第二王子は憂鬱~divine femto~ 学園都市ピオニール編

霜條

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76.『秋霖』に響く歌声⑪

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 薄闇と雨のヴェールが掛けられたピオニール城は、かがりに灯された魔術の炎でぼんやりと照らされている。雨雲が月を隠すからか、夜の境界がいつもより早く訪れているように感じる。
 祖母と、食卓を囲むのはいつぶりだろうか――。
 叔父はこの城とは別の場所に居を構えており、週末だけ現れる叔母とヴァイスと暮らしている。――ヴァイスはここの教師として勤めていた際、ひとりで暮らしていたらしいのだが、叔父が彼の様子を見に行った際にあまりの生活能力のなさを見かね、部屋のひとつを与えることにしたとか。よく学生たちへヴァイスが意味深に匂わせるものだから、叔父がことあるごとに訂正をしているのは有名な話だ。
 叔母も元はこの学園の生徒だったため、ヴァイスのことは昔から良く知っている。どちらかと言えば話の合う相手だからと、部屋を貸す事に異はなかったらしい。
 姉妹は寮にいるがたまに両親の顔を見に行ったり、一緒にと食事に誘われることもあったので、祖母よりも会う回数は多い。だが、ピオノールを有するフライハイト領の領主も務めているため、週末だけここに戻って来る人でもあった。
 だから今ここにいるのは叔父にいとこ姉妹、自分を含めた姉弟三人だけで、多くの客人を招いて晩餐会ばんさんかいを開ける空間と、何十人も顔を合わせて座れる長い机がぽつんと置かれた広間にいるには、心許ない人数だった。
「お待ちしておりました」
 ここで待機していた侍女や執事たちに案内される。
 高い天井に吊るされた大きなシャンデリアのひとつに明かりがついているが、部屋の全てに明かりをつけている訳ではない。薄い明るさだ。――宴を開く訳ではないので適切な照度と言えなくもないが、雨音だけが響くだけの部屋では重苦しい雰囲気だと言わざるを得ないだろう。大窓を隠す長い暗色のカーテンのせいか、空間に余白はまだあるのに圧迫感があった。
 この城の主の座るべき席は空いているが、飾り皿とカトラリーにグラスが綺麗に並べられている。その両隣を叔父たちと別れて座れば、リネンの上に飾られる花と燭台が、この場を華やかにしようと努めているのが目に入る。
「本当は義姉君あねぎみたちがいる間にご一緒出来たら良かったんだが……、ここで食事するのも久し振りか」
 自分たちの前にも同じように食器が用意されており、着席と共にグラスに飲み物が注がれた。ほのかに甘い香りのする透き通った薄い黄緑色をしており、注がれる泡の勢いと広がるハーブの香りから炭酸水のように見受けられた。
 この辺りで湧く水のうち、飲用水として利用しているものでガスを含んでいるものがある。元から含まれているのだが、あまり強くない刺激にこの城では入浴に使われている。――姉たちがそんな話を以前しており、それ目当てで姉妹三人組は祖母のいない時を狙ってこの城に来ている。
 グラスの中でただの液体となったこれに、どれほどの違いがあるのか知らないが、美容にいいのだと力説しているのできっとそうなのだろう。祖母が長期不在にするにしても、侵入するなどと考えたこともないし付き合いきれなくて、兄と彼女らを見送ったこともあった。
 そしてこれは、祖母が来るまでの食前酒代わりの飲み物だろう。口にしていいのかと迷う弟に、叔父が手本を見せるかのようにグラスを口にしていた。
「半年振りかしらね……。ねぇ、大事なお話しってなにかしら。楽しいお話し?」
 兄がいた頃の話なので、深く触れたくなかったのだろう。レティシアがグラスを手にしながら、隣に座る叔父に話題を振っていた。
「……残念ながら内容的にはあまり楽しいものではないが、――連続学徒失踪事件の調査が大分進んだ。解決までにまだ時間はかかりそうだが、この調子ならすぐにカタがつくかもしれん」
 重い口調から軽やかになる言葉に、手にしたグラスが祝杯にも見えた。――アシェンプテルにいる時にも似たようなことを言っていたが、ほとんどの時間を共にいたというのに、いつの間に調査をしていたのだろうか。昨夜帰らなかったらしいが、夜明けまでいなかっただけの時間で調べ尽くしたというのだろうか。
「本当に優秀なのね」
「あぁ、ただすぐに動けなくてな……。解決のために準備や、やらなければいけないこともまだ多い。……同じような事件が今後起きないとも限らないから気は抜けないが、良いきざしであることは間違いないだろう」
 叔父たちにはやってもらわねばならないことがあると先日言ってたが、このことだろうか。姉も似たようなことを思ったのか、感嘆の声と共に目が合った。
「どうやって調査されたの? お父さまもお手上げだったのでしょ?」
「精霊を使ってと、だけ聞いた。――彼らの生業なりわいでもあるから多くは明かせないようだが、精霊術というものがこうも多機能だとは知らなかったな。……事件から時間が経っているというのに、まるで全て見て来たかのような報告内容でな」
 どのように叔父が普段捜査しているか分からないが、魔術を使ったものであれば何かしら痕跡が残るため調べることは比較的簡単だ。それ以外の痕跡や足取りとなると、地道なものになるようで、石畳が敷かれたこの街では足跡を調べるのは根気と時間の要する話だ。
 時をさかのぼり過去を調べるのであれば、時空神の叡智を借りるべきだろうが、の神はそのたなどころを容易く開いてはくれない。時が経てば経つほど、物事を調べることは地道さと根気強さが求められる。
「やはり神の代行者を擁する一族なだけあるのかもしれないな。神の啓示でも見えているのか、それとも精霊がそんなに万能なのか気になるところだ」
「実際に見たんだろう。――精霊は記憶するらしいからな」
 敷かれた絨毯でこちらに近付く音が聞こえなかったが、この城の主がやって来た。
「そのままで良い。――どの程度記憶しているのか知らないが、蒼家ではそれが出来るのはあの小童だけだと聞く」
 昼に会った時とは違うイブニングドレスに身を包み、白い双角が良く見えるよう編まれた黒髪に細かな装飾品がついている。華美でない様子に、内々の集まりであることを示している。
 皆が座り直せば、場が仕切り直された。
 ゾフィに椅子を引かれ席に着くと、皆の前にあった飾り皿が取り除かれ、新たな飲み物が新しいグラスに注がれる。
「それに、本腰を入れるのはこれからだ。ただの知らせに浮かれている場合ではない」
 祖母と叔父は白ワインだろうか。姉弟たちのグラスには、それぞれ色が違う飲み物が注がれた。ただ、祖母は皆で乾杯する気はないようで、静かにグラスに口を付けていた。
「今宵集まってもらったのは他でもない。お前たちに大事な話があるからだ。――今夜ここでする話は、決して他言するなよ」
 今度は果実のソーダのようだ。色付きの透明な液体が、グラスの向こうにあるものを上下に反転させるが、中身が冷たいようでゆっくりと景色が曇っていく。
「ディアス、お前を襲った暴徒がいただろう? 覚えているか」
「――、覚えております」
 急に話を振られ、慌てて祖母を見た。その件でなにも思いつくこともなく、『友人』がかばってくれたことからもう終わったことだと思っていた。
 わざわざ名を呼ばれ、鋭い眼差しを向けられなければならないことが他にもあっただろうか――。今ぼんやりしていたことをとがめられるのかと身構えた。
「そいつらは三日前に死んだ。近衛の宿舎で捕らえていたが、敵の侵入をやすやすと許し、何の情報も得られず失った」
 端的に伝えられた言葉に、何の話かと向かいに座る姉妹を見るが、きっと同じような顔をしているのではないだろうか。姉も言葉なくこちらを気遣うように見上げているが、どうすればいいのか分からなくてなんだか息が詰まってくる。――亡くなった?
 顔も名も知らない相手だが、自分に関わったことで誰かに不幸があった。嫌な思い出と共に、身体の温度が下がるようだった。
「我らのいるこの地で、そのような不届きを許すことになってしまったのはあるまじきことだ。――そうだろう、ヨアヒム」
「えぇ、その通りです」
 先程の高揚はなくなり、落ち着き払う声になった叔父が祖母に同意している。
 料理が運ばれてくるが、とても食事をする気になんてなれない。
 だが祖母が手を付けているというのに、料理に手をつけないのもよろしくないと思い、なんとか冷たいカトラリーだけは手にしてみた。重みのある銀に触れた指先から伝わる温度が、心を重くしていくようだった。
「安心しろ、――犯人の目星はついている。何のためにやっているのかもおおよそ分かっていることだ」
「一体何があったの? ……どうして弟が狙われた上に、そんなことに……」
「世界を更新する者、通称『Aviciアビ』。その名を覚えているか? 何度か話したことがあるだろう。そやつらがどうやらここに忍び込んでいる」
 後ろに控えているゾフィが一冊の本を、表紙が皆に良く見えるよう手にしていた。
「先日報告があり、訪ねた際にいくつか見つけたものです。これは聖国では禁書と呼ばれ、見つけ次第摘発されねばならいもの。――それがこの街にありました」
「奴らは何も知らない連中に入れ知恵をし、仲間に引き入れていく。――そのやり方はまちまちだが、ひとつがこれだ。本を使い読んだ者を洗脳する。少なくともこれがここに在る以上、敵がこの街にいるということだ。……そしてそやつらが、ふらついているお前を狙った、と言う話しだ」
 冷たく威圧的な目がじっとこちらに向けられるが、やり切れない後悔から重くなったこうべと共に視線を落とした。
「……申し訳ありませんでした」
「陛下、――殿下をお誘いしたのは私です。もし罰するのであれば――、」
「今更謝っても罰しても、過去も事実も何も変わらん。ここに居る全員、今後は身の振る舞いには気を付けろ。我らに仇なし、この国を揺さぶろうとしている連中がすぐ傍にいるんだ。ゆめゆめ警戒を怠るなよ」
 部屋の端で待機していたアイベルの声が届き顔を上げたが、閉じられた祖母のまぶたの前ではなにも受け入れて貰えない。
 空になった祖母のグラスに新たなワインが注がれ、それを手にこちらにもう一度鋭い目を向けていた。
「学徒連続失踪事件も、そやつらが関わっていることが分かった。――今来ている青龍商会の連中は、アビの手口に詳しい。……幾度も奴らが生む悪の芽を摘んでいるからな。今は出遅れてはいるが、こちらに情報と戦力がある以上、この地を荒らす愚か者共に、これ以上の自由を与えるつもりはない」
 力強い祖母の言葉に、今朝の言葉が思い出される。
 ティアラが言っていた、問題があれば真っ先にクリスが前線に出ると――。彼らを何度も取り締まっているとも言っていたが、ここでもその役割を任されるのだろうか。
 『友人』に呪いを与えたという相手に、またあの人自身が対峙たいじするのかと祖母を見た。――父が協力しているとエリーチェは言っていたが、祖母は十全でない『友人』を危険な相手の前に差し出すつもりなのか。
「昨日の決闘で小童の力量は分かっただろ? あれが学園にいる内は不穏の芽を見つけ次第、早急さっきゅうに刈り取りに行くだろう。お前たちは何か異変を見つけたら、必ず私の元へ報告しに来い」
 着飾る料理の端を小さく切り取り口にしても、まるで味がしない。砂を噛むような気分の悪さだ。
 手にしたナイフとフォークを揃えて置いた。
「……陛下、彼の仕事は調査や警備の確認が中心ではないのですか? 戦力に加えるのは、何か違うのではないでしょうか……」
 叔父も何も言わないことから、これは既に決まっている話だ。疑問を口にしてみたが、祖母がどう思っているのか最後までその顔を見ることは出来なかった。
「ただ調査しに来るだけであれば、蒼家がわざわざあの二人をこちらに寄越しなどしない。今現在使える最大戦力を借り受けているんだ。――つまり、ここまで想定しての人員だ」
「最大戦力――? そこまでの人員なんですか?」
 祖母の説明と叔父の疑問がぶつかっていた。代わりの料理が置かれるが、本来は食欲を引き立てるであろう香りも、今は胸中を煩わせるものでしかなかった。
「そうだ。明日――、聖国から東方天が休暇を取っているという知らせが出るだろう」
 初日に会った時に言っていた件だろうか。急に変わる話題と内容に戸惑いつつ、祖母が何を言わんとするのか皆が注目している。
「聖都の就業環境改善案の施策のひとつと知らせがなされるだろうが、実際は違う。――表に出られない状況が続くため、民の不安を払拭させるためになされる、ただの話題作りだ」
 淡々と告げる言葉から、ここにいる『友人』の本当の状況が、明らかにされる期待と緊張で喉が締まるようだった。
「二週間程前、聖都で襲撃があったのはお前達も知っているな。……あれはアビが聖都を襲撃し、ニ百余名の民と方天のひとりを呪った。聖国は今、こちらに構う余裕などないが、予定通り締結式を行うべく人を寄越している。――つまり、敵がここに居る以上、ここの防衛の任を請け負うため奴らは来ている」
 当初されていたヴァイスの説明からそこまで読み取れなかったが、多くの兵士と『友人』が来ているという実態を見れば考える余地はあったかもしれない。
 広範囲の異常を察知できる能力に、戦闘能力、調査能力にも優れていると言う事であれば、どういう人間がここに来ているのか、姉弟たちも理解したようだった。
「そんな事になっていたんですか……? ――セーレは何も言ってなかったですが」
「でなければ王の補佐など務まるか。私情がどうあれ冷静に物事を判じ、無情に振る舞えるだけの度量がなければ、10年も王の傍になど置かせてない」
 セーレのそういうところが、『友人』と同じだと感傷に浸らせる。
 初めて会った夜、聖都は無事だと口にしていたが、二百もの民と己が身に受けた事態を何ひとつ悟らせなかった。――だが、エリーチェもクリスは大丈夫だと、強く信頼を寄せていたことを思い出す。
「ヴァイスから表向き警備のチェックなどと言われていただろうが、今後も敵にそう思わせておくためにも小童共は自由に遊ばせておけ。学生にしてこの街をうろつかせておけば、大事があれば真っ先に動く。……そのためにここで自由に振る舞わせているんだ、その分の働きはしかとしてもらうつもりだ。――分かったか?」
「呪いって、――どういうものなの? 大事はない、って事なのかしら……」
 姉が両手の動きを止め祖母に尋ねるが、不安げな目が一瞬こちらに向けられた。
「呪いを受けた者たちの多くは昏睡状態らしい。目は覚まさないが、精神的苦痛を与えられ、徐々に衰弱していると言う話だ。――既にアビが使う邪術に対し、聖国ではいくつか対応策を所持しているそうだが、此度のは数も多く解明に時間が掛かっていると聞いている」
 時間があれば解決できる問題なのか――。今朝のティアラの様子が気にならない訳ではないが、ガレリオたちも誰も不安を抱えているように見えなかった。
 それに当の本人とも、また会う約束を交わしている――。アシェンプテルでの出来事を思い出せば、来月のエリーチェの計画を楽しみにしているのは間違いないだろう。
 聖国の苦難も締結式もどちらも無事終わらせ、来月の予定を立てているのなら、立ちはだかる何もかもを乗り切るつもりなのだろう。
『私のことくらいは信じろ。――このをどこの誰だと思っている?』
 自信に満ちたあの人の言葉が耳の奥で響く。
『この私が味方についているんだぞ? ――それはお前の自信にはならないのか』 
 確かな言葉に、凛とした青い瞳がきっと皆に伝わっているのだろう。
 かせがあろうとも物ともしなかった勝負も、制限のある今の現状も全て乗り越えて、あの人が慕うハインハルトが成した和平を守ろうとしているのかもしれない。
 冷え切る指先に温度が戻って来た。大丈夫だと、あの人がここに居ることで、弱る背を押してくれている。安心を分け与えてくれるようなあの人の温度を思い出せば、喉を締める息苦しい空気が和らいできた。
 次の料理の支度が周りに供給されれば、手を付けずに目の前の皿を下げてもらう。小さなガラスの器に入れられたひと口程の氷菓子ソルベが代わりに置かれた。
 淡い白に甘さと酸味のあるそれが、口の中の温度ですぐに溶けていく。胸の中に湧いた不快感と暗澹あんたんとした思いを消してくれるようであった。
「……だからティアラもこちらに来ていたのね。じゃあお昼の騒ぎはなんだったの? お父さまだって、さすがに向こうの状況はご存知なんでしょう?」
「あの若造の悪知恵だ。自らが仕える方天が健在であること、こちらに来れないことを伝えるためだけの芝居だ。――バカをしていいとまでは言ってないが、何をしようがアレはこちらの言うことを聞かない。手が出せないことを知っているからだろう」
「……母上が好きにしていいと言ったからじゃないですか。あそこまで悪びれない人は初めて見ましたよ……」
 叔父がこめかみを押さえ、呆れ果てていた。
「くくくっ……、だがその分、面白い話を持って来ただろ」
「えぇ……? あれのどこに面白さがあると言うんですか……。母上も半分ほど、納得されているようには見受けられませんでしたけど」
 並ぶグラスの内、深さのあるグラスに赤ワインが注がれ、二人がそれを手にしているが困惑気味の叔父と、楽しげに喉の奥で笑う祖母が顔を見合わせ話している。――温度感の変わる二人のやり取りに、姉弟たちもこの空気にどう迎合すればよいのかと互いに目を合わせるばかりだった。
 空になった冷たい器の代わりに置かれたのは高さのある肉料理ビアンドで、温められた皿からも伝わる温度が熱すぎるように感じた。
「アイディアは面白いが、全てを肯定出来るわけでもない。――だが、残念ながら今取れる手段の内最も効率が良く、反省することも出来ない小物を足蹴にするには丁度よい話だと思わないか?」
「あまり私は賛成できませんが……、陛下・・がお認めになられたなら、これ以上口を挟む気はありません」
 胡乱うろんな目でご機嫌な祖母を見やり、叔父は深くため息をついている。赤いグラスを傾け、祖母の顔が姉弟たちに向けられる。
「聖国から警備に詳しいものが来ている今、締結式に向け、学生の中から新たな警備組織を立ち上げることにした」
 酔いが入っているのか、あまり目にしたことがないが、祖母の鋭い眼差しが細く歪んだ。
 学生主導の警備組織と言えば、クライゼル警邏隊けいらたいがこの街にある。
「新たにということは警邏隊とは別、ということかしら? 学園が忙しくなりそうね」
「人員の選出はこれからだが、この組織の長をディアス――、ひとまずお前に任せたい」
「あら、それは大躍進ね。名誉挽回の機会を与えるということかしら」
 急に名指しされたことに戸惑っていると、レティシアの面白がる相槌が正面から届く。
「そんな大層なものじゃないから気負うことはない。いずれ長は別の者にやらせるつもりの仮初かりそめだ。――このやり方は好かんが、人を集めるために王位継承権を持つ三人の中から選ぶならお前の名を使いたいと、私が思って決めたことだ」
「……ガレリオの案で、手っ取り早く人を集めるにはと提言されたんだ。実際に組織を運営してもらう者はこれから見繕うつもりだし、その先の事なども細かいことは気にしなくていい」
 昨日に引き続き、またここでも名を使いたいと言われるとは思わなかったが、――――仮初の立場というのがなんだか今の『友人』と同じだ――。そんな偶然が少しだけ心を軽くした。
「承知致しました。――私でよければそのお話し、お引き受けいたします」
 心配する叔父や姉弟たちの視線が伝わるが、話の内容から気遣いも伝わってきた。
 中身のない役割なら、一番適しているのは自分だろう。
 祖母はじっと変わらぬ態度でこちらを見ているが、叔父は空っぽな役目を与えたことを気にしているのか、下がる眉に憐みが混じっているようにも見受けられた。
「――では、頼んだぞ。これから多くの学生がお前の元に訪れるかもしれないが、皆受け入れてやれ。……小童もこの件は知っているし、良い機会だ。あれがどう人を集めているか近くで学ぶがいい」
 残りわずかとなっていた赤色のグラスを煽った祖母が、そう付け足した。あの人が一緒であれば、なおの事心強い。
「それとは別に、――この学園の関係者で、誰か指導者に向いているものに心当たりがないか」
 珍しく意見を求められた。先ほど、『友人』がレティシアをかわすための方便だと思っていた件だ。――――同じ事を思っていたのか、正面に座る従姉あねと目が合った。
「――――それならフィフスにやってもらえばいいじゃない」
 一番肝が据わり、祖母の感性に最も近いのは六人の姉弟の中でこの従姉だと思っている。祖母の長期の不在に浴室を借りる算段をつけ、最初に言い出したのもこの人だった。
 今も祖母の思惑と全然違う人物の名を挙げたことについて、半ば呆れた空気がこの場にあふれた。
「馬鹿を言うな。あれは契約の間いるだけの異邦人だ」
「お姉ちゃんってば……、適当なことを言わないで」
「そうよ、期限付きの人がこの先もここに居るのは難しいのではないの」
「ならこのまま本当に学生になって貰えばいいじゃない。ディアスもエミリオもその方が嬉しいでしょ?」
 呆れ口調の姉やいとこに構わず、この場に巻き込もうとしているのか、名指しと共にご機嫌そうな笑みを向けて来る。
「……頼むからそういうことは気安く言わないでくれるか? 仕事が終わってもまだ彼を引き留めるとなると、莫大な指名料が掛かるんだ」
「どう考えても個人が支払える額じゃない。――あの小僧、いつかこうなることを見越していたのか、馬鹿みたいな額にしおって」
 引いてる叔父と不機嫌になる祖母の声に、ゾフィが二人のグラスにワインを注いだ。
「あの方の実力を思えば適切かと思いますが」
「馬鹿言え。あれを一日でも無駄に置いておけば、すぐに国が傾くわ。――今は向こうの指示で人選がなされているから人件費ははないが、こちらから人を選べば一日で兆は飛ぶ。本来は誰にも貸す気はないのだろう」
 立場を考えればゾフィの言う通りだろうが、その実を知らなければ国家予算レベルの話に姉弟たちのように呆気にとられるしかなかっただろう。
「だから今がチャンスだ。――存分にあの小童どもをこき使ってやれよ。契約期間中はなんでもしてくれるからな」
「まぁ……、おばあ様もリタみたいなことを言うのね」
 レティシアの小さな独り言は誰にも拾われず、周囲のあの人に対する扱いに小さく呆れるばかりだった。

「帰らないのか?」
「えぇ、気晴らしにちやほやされに行こうと思って。同じところに行くのだから、一緒に向かってもいいでしょ?」
「僕たちは部屋へ帰るところですよ、レティシア?」
 祖母からも振る舞いには気をつけろと言われたばかりだというのに、なぜかレティシアはここにいる。渡り廊下を進めば目的地はすぐそこだ。――弟と帰る予定の男子寮は、祖母のいるピオニール城から近い。
 姉といとこは馬車に乗り、先に寮へと戻って行ったが、二人はレティシアの予定を知っていたのか乗せることなくここを後にした。
「知っているわ、エミリオ。私の恋人がこちらにもいるのだから、一緒に向かってもいいでしょう?」
「……もしかして、よく来ているんですか?」
「まさか。私はそんなことしないわ。――ここ数日、こちらで何か楽しいことがあったみたいだから、伯母様の真似をしてみようとも思ったの」
 何を期待しているのか、寂しい雨音が響く冷えた暗闇の中でするには、いささか華やかすぎる笑顔をこちらに向けていた。
「舞踏会についてみんなに知らせたいこともあるのだし、楽しいことが今夜もあるかもしれないと思ったら、良い気晴らしになりそうじゃない」
 唐突な母の来訪を真似するなんてと呆れるが、侍従たちもレティシアに何を言っても無駄だと分かっている。心配そうな表情を浮かべるばかりで、彼女の気が澄むまで見守るしかないのかと腹を決めているようにも見えた。
「私のことよりディアス――、あなたは大丈夫なの?」
「兄さま……、あまりお食事が進んでいらっしゃいませんでしたね」
 もしかして、心配してここにいるのだろうか――。穏やかな笑みを浮かべこちらの顔を覗き込む従姉あねと、不安げな弟が手を繋いできた。
「……少し気が滅入っていたけれど、いまは平気だ」
「そう? 事件のこともそうだけど、……遠くのお友だちのこと、心配でしょ?」
 もし、あの話だけ聞いていたら、もっと打ちのめされていたかもしれない。何も出来ない無力さに酔うように。
「ここで気を揉んでいてもなるようにしかならないし、あの人ならきっと大丈夫だと信じている。――俺でも出来ることがあるなら、今は目の前のことをやってみようと思ったんだ」
 重い責務という訳ではないが、自分にも務まるものであればなんだっていい。すぐ傍に、その『友人』がいてくれるのだから、心細さも今はなかった。
「……もっと、落ち込んでいるかと思ったわ。杞憂きゆうだったようね」
「気にかけてくれて、レティシアもエミリオもありがとう」
 手を繋ぐ末弟にも礼を伝えれば、にこりと大きな笑顔を見せてくれた。
 ふと、どこからともなく弦楽の音色が届いた。
「あら、こんな時間から……、陽気なことね。もしかしていつもこうなの?」
 どうやら塀で仕切られた寮から音楽が奏でられているようだ。
 平素、こんな時間に楽器を演奏することもそうだが、騒がしくしている者はいない。週末や明るい時間であれば、部屋にいるときに聞こえることもあった。
 ただ自分たちが側を通れば奏でるのをやめるため、もしかしたら不在だからこそ誰かが演奏しているのかもしれない。
「しかもワルツね。誰か練習でもしているのかしら」
「……こんな時期に?」
「寮の中でですか?」
 練習するにしても授業で習うし、ここにいる者たちにとって当然のたしなみとして誰もが習得済みだ。パートナーと会える夕方くらいまでに、練習する者もいるだろうが――。
 約一名、これから会う約束をしており、ダンスを習ったもののあまり覚えてないと言っていた人物が思い浮かんだ。
「フィフスがみんなに教えてもらっているのでしょうか?」
「昨日の今日で、もうそんなに打ち解けているの?」
 ――――あり得る。昨夜もコルネウスたちが気を許していたのを見ただけに、ここで教えてもらっている可能性は十分ある。
 誰におもねることなく、気さくな人だ。気安く頼む姿も想像がついた。
「今夜も楽しいことになりそう。こちらに遊びにきて正解ね」
 上機嫌になるレティシアを置いて、くすぶる気持ちが足を急がせた。
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"『第18回ファンタジー小説大賞【奨励賞】受賞!』" ブラック企業勤めのサラリーマン、橘隆也(たちばな・りゅうや)、28歳。 社畜生活に疲れ果て、ある日ついに階段から足を滑らせてあっさりゲームオーバー…… ……と思いきや、目覚めたらなんと、伝説の存在・“真祖竜”として異世界に転生していた!? ところがその竜社会、価値観がヤバすぎた。 「努力は未熟の証、夢は竜の尊厳を損なう」 「強者たるもの怠惰であれ」がスローガンの“七大怠惰戒律”を掲げる、まさかのぐうたら最強種族! 「何それ意味わかんない。強く生まれたからこそ、努力してもっと強くなるのが楽しいんじゃん。」 かくして、生まれながらにして世界最強クラスのポテンシャルを持つ幼竜・アルドラクスは、 竜社会の常識をぶっちぎりで踏み倒し、独学で魔法と技術を学び、人間の姿へと変身。 「世界を見たい。自分の力がどこまで通じるか、試してみたい——」 人間のふりをして旅に出た彼は、貴族の令嬢や竜の少女、巨大な犬といった仲間たちと出会い、 やがて“魔王”と呼ばれる世界級の脅威や、世界の秘密に巻き込まれていくことになる。 ——これは、“怠惰が美徳”な最強種族に生まれてしまった元社畜が、 「自分らしく、全力で生きる」ことを選んだ物語。 世界を知り、仲間と出会い、規格外の強さで冒険と成長を繰り広げる、 最強幼竜の“成り上がり×異端×ほのぼの冒険ファンタジー”開幕! ※小説家になろう様にも掲載しています。

ブラック国家を制裁する方法は、性癖全開のハーレムを作ることでした。

タカハシヨウ
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ヴァン・スナキアはたった一人で世界を圧倒できる強さを誇り、母国ウィルクトリアを守る使命を背負っていた。 しかし国民たちはヴァンの威を借りて他国から財産を搾取し、その金でろくに働かずに暮らしている害悪ばかり。さらにはその歪んだ体制を維持するためにヴァンの魔力を受け継ぐ後継を求め、ヴァンに一夫多妻制まで用意する始末。 ヴァンは国を叩き直すため、あえてヴァンとは子どもを作れない異種族とばかり八人と結婚した。もし後継が生まれなければウィルクトリアは世界中から報復を受けて滅亡するだろう。生き残りたければ心を入れ替えてまともな国になるしかない。 激しく抵抗する国民を圧倒的な力でギャフンと言わせながら、ヴァンは愛する妻たちと甘々イチャイチャ暮らしていく。

転生したら領主の息子だったので快適な暮らしのために知識チートを実践しました

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ファンタジー
不摂生が祟ったのか浴槽で溺死したブラック企業務めの社畜は、ステップド騎士家の長男エルに転生する。 不便な異世界で生活環境を改善するためにエルは知恵を絞る。 14万文字執筆済み。2025年8月25日~9月30日まで毎日7:10、12:10の一日二回更新。

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