寺嶋くんは祓いたい

野良猫のらん

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第十話 間違えた

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「ふー、さっぱりした」

 居間に戻ると、ちょうど城ケ崎がお風呂から上がったところだった。

「待たせてすまなかったな」
「いやいや、ゆったり寛いでたから大丈夫」

 手をひらひらと振って答えると、寺嶋の隣の座布団に彼が腰を下ろした。

「レイってアメリカで暮らしてたんだな」
 
 タオルで金髪の水気を切っている彼に、話題を振った。

「ああ、そうなんだ」
「俺、海外って行ったことないし話を聞きたいな」
「もちろん、いいとも! 何の話をしようか」

 興味があると示すと、彼は青い瞳を生き生きと輝かせる。
 実際、彼のアメリカ生活には興味があるが、今日はもっと重要な話をしなければならない。

「ここで話をするのも何だし、レイの部屋があるならそっちに移動したいんだけど」
「それもそうだな、案内しよう」

 彼のあとをついて、居間を出る。
 案内された城ケ崎の部屋は、先ほど金髪の市松人形があった部屋の隣だった。

 隣の部屋と同じく畳敷きの和室で、寝具をしまっているのであろう押し入れがある。
 書き物机の上にはノートパソコン、台の上にテレビ、その小脇にゲーム機が並んでいる。部屋の隅に置かれた緑色のティラノサウルスが、城ケ崎の中の男子小学生を感じさせた。

「そこにかけてくれ」
「ああ」

 ちゃぶ台の周りに置かれている座布団に腰を下ろす。
 向かいに城ケ崎が座る。

「ボクはアメリカで生まれたんだ。それで、中学に入学する時にこっちに引っ越してきた。アメリカにいたころから家庭では日本語と英語の両方を話していたけれども、それでも日本語を習得するのは苦労したよ……って、ソウが聞きたいのはボクの苦労話じゃなくてアメリカの話だったね」

 母親を大変な事件で亡くしたあとに、環境が様変わりして言語の壁が立ちはだかるなんて、それは苦労したことだろう。

「さっき、レイのお母さんが亡くなった理由を聞いたんだ」

 出し抜けに切り出すと、彼の微笑みが固まった。

「そう……か。聞いたのか」

 彼は深く息を吐き出した。
 嘆息というよりも、どこか覚悟を決めた深呼吸に見えた。

「ボクの母は、ボクを庇って死んだんだ」

 彼は静かに零した。
 祖父の予想通り、母親が庇ったことによって彼は生き残っていた。

 彼の脳裏には今、まさに庇われた瞬間が映し出されているのだろうか。
 日本で暮らしてきた寺嶋にとっては、銃に撃たれて家族が死ぬなんて、想像してみることすら難しい。
 ただ、想像できないほどの辛さがあったことだろうことは理解できる。

「ソウ、キミによればボクは悪いゴーストに憑りつかれているんだったな」
「ああ」

 こくりと頷きを返す。

「それは……もしかして……ボクを呪っているのは……」

 城ケ崎の言葉が震える。
 俯いた彼の表情は、前髪に隠れて見えない。

 彼の中にはなんらかの推測があるようだが、口に出すこと自体が恐ろしいとばかりに躊躇いが感じられる。

 それから、彼はその推測を口にした。

「……ボクの母なんじゃないのか?」

 一度口にしてしまうと、彼の中の疑いは堰を切ったように飛び出す。

「キミは死んだ人が見えるんだろう? もしかしてボクを呪っている母の姿が見えているんじゃないか? キミは気を遣ってそれを言わないでいるんだろう? ボクがいなければ、母は今頃生きていたのに。母はボクを恨んでいるんだろう⁉」

 彼は寺嶋の肩に縋りつくようにして、疑問をぶつけてきた。
 青い瞳に光るものが見えた。

「ずっと、それを確かめるのが怖くて……ゴーストの存在なんて、信じたくなかった」

 彼がずっと恐れてきたこと、そしてかたくなに幽霊の存在を信じなかった理由を、はっきりと聞くことができた。
 彼はずっと自分を責め続けてきたのだ。自分のせいで母親が死んだと。
 だから寺嶋も確信することができた。呪いの元凶が誰か。

「レイのお母さんの姿を見たことはあるよ」
「やっぱり……」

 早とちりしようとした城ケ崎に、寺嶋は首を横に振った。
 そして、断言した。

「絶対にレイのお母さんはレイを呪ったりしてない」
 
「え……?」

「俺がレイのお母さんの姿を見たのは、レイが十字架の前で手を合わせた時だ。包み込むように、後ろからレイのことを抱き締めていたよ。表情は見えなかったけれど、後ろ姿だけで愛情が伝わってきたよ。あんな風に大事に想っている人が、レイを呪うわけがないだろ」

 城ケ崎が祈りを捧げていた時、寺嶋には金髪の女性の幽霊の姿が見えていた。
 女性の寄り添うような姿を見て、偲ばれている故人は彼の母親なのだと察したのだった。
 だから母親の霊が呪っている可能性なんて、最初から少しも考えていなかった。

「母が……ハグしてくれていたのか?」
「ああ」
「そうか、母が……」

 畳に大粒の水滴が落ちる。
 青い瞳からは、透明な涙が零れ出していた。

 流れる涙を目にして、寺嶋はおずおずと彼の肩に手を伸ばした。
 彼の母親がしていたように、後ろから抱き寄せるように、肩を抱き寄せた。

 城ケ崎と彼の母親がどんな日々を暮らしていたのか、寺嶋は実際には知らない。
 けれども、彼の祖父に見せてもらったアルバムに映った彼の母親シャーロットは、いつでも笑顔だった。
 
 旅先の記念撮影で、城ケ崎に慈愛に満ちた視線を向けていた。格好つけたポーズの城ケ崎の真似をして、茶目っ気たっぷりに腕組みをした二枚目の写真。パーティで城ケ崎にプレゼントを上げる瞬間のくしゃくしゃした笑顔。家族三人で抱き締め合っている光景。生まれたばかりのころだろうか、赤ん坊の城ケ崎がよく映るように抱え上げた写真に写った彼女の誇らしげな顔……。

「母が、ボクを愛して……いると」
「うん」

 きっと愛していたし、愛されていたことを思い出してほしい。
 
 寺嶋の見よう見まねの不器用なハグに、彼が体重を預けてくる。
 どう声をかけたらよいかわからず、体温を分け合うしかできないけれども。
 涙が畳を濡らさなくなるまで、寄り添った。

「……だから、レイに憑いているのはレイのお母さんじゃないよ」

 彼が落ち着いたころを見計らって、繰り返した。

「ああ、わかった……。教えてくれてありがとう。キミは本当にゴーストが目に見えるんだな」

 城ケ崎は幽霊の存在を信じてくれた。
 今ならば、彼に憑いている霊の正体を話せるだろう。

「レイに憑いて、レイを呪っている悪霊の正体は、きっと――レイ自身の生霊だ」
「え?」

 抱き寄せた距離は近くて、驚きに息を呑む彼の吐息が耳元でよく聞こえた。

「あるいは小学生時代のレイと言い換えてもいいかもしれない。母親が死んだのは自分のせいだとレイが自分自身をずっと呪い続けるから、それが本当に呪いになってレイを蝕んでいるんだ。だから小学生のころのレイがレイに憑りついている」

 呆気に取られているのか、彼は言葉を返さない。
 寺嶋はそのまま続きを説明していく。

「子供みたいに小さな手に、黒くて長い髪。そしてレイに強い恨みを抱いている。該当するのは小学生時代のレイだけだ。生霊が自分自身を呪う例は聞いたことがないけれど、そうとしか考えられない」

 何度も現れた青白い『手』の正体は、小学生のレイだと寺嶋は推測していた。
 自責の念が、血が滲むほど強く髪の毛を首に巻きつけさせたのだろう。なんて痛ましいことだろうか。

「子供のころの、ボク自身が……」

 けれども、これ以上心配する必要はない。

「レイは今、お母さんに愛され続けていることを知ったから、自分を赦せるようになったと思う。だから自然と悪霊は消えるはずだ」

 自分を恨む必要がなくなったのだから、だんだんと悪霊の影響も薄れていくはずだと判断した。
 幽霊が見える自分の体質が他人を救えることもあるのだと、寺嶋は安堵を覚えた。――俺はタタリくんなんかじゃないんだ。

「けど、すぐに祓いたいんだったらできるよ。やってあげようか?」
「……せっかくだから、お願いしようかな」

 城ケ崎は指先で涙を拭い、照れたような笑顔を見せた。

「よし。ちょっと強く背中を叩くよ」

 本人が了承してくれた今なら、背中を叩く除霊法が試せる。

ぁ!」

 ばちんと音がするくらい強く背中を叩いた。
 邪な気配がすっと消え去っていくのを感じた。除霊完了だ。

「痛った! 遠慮がないな、ソウ」
「これくらい強くやらないと意味がないからな。でも、これでバッチリだ」

 笑顔で親指を立てて、もう問題がないことをわかりやすく示した。

「おお、ありがとう……! ソウ、君には感謝しても感謝しきれない!」

 感動のあまりか、城ケ崎は寺嶋の両手を取って握りこむ。
 自然、彼と見つめ合う姿勢になった。さっきまで寄り添い合っていたから、ものすごく距離が近い。互いの吐息が触れ合うくらい――あと少し近づけば、キスできそうなくらいに。

 瞬時に顔が熱くなる。
 もしかして自分は、城ケ崎とキスできるのではないか。触れ合うのに嫌悪感がないかもしれない。そんな予感がした。

 ――確かめたい。
 生唾を飲んで、喉仏が上下する。

「レイ……」

 そっと彼の頬に手を触れると、長い睫毛に縁取られた瞼がせわしなく開閉を繰り返す。

「ソウ?」

 キスする雰囲気だぞと念じていると、やがて空気を感じ取ったのか、彼の顔が赤く染まる。
 寺嶋は瞼を閉じた。

 きっと今に唇同士が触れ合う――

「ぐうう……!」

 代わりに城ケ崎の悲鳴が耳に届いた。

 寺嶋は慌てて目を開ける。
 目の前で、あの青白い「手」が城ケ崎の首に指を絡みつかせていた――首を絞めているのだ。

「レイ!」

 血相を変えて、必死に「手」を振り払う。
 寺嶋が触れると、「手」は霞のように消えていった。

 ほっとしたのもつかの間、城ケ崎の首筋には指の痕がはっきりと残っていた。
 寺嶋がいくら触れても痕は消えない。呪いではなく、現実についている痕なのだ。

 呪いが現実に影響を及ぼし始めた。

「そ、そんな……さっき祓ったはずなのに……」

 祓った直後に、三度憑りついたということだ。

 寺嶋は自分の予想が大きく間違っていたことを悟った。
 こんなに素早く再び憑りつくことができるなんて、ただの悪霊ではない。
 とても強力な力を持つ悪霊だ。

 また、城ケ崎自身の生霊が憑りついているわけでもなかった。
 母親の気持ちを知ってもなお、こんなに強く自分を責める念が新たに生まれ出るわけがない。
 
 自分は見誤ったのだ。

 子供の痩せた白い身体、真っ白な病室、もがき苦しむ声。
 頭の中が白で埋め尽くされる――

「間違えた」

 寺嶋は、ぽつり呟いた。

 間違えた、できなかった。自分はタタリくんのままだ。
 
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