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第3章 皇女と若き狼
第12話 儀礼
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どうせ、世界は欺瞞に満ちている。醜悪なまま変わらない。誰かを気にかけるだけ無駄だ。大事なのはソフィアやクロエたち、家族と認める人間だけ。リリーにとって、家族以外はすべて有象無象だった。それなのに……目の前で剣をささげる青年は確かな存在感を放ち、リリーは強烈に興味をひかれた。
──この男がレイン・ウォルフ・キースリング……。
リリーはざわめく心を鎮めるように視線を上げる。遠くを見渡すと、歩兵、騎兵、そして軍船までもが整然と隊列を組み、無数の軍旗が砂漠を埋め尽くしていた。
──まるで、レインは神聖グランヒルド帝国の総司令官ね。
リリーは視線を戻した。レインを見ていると世界のすべてが跪いているかのように錯覚する。本来であればレインの剣に手を置き、「拝謁を許す。面を上げなさい」と言えばよいだけだが、素直にそうすることができない。いつの間にか、リリーはレインや軍勢の威容に圧倒されていた。
──このわたしが怖気づいてる……ありえないわ。わたしはレインよりも上位者、高貴な存在。だから、こうやって見下ろしているの。上位者は常にすべてを見下ろしているものよ。恐れてなどいない。
リリーはレインに対する胸の高鳴りが、恐怖からくるものだと勘違いした。レインへの興味も、『レインを警戒している』のだと自分へ言い聞かせる。自分の立場を確認するように、レインへかける言葉は威圧的で問い質すものになった。
「レイン・ウォルフ・キースリング。一つ尋ねる」
「は、はい。なんなりと」
リリーが問いかけるとレインはさらに深く頭を下げる。リリーはそんなレインを見下ろしたまま続けた。
「そなたは帝国最高の儀礼でわたしを出迎えるが……もしガイウス大帝が行幸なさったおりには、いかにして出迎えるつもりか? 帝国にはこれ以上の敬意を示す儀礼はないと心得ますが……」
「そ、それは……」
レインは地に膝をつけることで無抵抗を表し、剣をささげることで『生殺与奪をリリーに委ねる』ということを表現していた。
レインはすでに最高儀礼をとっている。『リリーの上位者である皇帝が来た場合にはどうするか?』という質問には答えようがない。リリーはそれをわかっていながら、あえて尋ねた。案の定、レインは答えに窮している。
──見苦しい言い訳を並べるなら、このまま放っておこうかしら……。
そう思った瞬間、レインの声が聞こえた。
「か、考えておりませんでした……」
「……」
リリーは眉を上げて意外そうな顔つきになった。レインの声は微かに震えているが、正直であろうとする純粋な気持ちが伝わってくる。その気持ちがリリーの緊張を解きほぐした。
──レインも緊張しているのね。
リリーよりも緊張しているレインを見ていると、なんだか滑稽に思えてくる。意地悪な質問をした自分が恥ずかしくなった。
「レインは正直な人なのですね、ふふふ……」
リリーは口元に笑みを湛えてレインへ語りかけた。
「ごめんなさい。あなたの出迎えがあまりにも立派で圧倒されてしまいました。なんだか悔しくて……少しからかってみたくなったのです」
「……」
「許してくださいますか?」
「も、もちろんでございます!!」
レインの必死な態度を見ていると『可愛い』とさえ思えてくる。リリーは『レインの顔を早く見たい』という欲求に駆られた。ささげられた剣に右手を置き、威儀を正して声をかける。
「出迎え、大義である。わたしはリリー・ルキウス・グランヒルド・フレイヤ。先帝ルキウスの次女にして、神聖グランヒルド帝国における皇位継承権第五位の皇女。レイン・ウォルフ・キースリング、面を上げなさい」
「はい……」
拝謁を許すとレインは恐る恐る顔を上げる。レインの眼差しはとても優しげで、目元は声と同様に涼やかだった。黒い瞳と視線が合うとリリーはどきりと心臓が痛いほど高鳴るのを感じた。
──レイン・ウォルフ・キースリング……。
見入っていたリリーはレインの額に縫い合わされた傷跡を見つけた。とたんに、リリーは切ない気持ちになり、思わずレインの傷跡へ指先を伸ばす。大切なものを決して傷つけないように、細心の注意を払いながら指先にレインの肌と体温を感じた。
「痛々しい傷ですね……」
「……」
初めて触れるレインの感触はわずかに熱っぽく、リリーが傷跡に触れても顔色を変えなかった。
「わたしの伴侶となる方に刃を向けるとは、なんて不遜な……いずれ、報いを受けさせます」
「……」
リリーが告げるとレインは眉根をよせて表情を曇らせた。恥じ入るように伏し目がちになる。
「リリー殿下、恥は自分で雪ぎます。どうか僕の失態をお許しください」
「失態だなんて思っておりません……さあ、立って」
リリーは励ますように言ってレインの手を取り、立ち上がらせる。レインは思ったよりも背が高かった。軽装甲冑の合間から覗く筋肉はよく鍛え上げられているが、蛮勇を誇るような野卑な男には見えない。一見すると細身の優男だった。
もし、甲冑ではなくゆったりとした服装に身を包んで帝都を歩けば、きっと音楽家か文学者に間違われるだろう……そんな感想を抱きながらリリーは親しげに声をかける。
「レイン・ウォルフ・キースリング、堅苦しいのはここまでにしましょう。わたしはあなたの妻となるために来ました。気兼ねなくリリーと呼んでください」
「!?」
妻という単語を自分で使っておきながら、リリーは気恥ずかしさで胸の奥が熱くなるのを感じた。ただ、そんな心情を悟られないように微笑みながら続ける。
「わたしも、親しみをこめてレインと呼びますから。さあレイン、ウルド砂漠を案内してくださらない? 白い砂の砂漠だなんて、素敵だわ……」
リリーは思いきってレインの左腕に両手を絡めた。笑顔を絶やさず、適度に触れる……今までの男たちはたったそれだけのことでリリーに夢中となった。レインも例外ではなく、目を大きく見開き、戸惑いを隠せないといった表情でこちらを見下ろしている。
──世界を変えるためにはあなたの犠牲が必要なの。
リリーは自分の魅力に絶対的な自信を持っている。高ぶる気持ちを抑えるように自分へ言い聞かせた。
──この男がレイン・ウォルフ・キースリング……。
リリーはざわめく心を鎮めるように視線を上げる。遠くを見渡すと、歩兵、騎兵、そして軍船までもが整然と隊列を組み、無数の軍旗が砂漠を埋め尽くしていた。
──まるで、レインは神聖グランヒルド帝国の総司令官ね。
リリーは視線を戻した。レインを見ていると世界のすべてが跪いているかのように錯覚する。本来であればレインの剣に手を置き、「拝謁を許す。面を上げなさい」と言えばよいだけだが、素直にそうすることができない。いつの間にか、リリーはレインや軍勢の威容に圧倒されていた。
──このわたしが怖気づいてる……ありえないわ。わたしはレインよりも上位者、高貴な存在。だから、こうやって見下ろしているの。上位者は常にすべてを見下ろしているものよ。恐れてなどいない。
リリーはレインに対する胸の高鳴りが、恐怖からくるものだと勘違いした。レインへの興味も、『レインを警戒している』のだと自分へ言い聞かせる。自分の立場を確認するように、レインへかける言葉は威圧的で問い質すものになった。
「レイン・ウォルフ・キースリング。一つ尋ねる」
「は、はい。なんなりと」
リリーが問いかけるとレインはさらに深く頭を下げる。リリーはそんなレインを見下ろしたまま続けた。
「そなたは帝国最高の儀礼でわたしを出迎えるが……もしガイウス大帝が行幸なさったおりには、いかにして出迎えるつもりか? 帝国にはこれ以上の敬意を示す儀礼はないと心得ますが……」
「そ、それは……」
レインは地に膝をつけることで無抵抗を表し、剣をささげることで『生殺与奪をリリーに委ねる』ということを表現していた。
レインはすでに最高儀礼をとっている。『リリーの上位者である皇帝が来た場合にはどうするか?』という質問には答えようがない。リリーはそれをわかっていながら、あえて尋ねた。案の定、レインは答えに窮している。
──見苦しい言い訳を並べるなら、このまま放っておこうかしら……。
そう思った瞬間、レインの声が聞こえた。
「か、考えておりませんでした……」
「……」
リリーは眉を上げて意外そうな顔つきになった。レインの声は微かに震えているが、正直であろうとする純粋な気持ちが伝わってくる。その気持ちがリリーの緊張を解きほぐした。
──レインも緊張しているのね。
リリーよりも緊張しているレインを見ていると、なんだか滑稽に思えてくる。意地悪な質問をした自分が恥ずかしくなった。
「レインは正直な人なのですね、ふふふ……」
リリーは口元に笑みを湛えてレインへ語りかけた。
「ごめんなさい。あなたの出迎えがあまりにも立派で圧倒されてしまいました。なんだか悔しくて……少しからかってみたくなったのです」
「……」
「許してくださいますか?」
「も、もちろんでございます!!」
レインの必死な態度を見ていると『可愛い』とさえ思えてくる。リリーは『レインの顔を早く見たい』という欲求に駆られた。ささげられた剣に右手を置き、威儀を正して声をかける。
「出迎え、大義である。わたしはリリー・ルキウス・グランヒルド・フレイヤ。先帝ルキウスの次女にして、神聖グランヒルド帝国における皇位継承権第五位の皇女。レイン・ウォルフ・キースリング、面を上げなさい」
「はい……」
拝謁を許すとレインは恐る恐る顔を上げる。レインの眼差しはとても優しげで、目元は声と同様に涼やかだった。黒い瞳と視線が合うとリリーはどきりと心臓が痛いほど高鳴るのを感じた。
──レイン・ウォルフ・キースリング……。
見入っていたリリーはレインの額に縫い合わされた傷跡を見つけた。とたんに、リリーは切ない気持ちになり、思わずレインの傷跡へ指先を伸ばす。大切なものを決して傷つけないように、細心の注意を払いながら指先にレインの肌と体温を感じた。
「痛々しい傷ですね……」
「……」
初めて触れるレインの感触はわずかに熱っぽく、リリーが傷跡に触れても顔色を変えなかった。
「わたしの伴侶となる方に刃を向けるとは、なんて不遜な……いずれ、報いを受けさせます」
「……」
リリーが告げるとレインは眉根をよせて表情を曇らせた。恥じ入るように伏し目がちになる。
「リリー殿下、恥は自分で雪ぎます。どうか僕の失態をお許しください」
「失態だなんて思っておりません……さあ、立って」
リリーは励ますように言ってレインの手を取り、立ち上がらせる。レインは思ったよりも背が高かった。軽装甲冑の合間から覗く筋肉はよく鍛え上げられているが、蛮勇を誇るような野卑な男には見えない。一見すると細身の優男だった。
もし、甲冑ではなくゆったりとした服装に身を包んで帝都を歩けば、きっと音楽家か文学者に間違われるだろう……そんな感想を抱きながらリリーは親しげに声をかける。
「レイン・ウォルフ・キースリング、堅苦しいのはここまでにしましょう。わたしはあなたの妻となるために来ました。気兼ねなくリリーと呼んでください」
「!?」
妻という単語を自分で使っておきながら、リリーは気恥ずかしさで胸の奥が熱くなるのを感じた。ただ、そんな心情を悟られないように微笑みながら続ける。
「わたしも、親しみをこめてレインと呼びますから。さあレイン、ウルド砂漠を案内してくださらない? 白い砂の砂漠だなんて、素敵だわ……」
リリーは思いきってレインの左腕に両手を絡めた。笑顔を絶やさず、適度に触れる……今までの男たちはたったそれだけのことでリリーに夢中となった。レインも例外ではなく、目を大きく見開き、戸惑いを隠せないといった表情でこちらを見下ろしている。
──世界を変えるためにはあなたの犠牲が必要なの。
リリーは自分の魅力に絶対的な自信を持っている。高ぶる気持ちを抑えるように自分へ言い聞かせた。
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