第二王子は憂鬱~divine femto~ 学園都市ピオニール編

霜條

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間奏曲 ――宿舎の人々――

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 あれ以上いても出来ることもないだろうと思い、早々に退散たいさんすることにした。
 どちらにせよ、今日は早く戻りたかった。
 後のことは彼らに任せ、帰る足が早まる。
 瞳の色が違うことに気付いた幾人いくにんかが何者かと振り返るが、学生服を着ている以上深く追及ついきゅうされることもない。
 そのまま学舎がくしゃの中を進んでいく。
 昨日街で声を掛けてくれたであろう女生徒たちが手を振ってきたので、軽く笑顔を作り手を振り返した。
 止まらぬ足取りに、それ以上のことは求められない。階段を降りると、昨日待ち合わせに使った東エントランスまで辿たどり着く。
 空を見上げればもう夕方。あっという間の学舎案内だった。――――あと少し歩けば目的地だ。
 近付く人影に、宿舎の前で警戒する二人の部下が到着に気付いた。
「――お帰りなさい。それって制服? 似合ってますねぇ」
「そうだ。叔父上があつらえてくださったんだ。」
 宿舎の前で警備をしている兵たちが関心するように言った。
「へ~。あの人たちもそれ着てたんですか?」
「そのようだ。機能性を向上させるための改変かいへんが何度かあったそうだが、あのお二人が来ていた頃と同じデザインだとも聞いた。」
 兵たちにもよく見えるようにそでを広げ自慢する。
 学園都市ピオニールここで学生をしていた父と叔父も着用していたそうで、同じものを、同じ場所で自分も経験している。
 そんな機会が与えられるなどと思ったことがなかった。だから嬉しかった。
 今の境遇きょうぐうを不幸と思ったことはない。
 だが、両親がそれをよしとするかは別の話だ。それくらいの分別はあるつもりだ。
 自慢げに見せつけられた二人は慣れた様子で、お~似合ってる似合ってる、などといつもと変わらない調子で褒めていた。
 大げさに言うわけでも、こびで言うわけでもなく、ただ茶番に付き合ってくれるところが彼らの良いところで、自分にとってもちょうどいい距離感だった。
「皆はもう戻ってきているのか?」
「だいぶ戻ってきたと思いますよ。中であれこれ話していると思うので、坊ちゃんも混ぜて貰えば?」
「あぁ、そうしよう。」
 彼らが坊っちゃんと呼ぶのは『フィフス』の時だ。『世間知らずボンボンの坊っちゃん』ということで呼んでいるらしい。
 東方天の時にはガレリオが『大将』と呼び出してから、自然と皆がそう呼ぶようになり、今も新しいあだ名で呼ばれるようになった。
 下手に名前を呼び間違えれるより、適当に呼ばれていた方がマシなのでこのままにしている。
 ドアを開けてもらい中へと入る。
 今日は皆出番もないため各々おのおの好きにさせていたが、ほとんどの者が朝から市内散策や観光へと出てかけていた。
 彼らが何を見て、どんな感想を持ったのか話を聞くのは好きだったし、あの人・・・にも伝えて欲しいと思っていたのでちょうど良い。
 道中、一緒にいるときは気にした素振りもなかったのに、学園都市についてから外に出ることをひかえていることが気がかりだった。
 こちらの人間とは見た目が違うため、人目を引くことがあるのは分かっていたが、どうやらそれだけではない気配に、自分が側にいないということが不安なのだろうか。
 早く仕事を終わらせて聖都へ帰りたい――――。
 いつもの場所に、いつも通りいることが、あの人たちにとってもまだ心労が少ないだろう。
 ここを出た時よりも、廊下はだいぶ賑やかになっていた。
「あ、大将おかえり」
「いっすねその制服~。学生みたいじゃないすか」
「今日はもう終わりっすか? 皆が待ってますよー」
 口々にこちらに言葉をかけてくる彼らに、適当な返事をしつつ食堂へ向かう。そこが談話室を兼ねており、用がないものが集まる場所となっていた。
 目的の部屋から、ゆるやかな青髪を肩下まで伸ばし、後ろでハーフアップにした女性が出て来た。こちらを視界に入れると心配そうな自分と同じ色の瞳がぱっと変わる。
「お帰り。早かったのね」
「ただいま戻りました、――ティアラ様。」
 胸に手を当て、その女性に挨拶をする。他人行儀な振る舞いに少し不機嫌になった。
「いいじゃない、どうせ誰も聞いてないんだから。いつもみたいに外界を遮断する結界を張っているんでしょ? ――――おかえり、クリス」
 一瞬悩むが、彼女の様子を見て諦めた。首のチョーカーに手を当て、本来の声を出すことにした。
「――――ただいま戻りました、母上」
 満足そうに微笑むと、いつものように抱擁をしてくれた。――暖かい。
 父や叔父の話だけでなく、祖父とハインハルトの話まで聞いてしまったら、どうしても母にも会いたくなってしまった。
 大好きな人たちの元にいられることだけが、自分にとって一番幸せなことなのだから。

 聖国も聖都も、住まいにしている黎明宮れいめいぐうも離れることなど滅多にない。だから、今回の遠征について行けばと蒼の当代ヒルトが母に勧めたのだ。――――あの時ちょうど祖父母も側におり、父と叔父以外の身内が勢ぞろいした中、皆が母にそうすべきだと勧めてくれた。そのため此度こたびの遠征に、母が同行しているのだ。
 おかげで今は黎明宮には誰もおらず、代わりに蒼の当代ヒルトが自分の代行をするために活用している。――――本来であれば一族の者を宮に入れるのだが、特別に自分とソリュード家の者だけで使っている。
 ひとりだけ、蒼家の人間で自分や家族の補佐をしてくれているアカネという妹だけを、両親の許可の元、置かせて貰ってもいた。
 ヒルトもアカネも仇成あだなす存在ではないので、両親も許してくれているのだが、――本来であれば一族の者ではない両親に許可を取る必要はないが、ヒルトはきちんと彼らを立てて尊重してくれる。
 そういう気遣いができる面も、当代にはある。
 そんな経緯で母がここにいるのだが、付いてきていることは内密となっている。――ただ、本当に何かあった際困るので、密かに父と叔父には伝えていた。彼女は王の側近として活躍している父の妻でもあるのだ。
 本来であればここではなく王都へ行くべきで、王家彼らに対して挨拶もなく好き勝手にしているなど、父の関係者はあまりいい顔をしないだろう。
 だが伝統や格式という堅苦しいものが心底苦手な母は、東方天の母でもある立場を使い、普段は聖国で自由に過ごさせている。
 そして顔なじみの多いこの聖国の使者の中にいれば、母はまた自由でいられた。
「今朝ヴァイスとうっかり顔を合わせて焦ったわ……。知らないフリしてくれたから助かったけど」
 軽く身体を離し、今朝の事を思い出しているのか困った顔をしていた。
 ――――申し訳ない、母に王都へ行くよう説得してくれないかと密かに頼んでいたのだ。近々接触があるとは思っていたので、今朝うっかり鉢合わせてくれたのは僥倖ぎょうこうだった。
 昨日近くで殺人があったのだ。その件は母も知っている。――――できるだけ早く問題を解決してやりたいが、同時にこんな危ない場所に母を置いておくことは心配だった。
 ごまかすようにぎゅっとくっついた。甘えていると思ってくれたのか、母が微笑をこぼす。
「まぁいいわ。――疲れたでしょう? おやつにしましょう」
「はい。……学舎の中は階段が多くて少々疲れました」
「あぁ~、昔あの二人も言ってたなぁ。こんなに疲れることを毎日してるやつらの気が知れないって」
 クスクスと、過去と今の状況を笑っているようでご機嫌のようだ。
「叔父上もそんなことをおっしゃっていました。日々の昇降で足腰が丈夫になられたと」
「あの人たち貧弱だったもんなぁ……。ハルトさんと一緒に暮らしていたから、風邪も引いたことがなかったのもかわいそうだったわね。――――セーレがここに来て初めて風邪ひいたとき、死ぬかもって大げさに泣いてたらしいわ。あなたも気を付けなさいね、風邪なんて引いたことないでしょ?」
 『風邪』というものはもちろん聖国にもある。だが神の祝福を受けているからか、方天の側にいる者や、神の被造物の中で暮らす者にとって無縁のものだった。
 もちろん方天にとっても、それは同じだ。
 見ることも感じることもないが、加護のおかげで大病をすることも基本ない。アルコールや毒の類が自分に効かないのもそれが理由らしい。
 だが今は呪いを受けており、方天としての力が発揮できないでいる。――でもそんな状態でも権能けんのうが一部発動しており、いつもより制約が多く、慣れない不便さに気を張ることも多い。
 そのことも気掛かりなようで、手洗い場へと案内された。
 母も父も今の状況を伝えているが、全てを教えているわけでもない。――――余計な心配を掛けたくないからだが、どちらも察しがいいのであまり良くない状況なのだと理解しているだろう。
 王弟からの話でも、父の心労が伝わった。
「手洗いうがいはきちんとするのよ。誰かひとりでも風邪になったら大変よ。みんなにも気を付けて貰わないと……」
 身体を離し食堂へ一緒に入ると、中にいた者たちが好き勝手声を掛けてくる。机の上が見たことのないものもたくさん乗っており、どうやら街で見つけたものを披露し合っていたようだ。
「みんなも風邪引かないように気を付けてね。この子、一度も引いたことがないんだから」
 はーいと、いい大人たちの気のない返事が方々で上がり、その声を後ろに手洗い場へと向かう。
 母に世話されるのも心配されるのも嫌いじゃない。
 ただいつもより母が不安にしている様子が皆にも伝わっている――――。
 母にも皆にも、申し訳ない気持ちになった。

 食堂へ戻り、適当な席に母と着くと、外へ観光やら散策へ行った話を聞きながら張っていた気を休めた。
 自分ではない『自分』として振る舞うことは慣れているが、学園に馴染むためにも年相応にしなければならいことが難しかった。『仕事』や『役目』に従事しているときが、正直一番楽だ。年相応というものが、よく分からない。
 だが今は気の置けない人物たちしかいないので、この空間は非常に気が楽だった。
「そういえば、今朝せっかくひっくり返しておいたのに、この黒板戻したんですね。……まさか王子さまたちに言ったんですか?」
「黙っているのも悪いだろ? 女王はともかく、……ヤツの部屋は行ったことがないと言ってたし、せっかくだから教えてやろうと思って」
 ガレリオが黒板を指差しながら、今朝話していたことを思い出し伝えた。
「ヴァイス様にも見せなかったのに何してるんすかもう~~~。みんな大丈夫でしたー? ロイヤルベッドバトルなんかしてるって呆れられてません?」
「……そんな名前まで付けてたのか。別に困ってないから構わないとディアスは言ってた」
「えっ、ディアスくんに言ったの……?」
 隣に座る母が驚いたようにこちらを見た。目が合い、ふと気になった。
「えぇ。今朝ここに三人とも来ていたので、流れで伝えました。……もしかしてディアスを知っているのですか?」
 彼に対する呼び方が叔父と同じだ。誰にでも親しげな母のことだから、王子の事を別にそう呼んでもおかしくはないが。
「……そうね。グランの息子さんだから、少し知っているわ……」
 グランとは、グライリヒ陛下のことだ。
 学生の頃、長期休暇のたびに父と一緒に聖国に来ていたらしく、グランと名乗り黎明宮で過ごしていたそうだ。
 その頃母は黎明宮でハルトの小間使いをしていたため、一緒に帰ってくるたびに顔を合わせていたと聞いている。その頃の名残か、母は王に対しても気安く親しげだ。
 なんとしに聞きながら、今朝届けてもらったチョコを口にした。――これは父が良く買ってきてくれるものだ。あまりにもでかい箱だったから壺でもはいっているのかとおののいたが、たくさんのチョコだったので密かに喜んでいた。
 王からということだったが、きっと父が助言してくれたのだろう。その気遣いが嬉しくも有難かった。
 いつもだと楽しみに隠して取っておくと、すかさず左翼とヒルトが見つけ出し空にする。
 ひとつふたつは取っておいてくれるが、見つけるのが楽しいヒルトと、嗜好しこうが似ている左翼が遠慮なく食べるため毎度呆れるしかなかった。
 普段、極東の地シェーシャにある本家にいる二人にとって楽しみは少ない。だからいいのだが、父が見かねて二人にも買ったのに、それだと満足できないらしく結局毎回隠し合っている。非常にめんどうな兄たちだ。
 ――――ここの人のい姉弟とは大違いだとしみじみ思う。
「左翼、お前も休め。まだチョコはあるぞ」
 思い出したついでにここにいない兄に声を掛ける。すると、おおっていたベールを脱いだように、するりと音もなく背後に腕組みをしたその人が現れた。
 ずっと左翼はそばにいる。
 精霊術で隠形おんぎょうし、姿と気配を隠し、方天として力を失っている自分を守っているのだ。――――流石にここまで近くにいる事はほとんどなく、付かず離れずの距離についていることがほとんどだ。
 精霊術での隠形は術者によって精度は異なるが、左翼ほどの使い手であっても権能けんのうのせいか、いつでも感知出来る。
 こちら側の人間にはまだ誰にも気付かれておらず、ゾフィにもそれとなく尋ねられた。――悪用するつもりも、この国にあだなすつもりもないことは分かっているため釘を刺すのみに留められているが、何かあれば始末として東方天自身の首を差し出すつもりだ。
 それだけの覚悟を持って、我々は来ている。
 広く信頼を勝ち得るためには、相応の誠意をもって示すしかないのだから。
 そして左翼のことは皆は知っているので、突如とつじょ姿を現しても誰も驚きはしない。近くにいた者が隣に席を作り、彼に茶を用意してくれた。
 相変らず愛想もなく無言だが、勧められるがまま座り休憩し始めた。
「いつもありがとね……。あなたにも面倒をかけてしまってごめんなさい」
「別に」
 適当な菓子を口にしながらそう返事する。どこにいても変わらない態度に母は苦笑した。初めて会ったときからずっとこうなので、この愛想も素っ気もない性格にも慣れたものだ。
「それで今度はコイツはどうです――? 女王陛下の寝室にこれを並べておいたら、面白くないですか?」
 ガレリオの隣にいたヴィルが机の下から袋を取り出し、中から変な色の熊、――熊と呼ぶには影も形もないぬいぐるみを五体、色違いでひとつづつ並べて差し出してきた。
 昨日、バルシュミーデ通りでもみかけたそれは、女子たちの間で流行っているものらしい。何が心に刺さるのか分からないが、流行とはそういうものだろう。
「あ、それ俺もそれ見つけて買ってきたわ。ならこっちは執務室に並べてやりましょ」
 向かいに座るドミニクも同じように袋からぬいぐるみを取り出し並べた。他にも買ってきた者がいるようで、なんだかんだ20体ほどが机の上に出さる。
 まるでこのぬいぐるみたちが、お茶会でもしているかのような光景だ。――ここにいるのは平均年齢二十後半の男ばかり。異様な空間が出来上がるのみだった。
「次から次へとろくでもないことを思いつくな……。だが、いいだろう、すぐに片付けられないようにゾフィにも伝えておく」
「行くたびにひとつづつ増えるのと、一気に並べるの、どっちも面白いと思うんですよね。見つけにくい場所に隠しておいても面白いし、――とにかくいろいろやったら教えてください」
 部下たちの悪ノリに、母は呆れていた。
 昨夜、王子のベッドがでかかったという話を彼らにしたら、女王の部屋も確認してきてくれと頼まれて見に行った。
 男子寮の七階にある各部屋のベッドはデザインが違うようだが、おおよそ同じサイズだとアイベルが教えてくれた。第一王子の部屋も行ったついでに確認したので、実際そうなのだろう。
 聖国へ連絡したいこともあり、二つ返事で女王の部屋があるピオニール城へと向かったのは昨夜のこと。
 簡単に行って帰ってきたことから、あれこれと悪戯いたずらを思いついたらしく、皆が提案してきているのだった。
 これは女王に対する、ささやかな報復でもある。――それを知っているので母も止めない。いちいち気にするのもしゃくさわるであろう、小さな反逆を行うのだ。
「ふむ……。これだけあるんだ。何回かに分けて仕掛けてこよう」
「ついでに執務室にこれもどうすか? 噂の変なインク。書いた後少しすると色が変わるみたいですよ」
 近くに来たヨナスが三つほど、インクが詰められた小瓶を持ってきた。見た目は普通の黒のインクだが、開けてみると香料で香りをつけているようで、いい匂いとはいいがたい悪臭がする。
「機会を見て詰め替えてやる。任せろ」
 すぐにバレるだろうがそれでもいい。ささやかすぎて逆鱗に触れるわけでもない、どれも小さな反抗だ。
 ――――何があったかはまだ思い出したくない。
 あまりにも情けなさすぎて、聖国の天気を一週間も曇らせ続けてしまったくらいだ。……そのことを思い返すだけでも、苦々しい気持ちが胸中に広がる。
 机の上に出したぬいぐるみを適当に兵たちがまとめ、この部屋の片隅にある棚へとしまった。――あの一角が無用なものであふれる日も近いだろう。こまめに確認しないとゴミであふれさせることもあるので、注意が必要だ。
 権力を恐れず、おもねることもない彼らは気さくで人がいい。だが決して軽んじてはならない。――特に注意が必要な人物へと、視線を向け声を掛けた。
「……ガレリオ、お前に頼みたいことがある。あとで女王から呼ばれるだろうが、彼らにお前の力を貸してやってくれないか」
「はい? ……もしかして俺をこの国に置いて行くとかしないですよね――? まさか、売り飛ばす気ですか!?」
「するわけないだろう。――先ほど学舎の中でいじめがあった。きっと見つけられていないだけで他にもなにか困っている者がいるだろう。そういう人たちを助けるために、お前の力を貸してくれ」
 本気で騒いでいるわけではないため、すぐに話を理解しする。
 昨日の事件も知っているし、街を担当している警邏隊けいらたいのことも伝えてある。
 そのあたりの対処はガレリオが一番得意であり、頼りになるのだ。――――だがこの軽薄なノリと、伝統や格式を重んじない性格は、きっとこの国の者たちすると鼻持ちならないだろう。共に仕事をさせるにはそこだけが心配だ。
 この学園の長でもある叔父であれば、彼らの舵取かじとりができるだろう。女王の許可も叔父の許可も既に得ている。お忙しい身分だろうが、自由にしていいと言われている以上、使えるものはなんでも使うつもりだ。――叔父のそばに、こちらの兵が置ける理由にもなる。
「お前たち全員もそうだ。もちろん私の手伝いもして欲しいが、東方天の自慢の『武器』が、女王の膝元で名を馳せたら面白いと思わないか――?」
 彼らにそう伝えると、緩まっていた空気が引き閉まる。机に肘を置き、ひとりひとりを確かめた。
「ヤツも我々を存分に使う気ではいるだろうが、それ以上の結果を見せつけてやろう。――彼我ひがの差を思い知らせてやるがいい」
 不敵にそう宣言すると、彼らは闘志を静かに燃やしていた。彼らは普段のらりくらりとして手を抜きがちだが、こちらを軽んじている連中に能力を発揮するのが好きな連中でもある。
 女王はそれを知っているので、決して軽んじたりはしない。この街の最高権力者がそういう態度であれば、彼らを任せることに不安はない。
「ヨアヒム様を困らせすぎないようにね。セーレも言ってたでしょ」
「――だそうだ。そこもよろしく頼んだ」
 はーい、とまた一同が気の抜けた返事をした。それを合図に、先ほどと同じようなのんびりとした空気になる。
 マグカップに入った紅茶を口にし、母に向き合った。
「そういえば、――学舎六階の東側通路に、フュート様とハインハルトの絵画がありました。母上はご存知でしたか?」
「……前に教えて貰ったことがあるかも。すごく大きいんでしょ?」
「とても大きかったです。あんなのどうやって作ったんでしょうか? 機会があればぜひ見て頂きたいです」
「学生さんしか入れないし、ちょっと目立つから私はいいかなぁ……。あなたが見てくれたならそれでいいわ」
「フュート様のってこれですか?」
 入口の近くに座っていたサミュエルが、一本の細い筒を手にこちらに近付き、左翼の後ろでその筒を開いて見せた。
「――――これだ。……一体どうしたんだ?」
 先ほど目にした絵画のポスターだった。ポストカードならあると聞いていたので、開いた新聞紙ほどの大きさのある画が見れると思わず驚く。
「へへっ、さっき街中観光しているときに見つけたんですよ。フュート様のご尊顔そんがんをこんなところで拝めるとは思いませんでしたがね。――大将が喜ぶかと思って買ってきました」
 そっと差し出されて手にする。――――先ほど目にしたものよりずっと小さいが、まぎれもない二人の姿がそこにはあった。
「――母上、これです。若干フュート様の表情が凛々りりしくなっていますが、これです」
「ありがとサミュエル。……この二人がまた一緒にいるところが見れて嬉しいわ」
 懐かしそうにする母へとポスターを渡した。ちらりと左翼が仮面越しに見ていたが、どちらの顔も知っているため特に心を動かされた様子もなく、チョコに手を伸ばしている。
 母は青い髪と青い瞳を持っているが、蒼家の人間ではない。四家の出でなくても、個別に能力があったりもするのだが、青い容姿から水精霊の加護を受けてはいても霊力は与えられなかったようだ。
 そして奇遇にもシューシャの出身だ。――今でこそ領内の自治はまともだが、ハインハルトが存命だった頃までは荒れて非常に治安の悪い場所だった。そこでひとり帰る場所もなくした母をハルトが見つけ、聖都で仕事を与え養っていた。そのえんで父たちと出会い、こうして自分が生まれたのだから先代ハインハルトには感謝している。
 そんなハルトと、またこの地で会うことができたのだ。いろんなえにしが遠くまでつながっているようで、なんだか嬉しい気持ちになる。
 各席に座っていた部下たちも絵画に興味を持ったようで、母が机の上にポスターを広げた。――ここにいる者たちは母、自分、左翼を除いてハインハルトを知らない。先代がハインハルトであり、和平条約締結のために尽力した人物であることは広く知られているが、彼らが持つ情報はそれだけだ。
 恐らく、自分に気兼ねして話しにくいのもあるのだろう。
 幼少の頃、両親たちといた頃の記憶は失くしたが、本家に行った後でもハインハルトの存在は大きかった。蒼家の者たちも、外で冷たくはしていたが彼が大事だったのだ。――――そんな中で過ごしたおかげでハルトの事だけは忘れることはできず、ずっと大きな存在として心の中にある。
 自分を守って亡くなった時の事すらよく覚えている。それでもいい。彼は敬愛すべき人だ。彼の役目を自分が引き継げたことは、これ以上ない喜びだ。
 彼が出来なかったことを、守りたかったものを守る力を与えて貰えたことについて、自分の立場や境遇、その他全てのことに感謝している――――。
 そんな先代の姿を、自慢の部下たちに紹介できるのは嬉しかった。母が隣に座っていたノアにポスターを手渡すと、順番に回して見てくれるようだった。
 この様子なら、後で目のつく場所に掲示してくれるだろう。
「どうやらこっちのお嬢さん方は推し活の一環で、部屋にポスターを貼りまくるらしいですよ」
「いい考えだな……。うむ、帰ったら私もそうしよう」
「……来た人が驚くからやめなさい。セーレも帰ってそんなの見たらなげくわよ」
 いらん入れ知恵をする部下たちを母が止める。――母の隣にいる人物はなんでも素直に聞きがちなため、周りの人間が好き勝手適当なことを教えることに、若干頭を痛めてもいたのだ。
「天井に貼っている人もいるそうです。壁より天井だったらバレないのでは?」
「そんな活用方法が……? 私も寝室の天井に貼っておこう。――これ一本だけか?」
「本物か分からなかったのでとりあえず。次見つけたら買い占めておきますね」
「うむ、頼んだぞ」
「まったく……。本当に困った人たちね」
 注意をあまり聞く気のない者たちに、母は呆れた様子だった。ふっと悪戯っぽく笑いかけると頭を撫でられる。
「――この後もなにかあるの? コレはずしちゃえばいいのに」
 手に触れる感触がいつもの髪の毛よりも硬いからだろう、そんなことを言いながら手を放す。
「また出かけます。すぐに戻るのでご安心下さい」
「そう……」
 普段も仕事で朝でも夜でも出歩いているのだが、やはりいつもと違う状況だからか、あまりいい顔をしなかった。
「……申し訳ありません」
 彼女の望み通りに振る舞うことはできず、どうにもできないことに謝るしかない。
「あなたが元気でいてくれればいいの。帰り、待ってるからね」
 気を遣わせたと気付き、母が抱擁をした。別に謝って欲しい訳じゃないことは分かっているが、それ以外の方法が思いつかなかった。
 しばし暖かな腕の中にいると、ふともうひとつ伝えたいことがあったのを思い出す。
「……そういえば、先ほど耳にしたのですが、どうやら父上が昨夜飲みすぎたそうです」
「えぇ? あの人そんなにお酒強くないよね? ……大丈夫かしら」
 驚いた母が離れ、父を心配する顔になる。一緒にいるときは飲酒することも少ないので、先ほどの話を聞いたときはだいぶ衝撃的だった。
「どうやら陛下と父と、王弟殿下が三人で飲んでいたそうで、……そのおかげで王弟殿下のお加減が優れず、予定が午後からになったようです」
「そうだったんだ……」
 ディアスからは心配しなくても大丈夫だと教えてくれたが、それは母に伏せる。この様子から彼の話は知らないと、確信したからだ。
「――父上の様子を見に行ってはくれませんか? いつも父上はおひとりで過ごされているので心配です。……私の件でご不安もあるかと思うので、元気にしていると伝えていただけないでしょうか」
 我ながら小賢しいと思う。ただ、今の言葉は本心だ。そしてできれば両親が安全な場所にいて欲しいと願う。今の自分の側にいることは最善ではないのだから。
「――そう、したいのはやまやまなんだけどさ……。ミラに申し訳ないじゃない。私が王都なんかに現れたら、締結式に参加するのは実は東方天あなたじゃないかってみんな思うでしょ? ……たぶんヒルトさん、それ狙いで私をここに送りこんだよね?」
 深刻そうな顔をした母が離れながらそう伝えた。寝耳に水だ。
「………………そうなのか?」
「知らない」
 隣にいる兄に尋ねるも、返事は分かりきっているものだった。
「最初は旅行気分で浮かれてたわ。だけど……、ミラはカナタさんをここに招きたがっているし、そのための準備を進めているじゃない。……ヒルトさんの事だから、面倒な準備を全部人にやらせて、おいしいところを持っていこうとしているんじゃないかしら」
 あの性悪な兄のことだ。充分あり得る話に、こちらを放っておいた部下たちも胡乱うろんげな顔になる。――――容易に想像がついたのだろう。
 本来であれば北方軍をミラたちに付けるべきなのだが、こちらで仕事をする上で使い勝手のいい麾下きかを連れて来ている。
 それは互いに了承していたし、ラウルスに来るにあたって陛下にも確認をしている。――だが、それだけのはずだ。
「……ヒルトさんって何かとラウルスと強く関係を結びたがっているじゃない? 締結式に誰が参加するで話し合いしたときも、最初あなたを押していたのに、ミラの熱意に負けたとか言ってさっさと引っ込めたよね。――カナタさんもはっきり言わないけど、知らない場所に行くのが苦手だから渋っているのは皆知ってるわ。……ミラがこっちに来ている今、向こうでカナタさんと何か手を打ってるんじゃないかって気がしてならないのよ」
 どれもあり得る。――友人でもあり同僚でもある北方天カナタは、少し繊細なところがある。家で期待をされ続けていたためか無理に体面を取り繕うとするのだが、頑張りすぎて後々調子を崩すのだ。そういうことが苦手なのは知っているので、一緒にいる際は気を使わないようにさせているし、苦手なことは代わりに出来ることであれば引き受けていた。
 だがミラはカナタを大事にしており、いつも前に出ないところを気にかけていた。だから此度こたびの締結式で、ちゃんと活躍して欲しいと願い、彼に締結式の参加を求めている。
 ここで母と一緒にいられることは嬉しいが、安全を願って王都へ行って欲しいと考えていることも、恐らくヒルトは承知しているだろう。
 そしてヒルトが自分を押したのは、主にその生い立ちのせいだ。ソリュード家と親密なラウルス国への切り札になると思っている節がある。――――父や叔父の立場を利用されることに、あまりいい顔は出来なかった。
「あなたをわざわざ青龍商会の人間として送り込んだのは、こちらの問題を解決したり、カナタさんが来るときに安全を確保することだけじゃないでしょ? 色んな意味で蒼家を売り込みたいからだと思うけど……」
 昔の蒼家を知っている者からすると、当家への評価は辛辣しんらつなものが多いだろう。
 ハインハルトは両国に多大な貢献をしたが、その時分の蒼家の当代は彼の行いを良しと思わず、一族も皆方々に対し冷たくしていたと聞く。聖国内でもいまだに恐れられているのは、過去の行いのせいだろう。――一部その悪名を自分が背負っているが、それは強固な切り札として使うためだから問題はない。
 それを改善するために青龍商会などという組織を立ち上げ、広くイメージ向上を目指している。――過去反発した者もいたが、現在は当代の方針に従い大人しくしている。一部例外もいたりはするが、今は関係ない。
 諸々もろもろを考えると、ありえそうな気配にため息が出た。
 ヒルトは何かして欲しいとき事前に話をしてくれる時もあるのだが、自分の性格を考慮して、話さないことも多い。――話さなくても勝手にうまく立ち回ると、分かっているからだ。
 後続隊が来たら帰れると思っていたのだが、もし母の言う通りなら王都へ連れて行くことは、またミラの機嫌を損ねさせない。
 ただでさえ、カナタの活躍の場を奪っていると以前からあまり快く思われていないのだ。
 嫌われることには慣れているので今更気にしないのだが、ここにいる周囲の人間を、巻き込みたくはなかった。
「……今ミラはどこへ?」
「ヨアヒム殿下の奥様とお出かけしてますね。……そろそろ帰ってくるかもですが」
 予定を知っていた者がいたようで教えてくれた。
「――今の話は忘れよう。ただの憶測ですし、こちらに相談がない以上、予定通り当初の目的を完遂かんすいするのみです。」
 居住まいを正し、もう一度考える。――――やるべきことは害悪の排除だけだと思っていた。学徒失踪事件はもつれた治安のせいなのでそこから修正してやり、最終的にカナタが安心して過ごせるよう環境を整えるつもりだった。
 それはきっと、叔父たちの安全へとつながるだろう。
 ついでに女王とヒルトが取り交わした第一王子の件もなんとかしようと思ってはいたのだが、まだ他にもすべきことがあるのだろうか。――しれっと面倒事をこちらに投げるので、兄といえども厄介な存在だ。
『王家の人たちとはくれぐれも仲良くするんだよ』
 ここに来る前に伝えられたヒルトの言葉が思い出される。――――叔父からも、ディアスと仲良くするように言われた時は少し驚いた。
 どちらも抽象的な要望だったが、不定な自分の立場を確かなものにし、動きやすくするためだろう。――似たような助言に、推測を固くさせる。
 先ほど荒れた現場でこちらを気遣ってくれたディアスを思い出す。――あの場でかばわれると思わなかった。大人しく行動的な性格ではないと、ここに来てからゾフィからも聞いた話だったからだ。
 他の姉弟についても軽く尋ねたが、今朝の彼女たちの様子や、昨日接した中でその説明が適切でない気がしてきた。
 ゾフィは女王にしか関心がないから仕方がないのかもしれないが、あの姉弟は女王とそんなに関わっていないようで、お互いによく分かっていないのではないかと考える。――――この辺りを修正してやればいいのではないだろうかと、ふと思いつく。
 それは自分にとっても利のあることだ。あの姉弟を味方につければあの女王に一矢報いることもできよう。――ここを去った後でも、それは有効な一手に思えた。
 だが自分の行動が今後を左右しかねないのを改めて感じる。――いくつか目の前の菓子に手を伸ばし口にした。
「……母上、少し会議をしたいのですが良いでしょか? ――今後の方針についてお前たちから意見を聞きたい。できれば部屋で休んでいる者たちにも声を掛けてくれ。30分時間をやるから、会議室に人を集めておいてくれ。」
 手元のカップを空にしてから立ち上がり、自分の休憩を終わりにする。母が唐突な宣言に不安そうにしているが、母を王都へ行かせずともなんとかこの仕事をやりきるすべ模索もさくしなくてはいけないだろう。
「ガレリオ、今朝私から奪った仕事は終わっているのか?」
「リッツがやってくれましたよ~。このわたくしめが持ってきましょう御大将~」
「いや、このまま確認しに行く。」
 ガレリオたちも王家側に協力しに行くのだ。そこからできることもあるだろう。問題を見つけたら速戦即決が当家の信条だ。――たとえ小さなことであっても、ひとつ見落とせば次の小さな出来事も見落とす。徐々に見落とすものが増えていき、いずれ大きなほころびが生まれることをよく知っている。
 部屋を後にし、名が出された文官が使っている部屋へと向かう。歩きながらジャケットの内側のポケットに入れている小さな手帳を取り出した。考えるべきこと、やるべきこと、相談したいことなどを書き出していく。
 ディアスには明日にでも今日の事を話しに行く必要があるだろう。――厄介に巻き込んだが、王子である以上いずれ人の上に立つべき人間だ。本来であればあのような些事さじに構うべき存在ではないので、その件の謝罪と、それでもあの場にいたことで早急に事態が収まったことに感謝を伝えるべきだろう。
 何も知らずに出会ったときから危うげだと思っていたが、特にディアスは自分の立場をもっと自覚した方がいいのではないか。――――本人の性分もあるから全てを押し付ける気はないが、叔父はそのあたりを懸念けねんしているのではと推察した。
 東方天として聖国で人の上に立つ人間を、この先人々の上に立つであろう人物に会わせるメリットなどそれくらいしか思いつかなかったし、もし自分であればそういう機会は喜んで受け取る。――現に聖都に来ているラウルスの貴族であるクローナハの人間からも、皆で交流を深め、情報交換や互いの知識や経験をぶつけ合い日々切磋琢磨している。新たな『変化』を積極的に得ようと、皆がしているのだ。
 聖国は長い将来に向け、必要な変化や革新を望んでいる。
 思考を巡らせているとふと足が止まった。――今の自分は東方天ではなく、ただの一介の蒼家の人間であり、ここに来た留学生という身分だ。
 ポケットにしまっていた学生証を取り出した。そこには偽りの名と偽りの姿を写した小さな写真がついている。昨日の朝に撮ってもらった写真だ。――チョーカーに触れ声を元に戻す。
 ここに帰るといつもの顔ぶれと雰囲気にどうしても普段のように振る舞ってしまい、思考もいつもの立場からでしか考えられなくなる。伏せなければならないのに――。
「……気が緩みすぎだ。」
 もう一度話し合うべきことをまとめ直す。
 今の自分はただの数字と同じ。
 役割を与えられただけのただの駒だ。
 その前提を忘れてはならない。
 警備のこと、失踪した学生のこと、第一王子のこと。害悪アビのこともちろん忘れていない。コレ・・は三つの件に関わるからだ。
 この前提を間違えてはならない。
 個別で考えるべきは当代のこと、母のこと、正体を知っているディアスのこと。――――動く前に叔父に先ほどの考えが合っているのか、確かめた方がいいだろう。
 また先ほど遭遇した、実の父親の前で縛って欲しいなどと願う輩が現れた場合の対応についても相談しなければと最後に付け足した。
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