異世界で王子様な先輩に溺愛されちゃってます

第十六話

「おはようございます！」

　自分はフェリックスと特別な間柄になりたいと思っている。
　まだ半信半疑だけれど、マコトは元気に出勤した。

「おはよう！」
「マコトくんは今日も元気ね」

　ギルド職員たちににこやかに挨拶を返される。
　マコトに挨拶を返す職員たちの中には、もちろん彼がいる。

「よ、マコト。おはよう」
「フェリックス先輩、おはようございます！」
　
　フェリックスの姿を見つけ、マコトは一際明るく挨拶を返した。

「マコトは今日も元気だな」
「はい！」

　彼の顔を見た途端意識してしまうのではないかと思っていたけれど、そんなことはなかった。
　いつも通りだ。
　自分が彼に特別な想いを抱いているかどうか、どうやって判断したらいいのだろう。

「マコトは今日は事務担当だよな。ペンに魔力補充してやるよ」

　彼が手を差し出す。

「先輩、ありがとうございます！」

　自分の羽ペンを手に取り、彼に手渡した。

「あっ」

　ペンを手渡そうとした瞬間、二人の手が触れ合った。
　自分の体温とは違う、彼の体温が直に伝わってくる。
　かっと顔が熱くなる。
　なぜ頬が赤くなってしまうのだろう。自明だ。

（そっか、僕、先輩のことが好きなんだ……）

　はっきりと自覚した瞬間だった。

　彼にこの世界のいろんな物を教えてもらって、好きな物がどんどん増えていった。
　増えて、増えて……遂には、恋に落ちていた。
　恋をするなんていつぶりだろう。
　彼に時を動かしてもらったおかげだ。

「先、輩……？」
　
　見れば、彼の顔も赤く染まっていた。
　白い顔が綺麗な桃色になっている。

「え、あ、その、ほら、魔力補充できたぜ！」
「あ、はい！　ありがとうございます！」

　彼も意識してくれていたら嬉しいな、なんて。
　大それたことを一瞬、考えてしまった。
　そんなわけないのに。

（だって先輩はこんなにカッコいいんだから。知らないだけでもう恋人がいるかも……）
　
　魔力が補充された羽ペンを受け取り、マコトは仕事を開始した。

　カリカリとペンを走らせる。
　彼が魔力を補充してくれたペンは、問題なく魔法のインクを吐き出す。
　それでも、時折手が止まってしまう。計算に悩んだからではない。原因は、彼が向かいの席にいるからだ。
　
　意識し始めると、途端に距離が近いように感じた。
　ほんの小さな咳払いも聞こえる距離にいるなんて。
　今までの自分は、どうしてこれが平気でいられたのだろうか。
　平然と仕事を進める方法がわからなくなってしまった。
　
　彼の顔が見たいな。
　真面目に仕事をこなしているときの顔がかっこいいのだ、彼は。

　欲が出て、マコトはちらりと顔を上げてみた。

「あ」

　ちょうどタイミングよく彼も顔を上げたのか、バッチリと目が合ってしまった。
　マコトは素早く書類に目を落として、視線を逸らした。
　耳まで熱くなる。真っ赤になっていたらどうしよう、と恥ずかしかった。

　そんなことを二度、三度と繰り返してしまった。

　何度も彼と目が合ってしまう。
　まるで、彼もチラチラとマコトに視線を配っているかのようだ。
　そんなわけ、ないのに。

　時間の流れは速すぎるようにも、遅すぎるようにも感じた。
　昼休憩の時間になる頃には、マコトはすっかり精神的な疲労を覚えていた。

「あー、マコト。一緒に昼飯食うよな」
「え、あ、はい！」

　昼食に誘われ、マコトは二つ返事で了承した。
　彼とお昼を共にしないなんて、あり得ない。

　いつものようにギルドの外へ出て、バーンドの屋台を見つけて購入する。
　今日はトマトに似た野菜とチーズが入っているバーンドにした。
　チーズ入りバーンドは最近のお気に入りだ。

「いただきます！」

　ベンチに彼と並んで腰かけ、にこにこ顔でバーンドに齧りつく。

「あのさ、マコト。今週末って空いてるか？」
「へ？」

　出し抜けの質問に、心臓が大きく跳ねた。

「マコトと一緒に出かけたいなと思っているところがあるんだけど、マコトの予定はどうかな……？」

　彼は不安げにマコトの予定を尋ねた。

　週末に一緒にお出かけだなんて、まるでデートのようではないか。
　これって、そういうことなのだろうか。

（いやいや待て、先週だって二人でピクニックに行ったじゃないか。意識し出した途端デートかも、なんて都合がよすぎる）

　彼にとっては、先週のピクニックと同じようなお誘いでしかないだろう。
　彼が妙に緊張した面持ちをしているから、そういう雰囲気に感じてしまうだけだ。

「は、はい、空いてます！　先輩と一緒なら、どこへでも行きます！」

　マコトは握り拳を作って答えた。

「どこでも、か。じゃあ……」

　彼が顔を寄せ、マコトの耳元に囁く。

「え！」
　
　囁かれた行き先に、マコトは目を丸くさせた。


　週末、マコトはフェリックスのグリュっちに乗せてもらって目的の場所に着いた。
　円形広場に鎮座する巨大な赤と白の縦縞模様の天幕――――サーカスだ。

「わああ……！　サーカスなんて、子供のころ以来です！」

　天幕の上で風に揺らめく旗に、マコトは目を輝かせた。
　子供のころの大切な思い出を彷彿とさせられたから。

「へえ、マコトの世界にもサーカスってあったんだな」

　横のフェリックスが微笑ましそうに相槌を打つ。
　
「はい、ありましたよ！　この世界のサーカスは何をするのか楽しみです！」
「マコトにとって退屈じゃないよいいけど」
「そんな、退屈なんて絶対にしませんよ」

　だって、先輩と一緒なんですから。
　続く言葉を隠して、マコトははにかんだ。

　サーカスの天幕に二人は入る。
　チケットはフェリックスが懐から出した。
　チケットの値段は知らないけれど、彼は「実家の関係で格安でチケットを譲ってもらえたんだ」と言っていた。二人分のチケットが無駄にならないよう、マコトを誘ったらしい。

（たまたま二人分のサーカスのチケットが手に入って、それを無駄にしないように……だから、デートじゃないよね）

　マコトは自分に言い聞かせた。

　サーカス内は中央が低い壁に丸く囲まれ、その周りを観客席がさらに囲っている。
　観客席は段々になっており、どの位置からでも中央のステージがよく見えるようになっている。
　マコトたちは上の方の席に座ることになった。

　フェリックスと隣り合って、サーカスが始まるのを待つ。
　観客席が人々で埋まっていく。
　席が埋まり切ったかと思う頃、天幕の中が暗くなった。
　
　パッと中央にだけスポットライトが当たったかと思うと、そこにシルクハットとマントを纏ったサーカス団の座長がいた。
　座長は朗々と響き渡る声で、ショーの始まりを告げた。
　
　座長が杖を振ると、座長の周囲に赤、青、黄、緑……とさまざまな炎が吹き上がった。
　どこからともなく花吹雪が舞い、華々しくサーカスが始まった。

　ピエロが出てきて、大玉の上に乗ってジャグリングを始める。
　ただしピエロがジャグリングしているクラブは、炎や氷や雷を放っている。ピエロは炎や氷に触れないように、器用にジャグリングしている。

「あれって、どうなってるんですか？」

　隣のフェリックスに、こっそり尋ねてみる。

「あのクラブに魔術が仕込まれているんだろうな」

　と、答えてくれた。
　魔術まで芸に使うなんて、異世界のサーカスはすごい。

　ピエロは最後にお尻に火をつけてしまって逃げ帰るように退場し、観客の笑いを誘った。
　
　ピエロの後は、空中ブランコだった。
　ただし、ブランコだけを使うのではない。演者は空中ブランコから手を離しくるくると宙を舞ったかと思うと、空飛ぶ箒の上に器用に二本の足で降り立った。
　観客は惜しみない拍手を送った。

　次にステージの上に巨大な檻が引っ張られてきたかと思うと、檻が開いて中から魔物が出てきた。ライオンのようなたてがみが立派な四足獣だが、二本の角が生えている。
　魔物の登場に、観客席から悲鳴が上がった。
　魔物使いが魔物に指示を出し、魔物はお手をして従順であることを示した。
　それから魔女っぽい格好のアシスタントが登場し、ステージの中央で杖でくるりと円を描いた。
　炎の輪っかが登場する。それも一つだけではない。くるり、くるり、くるりと三回杖が振られる。炎の輪っかも三つ登場した。
　
「まさか、ベスちゃんにあれを飛ばせる気なの……！？」

　マコトは小さく悲鳴を上げた。
　
　ベスちゃんというのは、芸の間に判明した魔物の名前だ。
　マコトと同じく観客たちもすっかりベスちゃんに心を掴まれていて、今度は炎の輪が三つも登場したことの方に悲鳴を上げた。
　しかしたてがみを誇らしげに靡かせ、ベスちゃんは炎の輪の前まで出でた。
　魔物使いに命じられているからではない、ベスちゃんは自らの誇りのために飛ぼうとしているのだ。
　マコトは手に汗を握った。

　ベスちゃんは輪を飛ぶために姿勢を低くする。
　地面を蹴り、ベスちゃんは高く跳び上がった！

　一つ、二つ、三つ！

　ベスちゃんは見事に、炎の輪をすべて飛びおおせてみせた。

「わああ……！」

　マコトを含め、観客たちは惜しみない拍手を送った。