誰からも愛されないオレが『神の許嫁』だった話

野良猫のらん

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第二十話

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 一晩、考えた。
 
 ハオハトが事情を話してくれないのならば、なんだってしてやる。手段を選んでいられない。見てろよ、舐めやがって。ウエルは決意した。
 諦めるなんて選択肢はない。
 目の前で彼が憔悴していって、変な様子を見せるのだ。放っておくことなどできない。
 
「ヤルト、聞かせろ」
 
 朝食を運んできた黒づくめの男を、ウエルは睨みつけた。
 ヤルトは面白がっているかのように、にこりと口角を吊り上げた。
 
「おや……なにかご質問がおありで?」
「大ありだ。山神に何が起こったんだよ」
 
 彼に直球で尋ねた。
 ハオハトが教えてくれないのならば、他から聞き出せばいいのだ。
 
「はてさて、何が起こったと聞かれましても……」
「教えろ!」
 
 誤魔化そうとしたヤルトの胸元を、ウエルは引っ掴んだ。
 
「おやおや、教えないとは言っておりませんよ。ふふ。手を離してくださいませんか?」
「……」
 
 ウエルは彼を睨みつけながら、しぶしぶ手を離した。
 
「一体ご主人さまの身に何が起こったのか、ワタクシは存じ上げません。ですが心当たりはございます」
「心当たりだと?」
「ええ、カトグです。彼が訪問してきた日から、ご主人さまは日に日に様子がおかしくなっていったように思います。きっと彼が何かしたのでしょう。まったく忌まわしいことでございますね」
「アイツが……!」
 
 怒りに全身が総毛立った。
 笑いながら頭を撫でてきた顔を想起する。許せない。ウエルは歯を食い縛った。
 
「ああ……彼のせいで、ご主人さまは大変なことをしでかしてしまいました」
 
 ヤルトは、憂いを帯びた溜息を吐いた。
 
「大変なこと……? おい、それってどういうことだよ!」
 
 胸騒ぎがして、彼を問い詰める。
 
「……そうですね」
 
 ヤルトは胡散臭い笑みを引っ込めると、真剣な顔になってまっすぐにウエルを見下ろした。
 
「口止めされておりますが、ウエルさまにはお教えいたしましょう。以前にも言った通り、ワタクシはウエルさまの味方ですよ」
 
 以前、ヤルトはいざとなればこの屋敷から脱出させてくれると約束してくれた。そのときと同じ表情で、にこりと約束してくれた。彼は味方なのだ。
 
「ウエルさま、こちらをご覧ください」
 
 ヤルトはなにもないところから、姿見を取り出した。
 鏡面にはウエルの姿ではなく、別の光景が映し出された。
 
 街の光景だった。ウエルがたびたび訪れた街の光景が映し出されている。
 街には相変わらずごみごみと人間が凝縮されていて……人々の誰もが、動きを止めていた。
 
「え……なんだ、これ」
「ああすみません、これでは何が起こっているのかわかりづらかったですね。こちらの光景をお見せいたしましょう」
 
 鏡に映し出された光景が変わった。今度はどこかの村だ。
 人々がなにかから逃げている。何が追いかけてきているのか。
 見ていると、後方のひとりが「ナニカ」に捕まった。捕まった人は石と化したかのように固まり、動かなくなってしまった。
 人々が次々と動かなくなっていく。動かなくなっていくのは人間だけではない。小鳥が動きを止めて空から落ち、馬が厩舎の中でいななく体勢のままピタリと動きを止めた。
 
「一体、何が起こっているんだ……?」
 
 冷や汗が伝い落ちた。
 
「ご主人さまは現在進行形で、この世界の時を止めようとなさっているのです」
 
 ヤルトの言葉が理解できなかった。
 
「時を止める……?」
「ええ、時間という概念を創生なさったのはご主人さまでございますから。止めることもまた可能なのでございます」
 
 じわじわと、理解が追いついてくる。ハオハトがどんなにとんでもないことをしようとしてしまっているのか悟り、ウエルは顔が青褪めた。
 
「山神は、なんでそんな酷いことをしているんだ⁉ カトグに何をされたら、そんなことをしなくちゃいけないことになるんだ⁉」
「ワタクシにはわかりません……」
 
 ヤルトは苦しげに零した。
 
「ですが、ワタクシは人間が大好きなのです。このまま人間たちの時が止められてしまうのを、ただ黙って見ているわけには参りません」
 
 彼の声音は真剣そのものだった。
 彼は、ウエルに向かって頭を下げた。
 
「ウエルさま、あなたの協力が必要でございます。協力してくださいませんか?」
「え……」
 
 彼が頭を下げたのが意外すぎて、ウエルは目を見張った。
 だって自分はただの人間だ。
 ハオハトだけでなく、ヤルトもまたウエルの存在を対等に考えてくれているのだ。嬉しさに胸が膨らんだ。
 
「もちろん、協力するに決まっている」
 
 ウエルの返答に、ヤルトは顔を上げて笑顔を見せた。
 
「それにしても、オレの方から話を差し向けなかったらどうするつもりだったんだヤルトは? ひとりで何かするつもりだったのか?」
「いえ、まさか。こちらからウエルさまに事情を説明してお頼みするつもりでした。それがウエルさまの方から聞いてくださったので、ワタクシは嬉しかったのですよ」
 
 嬉しそうなヤルトの笑みを見て、彼との間に友情を感じた。
 ふたりでハオハトを助け出すのだ。
 
「それで、オレは何をすればいい? 山神を説得してくればいいのか?」
「それよりもよい方法がございます」
 
 ヤルトはまた鏡に別の光景を映し出す。
 そこは吹雪の中だった。吹きすさぶ雪景色の中なのに、凍っていない湖が映し出されていた。
 
「これは悲しみの湖でございます。ご主人さまの悲しみが具現化されたもの」
「悲しみが……?」
 
 そう言われてみると、蒼い水面がいかにも悲しげに見えた。
 
「悲しみの湖に飛び込めば、ご主人さまの悲しみの原因が判明するでしょう。ですがひとりでは飛び込むことはできません」
「なぜ?」
「この湖は恐ろしく深いのですよ。飛び込めば、自力で這い上がることはできません。ですので、ウエルさまに飛び込んでいただきたいのです」
「なんでオレなんだ」
 
 ウエルは、反射的に疑問を抱いた。飛び込むのはヤルトの方でもいいのではないだろうか。
 
「ウエルさまは、湖に飛び込んだ私を引き上げる手段をお持ちですか?」
「ない……」
 
 ヤルトの反論に、完全に納得した。神の力があればなんとでもなるのだろう。
 
「それにご主人さまはウエルさまにならば、ご自身の悲しみを見られてもご不快ではないと思いますよ」
 
 そうなのだろうか。
 今でもハオハトはウエルだけは特別だと思ってくれているのだろうか。
 ハオハトを信じたい。
 
「それではまず、服をたくさん着込んでいただきましょう。湖の目の前まではワタクシが運びますが、寒さと空気の薄さに関しましては我慢してくださいませ」
 
 外に出るということは、あの極寒と苦しさの中に舞い戻るということだ。ウエルは今さらながらに気がついた。


 ぶくぶくに着込んだウエルは、ヤルトに運ばれて雪景色の中、宙を舞っていた。
 運ばれるのも楽ではない。吹雪が顔に辺り、突き刺さるように痛い。空気が薄くて、運ばれるだけでも体力を消耗する。どんなに着込んでいても、寒くて仕方がない。だんだんと頭が痛くなってくる……。
 
「こちらが悲しみの湖でございます」
 
 湖の縁で、ウエルは下ろされた。
 極寒の中でも凍ることのない湖が、蒼い水を湛えている。
 屋敷の湯舟よりもずっと大きい湖は、吹雪に遮られて向こう岸が見えない。
 蒼い湖面の境界が乳白色の吹雪に淡く溶けていた。
 
「寒いでしょうが、上着を脱ぎましょう。必要最低限の衣服だけで湖に飛び込んでいただきます」
「湖の中で凍死しないか?」
 
 溺死するのと凍死するのと、どちらが速いだろうか。ウエルには想像がつかなかった。
 
「大丈夫です、そうなる前に必ずお助けします」
 
 凍死したりしません、とは言われなかった。ヤルトを信じるしかないだろう。
 
「……」
 
 ウエルは無言で上着を脱いでいく。
 恐怖はなかった。ハオハトを助けるためだ。
 上着をすべて脱ぎ捨て、菖蒲の花が刺繍された服だけになる。
 
 深呼吸をし――――ウエルは湖の中に身を投げた。水滴が散り、身体が水面に飲み込まれる。
 
「まったく。騙されやすい人間はこれだから愛おしい」
 
 ヤルトが呟きを漏らして湖のほとりから立ち去ったのを、ウエルは知らない。
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