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二人と一匹
痴話喧嘩
しおりを挟む6月のある日。ある食堂兼酒場で痴話喧嘩があった。
「ほんとさー、大変だったんだって」
「私も大変だったのだけど。なんなの、色んな女の子に粉かけて。なに、奥さんにしてくれるって言ってたってっ!」
「えー、そんな事言ったかなぁ。たとえば、かわいいからすぐに結婚出来るとか、良い奥さんになるとか言ったような……?」
「軽い……想定を越えて軽い」
「僕だってかわいい女の子好きだよ。ミリーだってすごくかわいいし、美人だしっ!」
「……なに言ってんのかしら。この人」
「本気本気、ものすっっごい本気で褒めてるのになんで冷たい目でみられるの!?」
この辺では見ないような赤毛の娘と少し異国を感じさせる青年の組み合わせは大変目立っていた。
少々お酒も入ってきているのか、声も大きくなりがちである。近くの席まで余裕で聞こえる。一部は呆れたように視線を向けてはヤジを飛ばす始末だ。
酔っぱらいは彼女の味方のようだ。
時々、ミリーちゃんかわいいが飛んでくる。
「あんたさ、やっぱり故郷に帰りなさいな。こんな男ろくでもないから。冒険者なんてつぶしのきかない仕事してもいいことないよ」
店主は呆れて仲裁に入った。
かれこれ似たようなやりとりを半刻も続けている。いい加減飽きてきた。痴話喧嘩でなく実は惚気ているのではないかと疑い始めたくらいだ。
このミリーという娘がやってきたのは一週間くらい前のことだった。こういう感じの人知りません? と疲れ切ったような姿でやってきたのだ。逃げ出した恋人を追ってきたと言っていたが、滲み出る雰囲気からいいところのお嬢さんだというのはわかった。
逃げ出したというより身をひいたが正解ではないかと店主は睨んでいる。
この青年は確かに軽く女性を褒めたりする。だが、女性だけでなく老若男女変わらずに褒めたりした。
店主もなんども料理を褒められたものだ。異国にこんな料理があってとさりげなく強請るのもうまい。
ある意味、悪い男ではあるが悪人ではない。知らせ一つ寄越さずふらっと消えるようなタイプではないだろう。
「うっ。で、でも、いいところもあるんですっ! 猫とか猫とか猫とか」
「……僕の価値について考えたい……」
「ははっ。クリス様はそりゃあ素敵な殿方だからね。皆が離さないさ」
白猫はテーブルの下でにゃあと鳴いた。
店主がやれやれ、といった様子で去って行くのをミリアはそっと見た。
ミリアはこの町にいなくなった恋人を探しに来た、という設定で滞在して一週間。ようやく昨日の遅くにナキが戻ってきたようだ。
帰ってきたのは白猫が知らせてくれたが、それも今日の昼を過ぎてからのこと。そこから探して今はもう夕方で早めの夕食や晩酌の時間だ。
なんだか随分疲れていたように見えたので労りたいところではあったのだが、ようやく見つけた不実な恋人を詰るというお仕事があった。
全部、信憑性といいだしたクリス様が悪い。白猫はテーブルの下で毛繕いをしている。
それから伸びをしてミリアの膝に乗ろうとしたが、彼女は拒否した。
「汚れちゃうからダメ」
白猫はその言葉に諦めたように足下で丸くなっていた。
テーブルには夕食と言うよりつまみが並んでいる。あれこれ興味をもったミリアのために頼んだようだった。
串焼きというものは知っていたが食べたのは初めてだ。串をもってかじりつくなどしたこともない。ミリアはテーブルマナーも気にせずに食事をしているつもりだが、その所作がきれいすぎて少々浮いていた。
「ところでこのくらいでよかったの?」
ミリアは気になったところをひっそり尋ねる。痴話喧嘩などしたことがない。恋人のふりというのも初めてだ。婚約者はいたが、その婚約者は別の人に夢中だったのだから。
なにかつまんでいて返答がないのかとミリアは思っていたが、いつまでたっても返事は帰ってこない。
視線を向ければショックというような表情のナキがいた。
「ううっ。相棒に負けた」
「ナキ?」
「はいっ!」
「聞いてた?」
「ち、近い近いっ! や、僕ね、意外と免疫がなくってっ!」
ミリアがずいっと近寄ると随分と慌てたようにナキは体を離してきた。既に頬に赤みが差しているのは先ほどからちびちびと飲んでいる酒のせいだけではないだろう。
「ふぅん?」
「仕事ではリップサービスくらいはするよ。でもプライベートではぜんっっぜんダメな感じなのですよ……」
「ふぅん?」
「近いってっ!」
「にゃあ」
それくらいにしておきなよ、と言いたげな鳴き声が足下から聞こえた。
ミリアは元の体勢に戻ることにした。ナキがほっとしたように息を吐いたのが面白くない。
「それで?」
「それで?」
オウム返しに問い返された。
「どうだったの?」
頬杖をついて、ミリアは首尾を尋ねた。
「大丈夫だと思うよ」
「良かった。それで、あなたのお仕事はどうだったの?」
ナキはなにかを誤魔化すように笑ったようにミリアには思えた。しかし、それを指摘はしなかった。もう一度同じようなことをしたいわけではない。
それより、砦の様子の方が気になる。ナキは仕事で砦に詰めていたのだから、普通に聞いていい範囲内だろう。仕事がどうだったか、なんて聞くのはおかしくない。
二人にとって酒場兼食堂という人が聞いていているような場所での話題はそう多くはなかった。
「うーん。慌てて殿下が帰られて、それから砦内の人たちもばたばたといなくなったりして、見回りの仕事が増えてって疲れた。
四交代が二交代になったってひどくない!? 支払いも渋られたし、なんなんだよって感じ。ギルドに苦情あとで言いにいくから」
「そう。ここも確かに人の出入りが激しかった気がする」
「まだまだ、国外に出るのは無理そうなんだよね。っていうわけで、家に帰りなよ」
「イヤ」
「……いいけどね。僕は。逗留長引きそうだけど、養えるかな。ちょっと心配」
「大丈夫よ。あなたが押さえていた部屋の隣が空いてるのですって。借りてきたわ。
それから、明日からここで働くの」
「え?」
「実は、最初にきたときにちょっとお手伝いしたら気に入られて。商家の娘だから計算出来るって話をしたの。色々なところの帳簿つけのお手伝いから始めることにしたわ。商業ギルドにも登録したから身分証もばっちり」
「……有能すぎて、僕はどうすればいいのか」
「ちょっとヒモ生活でもすれば?」
「ぐっ。便利屋と採取クエスト請け負って小銭稼ぎします……」
ナキは少しだけ落ち込んだようにそういっていた。
ミリアには少し不思議に思える。話に聞いていた冒険者っぽくはない。
「冒険者のお仕事は?」
「それも冒険者のお仕事。モンスター討伐はあまりここら辺じゃ出ない。兵士の訓練兼ねて狩られちゃうんだよね。ほら、国境だから。
それに討伐系は今なら、もう一度砦に呼ばれそうだから絶対回避」
「そう」
「なぁに?」
じっと見つめてきたミリアにナキはそう尋ねる。
今は、恋人の振り、である。恥ずかしがる場面でもないかとミリアはにこりと微笑んだ。
「その、一緒にいれて、うれしいわ」
「……やーだーもー」
ナキは顔を両手で覆っていた。ちらりと見える耳が赤い。
ここまでダメ押ししておけば不審には思われないだろう。しかし、この恋人のふりというのはとても恥ずかしい。
熱くなる頬を誤魔化すようにミリアは薄いお酒を口に運ぶ。ほのかに果実の味がするが、以前もらった水の方が遙かにおいしかった。
「にゃーにゃー」
「うるさい。干し肉あげただろ。もう、俺、どこまで保つかわかんない。あー、魔性の女じゃないの?」
「誰が?」
「にゃう」
「はい、わかってます。そこまで理性ぶん投げてない、たぶん、きっと、そうだといいなぁ」
それは酔っぱらいが、猫に絡んでいるように見える。
おそらくは彼らの中では会話が成立しているのだろう。ミリアにはちょっと面白くない。白猫にその気がないのか、今は全く話が理解出来ない。
ただの猫のようににゃうにゃう言うだけだ。
残りの酒とテーブルのつまみを片付けたころには既に夜と言って良い時間だった。
ナキは酔っぱらっていたのか今までの冒険などを軽快に語っていた。ミリアはくすくすと笑ってばかりだった。
途中で白猫が合いの手をいれてきたりするので、より面白く感じた。
ミリアにはナキの苦労も失敗も軽く笑い話にしてしまえる強さを羨ましく思う。
それでも最後の方が酔っている自覚があるのか水を飲んではいた。潮時かとミリアは席を立った。
「ほら、酔っぱらい。帰るわよ」
「はぁい。あ、女将さん、明日からうちの可愛い人よろしくねーっ! ダメだよ、変な男寄せちゃあ」
「あんた以上に変なヤツはいないから安心しなっ!」
「えー」
ナキは不満げに返したがそれ以上はなにも言わなかった。
ミリアに手を繋がれ引っ張られたことで大変大人しくなる。その後ろを白猫がとことことついていく。
夜もまだ浅いせいか人通りはそれなりにあった。街灯がぽつりぽつりと立っていた。確かにこの町は栄えているのだろう。国境が近いという立地を考えれば夜は真っ暗でもおかしくないのだ。
店を出て、どちらに向かうべきだろうかと少し迷う。
人の動きは一定にの法則があるようだった。足早に人が去る方へ視線を向けるとナキにこっちと言わんばかりに手を引かれた。
「あっちは、ダメ。歓楽街」
なるほど。歓楽街のほうは今からが仕事の時間だ。ミリアは大人しくナキに従う。別にそちらに行きたいわけではない。昼間でも行かない方が良いと言われたくらいだ。
出てきた店から遠ざかるにつれて街灯が減っていく。かわりに家々の明かりが灯っているのがわかる。
白猫は先に歩いて行く。白いシッポがゆらゆらしていた。
隣から機嫌の良さそうなメロディが聞こえてくる。聞いた事のない歌。既に手は離されている。触れようと思えば出来る距離感。
得体の知れない、としか言いようもない男は、なにを考えていたのだろうか。好んで面倒を抱えたわけではないようだ。
ミリアの素性を知り、その立場を理解して、なお、手を差し出した。
「……なぜ、助けようとしたの?」
その言葉に彼は急に立ち止まった。急なことに反応し損ねて数歩越してからミリアは振り返った。
「ひとめぼれ? かなぁ。海の底の青」
ナキは真顔で、ミリアの目を見据えた。
「故郷の、うみのいろ」
そういってナキはへらりと笑う。ミリアにはひどく切なそうに聞こえた。
酔っていることをいいことに聞いてはいけなかった。
無くしたモノを懐かしむような、愛おしいものを見つけたような視線は今までと違うように思えた。
「みゃう」
先を歩く白猫が早く早くと催促するように振り返る。
「早く帰りましょ」
なにもなかったようにミリアはナキの手を引いた。
「え、はやい、はやいってっ!」
少しだけ素面に戻ったようにナキは慌てていた。
ミリアが、とてもどきどきしたのは、お酒のせいで。
顔が熱いのもやっぱりお酒のせいだ。
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