カーマン・ライン

マン太

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第5章 波乱

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 どれほどの時間が経ったのか、艦は振動をやめた。
 奮闘が功を奏したのか、機体が火を噴くこともなく、また衝突することもなく、滑る様に地表に降り立ったのだ。砂丘の上に運良く降りれたのが良かったのだろう。
 しかし、着陸と同時に動力を失った様で、エンジンの稼働表示が消えている。着陸の衝撃で不具合が起きたのだろう。もう、復活させる事は難しい。
 ソルは傍らのユラナスを振り返ると。

「無事ですか?」

「…はい。なんとか」

 ユラナスは固いながらも安堵の表情を浮かべている。アレクを見れば、乱れたのは髪くらいで、後はしっかりとシートに固定されたままになっていた。その姿にホッと息をつく。

「ユラナス、すぐにここを脱出しましょう。脱出用シャトルは動かせますか?」

「はい──。動かせます。異常はありません」

「すぐ準備をしましょう」

 ユラナスと二人、アレクを艦長室へと運び終えると、すぐに脱出準備に取り掛かった。
 デスクの上のコンソールパネルから切り離し作業を進める。ソルはキーボードを叩きながら傍らのユラナスを振り返った。

「ユラナス。この上空のガスは何時まで晴れているんでしょうか?」

 備え付けの巨大モニターには外部の景色が映し出されていた。赤い地表の上空には、黄色味を帯びた薄い雲が見えている。

 あれが濃くなるということなのか──。

「予測不可能なのです。あと数分か、数時間か…。あの雲はただの雲ではありません。金属に対して有害な物質が含まれ、数分晒されただけで金属は腐食します。シールドでは防げません。そのため、ガスが一旦上空を覆えば、脱出は不可能となります。例え圏外に出られたとしても、腐食によって機体表面が摩耗し外気に耐えきれず、爆発します…」

「──急ぎましょう」

 脱出シャトルの動力は別にあるため、十分安定している。これなら星の引力から脱出は可能だった。
 設定を終え、後は出発するだけとなる。それぞれシートベルトを締め身体を固定した。

「準備、完了です」

 そう言ってユラナスが最後のキーを叩き、艦からの離脱を図ろうとした瞬間、警告ランプが点灯した。それは機体の異常を示すサイン。

「いったい何が──」

 首を傾げるソルに、画面を見たままのユラナスの表情が固くなる。

「…外部の、ハッチが閉じません。先ほどの振動で誤作動が起きている様です。こちらからの操作だけでは…」

 そのまま先を濁した。
 それは、外側から閉じる必要がある事を示唆している。が外に出て閉めなければならないのだ。閉まらなければ離脱は不可能。
 それを理解すると、ソルは躊躇わずシートベルトを外し。

「──閉めてきます」

「ソル…?」

 ユラナスが驚きに目を見開く。
 それには答えず、シートから立ち上がると、アレクの元へ向かった。
 意識のないアレクに近づくと、自らのスーツの前を寛げた。胸元には青い石が光っている。

 これで二度目だ。あなたに返すのは──。

 アレクの手を取りヘッドに触れさせると、ネックレスは首から外れた。それを今度はアレクの首へとつけなおす。
 キラリと光った青い石は、当人の透き通った瞳を思わせた。

 これは俺自身だ。ずっとあなたの元にいる──。

 例えそこに躰は無くとも。

「…ソル…」

 ユラナスの声が震えている。
 これから取ろうとしている行動に動揺しているのだろう。

 けれど、これは仕方のないことだ。

 誰を優先すべきか。一番はアレクだ。
 そして、アレクの今後にはユラナスがいなければならない。そうなれば、自ずと誰が不必要かは決まる。

 俺はもう使えないあの機体と同じ、ポンコツのパイロットだ。

 比べようもない。
 ここで思いの深さとか種類とかは考えてはいけない。第一、それは種類が違うもの、比べるものではないのだ。

「ユラナス。俺は外にでてハッチを閉めます。閉まったらすぐに離脱してください。外の雲が濃くなり出しています。アレクを無事外へ連れ出したらそれで任務完了です。ここに戻る必要はありません」

 きっぱりと言い切れば。

「あなたを…置いてはいけない…!」

 ユラナスが声を荒げた。
 初めてユラナスが激高する所を見た気がする。ソルは笑みを作ると。

「ユラナス。もう時間がないんです。俺は後から行く──アレクにはそう伝えてください」

「ソル!」

 去ろうとする腕を掴まれた。ユラナスに触れられたのはこれが初めての気がする。

 いや。二度目だ。

 重傷を負ったあの時、意識が遠のき倒れるソルを支えてくれたのはユラナスだった。

「ユラナス。時間がないんだ。俺もアレクを守りたいんです…。させてください。それに──他にも脱出する手立てがないわけじゃないですから…」

 これはユラナスを納得させる為の方便だった。
 諦めるつもりはなかったが、ここを脱出出来る確率は限りなく低い。搭乗出来る機体は全て出払っているだろう。
 それでも、そう言うよりほかなかった。しかし、ユラナスは。

「そんな事を言って、私が騙されるとでも? この艦にもう人が搭乗出来る機体はありません。脱出時、それでもぎりぎりだったのですから…。あなたをここへ置いてなどいけない!」

 髪を振り乱したユラナスを見たのもこれが初めてで。我知らず笑みが浮かぶ。

 ずっと、嫌われているのだと思った。

 ソルはそっとユラナスの手を解くと、その手を握りしめ。

「それなら、アレクに俺は着陸時に死んだと言って下さい。それなら──アレクも諦める…。ユラナスには辛い役を任せて済まないけれど…」

「ソル! 私が残ります──」

「アレクにはこれから先もやらなければならない事が山ほどある。それを支えられるのはユラナスだ。俺じゃない。アレクを──頼む」

「ソル…!」

 手を解くと、ユラナスの引き止める声を背に部屋を出る。背後でシャトル側のドアが閉まった。

 別に格好つけたい訳じゃない。感情は廃して理性で考えた結果だ。何が一番か、冷静に考えれば分かること。

 アレクを生かす──。

 それが最優先だ。その彼を生かし先を考えれば、誰が残るのが適当か分かる。

「ユラナス、ハッチをもう一度閉めてください」

 できるだけ声を張って平常を装う。

『はい…』

 インカム越しに感情を抑えるユラナスの声が返って来た。
 しばらくして外側にあるドアが途中まで閉まりかかり止まる。それを手で閉め直した。

「っと──」

 扉が閉じられた途端、壁が振動しだしシャトルが徐々に切り離されていく。
 空いた空間から空が見えるほどになると、砂煙を巻き上げ機体が上昇した。

 アレク──。

 そのまま浮き上がった機体は爆音をあげ、雲の広がり始めた上空目がけ飛び去って行った。それは、あっという間で。
 ぽっかりと空いた空間から、砂煙の合間にアレクの乗る機体がキラリと光ったように見えた。
 近くに恒星がある。その光を反射したのだろう。今はここも光がさしていたが、大気の関係か、日差しは皮膚を焼くように熱い。
 上空の雲が先ほどより濃くなってきていた。

 これでもう、誰も侵入は不可能だ。

 この計画の発案者からアレクを守れたはず。あとはユラナスがアレクを守り切るだろう。

 アレク──。

 その日差しを避けるように中へと戻った。がらんとしたブリッジには、勿論人の気配はない。

「…っ」

 喉がちりと焼けるように痛んだ。

 あとどれくらい、自分はもつのだろう。

 金属を腐食させるようなガスだ。人体へも有害なのは分かり切ったこと。

 それでも最後まで諦めない──。

 脱出の為の行動を起こす。
 ドアを無理やりこじ開けブリッジを抜けると、通路を通ってポートへと向かう。
 ヘルメットは例の機体のコックピットへ放り込んだままだった。

 あんなボロい機体、誰も乗りはしなかっただろうな。

 ポートへ到着しここへ来るときに乗って来た機体を探す。それは隅の方にガラクタ同然のように置かれていた。留めていたストッパーが外れたのだろう。
 上がる息に浅い呼吸を繰り返しながらそこまで辿り着く。コックピットの中にヘルメットが放ったままになっていた。

 動けばいいけれど──。

「っ…」

 胸の奥が灼ける様に熱い。口の中に血の味がして思わず咳き込んだ。押さえた手元が血で汚れる。

 ここまで──なのか?

 コックピットの中へなんとか乗り込み、重い身体を座席に押し込める。

 諦めない。俺は──…。

 ヘルメットへ手をかけた所で視界に霧が掛かった様になって、目の前が見えなくなった。貧血の症状に似ている。

 ──アレク。
 俺は、本当はあなたと一緒に生きたかったんだ 。もう少しだけ、あなたと──。

 人の終わりは呆気ないものだと思った。胸元に有るはずの無いそれを、無意識に探る。

 アレク──。

 頬に涙が一筋伝う。
 薄れ行く意識の中、アレクの面影を記憶の中に辿った。

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