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67.『秋霖』に響く歌声②
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何度もここで見た光景だが、先日とは違い煙るように細かな雨だった。
陽はまだ出てない暗い時分で、馬車の中から見ても特に何の感慨も浮かばない。目は覚めているというのに、細やかに降り落ちる水音が考えも奪うようで、ディアスはただ漫然と外を眺めていた。
馬と車輪が、何を望まなくとも連れて行ってくれる。
悪路で揺れる車内にされるがままになれば、一体どこへ行くんだったかとぼんやり考える。
緩やかに止まる気配がすれば、同じ車内にいる侍従が傘を片手に扉を開け先に出た。
「どうぞ。お足元が悪いのでお気をつけて下さい」
――そうだ、宿舎だ。昨日友人に行くからと伝えていたことを今更思い出す。
ステップを降り地に立てば、入口に立つ兵士が二人こちらの到来に敬礼をした。
「おはようございます。――野郎共ッ! ご友人さまのご来臨だーッ!」
突然目の覚めるような大声が耳に入る。扉を勢いよく開けながら兵士のひとりが宿舎の中に呼びかけていた。開け放たれた宿舎の廊下の奥から幾人かが顔を覗かせ、一斉にこちらに注目が集まる。
何事かと呆気に取られれば、アイベルも戸惑いながらも前に立った。
「さぁさぁ、どうぞ。こんな雨だから、お二人が来て下さると思わなかったんです。もてなしらしいもてなしは出来ないですが、よかったら寛いでいってください」
もうひとりの兵士がそう言えば、あっという間に兵士たちに囲まれて中へと案内された。――少々強引ながらも、口々に気遣うような言葉をかけられる。
「連日うちの坊っちゃんがお世話になってますー」
「朝早くから来て下ってありがとうございます。冷えたでしょ? 甘いものはお好きですか?」
「昨日もうちの坊っちゃんに巻き込まれたって聞きました、なんか本当にすみません」
「授業でもずいぶんとお世話になったようで。あの人机の上に乗ったりしませんでした?」
「いろいろと授業も解説してくれたって聞きました。手を焼いてませんか?」
こちらを気遣いつつも、聞いているのは『フィフス』のことばかり。ここはあの人のテリトリーなのだ。
「そこら辺でやめておけ。朝からむっさいおっさん共に囲まれたら怖いだろーが」
聞き覚えのある声に人が割れれば、正面から暗い黄赤色の頭が見えた。――――ガレリオだ。水色の瞳がこちらと目が合えば、分かりやすい笑顔に変わった。
「おはようございまーす。昨日振りですね、ご機嫌はいかがですか?」
目の前まで来れば右手を拳に、左手でそれを包むように拱手をし一礼をした。倣うように、一歩引いた周りにいた兵士たちも礼をする。
「雨の中ご足労頂き、ありがとうございます。坊っちゃんから話を聞いて、俺もぜひ王子さまとお話ししたいと思ってたんです。よかったらこちらへどうぞ」
丁寧さも残しつつ、親しみやすさのある笑みでエントランス近くのひとつの部屋に案内される。――先日も目にしたダンスホールほどの広さのある部屋だ。どうやらここで鍛錬とやらをするらしく、中には数人の兵士たちが歓談しながら緩やかに過ごしていた。
ガレリオに案内されて入れば、ふとこの場に兵士しかいないことに気付く。
「……フィフスはいないのか?」
「あぁ、坊ちゃんならそろそろ帰ってくると思いますよ」
「……こんな早くから、仕事をしているのか?」
「というか昨日の夜からですね。もー朝帰りばかりして、本当に困った子なんですー。お母さん心配っ」
ガレリオが大仰に目元を拭う仕草をし、泣いている振りをしている。
……彼はあの人の、母の代わりでもしているのだろうか。知っている相手だけに反応に困る。
「あはは、こういうノリは苦手でしたか。エリーチェもそろそろ来ると思うんで、よかったらそれまで俺らに付き合ってくれませんか」
壁の近くにあるソファに案内されれば、一人掛けのソファを誰かが持ってきた。それにガレリオが座るらしく、近くも遠くもない距離で彼が座った。
サイドテーブルもあり、兵士たちが二人分のお茶やフルーツなど軽く食べられるものを用意をしてくれる。
手際の良い歓待の用意が次々整うが、知っているものと違う歓待に、新鮮な期待があった。
「王子さまには、連日うちの坊っちゃんが大変お世話になってます。どうですか? うちの子、ちゃんと大人しく授業受けてますか? いろいろ授業のことも教えて貰っていると聞きましたが」
用意されたものを勧めながら、ガレリオはコーヒーだろうか、別途持ってきてもらったマグカップに口を付けている。
「紅茶がお好きだと拝見したので、用意してみたんですけど、お口に合わなかったら他のもありますんで。お気軽になんでも言ってくださいね」
「……拝見?」
言葉も気になったが、習慣で飲んでいるようなものだ。『友人』の前で茶を振る舞ったことはあっても、好きだと明言したこともなかったはずだ。
「えぇ、これこれ。ココに書いてありましたよ」
おもむろに彼が前屈みになれば、背後から雑誌をひとつ取り出す。――見覚えのある動作と、見覚えのある表紙だ。
「月刊『ロイヤル』。この号、エミリオ様がご入学されるのに合わせて、ご姉弟の情報が載ってるんですよねー」
手渡されれば、いつからそこに持っていたのか温い。前にあの人のトランクに入っており、左翼が丸めていたなと思い出す。――――王城の執務室で得意げな顔をした父のアップも相まって、いろいろと複雑なものが込み上げる。
「殿下の好物について、確か適当にこちらで記載した気がします」
「えぇ……。やっぱこういう広報は当てにならないんすね」
「……それは向こうではよくあることなのか?」
「ロイヤルですか? 巷では人気ですねー。手の届かない他人のことってみんな好きじゃないですか。老若男女問わず『王』に『女王』、『王子』や『姫』って単語も好きだし、よくあだ名にも使われますよ。でもラウルスの王家の人がどういう方で、どんな生活をしてるのか興味があるようで、聖都だけでもなかなかの売れ行きだとか」
「そちらではなく、……背中に雑誌を入れること……。フィフスもしていた」
「あぁ~、こっちでしたか。手に持つのが面倒だから背に入れてただけで、あの人は俺の真似してやってるだけですね。別に流行ってはないです」
さっぱりとした言葉で言い放つと、何か思い出したのか、小さく笑っている。
「やーっと最近落とさないようになったんすよ。俺の真似して背中に入れてみたものの、ちっさくて細いからかよくそこら辺で落としては結局誰かに持ってもらうばっかでしたね」
「……そうなのか」
背の低さを気にしていたのはこれも理由だろうか。堂々とした振る舞いをしながらも、背中にものを隠し持っているのも可笑しいが、落としても気にしなさそうなところを想像すれば、ガレリオが笑っている理由が分かる。
「そうなんすよ。あとその辺ですーぐ周りを巻き込んで演説とか始めません? そういう習性の珍獣だと思って諦めて下さい。あればかりは止める隙もないし、変なことを言ってる訳じゃないので、止めようがないというか」
「……珍獣」
アイベルが言葉を繰り返していた。――人を珍獣扱いするのはどうかと思うが、彼なりのユーモアなのだろうか。選ばぬ言葉と人の好い笑みが気安く、徐々にだが暗かった気持ちが緩んでくるようだった。
紅茶に手を伸ばし、ひと口飲めばいつもと違う味も悪くなかった。思っていたよりも身体が冷えていたらしく、内から温まるものも心地よい。
「ガレリオは、いつからあの人に付き従っているんだ?」
「……従ってはいませんけど、坊っちゃんとは四年の付き合いですね。俺が従うのは、あくまでも東方天であるクリス様だけです。どっちも遠慮なく仕事を頼んでるんで、ほーんと困っちゃいますけど」
四年――、ちょうどクリスが聖都に戻って来た頃だ。
「クリス様とも同じくらいの付き合いなので、良かったらなんでも聞いてくれて構わないですよ。朝が弱いとか、虫が苦手とか、甘いものが好きとか、物騒なもんが好きとかそういう話から普段の生活まで、ここだけの話でお二人に教えちゃいますっ」
手で外に漏れないよう、声のトーンを落としてウインクした。――虫が苦手なのか。他の事は知っていたが、なんでも赤裸々に教えてくれそうだ。本人がもうすぐ戻ってくるだろうにいいのだろうか。
彼の茶目っ気に迷いながらも、手にした雑誌を広げてみた。――――父の姿が中心で、半年ほど前に姉弟が揃ったときの写真が見開きいっぱいに目に入る。
エミリオの入学式の頃だろう。姉弟と久しぶりにここへ来た父と母の姿が大きく一枚の写真で納まっている。これは八階の講堂か。――家族で団欒したのも久しくないが、今朝見た夢のような懐かしさが胸に蘇る。
しばらく会っていない兄の姿もあるが、そこに映る自分もこんな顔をしていたのか。そんな感想が浮かんだ。
「……これって聖国で出版されているものなんですか? こちらで普及するものより陛下の写真が多いのですね」
「そうなんすか? ……なら、これは聖国に来ている営業のせいでしょう。――――――カイのやつ、ご機嫌取りのつもりか」
「ご機嫌取りとは?」
「あーいえっ、こっちの話です。すんません、悪い意味で言った訳じゃなくて、……陛下に憧れている人がいて、その人向けに陛下の写真が多いんだと思います。普段からその人が勝手にこの雑誌を方々で布教してくれるもんだから、聖都でも王家の方が好意的に受け入れられているってこともありまして」
似たような話をフィフスがしていたことがぼんやり思い出される。
先日の話は、四方天をシャッツ社の営業が布教しているという話だった。逆に王家を布教してくれる者が聖国にいる、ということか――。
カイ、という名も確かガレリオの妹君の恋人だったはず――。何かとその名を聞く機会があり、普段ここの人たちとどのような交流をしているのだろう。想像がつかない。
「王子さまは東方天さまのファンなんでしょ? 坊っちゃんからそう聞いてます」
急にこちらへ水を差し向けられた。――確かにそう聞かれたから、近いものを感じて『フィフス』にそう応えたことだ。……だが、よく考えれば直接本人に伝えていた。
ヴァイスにもその話をしていたが、まさかここでも広めているのか――――。
「殿下は昔お世話になったことがあるため、お慕いしているだけです」
「へー、会ったことがあるんですか。まぁ、セーレ様のお子さんですもんね。上司に見せることくらいはあるか――」
関心するように頷いていたガレリオだったが、ふと動きが止まる。
「もしかして、クリス様ってラウルスに来たことあるんですか? ……それとも王子さまたちが聖国に?」
「それは、――……」
どちらも、と答えようとしたら、部屋にひとりの人物が入ってきたのが見え、言葉に詰まった。
緩やかに伸びる青色の髪をハーフアップにした女性。誰かを探しているのか左右に部屋を見回すと、目が合った。――――あの人と同じ色合いの瞳に、こちらを見る顔がおもむろに驚きに変わっていく。
「えぇ、グラン!? ――――わっか……? 若返った?!」
「ティアラ様……!? ご無沙汰しております。こちらはグライリヒ陛下ではなく、ディアス殿下です」
驚いたアイベルが慌てて彼女に挨拶に向かった。冊子を置き遅れて席を立てば、同じように傍へ行く。
「ディアスくんか……! びっくりした~。あまりにも似てたから、あの人がまーた驚かしに現れたのかと思ったわ。……見ないうちにこんなに大きくなるなんて、やっぱり男の子は成長が早いわね。アイベルくんも久し振りね~」
「久し振り、ティアラ。もしかしてずっといたのか? ――――あの時遅れてきたから、居たなんて知らなかった」
使節を迎えたあの夜からいたのだろうか。思わぬ人物との再会に、嬉しさと懐かしさでいっぱいになった。
「叔父上も姉上も特に仰っていなかったから、俺も挨拶が遅くなってすまない――」
他愛無い挨拶に、ふと疑問が浮かんだ。
叔父も姉も、自分が彼女を慕っていることは知っている。だからあの時――――、和やかな空気とは言い難い場面だったが、落ち着いた今になってもティアラがいると言う話は、誰からも聞いていない。
周囲を見渡せば彼女と同じように青い髪の者はいないことから、居れば嫌でも目立つことは想像に難くない。
迎賓館にはいなかった、ということだろうか。
いま一度目の前の人を見れば、この出会いを喜んでいる気配がなかった。
もしかして、…………五年振りの再会を喜んでいるのは自分だけなのか。
気まずげに視線が徐々にずれていく。――哀しい気持ちにも関わらず、呆れてしまう程にクリスはやはりティアラに似ている。そんな感想が浮かんだ。
「ちょーっといいすか、お姉さん。どういうことですか? 皆さんお知り合いなんで?」
ガレリオが場を割るように、ティアラの肩に手を置いた。
「俺らなーんも聞いてないし、二人もその態度に嫌な気分になってると思うんですけどー?」
気付けば周囲を兵士たちに囲まれる。
どうやら、こちらの味方になってくれているらしい。だが、ひとりを寄ってたかって囲うこの状況が息苦しい。
「……何か理由があるんだろ? 問い詰めなくていい」
「それは出来ません。話しておいてくれないと、味方になってあげられないじゃないすか。そうでしょ?」
ガレリオがはっきりと断るが、ティアラを気遣っている。想像していた空気と違うものが漂った。
「お二人と知り合いだったんて、こちらも知らなかったんです。……訳あってティアラ様を預かってまして。初日の挨拶にはこの方は参加していません」
セーレが王都に、クリスがピオニールにいるのなら、彼女がここにるもの不自然ではないだろう。互いに仲が良く、揃うことも稀な家族だ。
「ですが、ここで知り合いに会った以上、悪いですけどティアラ様はセーレ様のところへ行ってください」
「でも……」
「言い訳は聞かないっすよ。そういう約束でしょ? 先に言わないと面倒だから、腹括って下さいよ」
「……どういうことだ?」
「ここで匿っていたのは、いろいろ理由はありますが。……補佐官の妻役をやりたくないってことなんで、知り合いに会った以上ちゃんとその役目をこなせ。そういう話なだけです」
ティアラの肩に乗せていた手を離し、呆れたガレリオが説明した。
「……ティアラは、城での生活があまり得意じゃなかったな」
何度か王城にいた時も方々から礼儀作法について指摘され、よくセーレや母たちに庇って貰っていた。――そのことを思い出し苦笑すれば、こちらを見たティアラも申し訳なさそうに表情が沈む。
「ですが、クローディーヌ様もグライリヒ様も、ティアラ様がいらしたらお喜びになるかと。――やりたくないことは強要しない方々ですし、あまり気負わなくてもよいのではないでしょうか」
そういう性格だって皆知っている。アイベルが母と父の名を出せば、両手が所在無さげに掴むものを探しているようだった。
「……みんなに会いたくなかった訳じゃないの。ただ、あの子が心配で――」
「心配ご無用ですよ! なーんも問題ありませんってば。俺らに任せておいて下さい!」
バシッとガレリオが勢いよくティアラの背を叩いた。――恐らく『クリス』の事だろう。ここまで来たのは離れたくなかったからだと容易に想像がつくし、下手なことを言わせない気迫がガレリオから伝わって来た。
そして自分たちがここにいるから、互いに腹を割って話せない。そんな、緊張が一瞬の静寂となって部屋に満たされた。
「うそ。……何か知ってるんでしょ? どうして誰も教えてくれないの?」
「何もないことを『何もない』と、俺は証明できません。果報は寝て待て、ですよ。王様と王妃様ともお知り合いならいいじゃないですか。旦那さんに会って、夫婦水入らずでゆっくりして来て下さいよー」
静寂を破るティアラを拒否するように、ガレリオの説得が周囲を同調させた。
だが、ティアラはどれも受け取れずにいるようで、何かを求めていた。
それに――、先ほどの言葉は、どういう意味なのか。
「――どうかしたのか?」
「お帰りなさい、坊ちゃん。聞いて下さいよー、王子さまたち、どうやらこのお姉さんが知り合いだったみたいです」
聞きなれた声にガレリオが身を翻し、その人の傍へと行く。――黒いコートを羽織った『フィフス』と、しばらくその姿を見なかったブロンドに白い仮面の左翼だ。雨の日に会った時と似たような格好に組み合わせだ。
あの時と違うのはここは宿舎で、あの時にいなかったティアラが渦中の人物になっている。
廊下におり、こちらの騒ぎに気付いて声を掛けたようだが――。ガレリオの話に戸惑っているようで、こちらを――――、ティアラを見ていた。
「……今の話は本当か?」
鋭さのある声と、切り捨てるような目つきに変わると誰も返事をしなかった。
急激に張り詰めた空気が、この場を冷たく支配する。
「ならばティアラ・ソリュード、我々の仕事はここまでだ。約束通り王城へ行くがいい。――――こちらで手筈は整えておく。正午までに身の回りのものをまとめておけ。」
誰の返事も待たずに短く言い放てば、そのまま二人で途切れた廊下の先へと姿を消した。
大事にしているものだろう。
昨日も俺の前でそう言っていた。
二人の結末を、周りの人達は分かっていたのだろう。ティアラは何も言わず、周囲の人間も彼女を労わっていた。
どうして――――、自分たちがここに来たのがきっかけかもしれないが、ガレリオの様子からティアラにここにいて欲しくないことも伝わった。
だからすぐに『フィフス』へ報告したのだろう。
思わず後を追いかけるように部屋を後にすれば、すぐ先に二人の姿が見えた。
「フィフス――」
あれが本心じゃないのはきっと皆知っている。――だけど今、クリスが大事なものを手放さなければならないのを見てしまえば、あの離した手をどうにかしたいと気持ちが強くなる。
名を呼ぶ声に足を止めれば、あの人はゆっくりと振り返った。
大した距離ではないだけに、すぐに追いつく。
「……来てくれたんだな。朝から面倒に巻き込んでしまって悪かった」
力ない言葉と、視線を合わせる気がない憂色が影を落としている。
「俺がティアラと知り合いだったことは知らなかったんだろ? 俺も知らなかった」
どうしてこんな状況になっているのか。
どうして彼女は誰にも俺の事も伝えてくれなかったのか。
さっきの言葉はなんなのか、――――正直疑問は尽きない。
「だけど、父も母もティアラのことはよく知ってるし、――なによりセーレがいるから安心するといい。丁重にもてなしてくれるだろう」
家が違う以上、立場も異なるのだろう。まして今はティアラの子でいる訳にはいかない。――名と身分を隠している以上、庇いきれないのものもあるし、降りかかる面倒を払いきれない時もある。
幾度となく面倒に巻き込まれていただけに、力があろうとも万能に機能するものではない。
「……ティアラの事は安心してくれ。――友人だろ、頼りにしてくれ」
帰る場所を無くし孤独に染まった青色の瞳が、力なく微笑んだ。
「ありがとう。悪いが、あの方の事を……」
「分かってる。……夜通し仕事をしていたんだろ。休んでくるといい」
「――――、そうさせてもらおう。面倒を掛けた分、お前には後で説明するから……」
「あぁ、――待ってる」
この場を立ち去ろうと背を向け、フィフスは足を止めた。
「……よかったら、あの方と話をしてやってくれないか。きっとお前と話しをする方が、今は安心なされるだろうから」
まだいつもの力強さは戻ってこないが、大事な人を任せてくれるくらいには頼りにしてくれている。
「俺も丁度話したいと思っていたから、任せてくれ。――また後で」
小さく頷けば、二人がこの場を後にした。
「――――ディアス様、ありがとうございます。貧乏くじを引かせてしまって申し訳なかったです」
角を曲がる背中を見送れば、隣にガレリオが来ていた。
「なにか、――事情があるんだろ」
「えぇ、まぁ。……よかったらティアラ様とお話ししてあげてください。俺らに教えてくれなくても、さすがに今のディアス様に何も言わないなんて、そんな不義理はしないと思うんで」
ガレリオに促されて後ろを振り返ると、ティアラとアイベルが部屋の前にいた。先ほどより、気を落としているようにも見える。
「ガレリオにも、第三師団の皆にも迷惑かけちゃったね……。――ディアスくんとアイベルくんも、驚かせてしまってごめんなさい」
「俺も聞きたいことがあるんだ。……二人で話しをしてもいいか? 昔みたいに」
ティアラの前まで歩けば五年前はまだ見上げて頼りにしていた。だけど時の長さが関係性を反転させる。
『フィフス』よりも少し高い位置に、懐かしい顔があった。
「ティアラが聖国に帰ってから、セーレから話を聞くばかりだった。……二人で話すのは、本当に久し振りだ」
まるで、再会を予知したかのような今朝の夢が思い出される。
「隣の応接でよければ空いてますんで、よかったらどうぞ。侍従のおにーさんは、寝坊してるエリーチェのことでも一緒にお茶でもしながら待ちませんか」
ガレリオの提案に承諾し、先日も使わせてもらった部屋に案内される。
夢で見たあの時とは違う、自分は子供ではない――。今まではただ寂しさを埋めるようにクリスの話を聞いてばかりだったが、今は側で手を差し伸べることが出来る。
あの人に比べれば頼りない手だろうが、それでも少しでも役に立てるものがあるなら使って欲しい。
ずっとそう思っていたはずだ――――。
陽はまだ出てない暗い時分で、馬車の中から見ても特に何の感慨も浮かばない。目は覚めているというのに、細やかに降り落ちる水音が考えも奪うようで、ディアスはただ漫然と外を眺めていた。
馬と車輪が、何を望まなくとも連れて行ってくれる。
悪路で揺れる車内にされるがままになれば、一体どこへ行くんだったかとぼんやり考える。
緩やかに止まる気配がすれば、同じ車内にいる侍従が傘を片手に扉を開け先に出た。
「どうぞ。お足元が悪いのでお気をつけて下さい」
――そうだ、宿舎だ。昨日友人に行くからと伝えていたことを今更思い出す。
ステップを降り地に立てば、入口に立つ兵士が二人こちらの到来に敬礼をした。
「おはようございます。――野郎共ッ! ご友人さまのご来臨だーッ!」
突然目の覚めるような大声が耳に入る。扉を勢いよく開けながら兵士のひとりが宿舎の中に呼びかけていた。開け放たれた宿舎の廊下の奥から幾人かが顔を覗かせ、一斉にこちらに注目が集まる。
何事かと呆気に取られれば、アイベルも戸惑いながらも前に立った。
「さぁさぁ、どうぞ。こんな雨だから、お二人が来て下さると思わなかったんです。もてなしらしいもてなしは出来ないですが、よかったら寛いでいってください」
もうひとりの兵士がそう言えば、あっという間に兵士たちに囲まれて中へと案内された。――少々強引ながらも、口々に気遣うような言葉をかけられる。
「連日うちの坊っちゃんがお世話になってますー」
「朝早くから来て下ってありがとうございます。冷えたでしょ? 甘いものはお好きですか?」
「昨日もうちの坊っちゃんに巻き込まれたって聞きました、なんか本当にすみません」
「授業でもずいぶんとお世話になったようで。あの人机の上に乗ったりしませんでした?」
「いろいろと授業も解説してくれたって聞きました。手を焼いてませんか?」
こちらを気遣いつつも、聞いているのは『フィフス』のことばかり。ここはあの人のテリトリーなのだ。
「そこら辺でやめておけ。朝からむっさいおっさん共に囲まれたら怖いだろーが」
聞き覚えのある声に人が割れれば、正面から暗い黄赤色の頭が見えた。――――ガレリオだ。水色の瞳がこちらと目が合えば、分かりやすい笑顔に変わった。
「おはようございまーす。昨日振りですね、ご機嫌はいかがですか?」
目の前まで来れば右手を拳に、左手でそれを包むように拱手をし一礼をした。倣うように、一歩引いた周りにいた兵士たちも礼をする。
「雨の中ご足労頂き、ありがとうございます。坊っちゃんから話を聞いて、俺もぜひ王子さまとお話ししたいと思ってたんです。よかったらこちらへどうぞ」
丁寧さも残しつつ、親しみやすさのある笑みでエントランス近くのひとつの部屋に案内される。――先日も目にしたダンスホールほどの広さのある部屋だ。どうやらここで鍛錬とやらをするらしく、中には数人の兵士たちが歓談しながら緩やかに過ごしていた。
ガレリオに案内されて入れば、ふとこの場に兵士しかいないことに気付く。
「……フィフスはいないのか?」
「あぁ、坊ちゃんならそろそろ帰ってくると思いますよ」
「……こんな早くから、仕事をしているのか?」
「というか昨日の夜からですね。もー朝帰りばかりして、本当に困った子なんですー。お母さん心配っ」
ガレリオが大仰に目元を拭う仕草をし、泣いている振りをしている。
……彼はあの人の、母の代わりでもしているのだろうか。知っている相手だけに反応に困る。
「あはは、こういうノリは苦手でしたか。エリーチェもそろそろ来ると思うんで、よかったらそれまで俺らに付き合ってくれませんか」
壁の近くにあるソファに案内されれば、一人掛けのソファを誰かが持ってきた。それにガレリオが座るらしく、近くも遠くもない距離で彼が座った。
サイドテーブルもあり、兵士たちが二人分のお茶やフルーツなど軽く食べられるものを用意をしてくれる。
手際の良い歓待の用意が次々整うが、知っているものと違う歓待に、新鮮な期待があった。
「王子さまには、連日うちの坊っちゃんが大変お世話になってます。どうですか? うちの子、ちゃんと大人しく授業受けてますか? いろいろ授業のことも教えて貰っていると聞きましたが」
用意されたものを勧めながら、ガレリオはコーヒーだろうか、別途持ってきてもらったマグカップに口を付けている。
「紅茶がお好きだと拝見したので、用意してみたんですけど、お口に合わなかったら他のもありますんで。お気軽になんでも言ってくださいね」
「……拝見?」
言葉も気になったが、習慣で飲んでいるようなものだ。『友人』の前で茶を振る舞ったことはあっても、好きだと明言したこともなかったはずだ。
「えぇ、これこれ。ココに書いてありましたよ」
おもむろに彼が前屈みになれば、背後から雑誌をひとつ取り出す。――見覚えのある動作と、見覚えのある表紙だ。
「月刊『ロイヤル』。この号、エミリオ様がご入学されるのに合わせて、ご姉弟の情報が載ってるんですよねー」
手渡されれば、いつからそこに持っていたのか温い。前にあの人のトランクに入っており、左翼が丸めていたなと思い出す。――――王城の執務室で得意げな顔をした父のアップも相まって、いろいろと複雑なものが込み上げる。
「殿下の好物について、確か適当にこちらで記載した気がします」
「えぇ……。やっぱこういう広報は当てにならないんすね」
「……それは向こうではよくあることなのか?」
「ロイヤルですか? 巷では人気ですねー。手の届かない他人のことってみんな好きじゃないですか。老若男女問わず『王』に『女王』、『王子』や『姫』って単語も好きだし、よくあだ名にも使われますよ。でもラウルスの王家の人がどういう方で、どんな生活をしてるのか興味があるようで、聖都だけでもなかなかの売れ行きだとか」
「そちらではなく、……背中に雑誌を入れること……。フィフスもしていた」
「あぁ~、こっちでしたか。手に持つのが面倒だから背に入れてただけで、あの人は俺の真似してやってるだけですね。別に流行ってはないです」
さっぱりとした言葉で言い放つと、何か思い出したのか、小さく笑っている。
「やーっと最近落とさないようになったんすよ。俺の真似して背中に入れてみたものの、ちっさくて細いからかよくそこら辺で落としては結局誰かに持ってもらうばっかでしたね」
「……そうなのか」
背の低さを気にしていたのはこれも理由だろうか。堂々とした振る舞いをしながらも、背中にものを隠し持っているのも可笑しいが、落としても気にしなさそうなところを想像すれば、ガレリオが笑っている理由が分かる。
「そうなんすよ。あとその辺ですーぐ周りを巻き込んで演説とか始めません? そういう習性の珍獣だと思って諦めて下さい。あればかりは止める隙もないし、変なことを言ってる訳じゃないので、止めようがないというか」
「……珍獣」
アイベルが言葉を繰り返していた。――人を珍獣扱いするのはどうかと思うが、彼なりのユーモアなのだろうか。選ばぬ言葉と人の好い笑みが気安く、徐々にだが暗かった気持ちが緩んでくるようだった。
紅茶に手を伸ばし、ひと口飲めばいつもと違う味も悪くなかった。思っていたよりも身体が冷えていたらしく、内から温まるものも心地よい。
「ガレリオは、いつからあの人に付き従っているんだ?」
「……従ってはいませんけど、坊っちゃんとは四年の付き合いですね。俺が従うのは、あくまでも東方天であるクリス様だけです。どっちも遠慮なく仕事を頼んでるんで、ほーんと困っちゃいますけど」
四年――、ちょうどクリスが聖都に戻って来た頃だ。
「クリス様とも同じくらいの付き合いなので、良かったらなんでも聞いてくれて構わないですよ。朝が弱いとか、虫が苦手とか、甘いものが好きとか、物騒なもんが好きとかそういう話から普段の生活まで、ここだけの話でお二人に教えちゃいますっ」
手で外に漏れないよう、声のトーンを落としてウインクした。――虫が苦手なのか。他の事は知っていたが、なんでも赤裸々に教えてくれそうだ。本人がもうすぐ戻ってくるだろうにいいのだろうか。
彼の茶目っ気に迷いながらも、手にした雑誌を広げてみた。――――父の姿が中心で、半年ほど前に姉弟が揃ったときの写真が見開きいっぱいに目に入る。
エミリオの入学式の頃だろう。姉弟と久しぶりにここへ来た父と母の姿が大きく一枚の写真で納まっている。これは八階の講堂か。――家族で団欒したのも久しくないが、今朝見た夢のような懐かしさが胸に蘇る。
しばらく会っていない兄の姿もあるが、そこに映る自分もこんな顔をしていたのか。そんな感想が浮かんだ。
「……これって聖国で出版されているものなんですか? こちらで普及するものより陛下の写真が多いのですね」
「そうなんすか? ……なら、これは聖国に来ている営業のせいでしょう。――――――カイのやつ、ご機嫌取りのつもりか」
「ご機嫌取りとは?」
「あーいえっ、こっちの話です。すんません、悪い意味で言った訳じゃなくて、……陛下に憧れている人がいて、その人向けに陛下の写真が多いんだと思います。普段からその人が勝手にこの雑誌を方々で布教してくれるもんだから、聖都でも王家の方が好意的に受け入れられているってこともありまして」
似たような話をフィフスがしていたことがぼんやり思い出される。
先日の話は、四方天をシャッツ社の営業が布教しているという話だった。逆に王家を布教してくれる者が聖国にいる、ということか――。
カイ、という名も確かガレリオの妹君の恋人だったはず――。何かとその名を聞く機会があり、普段ここの人たちとどのような交流をしているのだろう。想像がつかない。
「王子さまは東方天さまのファンなんでしょ? 坊っちゃんからそう聞いてます」
急にこちらへ水を差し向けられた。――確かにそう聞かれたから、近いものを感じて『フィフス』にそう応えたことだ。……だが、よく考えれば直接本人に伝えていた。
ヴァイスにもその話をしていたが、まさかここでも広めているのか――――。
「殿下は昔お世話になったことがあるため、お慕いしているだけです」
「へー、会ったことがあるんですか。まぁ、セーレ様のお子さんですもんね。上司に見せることくらいはあるか――」
関心するように頷いていたガレリオだったが、ふと動きが止まる。
「もしかして、クリス様ってラウルスに来たことあるんですか? ……それとも王子さまたちが聖国に?」
「それは、――……」
どちらも、と答えようとしたら、部屋にひとりの人物が入ってきたのが見え、言葉に詰まった。
緩やかに伸びる青色の髪をハーフアップにした女性。誰かを探しているのか左右に部屋を見回すと、目が合った。――――あの人と同じ色合いの瞳に、こちらを見る顔がおもむろに驚きに変わっていく。
「えぇ、グラン!? ――――わっか……? 若返った?!」
「ティアラ様……!? ご無沙汰しております。こちらはグライリヒ陛下ではなく、ディアス殿下です」
驚いたアイベルが慌てて彼女に挨拶に向かった。冊子を置き遅れて席を立てば、同じように傍へ行く。
「ディアスくんか……! びっくりした~。あまりにも似てたから、あの人がまーた驚かしに現れたのかと思ったわ。……見ないうちにこんなに大きくなるなんて、やっぱり男の子は成長が早いわね。アイベルくんも久し振りね~」
「久し振り、ティアラ。もしかしてずっといたのか? ――――あの時遅れてきたから、居たなんて知らなかった」
使節を迎えたあの夜からいたのだろうか。思わぬ人物との再会に、嬉しさと懐かしさでいっぱいになった。
「叔父上も姉上も特に仰っていなかったから、俺も挨拶が遅くなってすまない――」
他愛無い挨拶に、ふと疑問が浮かんだ。
叔父も姉も、自分が彼女を慕っていることは知っている。だからあの時――――、和やかな空気とは言い難い場面だったが、落ち着いた今になってもティアラがいると言う話は、誰からも聞いていない。
周囲を見渡せば彼女と同じように青い髪の者はいないことから、居れば嫌でも目立つことは想像に難くない。
迎賓館にはいなかった、ということだろうか。
いま一度目の前の人を見れば、この出会いを喜んでいる気配がなかった。
もしかして、…………五年振りの再会を喜んでいるのは自分だけなのか。
気まずげに視線が徐々にずれていく。――哀しい気持ちにも関わらず、呆れてしまう程にクリスはやはりティアラに似ている。そんな感想が浮かんだ。
「ちょーっといいすか、お姉さん。どういうことですか? 皆さんお知り合いなんで?」
ガレリオが場を割るように、ティアラの肩に手を置いた。
「俺らなーんも聞いてないし、二人もその態度に嫌な気分になってると思うんですけどー?」
気付けば周囲を兵士たちに囲まれる。
どうやら、こちらの味方になってくれているらしい。だが、ひとりを寄ってたかって囲うこの状況が息苦しい。
「……何か理由があるんだろ? 問い詰めなくていい」
「それは出来ません。話しておいてくれないと、味方になってあげられないじゃないすか。そうでしょ?」
ガレリオがはっきりと断るが、ティアラを気遣っている。想像していた空気と違うものが漂った。
「お二人と知り合いだったんて、こちらも知らなかったんです。……訳あってティアラ様を預かってまして。初日の挨拶にはこの方は参加していません」
セーレが王都に、クリスがピオニールにいるのなら、彼女がここにるもの不自然ではないだろう。互いに仲が良く、揃うことも稀な家族だ。
「ですが、ここで知り合いに会った以上、悪いですけどティアラ様はセーレ様のところへ行ってください」
「でも……」
「言い訳は聞かないっすよ。そういう約束でしょ? 先に言わないと面倒だから、腹括って下さいよ」
「……どういうことだ?」
「ここで匿っていたのは、いろいろ理由はありますが。……補佐官の妻役をやりたくないってことなんで、知り合いに会った以上ちゃんとその役目をこなせ。そういう話なだけです」
ティアラの肩に乗せていた手を離し、呆れたガレリオが説明した。
「……ティアラは、城での生活があまり得意じゃなかったな」
何度か王城にいた時も方々から礼儀作法について指摘され、よくセーレや母たちに庇って貰っていた。――そのことを思い出し苦笑すれば、こちらを見たティアラも申し訳なさそうに表情が沈む。
「ですが、クローディーヌ様もグライリヒ様も、ティアラ様がいらしたらお喜びになるかと。――やりたくないことは強要しない方々ですし、あまり気負わなくてもよいのではないでしょうか」
そういう性格だって皆知っている。アイベルが母と父の名を出せば、両手が所在無さげに掴むものを探しているようだった。
「……みんなに会いたくなかった訳じゃないの。ただ、あの子が心配で――」
「心配ご無用ですよ! なーんも問題ありませんってば。俺らに任せておいて下さい!」
バシッとガレリオが勢いよくティアラの背を叩いた。――恐らく『クリス』の事だろう。ここまで来たのは離れたくなかったからだと容易に想像がつくし、下手なことを言わせない気迫がガレリオから伝わって来た。
そして自分たちがここにいるから、互いに腹を割って話せない。そんな、緊張が一瞬の静寂となって部屋に満たされた。
「うそ。……何か知ってるんでしょ? どうして誰も教えてくれないの?」
「何もないことを『何もない』と、俺は証明できません。果報は寝て待て、ですよ。王様と王妃様ともお知り合いならいいじゃないですか。旦那さんに会って、夫婦水入らずでゆっくりして来て下さいよー」
静寂を破るティアラを拒否するように、ガレリオの説得が周囲を同調させた。
だが、ティアラはどれも受け取れずにいるようで、何かを求めていた。
それに――、先ほどの言葉は、どういう意味なのか。
「――どうかしたのか?」
「お帰りなさい、坊ちゃん。聞いて下さいよー、王子さまたち、どうやらこのお姉さんが知り合いだったみたいです」
聞きなれた声にガレリオが身を翻し、その人の傍へと行く。――黒いコートを羽織った『フィフス』と、しばらくその姿を見なかったブロンドに白い仮面の左翼だ。雨の日に会った時と似たような格好に組み合わせだ。
あの時と違うのはここは宿舎で、あの時にいなかったティアラが渦中の人物になっている。
廊下におり、こちらの騒ぎに気付いて声を掛けたようだが――。ガレリオの話に戸惑っているようで、こちらを――――、ティアラを見ていた。
「……今の話は本当か?」
鋭さのある声と、切り捨てるような目つきに変わると誰も返事をしなかった。
急激に張り詰めた空気が、この場を冷たく支配する。
「ならばティアラ・ソリュード、我々の仕事はここまでだ。約束通り王城へ行くがいい。――――こちらで手筈は整えておく。正午までに身の回りのものをまとめておけ。」
誰の返事も待たずに短く言い放てば、そのまま二人で途切れた廊下の先へと姿を消した。
大事にしているものだろう。
昨日も俺の前でそう言っていた。
二人の結末を、周りの人達は分かっていたのだろう。ティアラは何も言わず、周囲の人間も彼女を労わっていた。
どうして――――、自分たちがここに来たのがきっかけかもしれないが、ガレリオの様子からティアラにここにいて欲しくないことも伝わった。
だからすぐに『フィフス』へ報告したのだろう。
思わず後を追いかけるように部屋を後にすれば、すぐ先に二人の姿が見えた。
「フィフス――」
あれが本心じゃないのはきっと皆知っている。――だけど今、クリスが大事なものを手放さなければならないのを見てしまえば、あの離した手をどうにかしたいと気持ちが強くなる。
名を呼ぶ声に足を止めれば、あの人はゆっくりと振り返った。
大した距離ではないだけに、すぐに追いつく。
「……来てくれたんだな。朝から面倒に巻き込んでしまって悪かった」
力ない言葉と、視線を合わせる気がない憂色が影を落としている。
「俺がティアラと知り合いだったことは知らなかったんだろ? 俺も知らなかった」
どうしてこんな状況になっているのか。
どうして彼女は誰にも俺の事も伝えてくれなかったのか。
さっきの言葉はなんなのか、――――正直疑問は尽きない。
「だけど、父も母もティアラのことはよく知ってるし、――なによりセーレがいるから安心するといい。丁重にもてなしてくれるだろう」
家が違う以上、立場も異なるのだろう。まして今はティアラの子でいる訳にはいかない。――名と身分を隠している以上、庇いきれないのものもあるし、降りかかる面倒を払いきれない時もある。
幾度となく面倒に巻き込まれていただけに、力があろうとも万能に機能するものではない。
「……ティアラの事は安心してくれ。――友人だろ、頼りにしてくれ」
帰る場所を無くし孤独に染まった青色の瞳が、力なく微笑んだ。
「ありがとう。悪いが、あの方の事を……」
「分かってる。……夜通し仕事をしていたんだろ。休んでくるといい」
「――――、そうさせてもらおう。面倒を掛けた分、お前には後で説明するから……」
「あぁ、――待ってる」
この場を立ち去ろうと背を向け、フィフスは足を止めた。
「……よかったら、あの方と話をしてやってくれないか。きっとお前と話しをする方が、今は安心なされるだろうから」
まだいつもの力強さは戻ってこないが、大事な人を任せてくれるくらいには頼りにしてくれている。
「俺も丁度話したいと思っていたから、任せてくれ。――また後で」
小さく頷けば、二人がこの場を後にした。
「――――ディアス様、ありがとうございます。貧乏くじを引かせてしまって申し訳なかったです」
角を曲がる背中を見送れば、隣にガレリオが来ていた。
「なにか、――事情があるんだろ」
「えぇ、まぁ。……よかったらティアラ様とお話ししてあげてください。俺らに教えてくれなくても、さすがに今のディアス様に何も言わないなんて、そんな不義理はしないと思うんで」
ガレリオに促されて後ろを振り返ると、ティアラとアイベルが部屋の前にいた。先ほどより、気を落としているようにも見える。
「ガレリオにも、第三師団の皆にも迷惑かけちゃったね……。――ディアスくんとアイベルくんも、驚かせてしまってごめんなさい」
「俺も聞きたいことがあるんだ。……二人で話しをしてもいいか? 昔みたいに」
ティアラの前まで歩けば五年前はまだ見上げて頼りにしていた。だけど時の長さが関係性を反転させる。
『フィフス』よりも少し高い位置に、懐かしい顔があった。
「ティアラが聖国に帰ってから、セーレから話を聞くばかりだった。……二人で話すのは、本当に久し振りだ」
まるで、再会を予知したかのような今朝の夢が思い出される。
「隣の応接でよければ空いてますんで、よかったらどうぞ。侍従のおにーさんは、寝坊してるエリーチェのことでも一緒にお茶でもしながら待ちませんか」
ガレリオの提案に承諾し、先日も使わせてもらった部屋に案内される。
夢で見たあの時とは違う、自分は子供ではない――。今まではただ寂しさを埋めるようにクリスの話を聞いてばかりだったが、今は側で手を差し伸べることが出来る。
あの人に比べれば頼りない手だろうが、それでも少しでも役に立てるものがあるなら使って欲しい。
ずっとそう思っていたはずだ――――。
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