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第10話 水と花

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 土地神様と並んで修道院へたどり着くと、しとしとと雨が降り出しました。
 最近は赴任当初の叩きつけるような雨は少なくなり、日が沈んでから登るまで弱い雨が間断なく降り続くのです。

「修道院が大きくて助かりましたわね。土地神様を雨に濡らさずにすみそうですわ」

「そうですね。入り口の幅も天井の高さもちょうど良いぐあい・・・」

 ちょうど良い?

 ひょっとして・・・と、浮かんだ疑問は聖女様が代わりに聞いて下さいました。

「ひょっとして此方は、土地神様のお住まいでしょうか?」

「然《シカ》リ。問題《モンダイ》ナイ」

 修道院奥の壁に刻まれていたレリーフから想像していたように、ここは土地神様の神殿だったようです。
 聖女様とあたしは、いわば土地神様の家の借家人だったことになりますね。

「それでは、奥へどうぞ」

 元は土地神様の神殿で、はるか何千年も後の時代の平民のあたしが、山から掘り起こされた土地神様の案内をする。
 時間の桁が遠すぎて、何だか変な感じです。

 あたしが先に立って歩きますと、土地神様が両足に備わった車輪をキュラキュラと回転させながら続きます。
 平らで硬い床の上では歩かずに車輪を使うのですね。ちょっと便利そうです。

 掃除人としては車輪で床に傷がつかないか、少し心配をしたのですが、元が土地神様の神殿だっただけあってか分厚い石の床は土地神様の体重をしっかりと支え、しかも驚くべきことに床には傷一つついていないのです!

「ひょっとすると、この床の石は鉄よりも硬いのかもしれませんね」

「まさか!・・・そうなんですか?」

「もしくは傷がついても治っているとか」

 石の傷が治るなんて、それこそまさか!です。
 聖女様は学があるせいか、ときどき不思議なことを仰います。

 たしかに長期間放置されていた割には驚くほど荒れていませんでしたが、そんなことがあるものでしょうか・・・ありませんよね?

 ものを知らないというのは怖ろしいもので、床掃除のために石床をモップでゴシゴシと何度も力強くこすった記憶がよみがえります。

 もしも、この床材が何か貴重な文化遺産で…
 将来は王国の博物館に収められることになって…
 そこにモップで擦った跡が残っていたりしてたら…
 あたしは未来永劫に迂闊者として名前が残ってしまいます!

 そんなあたしの葛藤も知らず、キュラキュラと先を進んでいた土地神様は、ある場所までくるとピタリと止まって、こちらへ向き直りました。
 そこは、やはりというか、壁にレリーフが刻まれた場所の前でした。

「土地神様、すごくしっくり来ますね」

 まるで、そこに初めから土地神様の像があったような自然さ。
 そもそも、土地神様を祀るためにこの神殿が建てられたような、そういうハマり具合です。

「帰《カエ》ッテキタ」

 土地神様は一言だけ発すると、そのまま動きを止め、同時に黙ってしまいました。

 ただ、時おり歯車の回転するような「カチ・・・カチ・・・」という小さな音を発して、口からは火にかけたケトルのようにシューシューと細い湯気がたなびいています。

 お声をかけようとしたのですが、聖女様が制止なされました。

「何百年、いえひょっとすると何千年ぶりのご帰宅ですもの。少しの間、お一人にしてさしあげましょう」

「・・・そうですね」

 まことに行き届いた気配りです。
 ときどき怪しげなことを放言しますが、さすがは聖女様です。

「お茶・・・は飲まれませんよね」

 本国から持参した紅茶の葉にはまだ余裕がありますが、土地神様がカップでお茶を飲むようには思えません。

「それよりも薪とお水を持って行ったらどうかしら。水は私が創りますから」

 そうして聖女様の助言のとおりに、濡れないよう屋内に保管していた薪の残りと創っていただいた木桶一杯の水を持って行きますと、土地神様は先ほどまでと同じように壁のレリーフの前に静かな佇まいで物思いに耽るかのように立ち尽くしておりました。

 柔らかな雨の音に混じって、カチカチカチ・・・と歯車の回る音がします。
 火を落としているのか、先ほどまでと違い蒸気の煙は上がっておりません。

 邪魔にならないよう、そっと薪と水を置いて立ち去ろうとしますと、土地神様はわずかに身じろぎされました。

「コレ ハ アナタ ガ?」

 土地神様の無骨な金属の6本の指で示されたのは、レリーフの前に毎日のように供えていた水と花です。

「そうでございます。あたし達は、いわば軒を借りている身ですから」

 聖女様のお辞儀を思い出しつつ、視線を落として懸命に高貴な方への礼をします。
 最初は水だけを供えていたのですが、最近の雨で多くの草が花をつけるようになったので一緒に供えるようにしていたのです。
 何か気に障るようなことがあったのでしょうか。

「感謝《カンシャ》スル」

 あたしの心配をよそに、土地神様は、それだけの言葉を口から発すると、またカチカチと歯車を鳴らすだけの像に戻ってしまいました。
 小さく頭を下げて、聖女様のところに帰ります。

 なんとなくお城の古い柱時計っぽいな、などと不敬な感慨を抱いたのは、あたしだけの秘密です。

 今夜も、この土地には恵みの雨が静かに降り続いています。


 ところで。
 後に知ったのですが、その頃、王国では大変なことが起きておりました。
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