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74.『秋霖』に響く歌声⑨
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慌ただしい昼にいつもの授業。窓の外はずっと雨。
今朝の様子を見ていないエリーチェへフィフスのことを尋ねても、その内に来るからと元気な返事をもらうだけだった。――ただ知らせもなく待つことは前回と違い、やるべきことがあったとしても、耐えがたいほど長くひどく退屈だ。
刻々と時間が過ぎるというのに、なんの変化が訪れることもなく一日の終わりを告げる鐘が鳴った。閉め切られた窓から見えるのは灰色の風景で、何度も見慣れている空模様のはずだが、特に今日はつまらないものに思えた。
終わった余韻にしばし浸ってみたが、唯一変わった出来事と言えばこれだ。
「やぁやぁ、学生諸君。勤勉に学んでいるかね? 授業が終わったこれからの時間は僕が案内役を務めようじゃないか」
「わ~、ヴァイス様だー! 今日はよろしくお願いしまーす」
エリーチェの歓喜の声がヴァイスの名を呼び、人の減った教室に響いている。昼前にも現れたが、まさかまた来るとは……。
このまま振り返ることが億劫になる。
「ふっふっふっ、ついにこの時が来たね――。この僕の手に掛かればただの美少女も国を傾け、国家安寧を揺さぶり、新たな世界の創造をもたらす美少女へと仕立てあげることも可能さ」
勢いだけの大言壮語な話だ。恐らくいつものように何かポーズを決めているのだろう、届く声の強さからそんな気配が伝わってきた。
こういう大袈裟な話は面白がって受け取る者も多いので、良く聞く調子のいい謳い文句でもあった。――だと言うのに妙に静かだ。
いつもならすぐに誰かの笑い声が聞こえるものだが――、気になって三人を見ると、リタが青ざめ、エリーチェは呆気に取られ、コレットは二人に困惑していた。
「そんな……、恐ろしいことは、お受けできかねます……」
額面通り受け取ったということだろうか。血色の悪いリタがヴァイスの目を避けるようにこわごわと断っていた。
「それくらい、よりをかけておめかししようって話さ。別に国を傾けてくれてもいいけどねっ!」
「いえいえいえいえ、国を傾けるだなんて……。そんなことが起きれば、一体どうなってしまうか……、想像するだけでも恐ろしい……っ!」
調和と秩序の神を頂く国の者では、受け取り方が違うようだ。『よくある冗談』というカテゴリーのひとつだと気に留めたこともなかったが、彼女たちの前では禁句にすべき話題なのかもしれない。
「そこまで真面目に受け取らなくてもいいと思うのだけど、聖国ではそういう冗談は口にしないの? ……大げさな誉め言葉とか、言ってはダメなのなの?」
身近な聖国出身者と言えばセーレとヴァイス、先ほど会ったティアラが含まれるだろうか。
外交官として聖国から来ている者もあるが、個人的に深く交流する機会がない。――王城にあまり自分たちがいないからという理由もあるが、仕事で来ているだけあって父たちとは交流するものの、学生である自分たちとは一線を引いた距離を感じている。もちろん避けている訳ではなく、慎み深い距離感だ。
交流の一環で彼らも舞踏会へ招かれることはあるが、あまり空気が合わないようで顔を出してはすぐに退出していた。だから聖国について、深く知る機会が多くなかった。
セーレもヴァイスもこちらので生活が長いからか、今のような冗談の一つや二つくらいは気にせず口にするし、大袈裟な言葉を使うところは何度も見てきた。だからコレットも気になったのかもしれない。
リタは逡巡すると、気を落ち着かせるように息を深く吸っていた。
「……いえ、確かにオーバーな物言いはあります。ただ、何度か国が傾いたことがあるので、口にしてしまって実際そうなってしまったら困るというか……」
「へぇ? それって昔の話かい?」
ニヤニヤと楽しげなヴァイスだが、何か知っていそうな気配に彼女たちを困らせて遊んでいる気配を感じた。
「もういいだろ、リタも気にしないでくれ――」
切り上げさせようとするがリタには声が届いてないのか、俯きながら指先を弄んでいるだけだった。
「いいえ、……よくあることなんで、怖いんですよ……」
「よく、あるの? ……そんなに、聖国って不安定なの?」
「傾国の、……『魔女』がいるんです……。あの人に目を付けられたら最後、――」
頭を抱えその場でしゃがみ込んでしまった。
急なリタの反応に困り、隣に立つエリーチェに注目が集まった。
「本当に国を傾けるって訳じゃなくて、そういう嫌がらせをよくしてくる人がいて困るなぁ、って話だよ。本当に傾くときは、……カナタの機嫌が悪い時くらい?」
エリーチェの説明に、安心できる材料が見当たらない。北方天の機嫌が悪いと国が傾くというのは、なんだか物理的な話な気がする。
国が傾くレベルの嫌がらせについても、なにかしらの罪に問えそうだが。彼女の天気の話でもしているかのような物言いが大したことがない気がして、リタの反応とかなり乖離がある。両極端すぎてどちらを信じればいいのかさっぱりだった。
「なんでアイツ来ないの!? どこで油売ってんのよっ!!」
「フィフスくんのことかい? ヨアヒムにアシェンプテルに連れて来てもらうよう頼んだから、すぐに会えるさ」
足元から上がる悲鳴にも似たリタの叫び声に、コレットがびくりと身体を強張らせバランスを崩し、――いまだ座るディアスの肩にもたれかかった。
「昼にヨアヒムとガレリオくんが女王陛下に呼び止められていただろ? あの後フィフスくんも陛下に呼ばれたみたいでさ、頼んでおいたんだ。終わったら連れて来てくれるだろうし、これ以上不安になることなんてないさ」
「……お前が不安にさせたんだろ」
ウィンクをリタに飛ばしているが、いとこにも被弾しただけにかなり満足そうにしている。性格が悪い。
「そんな訳で、まだ見ぬ美を求めいざ尋常に~、勝負っ!」
エリーチェだけがヴァイスのノリに付いていっており、「おー!」と掛け声と片腕を上げて賛同していた。何が勝負なんだ。
昼にアシェンプテルに行く話は聞いていた。ヴァイスが皆を連れて行くことも、姉たちだけでなく弟も揃って行くと知らされていたが、フィフスがどうしているのか誰も分からなかったため、ずっと気掛かりだった。
この性根の悪い大人の口から伝えられたのは残念だが、あれからずっと自分の役目以外に時間が取れなかったのかと思えば仕方のないことか――。
うずくまるリタを引っ張り上げたエリーチェが、ご機嫌にスキップしながらヴァイスの後を追うように教室を後にした。
「……どうかしたのか?」
しばらく待っていたが、凭れているコレットが動く様子がない。
「怪我でも――」
俯いていて様子が分からないが、よろけた拍子に足でも痛めたのかと声を掛ければ、勢いよくいとこが起き上がり、離れた。
「な、なな、なん――、なんでもない……っ!」
顔も合わせずど言葉をつまらせながら小さく言い放つと、そのまま教室を出て走って行ってしまった。
「申し訳ございません殿下、――姫様のことはお気になさらないで下さいっ」
コレットの侍女が慌ただしく礼をすると、駆けて行った主人を追って行った。
アイベルと二人、急に取り残された教室――。この状況に思わずため息をついた。普段もこうだっただろうか。
「参りましょうか」
「……そうしよう」
席を立ち、先に出て行ったヴァイスたちの後を追う事にした。
いとこも、後で来るか分からなくなってしまった。姉たちがいるから問題は少ないと思うし、自分たちの衣装は既に用意が済んでいるので困ることは少ないはずだ。
だが、レティシアや後から来るであろう叔父に、コレットの不在をどう伝えたらいいのかを考えると、少々頭が痛くなりそうだった。
馬車で到着したのはピオニール山の手、中央の大通りに面した一角にある『アシェンプテル』。――ラウルスで最も有名な仕立屋のひとつであり、ここで数多くの職人を養成している。
ここでは過去の作品も展示していることもあり、ピオニールにある仕立屋でも特に広い敷地面積を有する。六階建ての建物が学園の中からでも見えるくらい近く、晴れた日は店の外で店内を眺めているのか、集う学生たちの姿が見えることもあった。
メインはドレスの仕立てだが、もちろん男性用の服飾も一式取り扱っている。相手と合わせたコーディネートまでするので、揃いで誂える者も多い。姉たちも気に入って使っていることもあり、良く話を聞かされ、連れて来られる場所でもあった。毎回舞踏会の相手役がコレットなこともあり、コーディネートなどはこだわりなどがある彼女やアイベルの差配に任せているだけだが。
さすがに舞踏会直前の今、アシェンプテル内は人が少なく、これから衣装を探す者などほとんどいないだろう。つい最近来たばかりの留学生たちを除けば。
他にいるとしたら急遽予定が変わった者や、直前にデザインの変更をするといったイレギュラーが生じたときくらいか。
今は既に注文を受けている分の対応に忙しいようで、以前レティシアたちに連れられて来た時よりも、案内人の数は少なかった。
一階はプレオーダーの作品が並んでいるのだが、今回案内されたのは三階のフロア。試着のための広いスペースがあり、よく姉たちがドレスを選ぶために連れて来られる場所だった。
今回の舞踏会に向け、案内人がすすめる作品を中心に、持ってきたドレスを女性陣が見ている。リタも先ほどの動揺っぷりはすでになくなり、エリーチェと目を輝かせていた。
ヴァイスがあれこれと勧めているが、姉やレティシアからも意見が出るため、見るのもそうだが選ぶのにも時間がかかりそうだった。
弟と二人、部屋の一角に備えられている待合の席で用意された茶や菓子を前に、彼女たちの様子をなんとなしに見ていた。そんな時だった。
「みんな揃っているようだな」
感心する声の方へ振り返れば、階段を上がりきった叔父と友人の姿がそこにあった。今日の授業は終わったというのにまだ学生服を着ているのは、授業に出ようとしていたのだろうか。
「今朝振りだな。……お前にはいろいろと面倒を掛けた。」
叔父はレティシアのいる皆の元へ行ったが、弟と座る席の元へと、薄暗い朝に会ったきりの『友人』がやってきた。
――――会いたかった。
掛けられた言葉からティアラのことを言っているのは分かっているが、目の前に現れたことも、真っ先に声を掛けられたことにも、なんだか驚いてしまい、あっさりとした言葉にも関わらず返事もできずにいた。
「フィフス! 昨日は夜更かししていたと聞きました。ふふっ、いつ起きたんですか?」
こちらに向けられた眼差しが僅かばかり細められたが、すぐに隣の弟に移った。
「昼過ぎだ。休みの日はこれくらいまで寝ているな。」
「今日は学校があるじゃないですか。ダメですよ、サボったりしては」
仕事で一晩中起きていたことはエミリオにも伝えていたが、ふらりと現れたフィフスに喜んでいるようだった。そうだなと弟に相槌を打っていると、今朝の出来事も、ティアラのことも何もなかったように思えた。
「フィー! 遅かったね。見て見てこれ、素敵じゃない?」
遠くからエリーチェが駆け寄るとフィフスの腕を引いて、並んでいるドレスを指差していた。
「一階でも見たがどれも動き辛そうだな。あと肩を出し過ぎじゃないか?」
「こういうデザインなの。おしゃれに不寛容なのはよろしくなくてよ」
レティシアがこちらへ来て二人の間に立った。
「女性らしい曲線が出ているところが、艶ぽくて素敵だと思わない? ちなみにあなたはどのデザインがお好きかしら。アズのも決めなくてはならないのだから協力しなさい」
「……協力? 何をすればいいんだ。」
レティシアの顔を見た後、助言をもらおうとしているのかこちらに顔を向けている。――いつも通りに見える。自分と違ってずっと憂いを引きずらず、取り繕うこともずっと上手だ。
なら、今は何もなかったかのように接するべきだろう、『友人』として――。
「――主に引き立て役として相手をエスコートすることだ。ここでは舞踏会に参加する者同士、ペアで行動することが多いから衣装を揃える者も多い」
「普段ならそうね。――だけど、今回は引き立てられるのはあなたたち二人よ」
レティシアが指でフィフスの頬をつつき、こちらを見た。
「ふたり……?」
何かを思いついたと思ってはいたのだが、従姉が楽しげに眦を下げている。
「そうよ。四家ってラウルスで言う王家と同じようなものでしょう。ある意味ディアスと同じじゃない。――蒼家の御曹司という立場ある人間が来たのだから、比べてみたら面白いと思わなくて?」
楽しげなレティシアがそのまま輪郭をなぞろうとしているが、その手を掴み放していた。
「王家……? 家督を継ぐとか、そういうことは私自身にはなにもないが。」
「当代様とやらの弟君なのでしょう? 本家筋なのであれば、家督を継ぐことはなくてもそれなりの立場があるんじゃなくて」
「いや、私はただの養子だ。直系という訳ではないし、家に貢献する者でもない。――広義的な意味では血の繋がりはあるが、年の近い者は皆兄弟であり、年長者は全て親であり師でもあると教えられる。ただそれだけの関係だ。」
告げられる話に皆が言葉を詰まらせていた。養子制度はラウルスにもあるし、子宝に恵まれない者や後継問題でも耳にする話なため決して珍しいことではない。
ただアルブレヒト家ではない。婚姻は自由にしている祖先も多いが、血の繋がらぬ子を血族に入れることはなかったし、仮にあったとしても周囲の反発で叶わないことも多かったとか。
本人の身の上を考えれば、全てその通りなのだろう。もしかしたら驚いている姉たちは、自分たちと同じと思っていたのかもしれないが、どうしてこのタイミングでこの人に伝えてしまったのだろうか――。
四家の在り方については知らなかったが、この話はヴァイスにも関わる。叔父も傍らにいる赤紫色の瞳を持つ同僚を見たが、この場で言うべき言葉を見つけられないようだった。
「他の家もそうだが、この国ほど血の濃さは重要視しないから、ある意味リタとエリーチェも兄弟と呼べるだろう。過去に玄家と婚姻した者もいたはずだからな。」
隣にいるエリーチェが自慢そうに笑っていた。
「……四家は血筋を大切にはしないの?」
「大切、という意味がどういうものを差すか分からないが、少なくともうちは素養ある者を大切にする。能力ある者を本家に引き入れ、乏しいものは分家に振り分けて育てられる。それだけだ。」
「非常に分かりやすい話だねぇ」
いつもの軽薄な言葉だが、皮肉に聞こえる。
元は同じ家の出だというのに、能力がないからこそ蒼家からないものと扱われ続けたヴァイスと、方天の力を与えられてしまい蒼家に引き取られてしまったクリス。――そのことについてどう思っているのか聞いたことはないが、快く思えるものでもないだろう。少し離れたところに立っていた姉も、ヴァイスに近付きながらどうしたものかと困惑していた。
「そうですね。――なのである意味、ヴァイス卿も私の父と呼べるでしょう。遠く離れた異国の地で多くを学び得た知識を人々に還元され、長くこの国に貢献し、貴賤なく平等に多くの学生たちのことを見ておいでだ。この街でも多く卿を慕う者たちを見て参りました。理事も本来はラウルスの貴族の中からしか選ばれないと言うのに、爵位を得るまでに至ったこと。魔力を持たないにも関わらずここまでの偉業をなされたこと。どれも崇敬に値します。」
唐突なフィフスの態度と言葉に、皆呆気に取られた。
「あはは、大げさに褒めてくれるね~。僕は運が良かっただけさ。父さんの名と陛下たちの後ろ盾があったからね」
「それもヴァイス卿が、正しく扱うことが出来たからこそのものでしょう。――名に溺れ、力に酔う者も多い中、自らを律することで誰の名も貶めることなく、ご自身のお力に変えている。『使えるものはなんでも大事に使え』と、よくフュート様も仰っています。」
家の在り方がどうであれ、大切にしたい人をただ信じているだけなのだろう。目に見える絆がなくても、ヴァイスのことを信頼しているところを何度も見ていただけに、彼を見る青色の瞳がなんだか遠く眩しく感じた。
「そんなヴァイス様に、ぜひご相談に乗って頂きたいことがありますっ!」
エリーチェの元気な声が、唐突に現れた。――いつの間にかレティシアの手をすり抜け、フィフスの側を離れてヴァイスの前に立ち片手を高く上げている。
「はいはーい、なんでしょう。このタイミングで僕に話って」
「来月、ブライダル事業のプロモーションを行う予定なんですけど、――使い終わったセットを使って、一組結婚式を執り行いたい方たちがいるんですっ」
「……もしかしてガレリオの妹君か?」
「えへへ、残念ながら違います。勝手にやったらガレリオさん怒るだろうし、そんなことは本人たちも望んでいないので。――だけどその人はこちらの国でも大事なお役目を果たされている方だし、みんなとも仲が良さそうだったから、協力してもらえたら嬉しいなって」
振り返ると、ヴァイスだけでなくこの場にいる者たちに話しかけているようだった。もしかして今朝しようとしていた話だろうか。こらえきれないようで、浮足立つエリーチェにくすりと姉が笑っていた。
「おめでたいお話しね。一体誰なのかしら」
「それは――、セーレ様とティアラ様ですっ!」
昼にも会った人物と、良く知る相手だっただけに疑問符が浮かんだ。
「あの二人の? 既に結婚してるじゃない」
レティシアが頬に手をあて考えていた。――『友人』もエリーチェの発言に驚いているようで、呆気にとられているのか小さく口が開いている。
「結婚はしてるけど、結婚式はやらなかったって聞いたんです。そうですよね、ヴァイス様?」
「良く知ってるねぇ。……ふふっ、あの時籍入れたって事後報告だけあって、誰も知らない内に結婚したんだよあの二人」
「あぁ、あったなそんなこと。……急な話に随分兄がショックを受けていたな。どうやらセーレの式に参列したかったらしい。――主役を食う勢いで祝っただろうから、ある意味正しい選択だろう」
「そうそう~。でも結婚指輪も持たないつもりだったから、見かねて四人でこっそり準備してたそうだよ」
「四人って、父さまと、――ヴァイスや叔父上たちがですか?」
ヴァイスの他人事な発言に、疑問を持った弟が尋ねていた。
「いいや。君たちの母君でもある三人の奥方だ。みんな学生時代から仲が良かったからね。セーレや義姉さんにそれとなく指のサイズを聞き出したり、どんなデザインが好きだとかつける石の種類や色だとかを聞いては、陛下と相談しながら三人で進めていたみたい。……自分たちの結婚指輪を作るときよりも時間がかかりすぎたせいで、兄さんもなんで皆から指輪を送られたのか分からなくて、困惑してたらしいよ」
ヴァイスの話が耳に入るも、ただ言葉が通り過ぎるようだった。顔も姿も遠く朧気になった人を微かに思い出してみたが、あの人が他の三人といるところが想像がつかない。
何か思い出したのか、ヴァイスが笑いを堪えきれないようで、肩を震わせていた。
「後から聞いた話だけどさ~、――陛下が兄さんに指輪を勝手に嵌めて、『これが祝儀だっ!』て言い放ってたらしいよ。集められた三人はお祝いムードで、陛下はドヤ顔と。……そんな四人に囲まれて、さぞ兄さんもいやな顔をしただろうねぇ~」
「……俺も聞いただけだが、想像するだけでも哀れすぎるな。何故うちの兄に贈られなきゃならないんだ……。まぁ、ささやかな復讐だったんだろうが」
満足そうなヴァイスと憐みながら頷いている叔父に、その時の残念なサプライズが想像できそうだった。
「人に貰ったって聞いてたけど、王様たちからだったんだ。……新しい指輪を贈るのはやめておいた方がいいかな」
「あら、いいじゃない。プレゼントはいくら贈っても悪いものではないもの」
「そんなことよりも、王の耳に入れさせないでくれよ。公務そっちのけで、なんとしてでも行くかもしれないからな」
「えぇ! ダメですか? 頼みたいことがあったんですけど……。ね、フィー」
フィフスの傍に行き、同意を求めているのかエリーチェが声を掛けている。
「なるほど、――いくら用立てればいいんだ?」
きびきびと懐から何かメモのような冊子とペンを取り出している。
「あら、フィフスって資金力で解決するタイプ? そんなすぐ小切手が出て来るなんてすごいわね」
すぐ傍で見ているレティシアが感嘆の声を上げているが、今の流れで金の用意をするのは何か違わないだろうか。思わず席を立ち傍へ行く。
「こういう手段もあるというだけだ。――ゼロはいくつ必要だ?」
「ちなみにいくつまで書けるものなの? 興味があるわ」
止らぬ気配に、ペンを取り上げることにした。
「……ちなみにこれはなんの資金のつもりなんだ。口止めか?」
「いらしてくれるなら、渡航費用が必要かと思って。」
「足代ね。私たちの分もぜひお願いしたいわ」
小切手帳も取り上げることにした。レティシアが面白がってくすくすと笑っているが、友人で遊び始めてしまう。
「……笑い事にならないだろ」
「安心しろ。私が使える資金はそこそこある。」
「やだ、僕の兄さんのために……。ありがとうフィフスくん。陛下も大いに喜んでくれることだろうねぇ」
「……喜ぶかどうかはさておき、王が行ったら全て台無しだろ。悪いことは言わないからやめておきなさい」
わざとらしく大仰に礼を言うヴァイスを無視すれば、当のフィフスはキリリと澄ました顔をしている。――どの程度を『そこそこ』と表現したのか。この人だって『そこそこ』地位のある人だ。自分が使える資金なのかもしれないが、度が過ぎそうな気配に今は預かっておくのがいいかもしれない。アイベルも理解したようで、手中のペンと冊子を預かってくれるようだった。
「ありがとうございます、殿下。この人、国費も結構自由に使える人なんで、そのまま取り上げておいて下さい」
リタの冷ややかな言葉に、取り上げて正解だったらしい。
何か言葉にする訳ではなさそうだが、不満そうにフィフスがこちらを見ていた。――ここでも素直に言うことを聞いてくれるようだ。少々強引だったことは否めないが、その顔に心をくすぐられるものがあった。
「予算も嬉しいけど、あれ借りたいんだ。水晶螺鈿、――あれなら、みんなのお祝いのメッセージをこっそり集めて、渡してあげられるでしょ?」
「いいぞ。」
返事が早い。凛々しい顔つきはずっと変わらないが、勢いある言動が喜びから来ている気がする。――昨日婚礼の話をしたときは興味が薄そうだったが、両親のことになればやはり違うらしい。
次に取り出したのは金色の懐中時計だった。――通信機として使っているところを見たものだ。鎖を外しエリーチェに手渡すと、弟がそれを見にやって来た。
「それって時計じゃないのですか?」
「精霊石を使った道具を玲器と呼ぶが、複数の機能を持つものを蒼家では水晶螺鈿と呼ぶ。――見た目も二枚貝みたいだろ。」
金色のケースに覆われた懐中時計を二枚貝と表現するのか。蓋を開けると、中は時計盤が時間を刻んでいるが、デザインのような幾何学模様と、淡く光る盤が彩っている。以前はもっと光っていたが、この文字盤にも貝が使われているようだ。――術を行使すると光る仕組みなのか。ずいぶんと便利で多機能な代物だ。
あの時は気付かなかったが、よく見ると蓋の内側に『息子へ、安寧と安息が共にあらんことを』と記されている。贈られた品のようだが、蒼家の誰かから貰ったものなのだろうか。――――『フィフス』を偽装するためだけのものとは思えないが、先ほどの話から蒼家の中でもこの人を大事にしてくれる人がいたのか。
何故息子と書かれているのか気になったが、弟の手に渡り文字も見えなくなる。
フィフスを見れば、指先ほどの小さな円筒状のなにかを取り出し、エリーチェに渡していた。
「失くすなよ。」
「うん、ありがと! これにみんなの姿とか声を記録できるの。――来てもらうのが難しくても、みんなの声をセーレ様たちに届けることが出来るんだ。いい考えでしょ?」
音を記録して残す技術はこの国にもあるが、映像を記録する媒体はもっと大きい。――魔術具でもなくはないが、起動に魔力を使う以上、聖国の者には使えないことを思えば今回は論外だろう。これだけコンパクトで、記録媒体だと分からないものは珍しかった。
「ふむふむ。それは分かったけど、別に陛下たちのメッセージは僕が撮りに行くよりも、殿下たちにお願いした方がよくないかい? さっきも妃殿下が殿下たちに帰って来てほしそうにしてたしさ」
「ヴァイス様にはモデルになって欲しいんです。セーレ様と体形同じくらいですよね? お顔立ちも似てるから、どういう衣装がいいのか考える参考にしたくて」
皆ヴァイスを見ているが、エリーチェの考えに賛同する者はほとんどここにはいないだろう。
「……顔立ちが似てても雰囲気が全然違うわ。セーレのためにもやめておいた方がいいんじゃないかしら」
「まさか、僕の身体目当てだったとは……。いいけど、こういうのは初めてなんだ――。優しくしてくれないか……」
意味深なセリフと共に身をよじっているが、はい、と返事しそうな気配に思わずフィフスの口に手を当てた。
「ふふっ、なんでもヴァイスの言うこと聞いちゃうのね。――ご両親が好きってそういうことなの? たくさんいらしゃっる感じなのかしら」
「エリーチェも、彼には助言をもらうくらいに留めておきなさい。ヴァイスをモデルにしたところで、セーレとは別人なんだ。選んだとしても印象が変わるだろうし参考にならん」
「そんなに僕と兄さんとの関係に嫉妬しなくても、僕は皆のものさっ☆」
エリーチェも双方の言葉に迷っているのを察し、叔父や姉たちが止めている。
こちらを見上げて何か言いたげにしているので塞いでいた手を退かすと、『友人』が腕の中で困惑している。
「……もしかして、仮だとしても婚姻の装いをすることは、ヴァイス卿の立場上よろしくないのか?」
「そんなことはないが、……どうかしたのか?」
叔父や姉たちの様子を見て、困った顔を見せているフィフスが深く考えていた。
「ヴァイス卿は独身だから爵位を得ているのだろう。」
「独身だから……?」
フィフスの言葉に、皆がヴァイスを見た。
「……生涯、誰とも添い遂げない誓いと共に爵位を授けられた、――僕は独身貴族っ☆ ――って、伝えてたんだっけ?」
「はい。爵位をお持ちだと教えて頂いた際、そう仰っておりました。並々ならぬ誓いなのだと、感心した記憶があります。」
伝えた話はうろ覚えなのか、茶化しているヴァイスに大真面目にフィフスが言うものだから、二人がどういう関係なのかエリーチェ以外には伝わったようだった。――リタは薄々感じていたのか、二人に呆れているようだった。
「……なに嘘を教えているんだ? そんなアホな理由で爵位を与えている訳じゃないからな?! ――待て、一体どこまで我々のことを理解しているんだ? だいたい、今そんな流れじゃなかっただろ!? まさかもう少し基礎的なことから教えた方がいいんじゃないのか……?」
「……ヴァイスがそう言ったから信じただけで、他はそうでないと思います叔父上」
動揺と混乱で揺れる叔父に、ため息混じりで伝えた。
セーレやラウルスの者たちも交流しているし、聖国を担う人物だ。ラウルスについて知識がゼロということは決してないだろう。それにこんな話、――セーレや他の者も知っていそうだが、ヴァイスのことだ。訂正するのも馬鹿らしくて、皆が放っておいたのかもしれない。
「ディアスはよく分かっているのね。――お父様もそこまで心配なさらなくていいと思うわ。この子がしっかり教えてくれることでしょう。ね?」
従姉に肩に手を置かれるが、見ているのはフィフスだった。
「ヴァイスで遊ぶのは後にして、今はあなた達の衣装を決めるのが先よ。――セーレたちの件も急ぎではないのでしょ? 面白そうだから相談には乗るけれど、まずは目の前のことから順番に決めていきましょう」
レティシアが場を取り仕切ると、姉とエリーチェの肩を抱き、リタも合わせてドレスの前へ連れて行った。ヴァイスもそちらへ行ったが、
「……フィフス、あの報告書は問題ないだろうな」
「信じるに値しないということであれば、別途確認されれば良いことです。判断はお任せします。」
「……それもそうだな。今は君の働きを信じよう。これからはきちんと君も休みを取ってくれ」
「善処します。」
夜通し仕事していたことを指しているのだろう、叔父とフィフスがそんなやり取りをしていた。
「何か、良いことでもあったのですか?」
何かを確認する言葉の割に、どこかご機嫌そうな叔父に尋ねた。
先程まで二人で座っていた席に侍従たちが二人分のカップを用意しており、彼女らの用事が済むまでしばし席で待つことにした。――適当な席に座ろうとしたら、エミリオがここに座れとフィフスに場所を示している。昨夜と同じ並び順だ。
フィフスが素直に座れば、ひとつ向こうの席で満足そうな笑みをしている弟と目が合った。嬉しい並びではあるが、エミリオがどうしてそんな顔をしたのか分からなった。
「ずいぶんとエミリオに気に入られているな。――良いこと、と言ってしまうには少々早計だがそんなところだ。彼の仕事がひと段落したんだ」
「……ひと段落って――」
「連続学徒失踪事件、あれの調査に目途が付きそうなんだ。――優秀だとは聞いていたが、まさかこんなにも早く知らせを聞けるなんて思わなかった」
「もう、お仕事は終わりなんですか……?」
明るい叔父の声とは逆に、戸惑うものがあった。エミリオも同じことを思ったのか、言葉尻から元気が消えていく。
「あくまでもひと段落で、まだ終わりじゃない。やるべきことはまだ残っているし根本的に解決しない以上、国に戻ることはしないつもりだ。」
「よかった……。もう帰ってしまうのかと思いました」
「まだまだお前たちの世話になりそうだ。――これからもよろしく頼む。」
一瞬気落ちした弟に、フィフスが優しく声を掛けている。――変わらぬ様子に忘れていたが、父たちが『友人』に掛かっている呪いを解くために助力している。すぐに帰る、ということにならず小さく安堵した。
今も隣に座っているが、弟や叔父と話す姿から現在不遇を強いられているなどと、その背から微塵も感じさせなかった。
表層に見える素直さに比べ、本心はずっと分かりにくい。
昔もそうだった。
何も言わないし態度にも出さないから、ずっと誤解していた。
クリスはそれでも平気なんだと、幼い自分は思ってた――。
◆◆◆◆◆
ベッドの上で足をばたつかせるクリスには、今の声が届いてないのか返事がなかった。心細さから隣に並べば、何かの唄を口ずさんでおり、ご機嫌そうに空を泳ぐ魚たちを見ているばかりだった。
『クリスのママとパパも明日かえってくるんだ』
横に置いたぬいぐるみを抱え、寝転んだままこちらを向いた。
『ディアスにもしょうかいしてあげるね。ママもパパも、いつもやさしいんだよ』
全身からあふれ出る幸せそうな笑顔に、クリスは自分とは違うものなんだと初めて突きつけられた――。
ずっと、同じだと思っていた。
一緒に居ても家族の話なんてしなくて心地良かったのに。
何も言わない友だちしかいなくて、クリスはひとりぼっちなのだと思っていたのに――。
『――どうして』
忘れていた言葉が口から出れば、頭の中も心の中も真っ黒に塗りつぶされていく。
『どうしてって?』
『ずっと、クリスはひとりだったじゃないか。なのに、どうして……、どうして……っ!』
ぐちゃぐちゃになる心が何かを求めるように訴えるが、なにも掴めずに『どうして』という母の声と言葉と暗い姿が心に満ちる。母の白い手がこの身を抱きつぶすかのような息苦しさと重い気持ちに、底の見えない真っ暗な水底に引き摺り込まれていくようだった。
『……どこかいたいの?』
伸ばされた手を振り払えば、渇いた音が部屋に響く。
あの場所に帰れなくても、みんなに忘れられてもここなら平気だと思ってた。
『ディアス、どうしたの……?』
クリスが自分と同じように、父も母もいない『ひとり』なんだと思ってた。
同じひとり同士なら、さびしさなんて気にならなかった。
だけどもう声も聞きたくない。
何も見たくなくて耳を塞ぎ背を向け、堅く目を閉じ全てを追い出そうと拒絶する。
なにもいらない。だれもいらない。
何もかも追い出す心に残るのは、母のあの顔と声。
『どうして』
つらそうな眼差しでも見てくれていた。
もうひとりの母と、兄と比べながらも傍に居てくれた。
責めるような言葉でも、声をかけてくれていた。
暗く寂しい場所でも、冷たく怖い場所でもどこでもいい。
母がいる場所に行きたい――。
◆◆◆◆◆
調査の仕事がひと段落するということは、今までよりも時間が出来るということだろうか。和やかに話す姿を見ながら、カップに手を伸ばした。
「ヴァイスから、多少は舞踏会についての知識があると聞いた。……あまり準備期間を用意してやれないが大丈夫か? なにやら娘たちが企んでいるみたいで少々心配だが――、君は踊れるのか?」
前に話してくれていたが、偏りのある知識と今朝のエリーチェの話から懸念はあった。
「はい。一度リタたちが聖都で舞踏会を開きまして、その時にいくつか覚えさせられました。……一年程のことなので、流石に全て覚えているとは言い難いですが。」
部屋の中央でドレスを選ぶリタを皆が見た。――フィフスが姉へとダンスを申し込むよう、けしかけていた理由の一端が分かったような気がした。
あんな形で申し込む者も確かにあるが、目の前で仕込みをされ申し込むなんて、普通ならあり得ないだろう。
こちらの常識に収まらないこの人だからこそ、姉も呆れつつ許したのだが、いつも堂々としているので妙な説得力があって困る。
「聖国にも月刊ロイヤルという広報誌が、普及していることはご存知ですか? 以前あれで舞踏会の特集が組まれたことがあって、それを見た者たちがやりたいと企画しておりました。その際にラウルスの者たちから話を聞いて、いくつかダンスを皆に教示して貰いました。」
「特集って……、デビュタントか? ――なるほど、知識が皆無という訳じゃないようで安心した」
「えぇ。ただ、有志が集まってやっただけのものですし、途中から場を楽しむ者がほとんどでしたので、正式な舞踏会とは言い難く、最後はただの祭りで終わりましたが。」
『祭り』という言葉にエミリオが目を輝かせていた。――祭事も公務で参加することはあるし、この学園でも定期的に行われるものだ。ここへ来たばかりのときは、今のエミリオのように目を輝かせたこともあった気がする。
ただ、舞踏会が祭りになるなんて、一体何をどうすればそんな結果になるのだろうか。
「まるで古き良き時代に戻ったような話だな。近年は型を決め細かなルールを設け、ドレスコードも厳格なことも多いが、元は人々が楽しく交流することがメインだ。――ここのもルールはあるが、この国の文化のひとつでもある。異文化交流をぜひ楽しんでくれ」
「ヨアヒムはいいこと言うねぇ。せっかく聖都に勤める高位の神職様と巫女様方が揃ってるんだ。君たちも舞踏を披露すればいいんじゃない?」
ふらりとやってきたヴァイスが口を挟んできた。レティシアと共にやって来たが、他の三人は試着しているようだ。手が空いたから、こちらに来たようだった。
「舞踏……、ですか?」
「そうだよ。――君たちは知ってるかい? 彼らが崇める四神は四季を司る。それぞれの季節の到来に合わせて、四家の人が中心になって神に舞を奉納するんだ。――その演舞を一部担当してるのがこのフィフスくんさ」
急に話を振られたからか、フィフスは困惑していた。――二年程前からか、聖国で長らく廃されていた祭事を復活させる動きがあり、四季折々の節目や、豊穣を祈る祭りなどが行われるそうだ。
「以前は時世を鑑みて、執り行うことを敬遠していたとか。ここにいる学生たちにとっても貴重な機会だからね、見せてあげたらいいじゃない」
「……神事なんだろ? そんな軽率に披露しては障りがあるんじゃないのか」
聖都テトラドテオスで方天が中心となって行う祭事を、『神渡天応演舞』と呼ぶ。――毎月のように聖国の人々は神に祈りを捧げ、四家や数多くの神事に携わる人々を集めて行うようなものらしい。その舞を切り抜くようなモノクロの記事と写真を目にしたことはあるが、静止したワンシーンから読み取れるものは少ない。
いったいどういうものなんだろう――。
さすがに無茶ぶりが過ぎるのか先ほどと違い考え込んでいた。
「そんなことはない。蒼家の者やミラたちが知れば、きっとやれと言うだろう。神に捧げる演舞とは言え、元は人の為のものだ。望む者があれば応えよう。」
ヴァイスに言われたからなのか、応える返事は明るく軽快だった。――隣に誰か座る温度がぶつかると、ふわりと良く知る香りが届いた。
「変わった出し物が増えて、より楽しくなりそうじゃない。――ここで貴方の衣装を一から用意するのも面白いけど、正装で参加してくれていいのよ。向こうではどのような装いなの?」
「……正装?」
レティシアが隣に腰かけたのだが、こちらに身を寄せているため距離が近い。話したいフィフスが間にいるため、仕方ない位置なのかもしれない。が、無理してここに座らなくてもと抗議の眼差しを送る。――従姉の悪戯めいた笑顔で躱されるだけだった。
「えぇ。――ほら、到着した日、リタたちは正装になっていたじゃない。貴方たちは遅れてきたからか身軽な格好だったでしょう? まだフォーマルな装いを見たことがないし、こちらに全て合わせなくてもいいと思って」
レティシアが入れたての紅茶を手にし、フィフスの言葉の続きを待つことにしていたが、深く考えているのか真面目な顔をしながらどこかにフィフスは視線を落とすだけだった。
「レティシアくんもこう言ってることだし、僕もフィフスくんの正装が見てみたいな~」
ヴァイスがわざとらしく従姉に同調すると、ぎこちなく顔を上げた。
「……使節の出立に合わせて急いで準備したのと、依頼内容しか聞いておりませんでしたので、必要最低限の準備で出立してしまいました。……まさかこのように学園で生徒たちと過ごす事になるとも、公な場に出ることも想定しておらず、……おそらく用意はないかと。」
「――ん? 留学生として迎え入れる話は聞いてなかったのか?」
「ここに来てから知りました。決まっていることであれば従うまでですし、不足があれば現地で手に入れればいいとも思っておりましたので……。」
今身につけている制服も仕立てる時間があったはずだ。唐突に決まったものではないだろうし、叔父の困惑具合からもある程度互いに話があったように見受けられるが、
「あれー? 伝えてなかったんだっけ?」
「またお前か!」
すっとぼけた目付け役のわざとらしい声に、叔父が突っ込んでいた。
◆◆◆◆◆
ふわりと温かいものが掛かり思わず目を開けたが、目に映った景色は暗い。光を探そうと身体を起こそうとすれば、背から伝わる熱に抱き着かれた。自分と同じ手の大きさと、ずっと傍にいたからそれが何かすぐに分かった。
『ごめんね。……クリスはひとりでもだいじょうぶだよ』
弱い声だった。内緒話をしたときよりも小さくて、耳に入る声は細かった。
『……こわいものなんてこないから、だいじょうぶだよ』
緩んだ腕に声のする方を見れば、静かな庭のように揺れる深い色が目の前にあった。
母の声が聞こえた気がしたが、二人を覆う暗闇のせいか隠されたからかその声も遠くなる。
耐えるような硬い呼吸をしながら、小さな笑顔を見せてくれた。ぎこちない顔に、大きく揺れる瞳が今にも溢れそうだった。
『……だから泣かないでディアス』
何を言っているのか、今にも泣きそうなのはクリスの方じゃないか――。
その瞳と言葉に、気付かないように蓋をしていたものがあふれて零れ落ちた。
『……っ、――』
ずっとさびしくてこわかった。
母の声も目も、大事にしてもらえなかったことも、置いて行かれたことも、見てもらえなかったこと全てがこわかった――。
父も、兄も、母たちも、自分のせいでいままであったものを壊してしまった。
責められるのもこわかった。
自分のせいだと言い聞かせて、寂しい気持ちも怖い気持ちも隠そうとしていた。
どうして母たちは自分たちを置いて死んでしまったのか。
本当はずっと一緒にいたかった。
暖かい言葉が、愛が欲しかった。
父や姉兄たちにも会いたい。
誰にも忘れれたくないし、ひとりはいやだ。
ひとりはいやだ――。
小さな身体にしがみつけば、寂しさが伝わってしまったのかクリスも泣いてしまった。
駆け付けたハルトが取り乱しながら布団をはがすまで、二人で声を上げて泣いていた。
今朝の様子を見ていないエリーチェへフィフスのことを尋ねても、その内に来るからと元気な返事をもらうだけだった。――ただ知らせもなく待つことは前回と違い、やるべきことがあったとしても、耐えがたいほど長くひどく退屈だ。
刻々と時間が過ぎるというのに、なんの変化が訪れることもなく一日の終わりを告げる鐘が鳴った。閉め切られた窓から見えるのは灰色の風景で、何度も見慣れている空模様のはずだが、特に今日はつまらないものに思えた。
終わった余韻にしばし浸ってみたが、唯一変わった出来事と言えばこれだ。
「やぁやぁ、学生諸君。勤勉に学んでいるかね? 授業が終わったこれからの時間は僕が案内役を務めようじゃないか」
「わ~、ヴァイス様だー! 今日はよろしくお願いしまーす」
エリーチェの歓喜の声がヴァイスの名を呼び、人の減った教室に響いている。昼前にも現れたが、まさかまた来るとは……。
このまま振り返ることが億劫になる。
「ふっふっふっ、ついにこの時が来たね――。この僕の手に掛かればただの美少女も国を傾け、国家安寧を揺さぶり、新たな世界の創造をもたらす美少女へと仕立てあげることも可能さ」
勢いだけの大言壮語な話だ。恐らくいつものように何かポーズを決めているのだろう、届く声の強さからそんな気配が伝わってきた。
こういう大袈裟な話は面白がって受け取る者も多いので、良く聞く調子のいい謳い文句でもあった。――だと言うのに妙に静かだ。
いつもならすぐに誰かの笑い声が聞こえるものだが――、気になって三人を見ると、リタが青ざめ、エリーチェは呆気に取られ、コレットは二人に困惑していた。
「そんな……、恐ろしいことは、お受けできかねます……」
額面通り受け取ったということだろうか。血色の悪いリタがヴァイスの目を避けるようにこわごわと断っていた。
「それくらい、よりをかけておめかししようって話さ。別に国を傾けてくれてもいいけどねっ!」
「いえいえいえいえ、国を傾けるだなんて……。そんなことが起きれば、一体どうなってしまうか……、想像するだけでも恐ろしい……っ!」
調和と秩序の神を頂く国の者では、受け取り方が違うようだ。『よくある冗談』というカテゴリーのひとつだと気に留めたこともなかったが、彼女たちの前では禁句にすべき話題なのかもしれない。
「そこまで真面目に受け取らなくてもいいと思うのだけど、聖国ではそういう冗談は口にしないの? ……大げさな誉め言葉とか、言ってはダメなのなの?」
身近な聖国出身者と言えばセーレとヴァイス、先ほど会ったティアラが含まれるだろうか。
外交官として聖国から来ている者もあるが、個人的に深く交流する機会がない。――王城にあまり自分たちがいないからという理由もあるが、仕事で来ているだけあって父たちとは交流するものの、学生である自分たちとは一線を引いた距離を感じている。もちろん避けている訳ではなく、慎み深い距離感だ。
交流の一環で彼らも舞踏会へ招かれることはあるが、あまり空気が合わないようで顔を出してはすぐに退出していた。だから聖国について、深く知る機会が多くなかった。
セーレもヴァイスもこちらので生活が長いからか、今のような冗談の一つや二つくらいは気にせず口にするし、大袈裟な言葉を使うところは何度も見てきた。だからコレットも気になったのかもしれない。
リタは逡巡すると、気を落ち着かせるように息を深く吸っていた。
「……いえ、確かにオーバーな物言いはあります。ただ、何度か国が傾いたことがあるので、口にしてしまって実際そうなってしまったら困るというか……」
「へぇ? それって昔の話かい?」
ニヤニヤと楽しげなヴァイスだが、何か知っていそうな気配に彼女たちを困らせて遊んでいる気配を感じた。
「もういいだろ、リタも気にしないでくれ――」
切り上げさせようとするがリタには声が届いてないのか、俯きながら指先を弄んでいるだけだった。
「いいえ、……よくあることなんで、怖いんですよ……」
「よく、あるの? ……そんなに、聖国って不安定なの?」
「傾国の、……『魔女』がいるんです……。あの人に目を付けられたら最後、――」
頭を抱えその場でしゃがみ込んでしまった。
急なリタの反応に困り、隣に立つエリーチェに注目が集まった。
「本当に国を傾けるって訳じゃなくて、そういう嫌がらせをよくしてくる人がいて困るなぁ、って話だよ。本当に傾くときは、……カナタの機嫌が悪い時くらい?」
エリーチェの説明に、安心できる材料が見当たらない。北方天の機嫌が悪いと国が傾くというのは、なんだか物理的な話な気がする。
国が傾くレベルの嫌がらせについても、なにかしらの罪に問えそうだが。彼女の天気の話でもしているかのような物言いが大したことがない気がして、リタの反応とかなり乖離がある。両極端すぎてどちらを信じればいいのかさっぱりだった。
「なんでアイツ来ないの!? どこで油売ってんのよっ!!」
「フィフスくんのことかい? ヨアヒムにアシェンプテルに連れて来てもらうよう頼んだから、すぐに会えるさ」
足元から上がる悲鳴にも似たリタの叫び声に、コレットがびくりと身体を強張らせバランスを崩し、――いまだ座るディアスの肩にもたれかかった。
「昼にヨアヒムとガレリオくんが女王陛下に呼び止められていただろ? あの後フィフスくんも陛下に呼ばれたみたいでさ、頼んでおいたんだ。終わったら連れて来てくれるだろうし、これ以上不安になることなんてないさ」
「……お前が不安にさせたんだろ」
ウィンクをリタに飛ばしているが、いとこにも被弾しただけにかなり満足そうにしている。性格が悪い。
「そんな訳で、まだ見ぬ美を求めいざ尋常に~、勝負っ!」
エリーチェだけがヴァイスのノリに付いていっており、「おー!」と掛け声と片腕を上げて賛同していた。何が勝負なんだ。
昼にアシェンプテルに行く話は聞いていた。ヴァイスが皆を連れて行くことも、姉たちだけでなく弟も揃って行くと知らされていたが、フィフスがどうしているのか誰も分からなかったため、ずっと気掛かりだった。
この性根の悪い大人の口から伝えられたのは残念だが、あれからずっと自分の役目以外に時間が取れなかったのかと思えば仕方のないことか――。
うずくまるリタを引っ張り上げたエリーチェが、ご機嫌にスキップしながらヴァイスの後を追うように教室を後にした。
「……どうかしたのか?」
しばらく待っていたが、凭れているコレットが動く様子がない。
「怪我でも――」
俯いていて様子が分からないが、よろけた拍子に足でも痛めたのかと声を掛ければ、勢いよくいとこが起き上がり、離れた。
「な、なな、なん――、なんでもない……っ!」
顔も合わせずど言葉をつまらせながら小さく言い放つと、そのまま教室を出て走って行ってしまった。
「申し訳ございません殿下、――姫様のことはお気になさらないで下さいっ」
コレットの侍女が慌ただしく礼をすると、駆けて行った主人を追って行った。
アイベルと二人、急に取り残された教室――。この状況に思わずため息をついた。普段もこうだっただろうか。
「参りましょうか」
「……そうしよう」
席を立ち、先に出て行ったヴァイスたちの後を追う事にした。
いとこも、後で来るか分からなくなってしまった。姉たちがいるから問題は少ないと思うし、自分たちの衣装は既に用意が済んでいるので困ることは少ないはずだ。
だが、レティシアや後から来るであろう叔父に、コレットの不在をどう伝えたらいいのかを考えると、少々頭が痛くなりそうだった。
馬車で到着したのはピオニール山の手、中央の大通りに面した一角にある『アシェンプテル』。――ラウルスで最も有名な仕立屋のひとつであり、ここで数多くの職人を養成している。
ここでは過去の作品も展示していることもあり、ピオニールにある仕立屋でも特に広い敷地面積を有する。六階建ての建物が学園の中からでも見えるくらい近く、晴れた日は店の外で店内を眺めているのか、集う学生たちの姿が見えることもあった。
メインはドレスの仕立てだが、もちろん男性用の服飾も一式取り扱っている。相手と合わせたコーディネートまでするので、揃いで誂える者も多い。姉たちも気に入って使っていることもあり、良く話を聞かされ、連れて来られる場所でもあった。毎回舞踏会の相手役がコレットなこともあり、コーディネートなどはこだわりなどがある彼女やアイベルの差配に任せているだけだが。
さすがに舞踏会直前の今、アシェンプテル内は人が少なく、これから衣装を探す者などほとんどいないだろう。つい最近来たばかりの留学生たちを除けば。
他にいるとしたら急遽予定が変わった者や、直前にデザインの変更をするといったイレギュラーが生じたときくらいか。
今は既に注文を受けている分の対応に忙しいようで、以前レティシアたちに連れられて来た時よりも、案内人の数は少なかった。
一階はプレオーダーの作品が並んでいるのだが、今回案内されたのは三階のフロア。試着のための広いスペースがあり、よく姉たちがドレスを選ぶために連れて来られる場所だった。
今回の舞踏会に向け、案内人がすすめる作品を中心に、持ってきたドレスを女性陣が見ている。リタも先ほどの動揺っぷりはすでになくなり、エリーチェと目を輝かせていた。
ヴァイスがあれこれと勧めているが、姉やレティシアからも意見が出るため、見るのもそうだが選ぶのにも時間がかかりそうだった。
弟と二人、部屋の一角に備えられている待合の席で用意された茶や菓子を前に、彼女たちの様子をなんとなしに見ていた。そんな時だった。
「みんな揃っているようだな」
感心する声の方へ振り返れば、階段を上がりきった叔父と友人の姿がそこにあった。今日の授業は終わったというのにまだ学生服を着ているのは、授業に出ようとしていたのだろうか。
「今朝振りだな。……お前にはいろいろと面倒を掛けた。」
叔父はレティシアのいる皆の元へ行ったが、弟と座る席の元へと、薄暗い朝に会ったきりの『友人』がやってきた。
――――会いたかった。
掛けられた言葉からティアラのことを言っているのは分かっているが、目の前に現れたことも、真っ先に声を掛けられたことにも、なんだか驚いてしまい、あっさりとした言葉にも関わらず返事もできずにいた。
「フィフス! 昨日は夜更かししていたと聞きました。ふふっ、いつ起きたんですか?」
こちらに向けられた眼差しが僅かばかり細められたが、すぐに隣の弟に移った。
「昼過ぎだ。休みの日はこれくらいまで寝ているな。」
「今日は学校があるじゃないですか。ダメですよ、サボったりしては」
仕事で一晩中起きていたことはエミリオにも伝えていたが、ふらりと現れたフィフスに喜んでいるようだった。そうだなと弟に相槌を打っていると、今朝の出来事も、ティアラのことも何もなかったように思えた。
「フィー! 遅かったね。見て見てこれ、素敵じゃない?」
遠くからエリーチェが駆け寄るとフィフスの腕を引いて、並んでいるドレスを指差していた。
「一階でも見たがどれも動き辛そうだな。あと肩を出し過ぎじゃないか?」
「こういうデザインなの。おしゃれに不寛容なのはよろしくなくてよ」
レティシアがこちらへ来て二人の間に立った。
「女性らしい曲線が出ているところが、艶ぽくて素敵だと思わない? ちなみにあなたはどのデザインがお好きかしら。アズのも決めなくてはならないのだから協力しなさい」
「……協力? 何をすればいいんだ。」
レティシアの顔を見た後、助言をもらおうとしているのかこちらに顔を向けている。――いつも通りに見える。自分と違ってずっと憂いを引きずらず、取り繕うこともずっと上手だ。
なら、今は何もなかったかのように接するべきだろう、『友人』として――。
「――主に引き立て役として相手をエスコートすることだ。ここでは舞踏会に参加する者同士、ペアで行動することが多いから衣装を揃える者も多い」
「普段ならそうね。――だけど、今回は引き立てられるのはあなたたち二人よ」
レティシアが指でフィフスの頬をつつき、こちらを見た。
「ふたり……?」
何かを思いついたと思ってはいたのだが、従姉が楽しげに眦を下げている。
「そうよ。四家ってラウルスで言う王家と同じようなものでしょう。ある意味ディアスと同じじゃない。――蒼家の御曹司という立場ある人間が来たのだから、比べてみたら面白いと思わなくて?」
楽しげなレティシアがそのまま輪郭をなぞろうとしているが、その手を掴み放していた。
「王家……? 家督を継ぐとか、そういうことは私自身にはなにもないが。」
「当代様とやらの弟君なのでしょう? 本家筋なのであれば、家督を継ぐことはなくてもそれなりの立場があるんじゃなくて」
「いや、私はただの養子だ。直系という訳ではないし、家に貢献する者でもない。――広義的な意味では血の繋がりはあるが、年の近い者は皆兄弟であり、年長者は全て親であり師でもあると教えられる。ただそれだけの関係だ。」
告げられる話に皆が言葉を詰まらせていた。養子制度はラウルスにもあるし、子宝に恵まれない者や後継問題でも耳にする話なため決して珍しいことではない。
ただアルブレヒト家ではない。婚姻は自由にしている祖先も多いが、血の繋がらぬ子を血族に入れることはなかったし、仮にあったとしても周囲の反発で叶わないことも多かったとか。
本人の身の上を考えれば、全てその通りなのだろう。もしかしたら驚いている姉たちは、自分たちと同じと思っていたのかもしれないが、どうしてこのタイミングでこの人に伝えてしまったのだろうか――。
四家の在り方については知らなかったが、この話はヴァイスにも関わる。叔父も傍らにいる赤紫色の瞳を持つ同僚を見たが、この場で言うべき言葉を見つけられないようだった。
「他の家もそうだが、この国ほど血の濃さは重要視しないから、ある意味リタとエリーチェも兄弟と呼べるだろう。過去に玄家と婚姻した者もいたはずだからな。」
隣にいるエリーチェが自慢そうに笑っていた。
「……四家は血筋を大切にはしないの?」
「大切、という意味がどういうものを差すか分からないが、少なくともうちは素養ある者を大切にする。能力ある者を本家に引き入れ、乏しいものは分家に振り分けて育てられる。それだけだ。」
「非常に分かりやすい話だねぇ」
いつもの軽薄な言葉だが、皮肉に聞こえる。
元は同じ家の出だというのに、能力がないからこそ蒼家からないものと扱われ続けたヴァイスと、方天の力を与えられてしまい蒼家に引き取られてしまったクリス。――そのことについてどう思っているのか聞いたことはないが、快く思えるものでもないだろう。少し離れたところに立っていた姉も、ヴァイスに近付きながらどうしたものかと困惑していた。
「そうですね。――なのである意味、ヴァイス卿も私の父と呼べるでしょう。遠く離れた異国の地で多くを学び得た知識を人々に還元され、長くこの国に貢献し、貴賤なく平等に多くの学生たちのことを見ておいでだ。この街でも多く卿を慕う者たちを見て参りました。理事も本来はラウルスの貴族の中からしか選ばれないと言うのに、爵位を得るまでに至ったこと。魔力を持たないにも関わらずここまでの偉業をなされたこと。どれも崇敬に値します。」
唐突なフィフスの態度と言葉に、皆呆気に取られた。
「あはは、大げさに褒めてくれるね~。僕は運が良かっただけさ。父さんの名と陛下たちの後ろ盾があったからね」
「それもヴァイス卿が、正しく扱うことが出来たからこそのものでしょう。――名に溺れ、力に酔う者も多い中、自らを律することで誰の名も貶めることなく、ご自身のお力に変えている。『使えるものはなんでも大事に使え』と、よくフュート様も仰っています。」
家の在り方がどうであれ、大切にしたい人をただ信じているだけなのだろう。目に見える絆がなくても、ヴァイスのことを信頼しているところを何度も見ていただけに、彼を見る青色の瞳がなんだか遠く眩しく感じた。
「そんなヴァイス様に、ぜひご相談に乗って頂きたいことがありますっ!」
エリーチェの元気な声が、唐突に現れた。――いつの間にかレティシアの手をすり抜け、フィフスの側を離れてヴァイスの前に立ち片手を高く上げている。
「はいはーい、なんでしょう。このタイミングで僕に話って」
「来月、ブライダル事業のプロモーションを行う予定なんですけど、――使い終わったセットを使って、一組結婚式を執り行いたい方たちがいるんですっ」
「……もしかしてガレリオの妹君か?」
「えへへ、残念ながら違います。勝手にやったらガレリオさん怒るだろうし、そんなことは本人たちも望んでいないので。――だけどその人はこちらの国でも大事なお役目を果たされている方だし、みんなとも仲が良さそうだったから、協力してもらえたら嬉しいなって」
振り返ると、ヴァイスだけでなくこの場にいる者たちに話しかけているようだった。もしかして今朝しようとしていた話だろうか。こらえきれないようで、浮足立つエリーチェにくすりと姉が笑っていた。
「おめでたいお話しね。一体誰なのかしら」
「それは――、セーレ様とティアラ様ですっ!」
昼にも会った人物と、良く知る相手だっただけに疑問符が浮かんだ。
「あの二人の? 既に結婚してるじゃない」
レティシアが頬に手をあて考えていた。――『友人』もエリーチェの発言に驚いているようで、呆気にとられているのか小さく口が開いている。
「結婚はしてるけど、結婚式はやらなかったって聞いたんです。そうですよね、ヴァイス様?」
「良く知ってるねぇ。……ふふっ、あの時籍入れたって事後報告だけあって、誰も知らない内に結婚したんだよあの二人」
「あぁ、あったなそんなこと。……急な話に随分兄がショックを受けていたな。どうやらセーレの式に参列したかったらしい。――主役を食う勢いで祝っただろうから、ある意味正しい選択だろう」
「そうそう~。でも結婚指輪も持たないつもりだったから、見かねて四人でこっそり準備してたそうだよ」
「四人って、父さまと、――ヴァイスや叔父上たちがですか?」
ヴァイスの他人事な発言に、疑問を持った弟が尋ねていた。
「いいや。君たちの母君でもある三人の奥方だ。みんな学生時代から仲が良かったからね。セーレや義姉さんにそれとなく指のサイズを聞き出したり、どんなデザインが好きだとかつける石の種類や色だとかを聞いては、陛下と相談しながら三人で進めていたみたい。……自分たちの結婚指輪を作るときよりも時間がかかりすぎたせいで、兄さんもなんで皆から指輪を送られたのか分からなくて、困惑してたらしいよ」
ヴァイスの話が耳に入るも、ただ言葉が通り過ぎるようだった。顔も姿も遠く朧気になった人を微かに思い出してみたが、あの人が他の三人といるところが想像がつかない。
何か思い出したのか、ヴァイスが笑いを堪えきれないようで、肩を震わせていた。
「後から聞いた話だけどさ~、――陛下が兄さんに指輪を勝手に嵌めて、『これが祝儀だっ!』て言い放ってたらしいよ。集められた三人はお祝いムードで、陛下はドヤ顔と。……そんな四人に囲まれて、さぞ兄さんもいやな顔をしただろうねぇ~」
「……俺も聞いただけだが、想像するだけでも哀れすぎるな。何故うちの兄に贈られなきゃならないんだ……。まぁ、ささやかな復讐だったんだろうが」
満足そうなヴァイスと憐みながら頷いている叔父に、その時の残念なサプライズが想像できそうだった。
「人に貰ったって聞いてたけど、王様たちからだったんだ。……新しい指輪を贈るのはやめておいた方がいいかな」
「あら、いいじゃない。プレゼントはいくら贈っても悪いものではないもの」
「そんなことよりも、王の耳に入れさせないでくれよ。公務そっちのけで、なんとしてでも行くかもしれないからな」
「えぇ! ダメですか? 頼みたいことがあったんですけど……。ね、フィー」
フィフスの傍に行き、同意を求めているのかエリーチェが声を掛けている。
「なるほど、――いくら用立てればいいんだ?」
きびきびと懐から何かメモのような冊子とペンを取り出している。
「あら、フィフスって資金力で解決するタイプ? そんなすぐ小切手が出て来るなんてすごいわね」
すぐ傍で見ているレティシアが感嘆の声を上げているが、今の流れで金の用意をするのは何か違わないだろうか。思わず席を立ち傍へ行く。
「こういう手段もあるというだけだ。――ゼロはいくつ必要だ?」
「ちなみにいくつまで書けるものなの? 興味があるわ」
止らぬ気配に、ペンを取り上げることにした。
「……ちなみにこれはなんの資金のつもりなんだ。口止めか?」
「いらしてくれるなら、渡航費用が必要かと思って。」
「足代ね。私たちの分もぜひお願いしたいわ」
小切手帳も取り上げることにした。レティシアが面白がってくすくすと笑っているが、友人で遊び始めてしまう。
「……笑い事にならないだろ」
「安心しろ。私が使える資金はそこそこある。」
「やだ、僕の兄さんのために……。ありがとうフィフスくん。陛下も大いに喜んでくれることだろうねぇ」
「……喜ぶかどうかはさておき、王が行ったら全て台無しだろ。悪いことは言わないからやめておきなさい」
わざとらしく大仰に礼を言うヴァイスを無視すれば、当のフィフスはキリリと澄ました顔をしている。――どの程度を『そこそこ』と表現したのか。この人だって『そこそこ』地位のある人だ。自分が使える資金なのかもしれないが、度が過ぎそうな気配に今は預かっておくのがいいかもしれない。アイベルも理解したようで、手中のペンと冊子を預かってくれるようだった。
「ありがとうございます、殿下。この人、国費も結構自由に使える人なんで、そのまま取り上げておいて下さい」
リタの冷ややかな言葉に、取り上げて正解だったらしい。
何か言葉にする訳ではなさそうだが、不満そうにフィフスがこちらを見ていた。――ここでも素直に言うことを聞いてくれるようだ。少々強引だったことは否めないが、その顔に心をくすぐられるものがあった。
「予算も嬉しいけど、あれ借りたいんだ。水晶螺鈿、――あれなら、みんなのお祝いのメッセージをこっそり集めて、渡してあげられるでしょ?」
「いいぞ。」
返事が早い。凛々しい顔つきはずっと変わらないが、勢いある言動が喜びから来ている気がする。――昨日婚礼の話をしたときは興味が薄そうだったが、両親のことになればやはり違うらしい。
次に取り出したのは金色の懐中時計だった。――通信機として使っているところを見たものだ。鎖を外しエリーチェに手渡すと、弟がそれを見にやって来た。
「それって時計じゃないのですか?」
「精霊石を使った道具を玲器と呼ぶが、複数の機能を持つものを蒼家では水晶螺鈿と呼ぶ。――見た目も二枚貝みたいだろ。」
金色のケースに覆われた懐中時計を二枚貝と表現するのか。蓋を開けると、中は時計盤が時間を刻んでいるが、デザインのような幾何学模様と、淡く光る盤が彩っている。以前はもっと光っていたが、この文字盤にも貝が使われているようだ。――術を行使すると光る仕組みなのか。ずいぶんと便利で多機能な代物だ。
あの時は気付かなかったが、よく見ると蓋の内側に『息子へ、安寧と安息が共にあらんことを』と記されている。贈られた品のようだが、蒼家の誰かから貰ったものなのだろうか。――――『フィフス』を偽装するためだけのものとは思えないが、先ほどの話から蒼家の中でもこの人を大事にしてくれる人がいたのか。
何故息子と書かれているのか気になったが、弟の手に渡り文字も見えなくなる。
フィフスを見れば、指先ほどの小さな円筒状のなにかを取り出し、エリーチェに渡していた。
「失くすなよ。」
「うん、ありがと! これにみんなの姿とか声を記録できるの。――来てもらうのが難しくても、みんなの声をセーレ様たちに届けることが出来るんだ。いい考えでしょ?」
音を記録して残す技術はこの国にもあるが、映像を記録する媒体はもっと大きい。――魔術具でもなくはないが、起動に魔力を使う以上、聖国の者には使えないことを思えば今回は論外だろう。これだけコンパクトで、記録媒体だと分からないものは珍しかった。
「ふむふむ。それは分かったけど、別に陛下たちのメッセージは僕が撮りに行くよりも、殿下たちにお願いした方がよくないかい? さっきも妃殿下が殿下たちに帰って来てほしそうにしてたしさ」
「ヴァイス様にはモデルになって欲しいんです。セーレ様と体形同じくらいですよね? お顔立ちも似てるから、どういう衣装がいいのか考える参考にしたくて」
皆ヴァイスを見ているが、エリーチェの考えに賛同する者はほとんどここにはいないだろう。
「……顔立ちが似てても雰囲気が全然違うわ。セーレのためにもやめておいた方がいいんじゃないかしら」
「まさか、僕の身体目当てだったとは……。いいけど、こういうのは初めてなんだ――。優しくしてくれないか……」
意味深なセリフと共に身をよじっているが、はい、と返事しそうな気配に思わずフィフスの口に手を当てた。
「ふふっ、なんでもヴァイスの言うこと聞いちゃうのね。――ご両親が好きってそういうことなの? たくさんいらしゃっる感じなのかしら」
「エリーチェも、彼には助言をもらうくらいに留めておきなさい。ヴァイスをモデルにしたところで、セーレとは別人なんだ。選んだとしても印象が変わるだろうし参考にならん」
「そんなに僕と兄さんとの関係に嫉妬しなくても、僕は皆のものさっ☆」
エリーチェも双方の言葉に迷っているのを察し、叔父や姉たちが止めている。
こちらを見上げて何か言いたげにしているので塞いでいた手を退かすと、『友人』が腕の中で困惑している。
「……もしかして、仮だとしても婚姻の装いをすることは、ヴァイス卿の立場上よろしくないのか?」
「そんなことはないが、……どうかしたのか?」
叔父や姉たちの様子を見て、困った顔を見せているフィフスが深く考えていた。
「ヴァイス卿は独身だから爵位を得ているのだろう。」
「独身だから……?」
フィフスの言葉に、皆がヴァイスを見た。
「……生涯、誰とも添い遂げない誓いと共に爵位を授けられた、――僕は独身貴族っ☆ ――って、伝えてたんだっけ?」
「はい。爵位をお持ちだと教えて頂いた際、そう仰っておりました。並々ならぬ誓いなのだと、感心した記憶があります。」
伝えた話はうろ覚えなのか、茶化しているヴァイスに大真面目にフィフスが言うものだから、二人がどういう関係なのかエリーチェ以外には伝わったようだった。――リタは薄々感じていたのか、二人に呆れているようだった。
「……なに嘘を教えているんだ? そんなアホな理由で爵位を与えている訳じゃないからな?! ――待て、一体どこまで我々のことを理解しているんだ? だいたい、今そんな流れじゃなかっただろ!? まさかもう少し基礎的なことから教えた方がいいんじゃないのか……?」
「……ヴァイスがそう言ったから信じただけで、他はそうでないと思います叔父上」
動揺と混乱で揺れる叔父に、ため息混じりで伝えた。
セーレやラウルスの者たちも交流しているし、聖国を担う人物だ。ラウルスについて知識がゼロということは決してないだろう。それにこんな話、――セーレや他の者も知っていそうだが、ヴァイスのことだ。訂正するのも馬鹿らしくて、皆が放っておいたのかもしれない。
「ディアスはよく分かっているのね。――お父様もそこまで心配なさらなくていいと思うわ。この子がしっかり教えてくれることでしょう。ね?」
従姉に肩に手を置かれるが、見ているのはフィフスだった。
「ヴァイスで遊ぶのは後にして、今はあなた達の衣装を決めるのが先よ。――セーレたちの件も急ぎではないのでしょ? 面白そうだから相談には乗るけれど、まずは目の前のことから順番に決めていきましょう」
レティシアが場を取り仕切ると、姉とエリーチェの肩を抱き、リタも合わせてドレスの前へ連れて行った。ヴァイスもそちらへ行ったが、
「……フィフス、あの報告書は問題ないだろうな」
「信じるに値しないということであれば、別途確認されれば良いことです。判断はお任せします。」
「……それもそうだな。今は君の働きを信じよう。これからはきちんと君も休みを取ってくれ」
「善処します。」
夜通し仕事していたことを指しているのだろう、叔父とフィフスがそんなやり取りをしていた。
「何か、良いことでもあったのですか?」
何かを確認する言葉の割に、どこかご機嫌そうな叔父に尋ねた。
先程まで二人で座っていた席に侍従たちが二人分のカップを用意しており、彼女らの用事が済むまでしばし席で待つことにした。――適当な席に座ろうとしたら、エミリオがここに座れとフィフスに場所を示している。昨夜と同じ並び順だ。
フィフスが素直に座れば、ひとつ向こうの席で満足そうな笑みをしている弟と目が合った。嬉しい並びではあるが、エミリオがどうしてそんな顔をしたのか分からなった。
「ずいぶんとエミリオに気に入られているな。――良いこと、と言ってしまうには少々早計だがそんなところだ。彼の仕事がひと段落したんだ」
「……ひと段落って――」
「連続学徒失踪事件、あれの調査に目途が付きそうなんだ。――優秀だとは聞いていたが、まさかこんなにも早く知らせを聞けるなんて思わなかった」
「もう、お仕事は終わりなんですか……?」
明るい叔父の声とは逆に、戸惑うものがあった。エミリオも同じことを思ったのか、言葉尻から元気が消えていく。
「あくまでもひと段落で、まだ終わりじゃない。やるべきことはまだ残っているし根本的に解決しない以上、国に戻ることはしないつもりだ。」
「よかった……。もう帰ってしまうのかと思いました」
「まだまだお前たちの世話になりそうだ。――これからもよろしく頼む。」
一瞬気落ちした弟に、フィフスが優しく声を掛けている。――変わらぬ様子に忘れていたが、父たちが『友人』に掛かっている呪いを解くために助力している。すぐに帰る、ということにならず小さく安堵した。
今も隣に座っているが、弟や叔父と話す姿から現在不遇を強いられているなどと、その背から微塵も感じさせなかった。
表層に見える素直さに比べ、本心はずっと分かりにくい。
昔もそうだった。
何も言わないし態度にも出さないから、ずっと誤解していた。
クリスはそれでも平気なんだと、幼い自分は思ってた――。
◆◆◆◆◆
ベッドの上で足をばたつかせるクリスには、今の声が届いてないのか返事がなかった。心細さから隣に並べば、何かの唄を口ずさんでおり、ご機嫌そうに空を泳ぐ魚たちを見ているばかりだった。
『クリスのママとパパも明日かえってくるんだ』
横に置いたぬいぐるみを抱え、寝転んだままこちらを向いた。
『ディアスにもしょうかいしてあげるね。ママもパパも、いつもやさしいんだよ』
全身からあふれ出る幸せそうな笑顔に、クリスは自分とは違うものなんだと初めて突きつけられた――。
ずっと、同じだと思っていた。
一緒に居ても家族の話なんてしなくて心地良かったのに。
何も言わない友だちしかいなくて、クリスはひとりぼっちなのだと思っていたのに――。
『――どうして』
忘れていた言葉が口から出れば、頭の中も心の中も真っ黒に塗りつぶされていく。
『どうしてって?』
『ずっと、クリスはひとりだったじゃないか。なのに、どうして……、どうして……っ!』
ぐちゃぐちゃになる心が何かを求めるように訴えるが、なにも掴めずに『どうして』という母の声と言葉と暗い姿が心に満ちる。母の白い手がこの身を抱きつぶすかのような息苦しさと重い気持ちに、底の見えない真っ暗な水底に引き摺り込まれていくようだった。
『……どこかいたいの?』
伸ばされた手を振り払えば、渇いた音が部屋に響く。
あの場所に帰れなくても、みんなに忘れられてもここなら平気だと思ってた。
『ディアス、どうしたの……?』
クリスが自分と同じように、父も母もいない『ひとり』なんだと思ってた。
同じひとり同士なら、さびしさなんて気にならなかった。
だけどもう声も聞きたくない。
何も見たくなくて耳を塞ぎ背を向け、堅く目を閉じ全てを追い出そうと拒絶する。
なにもいらない。だれもいらない。
何もかも追い出す心に残るのは、母のあの顔と声。
『どうして』
つらそうな眼差しでも見てくれていた。
もうひとりの母と、兄と比べながらも傍に居てくれた。
責めるような言葉でも、声をかけてくれていた。
暗く寂しい場所でも、冷たく怖い場所でもどこでもいい。
母がいる場所に行きたい――。
◆◆◆◆◆
調査の仕事がひと段落するということは、今までよりも時間が出来るということだろうか。和やかに話す姿を見ながら、カップに手を伸ばした。
「ヴァイスから、多少は舞踏会についての知識があると聞いた。……あまり準備期間を用意してやれないが大丈夫か? なにやら娘たちが企んでいるみたいで少々心配だが――、君は踊れるのか?」
前に話してくれていたが、偏りのある知識と今朝のエリーチェの話から懸念はあった。
「はい。一度リタたちが聖都で舞踏会を開きまして、その時にいくつか覚えさせられました。……一年程のことなので、流石に全て覚えているとは言い難いですが。」
部屋の中央でドレスを選ぶリタを皆が見た。――フィフスが姉へとダンスを申し込むよう、けしかけていた理由の一端が分かったような気がした。
あんな形で申し込む者も確かにあるが、目の前で仕込みをされ申し込むなんて、普通ならあり得ないだろう。
こちらの常識に収まらないこの人だからこそ、姉も呆れつつ許したのだが、いつも堂々としているので妙な説得力があって困る。
「聖国にも月刊ロイヤルという広報誌が、普及していることはご存知ですか? 以前あれで舞踏会の特集が組まれたことがあって、それを見た者たちがやりたいと企画しておりました。その際にラウルスの者たちから話を聞いて、いくつかダンスを皆に教示して貰いました。」
「特集って……、デビュタントか? ――なるほど、知識が皆無という訳じゃないようで安心した」
「えぇ。ただ、有志が集まってやっただけのものですし、途中から場を楽しむ者がほとんどでしたので、正式な舞踏会とは言い難く、最後はただの祭りで終わりましたが。」
『祭り』という言葉にエミリオが目を輝かせていた。――祭事も公務で参加することはあるし、この学園でも定期的に行われるものだ。ここへ来たばかりのときは、今のエミリオのように目を輝かせたこともあった気がする。
ただ、舞踏会が祭りになるなんて、一体何をどうすればそんな結果になるのだろうか。
「まるで古き良き時代に戻ったような話だな。近年は型を決め細かなルールを設け、ドレスコードも厳格なことも多いが、元は人々が楽しく交流することがメインだ。――ここのもルールはあるが、この国の文化のひとつでもある。異文化交流をぜひ楽しんでくれ」
「ヨアヒムはいいこと言うねぇ。せっかく聖都に勤める高位の神職様と巫女様方が揃ってるんだ。君たちも舞踏を披露すればいいんじゃない?」
ふらりとやってきたヴァイスが口を挟んできた。レティシアと共にやって来たが、他の三人は試着しているようだ。手が空いたから、こちらに来たようだった。
「舞踏……、ですか?」
「そうだよ。――君たちは知ってるかい? 彼らが崇める四神は四季を司る。それぞれの季節の到来に合わせて、四家の人が中心になって神に舞を奉納するんだ。――その演舞を一部担当してるのがこのフィフスくんさ」
急に話を振られたからか、フィフスは困惑していた。――二年程前からか、聖国で長らく廃されていた祭事を復活させる動きがあり、四季折々の節目や、豊穣を祈る祭りなどが行われるそうだ。
「以前は時世を鑑みて、執り行うことを敬遠していたとか。ここにいる学生たちにとっても貴重な機会だからね、見せてあげたらいいじゃない」
「……神事なんだろ? そんな軽率に披露しては障りがあるんじゃないのか」
聖都テトラドテオスで方天が中心となって行う祭事を、『神渡天応演舞』と呼ぶ。――毎月のように聖国の人々は神に祈りを捧げ、四家や数多くの神事に携わる人々を集めて行うようなものらしい。その舞を切り抜くようなモノクロの記事と写真を目にしたことはあるが、静止したワンシーンから読み取れるものは少ない。
いったいどういうものなんだろう――。
さすがに無茶ぶりが過ぎるのか先ほどと違い考え込んでいた。
「そんなことはない。蒼家の者やミラたちが知れば、きっとやれと言うだろう。神に捧げる演舞とは言え、元は人の為のものだ。望む者があれば応えよう。」
ヴァイスに言われたからなのか、応える返事は明るく軽快だった。――隣に誰か座る温度がぶつかると、ふわりと良く知る香りが届いた。
「変わった出し物が増えて、より楽しくなりそうじゃない。――ここで貴方の衣装を一から用意するのも面白いけど、正装で参加してくれていいのよ。向こうではどのような装いなの?」
「……正装?」
レティシアが隣に腰かけたのだが、こちらに身を寄せているため距離が近い。話したいフィフスが間にいるため、仕方ない位置なのかもしれない。が、無理してここに座らなくてもと抗議の眼差しを送る。――従姉の悪戯めいた笑顔で躱されるだけだった。
「えぇ。――ほら、到着した日、リタたちは正装になっていたじゃない。貴方たちは遅れてきたからか身軽な格好だったでしょう? まだフォーマルな装いを見たことがないし、こちらに全て合わせなくてもいいと思って」
レティシアが入れたての紅茶を手にし、フィフスの言葉の続きを待つことにしていたが、深く考えているのか真面目な顔をしながらどこかにフィフスは視線を落とすだけだった。
「レティシアくんもこう言ってることだし、僕もフィフスくんの正装が見てみたいな~」
ヴァイスがわざとらしく従姉に同調すると、ぎこちなく顔を上げた。
「……使節の出立に合わせて急いで準備したのと、依頼内容しか聞いておりませんでしたので、必要最低限の準備で出立してしまいました。……まさかこのように学園で生徒たちと過ごす事になるとも、公な場に出ることも想定しておらず、……おそらく用意はないかと。」
「――ん? 留学生として迎え入れる話は聞いてなかったのか?」
「ここに来てから知りました。決まっていることであれば従うまでですし、不足があれば現地で手に入れればいいとも思っておりましたので……。」
今身につけている制服も仕立てる時間があったはずだ。唐突に決まったものではないだろうし、叔父の困惑具合からもある程度互いに話があったように見受けられるが、
「あれー? 伝えてなかったんだっけ?」
「またお前か!」
すっとぼけた目付け役のわざとらしい声に、叔父が突っ込んでいた。
◆◆◆◆◆
ふわりと温かいものが掛かり思わず目を開けたが、目に映った景色は暗い。光を探そうと身体を起こそうとすれば、背から伝わる熱に抱き着かれた。自分と同じ手の大きさと、ずっと傍にいたからそれが何かすぐに分かった。
『ごめんね。……クリスはひとりでもだいじょうぶだよ』
弱い声だった。内緒話をしたときよりも小さくて、耳に入る声は細かった。
『……こわいものなんてこないから、だいじょうぶだよ』
緩んだ腕に声のする方を見れば、静かな庭のように揺れる深い色が目の前にあった。
母の声が聞こえた気がしたが、二人を覆う暗闇のせいか隠されたからかその声も遠くなる。
耐えるような硬い呼吸をしながら、小さな笑顔を見せてくれた。ぎこちない顔に、大きく揺れる瞳が今にも溢れそうだった。
『……だから泣かないでディアス』
何を言っているのか、今にも泣きそうなのはクリスの方じゃないか――。
その瞳と言葉に、気付かないように蓋をしていたものがあふれて零れ落ちた。
『……っ、――』
ずっとさびしくてこわかった。
母の声も目も、大事にしてもらえなかったことも、置いて行かれたことも、見てもらえなかったこと全てがこわかった――。
父も、兄も、母たちも、自分のせいでいままであったものを壊してしまった。
責められるのもこわかった。
自分のせいだと言い聞かせて、寂しい気持ちも怖い気持ちも隠そうとしていた。
どうして母たちは自分たちを置いて死んでしまったのか。
本当はずっと一緒にいたかった。
暖かい言葉が、愛が欲しかった。
父や姉兄たちにも会いたい。
誰にも忘れれたくないし、ひとりはいやだ。
ひとりはいやだ――。
小さな身体にしがみつけば、寂しさが伝わってしまったのかクリスも泣いてしまった。
駆け付けたハルトが取り乱しながら布団をはがすまで、二人で声を上げて泣いていた。
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