自分を先に排除しに来るであろうと見越しての偽装であり、この名前だった。――決して先代の真似などでなはい。
「それに五番か……。フン、ふざけた名前だ。――どうせあの小僧のつけた名なのだろう」
「実力順だし、分かりやすくていい。」
「よく言う。あの性悪のことだ。――攪乱するため、貴様を五番なんて中途半端なものにしているんだろう」
「なるほど。――思っているより、私のことを買ってくれているのか。」
ゾフィが適当な飲み物をシャンパングラスに入れて持ってきた。――色や香りからしてオレンジだろうか。特にこだわりがないのでいいのだが、洒落たグラスにアンバランスな内容物が、どうにも子ども扱いされているように思えた。
こちらの様子を察したのか、微笑まれる。
「精霊術を行使されておりましたでしょう? 甘いものが欲しいかと。――必要があればいくらでもご用意いたします、どうぞご随意に」
「勝手に承るな。貴様は私の従僕だろうが」
「まぁ、なんとありがたいお言葉。――身に余る光栄ですわ」
心底嬉しそうなゾフィに女王が呆れていた。この大きなメイドはいつもこの調子なので気にすることはない。
「……分かり次第情報を共有しよう。ひとまず貴様が見た嘘つきがどいつか教えろ」
アルコールを入れてこの後話し合いをするつもりなのか。――呆れつつ、用意されたものに口をつける。
これからこの場所で『釣り』が行われる。どんな釣果がでるか、自分の働きと周囲の協力次第だろう。――『釣り餌』である自分は派手に行動しなければならない。そのために王子たちの協力にも助力してもらわねばならないだろう。
この国で暮らす父や叔父に悪意が降りかからないように、守るために来たのだ。
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《作者からのお知らせ!》
※2025/11月中旬、 辺境領主の3巻が刊行となります。
今回は3巻はほぼ全編を書き下ろしとなっています。
【貧乏貴族の領地の話や魔導車オーディションなど、】連載にはないストーリーが盛りだくさん!
※また加筆によって新しい展開になったことに伴い、今まで投稿サイトに連載していた続話は、全て取り下げさせていただきます。何卒よろしくお願いいたします。
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