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しおりを挟む「そもそもあなた、イケメンじゃないもの。私は助けたりしない。ここで死んでくださる?」
聖女を名乗る異世界からの使者が、僕の世界を壊した。
確かにその瞬間、僕は絶望感に何もかもどうにでもなれと思ってしまった。
魔王になる素質は確かに、聖女の語るようにあったんだろう。
サミュエル、あなただ。
僕の勇者、僕の英雄。
あなたに会えたから、僕は世界を恨んだりしないんだ。
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澄んだ空気を胸に吸い込み、大きく伸びをする。
朝焼けはウルの心に喝を入れてくれる大事な友達だ。
(朝露がおりている間に、クラリスの薬草園へ行かなくちゃ。)
昨日のうちに用意しておいたカバンやら上着を手に、町外れの森にある家を出ると鍵をかける。
「いってきます。」
返す声がないことは分かっている。
ウルは返事を待つことなく、前を見据え森の中へと入っていった。
町にある学院で新米の教師として勤めながら、魔術科の研究員として学んでいるウルはその研究のために毎日クラリスというお婆さんの薬草園にくるのが日課となっていた。
ここ何日かは朝露のつく早朝に通っている。
いつものように町外れにある薬草園についたウルは古びた柵に手をかけ、音を立てないようにとゆっくりゆっくり慎重に押しひらいた。
「ウルちゃん、毎日言っているけれどそんなに気にしなくてもいいのよ。」
「あ!おはようございます、クラリスさん。すみません、おこしてしまいましたか?」
かけられた声にウルが後ろを振り返ると、クラリスが家の窓を開けてこちらを見ていた。
クスクスと笑いながら、おはようと返すクラリスにウルも笑む。
「でも、僕の都合で明け方にお邪魔していますから。いえ…結局起こしてしまっているので、アレですけど。」
口ごもりながら話すウルへとふわりと風が舞う。
クラリスが遊ぶようにくるりと指をさすその先を、風がひとつのドーナツがこちらへと運ぶ。
「ありがとうございます。」
手にしたドーナツは温かい。
まるでクラリス本人の優しさが滲んで溶けたようだとウルは思った。
ひとくち、ぱくりと齧り付く。
まだ出来てから間もないドーナツは、サクサクでふわふわでとても美味しい。
「美味しいです。」
「あら、それは良かった。」
もっと食べていいのよと告げるクラリスの声とリーンゴーンと鐘のなる音が重なる。
「行かないと!遅刻しちゃう。あの、ありがとうクラリスさん美味しかったです。あと薬草、いただいていきますね!また明日!」
急がないと学院に遅れる。と慌てて薬草を袋へと摘むと走り去るウルにクラリスは手を振った。
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「遅刻、ギリギリですよ。」
「す、すみません。」
息を切らして研究室に入った直後、自分へと向けられた冷めた声にウルは肩を揺らした。
別段なにかをしたと言うわけでもないのに罪悪感がジワリと心に滲んで広がる。
早く仕事に取り掛からなくてはと急かされるように割り当てられた席へとウルが手をかけたその時。
「ウル!ウルはいますか?あぁ!ここにいたんですね。」
額の汗をハンカチで拭きながら、学院長がいくつもの指輪に彩られた厚い手でウルの腕を取る。
「さぁ!こっちへ。」
後ろ向きに引かれ、転びそうになりながらウルはついていって良いものかと周りを見回す。
皆が興味がなさそうに、それぞれの仕事をしている姿に抵抗する意味もないと学院長の背を必死におった。
貴賓室の前で、学院長が止まり振り返る。
「失礼のないようにしなさい。」
一言それだけを告げると、返事も待たず貴賓室のノッカーをたたくと声を張り上げた。
「ウルという名の教員をお連れしました。」
「どうぞ、お入りなさい。」
扉の向こうから聞こえる女性の声にならうように学院長が扉に手をかけ押し開けた。
貴賓室の大きな窓から差し込む光が部屋にある装飾をキラキラと輝かせていた。
案内されるままにソファーへと近づきながら、高価そうな調度品が並ぶ部屋にウルはきょろきょろと周りを見回した。
「おかけになって。」
「…失礼します。」
勧められるままにソファーへと腰を下ろす。
沈み込むように腰が座面に包まれるのを感じて、驚きに腰を浮かしかけたウルは人前だと気づくと静かに腰を下ろした。
(これも高そうだ…)
触って汚れでもしたら大変なことになりそうだと手を膝の上で握り、前を向く。
「こんにちは。あなたがウルね?私はミスティア。今代の聖女よ。こちらはアレン殿下。それからそちらの3人は護衛のアルバート、ロキシー、サミュエル。」
「は、はじめまして。僕はウルといいます。」
ミルクティー色の柔らかそうな髪が緩やかなウェーブを描いて肩にかかっている。
明らかに高価そうな身なりの女性は聖女だったのだ。
周りの人達も殿下から王族の護衛を務めるエリートばかりと聞いて、あまりにも自分の世界からはかけ離れているとウルは圧倒されていた。
何故呼ばれたのか、何故自分なのかと聞きたいことはたくさんあるのに気後れして話せないまま俯く。
時折チラリと前髪の隙間からみる彼女はにこにこと人好きのする笑顔を浮かべていたが、その漆黒の瞳だけが冷めているように感じてウルはいいようのない不安に握る手に力を入れた。
「ウル。あなたは優秀な研究生であるのでしょう?それに魔力値も高くていらっしゃる。」
「…ありがとうございます。」
「日頃から魔力なしの人のためになりたいと思っている。違う?」
「いえ、それは…確かに、そうですが。」
(なんの話があるんだろう。)
困惑のまま、聞かれたことにだけ応えるウルに気分を悪くする様子もなく彼女は次々に問いかけた。
「研究の題材も、魔力なしのこと。そうでしょう?」
「ええ…確かにいまは、」
「やっぱり!そうでしょう。」
ただ行き詰まっているから変更しろといわれているのだと続けようとするウルの言葉を遮って、彼女は後ろに控えるように立つアレン殿下へと振り返る。
胸の前で手を合わせて、嬉しそうにはしゃぐ姿を見ながらウルもそちらへと顔を上げた。
「ほら、私が言う通りでしょう?アレン様、放っておいては国が大変なことになってしまいますわ。」
「…あぁ。貴女の力は、本当にすごいな。」
アレンとよばれた男の人が感嘆の表情で彼女をみる。
「うふふ、そんな。大したことではありませんわ。」
「いや、素晴らしい力だ。」
嬉しそうに顔の前で合わされた聖女の白い手を、アレンの手が包む。
見つめ合うふたりはとても美しく絵画のようだ。
「んん、殿下。聖女さまは王太子殿下の婚約者です。どうかそれ以上は…聖女さまも。どうか。」
「あぁ、もうすこし私が早く産まれていたならあなたを妃とする栄誉は私にあったのに。悔しいよ」
控えていた護衛の1人が声をかけると、2人は名残惜しそうに手を離した。
「…サミュエル、どうか殿下には内緒にしてね。私争い事は好きではないの。」
礼をして、一歩下がる護衛にそれを肯定ととったのか満足気に微笑んだ聖女がこちらへと振り返る。
しばらく傍観者となっていたウルは向き直った聖女の真剣な表情に緩んでいた気を引き締め、背筋を正した。
「ウル、よく聞いてください。あなたはこの先の未来で魔力なしがよりよく生きられるための研究を続けていく事でしょう。魔力のないものや少ないものが周囲の魔力を活かせるようにと魔道具をつくります。ですが、残念なことにその試作品の研究途中で失敗。あなた自身の魔力が周囲の魔力を取り込みながら暴走します。」
「…そんな。」
突然に与えられた予言の言葉に動揺を隠せないウルへと、聖女は一度話をきると大きく息を吐き告げた。
「そしてあなたは魔王となるのです。」
「魔王となった君は国に災いをよぶというのだ。それは僕たちとしても困るんだ。だから、申し訳ないが君の人生はここまでだ。」
聖女の言葉を引き継ぐようにアレンが話を続けていく。
その言葉が意味する恐ろしい結末に、ウルは咄嗟に声を上げた。
「そんな!お待ちください。ぼ、ぼくはまだその研究をしてはいません。研究はやり方を変えれば、何か手立てはあるはずです。」
必死なウルの訴えが途切れた瞬間、小さなけれどはっきりとした答えが返ってきた。
「…嫌よ。」
「…え。」
「だって、ゲームの攻略大変だったもの。隠しキャラでもないし、ハーレムエンドなんて魔王がいたら夢のまた夢だわ。せっかく聖女に転生したならハーレムエンド一択じゃない!」
「…なにを、仰っているのですか?すみません、分かるように…」
「そもそもあなた、イケメンじゃないもの。私は助けたりしない。ここで死んでくださる?」
「…そんな。」
(そんな、そんなこと…理不尽だ。)
押し問答にすらならない一方的な決定通知に呆然とするウルへと、聖女は冷たい微笑みと共にその口をひらいた。
「さようなら。」
ピンクいろの綺麗な唇が奏でる冷たい終わりにウルの頬を涙が一筋落ちた。
それを見届けると聖女はくるりと向きを変え、部屋を出ていく。
「あとは任せたよ。」
追いかけたアレンが聖女の腰を抱き、仲睦まじい様子で去っていく。
それに付き従うように1人だけ護衛が部屋を退室した。
(どうして。)
騎士が左右から一歩また一歩とウルへと近づいてくる。
(…怖い。なんで、どうして。)
逃げないとダメだと心が叫ぶのに、恐怖からか足が縫い止められたように動かない。
怖くて仕方ないのに、一瞬でも騎士たちから目を逸らせば斬り捨てられてしまいそうで瞬きすらもできない。
開いた目が、乾燥からか感情によるものかじわりと滲んで歪む。
(…しにたくない。)
「大丈夫だ。」
「…え。」
心の叫びに反応したかのような騎士の声に、ウルの意識と視線がそちらへと向かう。
「君を殺したり、害したりしない。」
「…なんで。」
真剣な表情で、両の手をあげたまま少しずつこちらへと寄る騎士を見つめる。
「とにかく、今は早く学院からでよう。アル、我らが王太子殿下に報せてくれ。」
深く頷いたアルバートを横目に、ウルの手をとるとサミュエルは颯爽と歩き出した。
貴賓室に続く煌びやかな廊下を足早に横切った2人は、学院の庭園を進んだ。
木々の間を縫いながら、ウルは迷いなく進んでいくサミュエルの背を追いかけた。
(森の中で殺されるなんてこと、でも、それなら、さっき。)
「あ。」
庭園の整えられた林から、いつの間にか裏山に入っていたらしい。
ぬかるみやら石やらで足場が悪くなっていることにも気がつかず走っていたウルは石につまづいた。
地面に倒れると、焦ってとにかく縋るように出した手があたたかな何かを掴む。
目の前に斜めに出されたそれを辿ると思いの外近くにサミュエルの整った顔があって、こちらを心配そうに見つめていた。
「ご、ごめんなさい。」
「いや、大丈夫か?足元気をつけて。」
こくこくと頷くウルの頭に手がポンと置かれる。
大丈夫だと安心させるようなその仕草に涙腺が緩む。
「もう少しだから、頑張ろう。」
「はい。」
目尻に溜まった涙を袖で拭うと、ウルは顔を上げてサミュエルを見つめた。
「いこう。」
差し出された手を取ることを、ためらう気持ちはなかった。
素直に置かれた手を包むあたたかさを、目の前の微かに笑むその人を信じたいとウルは思った。
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