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聖女と隠者と聖獣
一方そのころ王国では5
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罰が当たったのかしら。
エリゼはそう思い、薄く笑った。結婚式を控え、家へ一度立ち寄ったエリゼは屋敷の様子がおかしいことに気がついた。
前からおかしかったのだが、以前の様子を知らないものでも違和感を覚えるほどに淀んで暗い。
家から帝国の帝室に嫁ぐ娘が出たという喜びはそこにない。凋落を予感させる重苦しさが漂っていた。
それも仕方がない。ねだれば家の没落くらい容易い。姉が嫁いだ先はそういうところだ。もし予定通り王太子と婚姻したときでも同じ運命になりかねないことをこの家の者は誰も認識していなかった。
エリゼがそれを許さないだろうと信じていた。
エリゼとて役に立つならばとめることは考える。しかし、両親もその血族も屋敷の使用人も今のエリゼには役に立つとは思えない。むしろ、足手まといでしかないだろう。
親し気に声をかけてくる者たちに笑みを返し、エリゼは父の私室を訪れた。彼はもう王城にあがることは許されていない。ミリアルドへの発言を危険視されてのことだ。謙遜としてもミリアルドを出来の悪い娘とは言ってはいけない。その空気感すらわかっていなかったのだ。
度を越えたほどの帝国への配慮は千載一遇の機会をものにするための努力だ。滑稽と笑ってはいけないのだろう。
本来は祝われるべき婚姻をおざなりしてしまうほどに帝国の皇女の縁談は大きな出来事だ。聖女の娘という第一皇女をミリアルドの代わりに出したのは、帝国側も今は国外とことを構えたくないということの現れだろう。
それを理解せず、降ってわいた幸運に喜ぶのだから老害というのだわ。エリゼはそろそろ隠居してもらう老人たちを思い出した。
国内のもめ事を解決した後は、皇女を足掛かりに周囲の国に争いを振りまくだろうと予想もしない。
姉ならばとエリゼが考えることは増えた。屈辱的だが、エリゼは姉に甘えていた一面があると認めなければいけない。国内のことは任せておけばいい。そう思えるほどには信頼していた。
追い出した後に気がつくなどばかばかしい。今も姉の呆れかえった表情を思い出せる。
そんなことを考えているうちに、目的の部屋までエリゼはやってきた。扉を叩き、室内に入れてもらうこともこの先はないだろうとそれだけは少し感慨深く思った。
「まあ、お父様、しばらくお顔を見ないうちにお疲れになってますのね」
優しい娘の顔で、父を慰撫する。エリゼはこの顔の効果を知っている。今の彼女は初めて母と会った年に近い。遠い記憶に縋るようにそこに過去の妻を見る。
あるいは既に年を取り、今は怯えて部屋にこもり切りの妻よりも娘に期待してしまうだろう。
「エリゼ、殿下のお心はつかんでいるのであろうな。妻の座を譲っても気持ちさえあればいずれは報われるであろう」
未だに蒙昧なことを言う。
エリゼは柔らかく微笑む。はらわたが煮えるような思いを隠すには微笑むのだと姉に習った。穏やかに微笑んでいればいいのだと信じていたような姉は、もういない。
彼女は知らなかったようだが、シリル殿下はそれを嫌っていた。いや、恐れていたといっても過言ではない。
どこが、と言われても困るようなものだがミリアルドは王家の王女たちに似ていたのだ。
「ええ、お父様。殿下とは仲良くしています」
エリゼは微笑みながら確たることは言わない。愛しているのはエリゼだけだ、お飾りでも権威ある妻がいると説得されている話などする必要はないだろう。
婚約者の次は花嫁を変えようとしていると裏で言われていても、彼にはそれしかないのだろう。王に向かないと言われ続けていたが王太子であり続けていたのだから大丈夫と思っていたのだろう。
甘い見通しだとエリゼは思っていたが、言いはしなかった。不興を買いたくないのもそうだが、王位の有無はエリゼには関係なかった。殿下が望むならばと多少の後押しをしたが、無理をしてまでしようとは思わなかった。
王位は彼の目標と願望で、エリゼの望みではない。彼の望みが私の望みという気はエリゼにはない。
だから、花嫁の変更を願う彼に確たる言葉は与えなかった。同意しているのだからと甘い逃げ道は必要ないだろう。
エリゼの表情をどうとらえたのか父は独り言のように言葉を続ける。
「殿下にはすぐに即位してもらわねば」
エリゼは曖昧に微笑んだままだった。父の望みは否定しないが、後押しもしない。それは簒奪の誘いだと気がつかないほど愚かに見えるのだろうか。あるいは、帝国の意向を無視したもの。それでなければ、西方のお方への反逆。
いつまでも言えば動く娘と思われているのだ。
「エリゼもぼんやりとせず、殿下の手伝いを」
「ええ、先はお任せください」
まだ言い募ろうとする父の言葉を遮って、エリゼは告げた。今まで一度もしたことがない態度に父は目を見張っていた。エリゼは幼い子のようにいつまでも言うことを聞いていると信じていたのかと笑いたくなる。
「息災にお過ごしください。
さようなら」
呆然とした父を置いてエリゼが部屋を出れば、軍服の男が立っていた。
「お別れはお済ですか」
「ええ、どうぞ」
エリゼが同意をすれば、その男の後ろにいた男たちが室内に入り込んでいった。既に屋敷内は制圧されている。遠く金切り声が聞こえてくるが、あれは母だろうかと視線を向けるがそれらしき姿は見えなかった。
「伯爵夫人にはお会いしますか?」
「いいえ。必要ないわ」
エリゼはそう答え、歩き出した。つき従うようにいる男へちらりと視線を向けたがついてくるなとは言わなかった。
近衛というのは王家直属の部隊だ。それが二分されていることをエリゼが知ったのは最近だ。王族の護衛として皆の前に姿を見せるものと王族の依頼に応えるために存在するものと。陰に潜むものもいるらしいが、その姿を見るのは王妃にでもなればという話だ。
彼らは父の捕縛にきたのだ。それも速やかに知られぬように行うために。娘であるエリゼへ協力を要請するほどに追い詰められていたようだった。エリゼは貸しになるかとあっさりと父に見切りをつけた。反逆の意志ありと連座されては困るのだ。
幸い今の父の罪状は横領だ。普段は目こぼしをし、邪魔になった途端に取り立てに来る。裏の事情を隠しておくには便利なもの。
なにも式の数日前にと思うが、それ自体はエリゼは何とも思っていない。貴族用の監獄か領地療養になる程度の話だ。数年後には何事もなかったように戻ってこれる可能性もある。大人しくしていれば、という但し書きがつくが貴族をずっとやっていた父が見誤りはしないだろう。危ういのは母のほうだが、そちらは関与しない。
年頃の娘に夫がとられるという妄言を言いだすようなものを母とも呼びたくもない。血がつながっていないといまさら言われても、だから、という程度だと理解しない。
薄々は察していた。母親似と言われ、父には全く似ているところがないのだから怪しむなというほうが難しい。
ミリアルドが似ていないのは東方のお方の血の強さと理由がついても、エリゼにはそれほど強い理由がない。そのうえ、父には他に子がないのだ。隠し子すらいないことを思えば、父に同情すらする。
父の血は残らない。厳然たる事実としてそこにある答えは男として考えれば屈辱だろう。
「減刑を嘆願しますか?」
「いいえ。必要ないでしょう。身内に甘いと知られるほうが今後に支障があるでしょうから」
「承知しました」
いぶかし気な視線を感じて、エリゼは彼を振り返った。
「なにか?」
「聞いていた噂と違うものですから」
「恋しい相手であれば、好みのようにふるまうのは当然でありませんか」
エリゼは当たり前に答えたつもりだが、相手は絶句したようだった。
「騙されないように気をつけたほうが良いのではなくて?」
「肝に銘じます」
生真面目に返され、エリゼはくすくすと笑った。
手駒に加えられるかもしれないと考えながら。
「殿下っ! お父様が連れていかれてしまったのっ!」
王城に戻ってすぐにエリゼはシリル王子の元へと向かった。執務室に飛び込むなり涙目で嘆くさまは心優しい娘のように見える。
役者だ。
それを横から見届けたルブランはそう思った。冷静どころか冷ややかに減刑の嘆願を否定した少女とは思えない。母親の話をした時の侮蔑に満ちた表情が幻であったのではないかと思うほどだ。
屋敷にこもり、出入りするものを厳選していたリール伯。彼を事を荒立てずに捕まえるのはひどく難航するかに思えた。期限も婚姻までの間と各国の大使がいるような中で通常行われることではない。王妃自らの願いでなければ、立案されもしなかっただろう。
期日が迫る中、埒が明かずエリゼに門戸を開く手伝いをしてくれないかと打診したのは彼だった。だが、断られると思っていた。
軽く別れの挨拶くらいは必要かしらとあっさりと同行をしてくれることになった。事前に手紙を送り不審がらせないように手配をしていたのも意外だった。
世間話をするように、私の新しいお父様はどなたかしらと言いだすくらいには頭が良い、らしい。ルブランにはついていけない世界だ。それだから出世しないのだと上司に言われても田舎育ちの三男坊にはピンとこない。
表側を彩るほどには見栄えもせず、一般兵をやるには惜しいと微妙な評価で近衛に燻っているルブランのほうが少数派ではある。国のためにも家のためにも燃えることもなく、出来れば穏便な余生が欲しい。ついでに嫁も。
しかしながら、今、若い娘が豹変するところを目の当たりにして嫁は再検討案件に入れた。
その場の状況を確認して、ルブランはその場を去った。あとは若い二人で何とかやってくれと見切りをつけたのもあるが、報告も必要なのだ。
「殿下は驚いた、か」
シリル王子は執務室にいきなり訪れたエリゼにも、その話の内容にも驚いていた。エリゼは実家を訪れることを隠していなかった。侍女たちにも土産の品を用意させるなど意図的にその行動を知らせていたともとれる。
事前に一時的に実家に顔を見せるとも言ってきたとエリゼも言っていたのでそれは知っていたのだろうがこの結末は予想外だったようだ。
王妃の意向は彼には伝わっていなかった。エリゼも気がついていた横領ということも気にも留めていなかったのだろう。シリル王子にとって後ろ盾にもなるであろう婚家のことだというのに。
ルブランもあのような人であっただろうかと疑問が頭をもたげるが、それを追い出した。今は取り上げられようとしている王位に気を取られていたのかもしれない。それを回避するためには幼い皇女か、最近現れた聖女を妻とするくらいしかない。それ以外ならば、簒奪するか他の候補がいなくなるかのどちらかだろう。
どれも世間的ウケはよくないだろうとルブランも思う。挙式を数日後に控えて花嫁を差し替えるのも外聞が悪い。婚約者を挿げ替えたのは半年くらい前で、それも、美談に仕立て上げているだけにさらに悪印象になるだろう。
大人しくミリアルド嬢を妻にしておけば、愛人としてエリゼも手に入り治世もほどほどになったであろうにと一般庶民としては思うのだが。
ただ、あのご令嬢がたを妻と愛人にしたいとはルブランは一ミリも思わない。
楚々とした令嬢であるエリゼがその通りでなさそうであるし、淑女としてよりも統治者としての頭角を表していたミリアルドは手に負えそうにない。
一人でも尻に敷かれる前提でもご遠慮したい。
「冴えない顔してるな」
「うるせぇよ」
突然の声にルブランは驚かずに返答した。視線を向けなくてもどこからともなく現れて斜め後ろにある気配に気がついている。その男の立場は先輩というべきではあった。半年以上前にふらっといなくなっていつの間にか戻ってきた。今はジュリアの身辺にいるはずだったが、なぜ離れてきたのだろうか。
「我が姫から指令が来てるぞ。俺はしないけど」
疑問を問う前に彼は答えた。
「じゃあな。心折られないよう祈っているよ」
彼は気楽な口調でルブランの肩を叩き、追い越していった。さりげなくポケットになにかを入れていく手腕はスリに向いているように思える。
ポケットの中にあった紙には簡潔に書かれた一文だけだった。
ルブランは隠しの暗号があるのかと疑い透かしてもなにもない。
「心折れる?」
ナキというものについて調べて欲しい。
たったそれだけの言葉だった。これのどこに心折れる要因があるのだろうか。
ルブランもナキという男がいるということは知っている。昨日、ルー皇女の従姉についてきた男だという。ユークリッド将軍の血縁で、貴族ではない。本来なら王城に上がることも許されないような身分ながら特別の計らいをされているとは聞いた。
ルー皇女が特別に気に入っている従姉の心証を悪くするのは得策ではないという判断であろう。あるいは難癖をつけるほど暇でもなかったか。
ナキを見た他の同僚の言い分によれば、腑抜けた男と女性讃美者とただならぬ雰囲気がしたなど意見が別れている。
ルー皇女と従姉の面会に同席したものによれば、あれはそうとうの手練れだとうむうむと頷いていた。
なにがと聞き返せなかったのは、腕はたつが変人であったからだ。感覚が違うので参考にならない。
ルー皇女の従姉ではなく、その連れのおまけみたいな男のほうにジュリアの興味があるというのはルブランには不思議に思えた。
しかし、指令は指令である。断る必要もない。まずは報告とルブランは上司の元へと急いだ。
断っておけばよかったとルブランが思ったのはその日のうちだった。
エリゼはそう思い、薄く笑った。結婚式を控え、家へ一度立ち寄ったエリゼは屋敷の様子がおかしいことに気がついた。
前からおかしかったのだが、以前の様子を知らないものでも違和感を覚えるほどに淀んで暗い。
家から帝国の帝室に嫁ぐ娘が出たという喜びはそこにない。凋落を予感させる重苦しさが漂っていた。
それも仕方がない。ねだれば家の没落くらい容易い。姉が嫁いだ先はそういうところだ。もし予定通り王太子と婚姻したときでも同じ運命になりかねないことをこの家の者は誰も認識していなかった。
エリゼがそれを許さないだろうと信じていた。
エリゼとて役に立つならばとめることは考える。しかし、両親もその血族も屋敷の使用人も今のエリゼには役に立つとは思えない。むしろ、足手まといでしかないだろう。
親し気に声をかけてくる者たちに笑みを返し、エリゼは父の私室を訪れた。彼はもう王城にあがることは許されていない。ミリアルドへの発言を危険視されてのことだ。謙遜としてもミリアルドを出来の悪い娘とは言ってはいけない。その空気感すらわかっていなかったのだ。
度を越えたほどの帝国への配慮は千載一遇の機会をものにするための努力だ。滑稽と笑ってはいけないのだろう。
本来は祝われるべき婚姻をおざなりしてしまうほどに帝国の皇女の縁談は大きな出来事だ。聖女の娘という第一皇女をミリアルドの代わりに出したのは、帝国側も今は国外とことを構えたくないということの現れだろう。
それを理解せず、降ってわいた幸運に喜ぶのだから老害というのだわ。エリゼはそろそろ隠居してもらう老人たちを思い出した。
国内のもめ事を解決した後は、皇女を足掛かりに周囲の国に争いを振りまくだろうと予想もしない。
姉ならばとエリゼが考えることは増えた。屈辱的だが、エリゼは姉に甘えていた一面があると認めなければいけない。国内のことは任せておけばいい。そう思えるほどには信頼していた。
追い出した後に気がつくなどばかばかしい。今も姉の呆れかえった表情を思い出せる。
そんなことを考えているうちに、目的の部屋までエリゼはやってきた。扉を叩き、室内に入れてもらうこともこの先はないだろうとそれだけは少し感慨深く思った。
「まあ、お父様、しばらくお顔を見ないうちにお疲れになってますのね」
優しい娘の顔で、父を慰撫する。エリゼはこの顔の効果を知っている。今の彼女は初めて母と会った年に近い。遠い記憶に縋るようにそこに過去の妻を見る。
あるいは既に年を取り、今は怯えて部屋にこもり切りの妻よりも娘に期待してしまうだろう。
「エリゼ、殿下のお心はつかんでいるのであろうな。妻の座を譲っても気持ちさえあればいずれは報われるであろう」
未だに蒙昧なことを言う。
エリゼは柔らかく微笑む。はらわたが煮えるような思いを隠すには微笑むのだと姉に習った。穏やかに微笑んでいればいいのだと信じていたような姉は、もういない。
彼女は知らなかったようだが、シリル殿下はそれを嫌っていた。いや、恐れていたといっても過言ではない。
どこが、と言われても困るようなものだがミリアルドは王家の王女たちに似ていたのだ。
「ええ、お父様。殿下とは仲良くしています」
エリゼは微笑みながら確たることは言わない。愛しているのはエリゼだけだ、お飾りでも権威ある妻がいると説得されている話などする必要はないだろう。
婚約者の次は花嫁を変えようとしていると裏で言われていても、彼にはそれしかないのだろう。王に向かないと言われ続けていたが王太子であり続けていたのだから大丈夫と思っていたのだろう。
甘い見通しだとエリゼは思っていたが、言いはしなかった。不興を買いたくないのもそうだが、王位の有無はエリゼには関係なかった。殿下が望むならばと多少の後押しをしたが、無理をしてまでしようとは思わなかった。
王位は彼の目標と願望で、エリゼの望みではない。彼の望みが私の望みという気はエリゼにはない。
だから、花嫁の変更を願う彼に確たる言葉は与えなかった。同意しているのだからと甘い逃げ道は必要ないだろう。
エリゼの表情をどうとらえたのか父は独り言のように言葉を続ける。
「殿下にはすぐに即位してもらわねば」
エリゼは曖昧に微笑んだままだった。父の望みは否定しないが、後押しもしない。それは簒奪の誘いだと気がつかないほど愚かに見えるのだろうか。あるいは、帝国の意向を無視したもの。それでなければ、西方のお方への反逆。
いつまでも言えば動く娘と思われているのだ。
「エリゼもぼんやりとせず、殿下の手伝いを」
「ええ、先はお任せください」
まだ言い募ろうとする父の言葉を遮って、エリゼは告げた。今まで一度もしたことがない態度に父は目を見張っていた。エリゼは幼い子のようにいつまでも言うことを聞いていると信じていたのかと笑いたくなる。
「息災にお過ごしください。
さようなら」
呆然とした父を置いてエリゼが部屋を出れば、軍服の男が立っていた。
「お別れはお済ですか」
「ええ、どうぞ」
エリゼが同意をすれば、その男の後ろにいた男たちが室内に入り込んでいった。既に屋敷内は制圧されている。遠く金切り声が聞こえてくるが、あれは母だろうかと視線を向けるがそれらしき姿は見えなかった。
「伯爵夫人にはお会いしますか?」
「いいえ。必要ないわ」
エリゼはそう答え、歩き出した。つき従うようにいる男へちらりと視線を向けたがついてくるなとは言わなかった。
近衛というのは王家直属の部隊だ。それが二分されていることをエリゼが知ったのは最近だ。王族の護衛として皆の前に姿を見せるものと王族の依頼に応えるために存在するものと。陰に潜むものもいるらしいが、その姿を見るのは王妃にでもなればという話だ。
彼らは父の捕縛にきたのだ。それも速やかに知られぬように行うために。娘であるエリゼへ協力を要請するほどに追い詰められていたようだった。エリゼは貸しになるかとあっさりと父に見切りをつけた。反逆の意志ありと連座されては困るのだ。
幸い今の父の罪状は横領だ。普段は目こぼしをし、邪魔になった途端に取り立てに来る。裏の事情を隠しておくには便利なもの。
なにも式の数日前にと思うが、それ自体はエリゼは何とも思っていない。貴族用の監獄か領地療養になる程度の話だ。数年後には何事もなかったように戻ってこれる可能性もある。大人しくしていれば、という但し書きがつくが貴族をずっとやっていた父が見誤りはしないだろう。危ういのは母のほうだが、そちらは関与しない。
年頃の娘に夫がとられるという妄言を言いだすようなものを母とも呼びたくもない。血がつながっていないといまさら言われても、だから、という程度だと理解しない。
薄々は察していた。母親似と言われ、父には全く似ているところがないのだから怪しむなというほうが難しい。
ミリアルドが似ていないのは東方のお方の血の強さと理由がついても、エリゼにはそれほど強い理由がない。そのうえ、父には他に子がないのだ。隠し子すらいないことを思えば、父に同情すらする。
父の血は残らない。厳然たる事実としてそこにある答えは男として考えれば屈辱だろう。
「減刑を嘆願しますか?」
「いいえ。必要ないでしょう。身内に甘いと知られるほうが今後に支障があるでしょうから」
「承知しました」
いぶかし気な視線を感じて、エリゼは彼を振り返った。
「なにか?」
「聞いていた噂と違うものですから」
「恋しい相手であれば、好みのようにふるまうのは当然でありませんか」
エリゼは当たり前に答えたつもりだが、相手は絶句したようだった。
「騙されないように気をつけたほうが良いのではなくて?」
「肝に銘じます」
生真面目に返され、エリゼはくすくすと笑った。
手駒に加えられるかもしれないと考えながら。
「殿下っ! お父様が連れていかれてしまったのっ!」
王城に戻ってすぐにエリゼはシリル王子の元へと向かった。執務室に飛び込むなり涙目で嘆くさまは心優しい娘のように見える。
役者だ。
それを横から見届けたルブランはそう思った。冷静どころか冷ややかに減刑の嘆願を否定した少女とは思えない。母親の話をした時の侮蔑に満ちた表情が幻であったのではないかと思うほどだ。
屋敷にこもり、出入りするものを厳選していたリール伯。彼を事を荒立てずに捕まえるのはひどく難航するかに思えた。期限も婚姻までの間と各国の大使がいるような中で通常行われることではない。王妃自らの願いでなければ、立案されもしなかっただろう。
期日が迫る中、埒が明かずエリゼに門戸を開く手伝いをしてくれないかと打診したのは彼だった。だが、断られると思っていた。
軽く別れの挨拶くらいは必要かしらとあっさりと同行をしてくれることになった。事前に手紙を送り不審がらせないように手配をしていたのも意外だった。
世間話をするように、私の新しいお父様はどなたかしらと言いだすくらいには頭が良い、らしい。ルブランにはついていけない世界だ。それだから出世しないのだと上司に言われても田舎育ちの三男坊にはピンとこない。
表側を彩るほどには見栄えもせず、一般兵をやるには惜しいと微妙な評価で近衛に燻っているルブランのほうが少数派ではある。国のためにも家のためにも燃えることもなく、出来れば穏便な余生が欲しい。ついでに嫁も。
しかしながら、今、若い娘が豹変するところを目の当たりにして嫁は再検討案件に入れた。
その場の状況を確認して、ルブランはその場を去った。あとは若い二人で何とかやってくれと見切りをつけたのもあるが、報告も必要なのだ。
「殿下は驚いた、か」
シリル王子は執務室にいきなり訪れたエリゼにも、その話の内容にも驚いていた。エリゼは実家を訪れることを隠していなかった。侍女たちにも土産の品を用意させるなど意図的にその行動を知らせていたともとれる。
事前に一時的に実家に顔を見せるとも言ってきたとエリゼも言っていたのでそれは知っていたのだろうがこの結末は予想外だったようだ。
王妃の意向は彼には伝わっていなかった。エリゼも気がついていた横領ということも気にも留めていなかったのだろう。シリル王子にとって後ろ盾にもなるであろう婚家のことだというのに。
ルブランもあのような人であっただろうかと疑問が頭をもたげるが、それを追い出した。今は取り上げられようとしている王位に気を取られていたのかもしれない。それを回避するためには幼い皇女か、最近現れた聖女を妻とするくらいしかない。それ以外ならば、簒奪するか他の候補がいなくなるかのどちらかだろう。
どれも世間的ウケはよくないだろうとルブランも思う。挙式を数日後に控えて花嫁を差し替えるのも外聞が悪い。婚約者を挿げ替えたのは半年くらい前で、それも、美談に仕立て上げているだけにさらに悪印象になるだろう。
大人しくミリアルド嬢を妻にしておけば、愛人としてエリゼも手に入り治世もほどほどになったであろうにと一般庶民としては思うのだが。
ただ、あのご令嬢がたを妻と愛人にしたいとはルブランは一ミリも思わない。
楚々とした令嬢であるエリゼがその通りでなさそうであるし、淑女としてよりも統治者としての頭角を表していたミリアルドは手に負えそうにない。
一人でも尻に敷かれる前提でもご遠慮したい。
「冴えない顔してるな」
「うるせぇよ」
突然の声にルブランは驚かずに返答した。視線を向けなくてもどこからともなく現れて斜め後ろにある気配に気がついている。その男の立場は先輩というべきではあった。半年以上前にふらっといなくなっていつの間にか戻ってきた。今はジュリアの身辺にいるはずだったが、なぜ離れてきたのだろうか。
「我が姫から指令が来てるぞ。俺はしないけど」
疑問を問う前に彼は答えた。
「じゃあな。心折られないよう祈っているよ」
彼は気楽な口調でルブランの肩を叩き、追い越していった。さりげなくポケットになにかを入れていく手腕はスリに向いているように思える。
ポケットの中にあった紙には簡潔に書かれた一文だけだった。
ルブランは隠しの暗号があるのかと疑い透かしてもなにもない。
「心折れる?」
ナキというものについて調べて欲しい。
たったそれだけの言葉だった。これのどこに心折れる要因があるのだろうか。
ルブランもナキという男がいるということは知っている。昨日、ルー皇女の従姉についてきた男だという。ユークリッド将軍の血縁で、貴族ではない。本来なら王城に上がることも許されないような身分ながら特別の計らいをされているとは聞いた。
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ナキを見た他の同僚の言い分によれば、腑抜けた男と女性讃美者とただならぬ雰囲気がしたなど意見が別れている。
ルー皇女と従姉の面会に同席したものによれば、あれはそうとうの手練れだとうむうむと頷いていた。
なにがと聞き返せなかったのは、腕はたつが変人であったからだ。感覚が違うので参考にならない。
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