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第3章 皇女と若き狼
第14話 痛み03
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「その紋章の由来を教えてくれないか?」
「……」
ジョシュの尋ね方は返答を迫る威圧的なものだった。ソフィアは男の乱雑な口調と高圧的な態度が嫌いであり、あからさまに嫌悪して眉を顰める。リリーの前で軽々しく呼び捨てにされたのも気に入らなかった。
──身のほどをわきまえない野良犬が……。
ソフィアも気位が高い。ジョシュに対する憤りがそのまま態度に出た。
「……答える義理はない」
「なんだと?」
ソフィアが拒むとジョシュは睨みつけながら詰め寄ってくる。ソフィアはいっさい動じずに、ジョシュを真っすぐ見すえた。
「教える気はないと言っている」
「……」
ジョシュとソフィアが睨み合うとその場の空気が殺伐としたものへと変わる。ジョシュは緊張感をものともせずに続けた。
「我が主レインさまを襲った刺客、やつの鞘にも同じ紋章があった。犯人追及のためにも、その紋章について教えてもらいたい」
「だめだ。何度も言わせるな」
ジョシュが迫れば迫るほどソフィアも頑なになってゆく。それも、当然のことだった。そもそも、ソフィアは神聖グランヒルド帝国の朝廷でも指折りの名門貴族、ラザロ家の一人娘。藩王の臣下にすぎないジョシュとは家格が違い過ぎる。
ソフィアは家柄を持ち出すような人間ではない。それでもジョシュの横柄な態度が頭にきていた。リリーの手前、おとなしくしているだけだった。しかし、ジョシュはそんなソフィアの心情などまったく気にしていない。
「お前の主君の婚約者が襲われたんだぞ? それでも協力を拒むのか?」
ジョシュは『答えようとしないお前が悪い』とでも言いたげな口ぶりだった。焦りからか、感情の赴くままソフィアに向かって『お前』と呼んだ。
ジョシュがどんな信念の持ち主かは知らないが、皇女の前で『お前』呼ばわりされる筋合いはない。ソフィアはついに冷笑を浮かべた。
「主を傷つけられ、刺客も捕まえられず、物事の尋ねかたも知らない。砂漠の獣はまったくどうしようもないな。紋章も狼から駄犬に変えたらどうだ?」
ソフィアはキースリング家の紋章である『狼』を引き合いに出して痛烈に批判した。とたんに、ジョシュの目の色が変わり、顔全体に怒りを滲ませる。
「あ? 今なんて言った?」
「ジョシュ、下がれ」
ジョシュがソフィアへ迫ると、レインが腕をつかんで制止する。隣ではダンテが慌てて頭を下げてきた。
「ソフィアさま、どうかジョシュの非礼をお許し下さい。主君を傷つけられ、気が焦っていたのでございます」
ダンテが謝罪するとレインも申し訳なさそうに続く。
「僕からも謝罪いたします。あまりにも無礼でした。ほら、ジョシュも謝れ!!」
レインとダンテはジョシュにも謝罪するように促した。ジョシュは不服そうに二人を見ていたが、やがておとなしく頭を下げた。
「……余計なことを尋ねました。申し訳ございません」
レインとダンテに諭されたからか、ジョシュの態度はしおらしい。しかし、下がり際に再び口を開き、余計なことを口走った。
「傾国姫の侍従はずいぶんと偉いのですね。駄犬ですが勉強になりました」
「……」
傾国姫という単語を聞いた瞬間、ソフィアの血は静かに逆流した。傾国姫とはリリーを揶揄する言葉。巷間の噂話ならともかく、帝国の臣下が、それもリリー本人の前で口にしていいはずがない。ジョシュの言動はリリーを想うソフィアへの挑戦だった。
──死ね。
ソフィアがそう思った瞬間、手は動いていた。目にも止まらぬ速さで長剣を抜刀し、そのままジョシュの首元へ一閃させる。そのとき……。
「ソフィア!!」
リリーの凛とした声が響いた。とたんに、ソフィアの長剣は刃風だけを残し、ジョシュの首元でぴたりと止まる。首筋からは微かに血が流れ出ており、刃の側面をゆっくりと伝っていた。
ジョシュは微動だにしていない。恐怖心がないのか、『斬られる』ということを甘んじて受け入れているようにも見える。ソフィアは違和感を感じて眉を顰めた。
──こいつ、『斬られない』とでも思っていたのか? リリーが止めなかったら首が飛んでいたぞ……。
ジョシュは一瞬の間に死を覚悟して受け入れたことになる。そんな人間がいるのか? と、ソフィアの違和感は強くなる。未だかつて、そんな人間は見たことがなかった。
──いや、わたしもリリーのためなら一瞬で覚悟を決められる。こいつは同じ類の人間……。
そう思っているとリリーの声が聞こえてきた。
「ソフィア、剣をしまいなさい」
「畏まりました」
ソフィアが長剣を鞘へ収めるとリリーはレインへ語りかける。殺伐とした雰囲気だったが、リリーが微笑むと重苦しい空気が和らいでゆく。
「レイン、ソフィアには気性の激しいところがあります。わたしからも言って聞かせますので、どうか、無用の抜刀を許してください」
レインは戸惑っている様子だったが、やがて申し訳なさそうに頭を下げる。
「こちらにも無礼な振る舞いがありました。どうかジョシュの浅慮をお許しください」
「もちろんです!!」
リリーは明るく答えるが心情は複雑だった。
──まずはレインの忠犬たちを手なずける必要があるわね……。
リリーはそう思いながらジョシュに近づいた。ジョシュの顔を見上げて茶褐色の瞳をジッと覗きこむ。視線をいっさい逸らさずに謝罪を述べた。
「ジョシュ・バーランド。ソフィア・ラザロにもいき過ぎたところがありました。わたしからも謝ります」
リリーの青い瞳は人々の心を魅了し、惑わせる。リリー自身も、自分の瞳が魔性の瞳であることを熟知していた。案の定、ジョシュはリリーに気圧された様子でちらりとレインへ視線を送る。そしてすぐに恐縮した。
「リリー殿下、わたしも場をわきまえておりませんでした。申し訳ございません」
「では、ソフィアと仲良くしてくださいますか?」
リリーは不安げな表情をつくって確認する。ジョシュはリリーに気おくれしたまま頷いた。
「……はい」
「よかった!! ソフィー、新しいお友達ができましたよ!! あなたもジョシュと仲良くしてくださいね!!」
リリーはソフィアにむかって無邪気にはしゃいでみせる。そして、ソフィアが黙礼を返すと再びジョシュへ向き直った。
「ジョシュ。『長剣の紋章』については、ちゃんと教えるように言っておきますね」
「ありがとうございます」
「ですから、犯人を見つけたら必ず……」
リリーはジョシュに背を向けてレインの元まで歩いた。レインの額へそっと手を伸ばし、傷跡に優しく触れながらジョシュへ続ける。
「必ず殺してください」
リリーは厳とした雰囲気で言い放つが、レインと視線が合うと切なげに目を細めながら微笑みかける。レインは見とれるばかりで何の疑念も抱いていない。やがて……。
「もちろんでございます。お約束いたします、リリー殿下」
ジョシュからは予想通りの言葉が返ってくる。リリーは満足だった。
──レインへの忠誠心もわたしのもの。レインが持つものすべてが、わたしのものでなければいけないの。
ジョシュやダンテといった忠犬はきっと主への害意を本能的に見抜く……そのかわり、レインを慈しめば簡単に尻尾を振るだろう。リリーにしてみればわかりやすい理屈だった。
「……」
ジョシュの尋ね方は返答を迫る威圧的なものだった。ソフィアは男の乱雑な口調と高圧的な態度が嫌いであり、あからさまに嫌悪して眉を顰める。リリーの前で軽々しく呼び捨てにされたのも気に入らなかった。
──身のほどをわきまえない野良犬が……。
ソフィアも気位が高い。ジョシュに対する憤りがそのまま態度に出た。
「……答える義理はない」
「なんだと?」
ソフィアが拒むとジョシュは睨みつけながら詰め寄ってくる。ソフィアはいっさい動じずに、ジョシュを真っすぐ見すえた。
「教える気はないと言っている」
「……」
ジョシュとソフィアが睨み合うとその場の空気が殺伐としたものへと変わる。ジョシュは緊張感をものともせずに続けた。
「我が主レインさまを襲った刺客、やつの鞘にも同じ紋章があった。犯人追及のためにも、その紋章について教えてもらいたい」
「だめだ。何度も言わせるな」
ジョシュが迫れば迫るほどソフィアも頑なになってゆく。それも、当然のことだった。そもそも、ソフィアは神聖グランヒルド帝国の朝廷でも指折りの名門貴族、ラザロ家の一人娘。藩王の臣下にすぎないジョシュとは家格が違い過ぎる。
ソフィアは家柄を持ち出すような人間ではない。それでもジョシュの横柄な態度が頭にきていた。リリーの手前、おとなしくしているだけだった。しかし、ジョシュはそんなソフィアの心情などまったく気にしていない。
「お前の主君の婚約者が襲われたんだぞ? それでも協力を拒むのか?」
ジョシュは『答えようとしないお前が悪い』とでも言いたげな口ぶりだった。焦りからか、感情の赴くままソフィアに向かって『お前』と呼んだ。
ジョシュがどんな信念の持ち主かは知らないが、皇女の前で『お前』呼ばわりされる筋合いはない。ソフィアはついに冷笑を浮かべた。
「主を傷つけられ、刺客も捕まえられず、物事の尋ねかたも知らない。砂漠の獣はまったくどうしようもないな。紋章も狼から駄犬に変えたらどうだ?」
ソフィアはキースリング家の紋章である『狼』を引き合いに出して痛烈に批判した。とたんに、ジョシュの目の色が変わり、顔全体に怒りを滲ませる。
「あ? 今なんて言った?」
「ジョシュ、下がれ」
ジョシュがソフィアへ迫ると、レインが腕をつかんで制止する。隣ではダンテが慌てて頭を下げてきた。
「ソフィアさま、どうかジョシュの非礼をお許し下さい。主君を傷つけられ、気が焦っていたのでございます」
ダンテが謝罪するとレインも申し訳なさそうに続く。
「僕からも謝罪いたします。あまりにも無礼でした。ほら、ジョシュも謝れ!!」
レインとダンテはジョシュにも謝罪するように促した。ジョシュは不服そうに二人を見ていたが、やがておとなしく頭を下げた。
「……余計なことを尋ねました。申し訳ございません」
レインとダンテに諭されたからか、ジョシュの態度はしおらしい。しかし、下がり際に再び口を開き、余計なことを口走った。
「傾国姫の侍従はずいぶんと偉いのですね。駄犬ですが勉強になりました」
「……」
傾国姫という単語を聞いた瞬間、ソフィアの血は静かに逆流した。傾国姫とはリリーを揶揄する言葉。巷間の噂話ならともかく、帝国の臣下が、それもリリー本人の前で口にしていいはずがない。ジョシュの言動はリリーを想うソフィアへの挑戦だった。
──死ね。
ソフィアがそう思った瞬間、手は動いていた。目にも止まらぬ速さで長剣を抜刀し、そのままジョシュの首元へ一閃させる。そのとき……。
「ソフィア!!」
リリーの凛とした声が響いた。とたんに、ソフィアの長剣は刃風だけを残し、ジョシュの首元でぴたりと止まる。首筋からは微かに血が流れ出ており、刃の側面をゆっくりと伝っていた。
ジョシュは微動だにしていない。恐怖心がないのか、『斬られる』ということを甘んじて受け入れているようにも見える。ソフィアは違和感を感じて眉を顰めた。
──こいつ、『斬られない』とでも思っていたのか? リリーが止めなかったら首が飛んでいたぞ……。
ジョシュは一瞬の間に死を覚悟して受け入れたことになる。そんな人間がいるのか? と、ソフィアの違和感は強くなる。未だかつて、そんな人間は見たことがなかった。
──いや、わたしもリリーのためなら一瞬で覚悟を決められる。こいつは同じ類の人間……。
そう思っているとリリーの声が聞こえてきた。
「ソフィア、剣をしまいなさい」
「畏まりました」
ソフィアが長剣を鞘へ収めるとリリーはレインへ語りかける。殺伐とした雰囲気だったが、リリーが微笑むと重苦しい空気が和らいでゆく。
「レイン、ソフィアには気性の激しいところがあります。わたしからも言って聞かせますので、どうか、無用の抜刀を許してください」
レインは戸惑っている様子だったが、やがて申し訳なさそうに頭を下げる。
「こちらにも無礼な振る舞いがありました。どうかジョシュの浅慮をお許しください」
「もちろんです!!」
リリーは明るく答えるが心情は複雑だった。
──まずはレインの忠犬たちを手なずける必要があるわね……。
リリーはそう思いながらジョシュに近づいた。ジョシュの顔を見上げて茶褐色の瞳をジッと覗きこむ。視線をいっさい逸らさずに謝罪を述べた。
「ジョシュ・バーランド。ソフィア・ラザロにもいき過ぎたところがありました。わたしからも謝ります」
リリーの青い瞳は人々の心を魅了し、惑わせる。リリー自身も、自分の瞳が魔性の瞳であることを熟知していた。案の定、ジョシュはリリーに気圧された様子でちらりとレインへ視線を送る。そしてすぐに恐縮した。
「リリー殿下、わたしも場をわきまえておりませんでした。申し訳ございません」
「では、ソフィアと仲良くしてくださいますか?」
リリーは不安げな表情をつくって確認する。ジョシュはリリーに気おくれしたまま頷いた。
「……はい」
「よかった!! ソフィー、新しいお友達ができましたよ!! あなたもジョシュと仲良くしてくださいね!!」
リリーはソフィアにむかって無邪気にはしゃいでみせる。そして、ソフィアが黙礼を返すと再びジョシュへ向き直った。
「ジョシュ。『長剣の紋章』については、ちゃんと教えるように言っておきますね」
「ありがとうございます」
「ですから、犯人を見つけたら必ず……」
リリーはジョシュに背を向けてレインの元まで歩いた。レインの額へそっと手を伸ばし、傷跡に優しく触れながらジョシュへ続ける。
「必ず殺してください」
リリーは厳とした雰囲気で言い放つが、レインと視線が合うと切なげに目を細めながら微笑みかける。レインは見とれるばかりで何の疑念も抱いていない。やがて……。
「もちろんでございます。お約束いたします、リリー殿下」
ジョシュからは予想通りの言葉が返ってくる。リリーは満足だった。
──レインへの忠誠心もわたしのもの。レインが持つものすべてが、わたしのものでなければいけないの。
ジョシュやダンテといった忠犬はきっと主への害意を本能的に見抜く……そのかわり、レインを慈しめば簡単に尻尾を振るだろう。リリーにしてみればわかりやすい理屈だった。
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