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第三章
12.僻地
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ここへ到着して二週間余り。
哨戒を兼ねてあちこち移動し、かなり魔獣の巣窟に近い場所まで来た。森の深部に近い。
だが、王を襲ったと思われる魔獣には、今だ出くわしていない。
王族のみを襲った所からも、なんらかの意思を持って動いていた可能性は高い。知能が高いのなら、きっと見つからぬよう身を潜めるのもわけないはず。
早々、見つかるはずがないか。
しかし、このままでは、セリオンの身が危険にさらされる。ここで退治しておかなければ、再び王都に現れ、生き残ったセリオンを襲う可能性があるからだ。
早く見つけ出さないと──。
アスールの調査が進まなければ、国も討伐の兵を出したくとも出せないだろう。気ばかり焦るが気配がなかった。
それにしても、過去意思をもつ魔獣に出くわしたなど聞いことがない。
大概が各々の欲望のみで動くため、わざわざ一個人を狙って襲ってくることは無かった。知能がそこまで高くはないのだ。
しかし、今回の件。
いったい、どんな魔獣なのか。
想像もつかない。だが、あの惨状から、今まで遭遇してきた魔獣とは違い、桁外れに凶暴だと言う事だけは理解していた。
カリマと引けを取らない腕を持つ第一王子のアジュールでさえ、歯が立たなかったのだから。
用心しないとな…。
恐ろしく強力な力を持つのは確かだった。
今わの際に、ニゲルが口にした言葉を聞き取れなかったことが今更ながら悔やまれる。彼は目にしていたのだ。魔獣の正体を。
アスールは一通り辺りを巡回し、かなりの数の魔獣を退治すると、代わりの兵士と交代し野営地へ戻った。
アスールの為に張られた天幕へ入ると、薄っぺらい毛布をはぐり、湿った敷布の上へごろりと横になる。
じんと地面の冷たさが直に伝わってきて温まらなかった。それでも、無いよりましだ。無ければもっと寒さが伝わるだろう。毛布を引き寄せ丸くなる。
とにかく休みたい、それだけだった。
今までの疲労がかなり蓄積している。ここに到着してから、大物から小物まで、魔獣は湧くように現れ。休む間もないのだ。
斬っては捨てを繰り返すうちに、まるで自身が人形になった気分になった。誰かに操られるように、ただ魔獣に突進し斬り倒し、野獣の血にまみれ。終われば天幕に戻って眠るだけ。
ただ、お陰で余計な事は考えずにいられた。
セリオン…。
少なくとも、彼の事を考えずに済む。
迫るリノンとの婚儀に向けて、忙しい日々を送っていることだろう。
リノンは気立てのいい子だ。それに芯も強い。時折、弱気になるセリオンをしっかりと支えていくだろう。幸せに過ごす二人の未来を思った。
そうしていれば、左腕が痛みだした。先ほど魔獣に噛まれた傷だ。大したことはないと思っていたが、横になった途端、不調を訴え出したのだ。
──寝て起きれば治る。
無理やりそれを押さえ込む。
身体が悲鳴をあげても、手を止めている暇はなかった。今も誰か他の兵士が、自分の代わりに、魔獣と戦っているのだ。自身も僅かな休息を得て、再びそこへ赴かねばならない。
今ではその兵士らとも、すっかり打ち解け馴染んだが、ここへ到着した当初は彼らに鼻で笑われ軽んじられた。
アスールは若く身体も小柄だ。対して周囲の兵は屈強なものばかりで、幾度も危険をくぐり抜けてきた歴戦の猛者ばかり。
「ここはガキの来るところじゃねぇ…」
到着したばかりのアスールに、リーダー格と思われる男が鋭い声を投げかけてきた。
暖を取るため焚かれた焚き火には、多くの兵が集まっている。その向こうに男はいた。
黒く癖のある髪を短く刈った男だ。体格はかなり良く胸板も厚い。身体のそこここに消えない傷跡もあった。カリマといい勝負だ。
けど、カリマの方がもっとずっと凛としている。
背筋をピンと伸ばしたカリマの佇まいは、どこか人を寄せ付けない清廉さを持ち合わせていた。ここにいる者達は、到底足元にも及ばない。
「ガキじゃない。騎士団長の命でここへ来た。ここの隊長は?」
すると男はニヤリと笑い。
「…ああ、役立たずのあいつか。あいつなら、ついおとといの討伐で魔獣に襲われ怪我をして、奥の天幕で寝込んでるな。すっかり震えあがっちまって、じきに王都へ帰るだろうって話しだ」
「…とにかく、挨拶だけはしてくる」
と、奥へ向かおうとしたアスールを、進み出たその男が腕を掴んで引き留めた。
「──小僧。ここでのまとめ役はこの俺、ルベルだ。お前の名は?」
男は舐めるような目つきで上から下まで見返してくる。アスールは嫌悪の表情を浮かべると。
「…アスール。元はセリオン陛下の元で従者をしていた。今はその職は辞して、ここへ志願してきた」
「それはまた、大した経歴の持ち主だ。アスール…か。ここは男ばかりの所帯だ。たいして器量が良くなくとも、お前みたいな若い奴はそれなりに需要がある。気をつけろ?」
ルベルはそう言って嫌な笑みを浮かべた。
何を指しているか理解して、さらに表情を険しくする。
荒くれた男ばかりの場所では聞く話でもあった。ただ、よほどの事がない限り、そう言った噂の立つ僻地へ飛ばされることはなかったため、話として聞いていただけだったのだが。
「俺に手を出す奴は後悔することになる。あんたらこそ、気をつけろ」
そう言い捨てて、隊長に会うために奥へと向かった。
その背後で兵士たちの笑い声がどっと上がったが、アスールは気にしなかった。アスールを下に見ているのだろう。あんな小柄で弱そうな奴にやられるはずがないと。
確かにいかつい見た目でないことは充分自覚している。仕方ない反応だ。何を言っているのかと笑うのも当然だろう。
だいたい、ここは王都ではない。粗野で粗暴な者が殆どだ。ただ金の為に雇われ、ここへ来たもの達。
紳士的な精神の持ち主はいないだろう。アスールを卑下した目で見ても仕方なかった。
なまじ腕が立つため、もめると面倒ではあったが、アスールは勝つ自信はあった。カリマによって鍛えられたのだ。ちっとやそっとの事でやられる気はしなかった。
奥に張られた天幕に向かい、その入口で声をかける。
「…隊長。王宮から派遣されたアスールです。今日からここの配属となったため、挨拶にあがりました」
そう声をかけたが、返事はない。
震えあがっているとは言ったが。
「隊長、失礼します――」
入口をはぐり薄暗いランプに照らされた内部を確認した。すると、天幕の奥にすえられたベッドに横たわる姿があった。頭からすっぽり毛布を被って顔が見えない。
「隊長――」
ぴくりとも動かないため、不審に思って近づき、毛布の上からそっとその肩に手を置くが。
「──」
毛布の合間から僅かにのぞく顔色はすっかり白くなり、ひと目で息をしていないのが分かった。
アスールはひとつ息を吐き出すと、そっと毛布を引き上げ顔を隠した。魔獣にやられたと言っていたが、その怪我のせいなのだろう。
天幕を出ると、脇で形ばかり控えていた衛兵に状況を伝え後を頼む。
そのままアスールはまた焚火の周囲に集まって酒を飲んでいる連中──リーダー格のルベルのもとへと向かった。
✢✢✢
アスールが再び現れると、皆の好奇の視線が向けられる。ルベルは杯の酒を煽ると。
「どうだ。隊長殿に挨拶はできたか? ──それとも、くたばっていたか?」
「…わかっていて、どうして放って置いた」
アスールは厳しい眼差しを向ける。
「こっちの手当を拒否してな。手が出せなかったんだ。最後まで俺たちを信用しようとしなくてな。──そうか、くたばっていたか。おい。誰か城に伝令を出せ。もう、役に立たない隊長はいらないとな」
周囲にどっと笑いが起こるが、アスールはそれを無視して冷静にルベルを見据えると。
「新しい隊長が派遣されるまで、俺が指示をだす。階級ならお前たちよりは上だ」
すると、その言葉にさらに笑いが起こった。ルベルも頭を振ると。
「おいおい。どこにお前みたいなガキを隊長に立てる奴がいるか? 誰もついていきやしない。──隊長は俺だ」
するとアスールは、つと、ルベルの元へ歩みより様、腰に帯びた剣をするりとぬき去り、首筋に冷えた刃をひたりと触れさせた。僅かでも動けば、血の筋が浮くだろう。
素早い動きに誰も対応出来ない。周囲に怒号を含んだどよめきが起こった。
「──何の真似だ?」
「どっちが上か、勝負だ。お前が負ければ言う事を聞いてもらう」
「ふん…。いいだろう。俺が勝てば──」
と、ルベルはアスールの刃を、手で払い除け。
「俺のここでの相手になってもらおうか。こうしてみると──なかなか色気がある…」
ルベルのごつごつとした手が、アスールの首筋を撫でた。どっと笑いが起こり囃し立てる声があがった。誰かが口笛を吹く。
アスールはその手を払い除けると。
「…好きにするといい。勝てたらな」
「いい度胸だ──」
言い終わらないうちに、ルベルは仲間から手渡された剣でアスールに向かう。
「フン──!」
勢い良く振り下ろされた剣がアスールを襲う。が、アスールは派手な金属音と共に受け流し、上手く避けた。
避けられたルベルは直ぐ様、剣を翻しアスールに矢のような攻撃を仕掛ける。息もつかせない。
「ッ──!」
全て受け止めなぎ払った。ただ、受ける毎に後退る。防戦一方のアスールに、あとちょっとだ! と、ルベルの仲間が声を上げた。
確かに押されるだけの状況を見れば、アスールがやられるのも時間の問題に見えただろう。
けど──。
アスールは一度、相手の剣を薙ぎ払った後、転んだように見せかけ、軽く身体を翻し、相手の懐に入り込んだ。
ルベルは勝ったとばかりに大きく剣を振りかぶっている。おかげで対応できなかった。
その首へ、ぷつり、と赤い玉の様な血が盛り上がった。下から剣を突き上げた鋭い刃先が、僅かに喉元に食い込んだのだ。
「──あとひと息、力を入れればお前は終わりだ。隊長の後を追うか?」
「──くっ…」
ルベルは降参したのか、振りかぶった剣を手放す。地面へ大きな音を立て剣が落ちた。それを見て周囲の仲間たちも、はやし立てていたのが、一気にしんとなる。
アスールは周囲に向けて。
「城から新たな隊長が派遣されるまで、俺が隊長代行だ。少しの騒ぎは目をつぶるが、目に余る行動にはそれなりの処罰を与える。覚えておいてくれ」
ルベルは喉元に刃が食い込む為、なにも言葉を発することができずにいた。
「お前も、充分理解できたか?」
「……」
黙ったまま、瞬きだけで答える。
それを見てようやくアスールは剣を鞘に収めた。ルベルは直ぐ様喉をさすると。
「──とんでもねぇ奴だな…」
「お前が隙だらけなだけだ。野獣や魔獣相手ならそれでもいいが、王に仕える騎士団や親衛隊相手なら歯も立たないだろうな」
「フン、ほざきやがって…。だが、お前の腕が立つのは認める。──俺の完敗だ」
そう言うと、アスールの傍に立ち、肩に手を置くと皆を振り返る。
「城から次が来るまで、今からこのアスールが俺たちの頭だ。言う事を聞かない奴は俺がただじゃ済まさない。分かったな!」
皆、おうと声を上げた。それを見渡したあとアスールを振り返り。
「何か面倒が起こったら俺に言ってくれ。アスール」
「分かった。ありがとう。ルベル」
「それと──手が空いた時でいい。俺たちに剣術を指南してくれねぇか」
「指南なんて、そんな教えられるほどの腕じゃないけれど…。俺でできる範囲なら」
「よし! なら明日から早速、頼むとしよう」
ルベルの言葉に皆、おうと声を上げた。
哨戒を兼ねてあちこち移動し、かなり魔獣の巣窟に近い場所まで来た。森の深部に近い。
だが、王を襲ったと思われる魔獣には、今だ出くわしていない。
王族のみを襲った所からも、なんらかの意思を持って動いていた可能性は高い。知能が高いのなら、きっと見つからぬよう身を潜めるのもわけないはず。
早々、見つかるはずがないか。
しかし、このままでは、セリオンの身が危険にさらされる。ここで退治しておかなければ、再び王都に現れ、生き残ったセリオンを襲う可能性があるからだ。
早く見つけ出さないと──。
アスールの調査が進まなければ、国も討伐の兵を出したくとも出せないだろう。気ばかり焦るが気配がなかった。
それにしても、過去意思をもつ魔獣に出くわしたなど聞いことがない。
大概が各々の欲望のみで動くため、わざわざ一個人を狙って襲ってくることは無かった。知能がそこまで高くはないのだ。
しかし、今回の件。
いったい、どんな魔獣なのか。
想像もつかない。だが、あの惨状から、今まで遭遇してきた魔獣とは違い、桁外れに凶暴だと言う事だけは理解していた。
カリマと引けを取らない腕を持つ第一王子のアジュールでさえ、歯が立たなかったのだから。
用心しないとな…。
恐ろしく強力な力を持つのは確かだった。
今わの際に、ニゲルが口にした言葉を聞き取れなかったことが今更ながら悔やまれる。彼は目にしていたのだ。魔獣の正体を。
アスールは一通り辺りを巡回し、かなりの数の魔獣を退治すると、代わりの兵士と交代し野営地へ戻った。
アスールの為に張られた天幕へ入ると、薄っぺらい毛布をはぐり、湿った敷布の上へごろりと横になる。
じんと地面の冷たさが直に伝わってきて温まらなかった。それでも、無いよりましだ。無ければもっと寒さが伝わるだろう。毛布を引き寄せ丸くなる。
とにかく休みたい、それだけだった。
今までの疲労がかなり蓄積している。ここに到着してから、大物から小物まで、魔獣は湧くように現れ。休む間もないのだ。
斬っては捨てを繰り返すうちに、まるで自身が人形になった気分になった。誰かに操られるように、ただ魔獣に突進し斬り倒し、野獣の血にまみれ。終われば天幕に戻って眠るだけ。
ただ、お陰で余計な事は考えずにいられた。
セリオン…。
少なくとも、彼の事を考えずに済む。
迫るリノンとの婚儀に向けて、忙しい日々を送っていることだろう。
リノンは気立てのいい子だ。それに芯も強い。時折、弱気になるセリオンをしっかりと支えていくだろう。幸せに過ごす二人の未来を思った。
そうしていれば、左腕が痛みだした。先ほど魔獣に噛まれた傷だ。大したことはないと思っていたが、横になった途端、不調を訴え出したのだ。
──寝て起きれば治る。
無理やりそれを押さえ込む。
身体が悲鳴をあげても、手を止めている暇はなかった。今も誰か他の兵士が、自分の代わりに、魔獣と戦っているのだ。自身も僅かな休息を得て、再びそこへ赴かねばならない。
今ではその兵士らとも、すっかり打ち解け馴染んだが、ここへ到着した当初は彼らに鼻で笑われ軽んじられた。
アスールは若く身体も小柄だ。対して周囲の兵は屈強なものばかりで、幾度も危険をくぐり抜けてきた歴戦の猛者ばかり。
「ここはガキの来るところじゃねぇ…」
到着したばかりのアスールに、リーダー格と思われる男が鋭い声を投げかけてきた。
暖を取るため焚かれた焚き火には、多くの兵が集まっている。その向こうに男はいた。
黒く癖のある髪を短く刈った男だ。体格はかなり良く胸板も厚い。身体のそこここに消えない傷跡もあった。カリマといい勝負だ。
けど、カリマの方がもっとずっと凛としている。
背筋をピンと伸ばしたカリマの佇まいは、どこか人を寄せ付けない清廉さを持ち合わせていた。ここにいる者達は、到底足元にも及ばない。
「ガキじゃない。騎士団長の命でここへ来た。ここの隊長は?」
すると男はニヤリと笑い。
「…ああ、役立たずのあいつか。あいつなら、ついおとといの討伐で魔獣に襲われ怪我をして、奥の天幕で寝込んでるな。すっかり震えあがっちまって、じきに王都へ帰るだろうって話しだ」
「…とにかく、挨拶だけはしてくる」
と、奥へ向かおうとしたアスールを、進み出たその男が腕を掴んで引き留めた。
「──小僧。ここでのまとめ役はこの俺、ルベルだ。お前の名は?」
男は舐めるような目つきで上から下まで見返してくる。アスールは嫌悪の表情を浮かべると。
「…アスール。元はセリオン陛下の元で従者をしていた。今はその職は辞して、ここへ志願してきた」
「それはまた、大した経歴の持ち主だ。アスール…か。ここは男ばかりの所帯だ。たいして器量が良くなくとも、お前みたいな若い奴はそれなりに需要がある。気をつけろ?」
ルベルはそう言って嫌な笑みを浮かべた。
何を指しているか理解して、さらに表情を険しくする。
荒くれた男ばかりの場所では聞く話でもあった。ただ、よほどの事がない限り、そう言った噂の立つ僻地へ飛ばされることはなかったため、話として聞いていただけだったのだが。
「俺に手を出す奴は後悔することになる。あんたらこそ、気をつけろ」
そう言い捨てて、隊長に会うために奥へと向かった。
その背後で兵士たちの笑い声がどっと上がったが、アスールは気にしなかった。アスールを下に見ているのだろう。あんな小柄で弱そうな奴にやられるはずがないと。
確かにいかつい見た目でないことは充分自覚している。仕方ない反応だ。何を言っているのかと笑うのも当然だろう。
だいたい、ここは王都ではない。粗野で粗暴な者が殆どだ。ただ金の為に雇われ、ここへ来たもの達。
紳士的な精神の持ち主はいないだろう。アスールを卑下した目で見ても仕方なかった。
なまじ腕が立つため、もめると面倒ではあったが、アスールは勝つ自信はあった。カリマによって鍛えられたのだ。ちっとやそっとの事でやられる気はしなかった。
奥に張られた天幕に向かい、その入口で声をかける。
「…隊長。王宮から派遣されたアスールです。今日からここの配属となったため、挨拶にあがりました」
そう声をかけたが、返事はない。
震えあがっているとは言ったが。
「隊長、失礼します――」
入口をはぐり薄暗いランプに照らされた内部を確認した。すると、天幕の奥にすえられたベッドに横たわる姿があった。頭からすっぽり毛布を被って顔が見えない。
「隊長――」
ぴくりとも動かないため、不審に思って近づき、毛布の上からそっとその肩に手を置くが。
「──」
毛布の合間から僅かにのぞく顔色はすっかり白くなり、ひと目で息をしていないのが分かった。
アスールはひとつ息を吐き出すと、そっと毛布を引き上げ顔を隠した。魔獣にやられたと言っていたが、その怪我のせいなのだろう。
天幕を出ると、脇で形ばかり控えていた衛兵に状況を伝え後を頼む。
そのままアスールはまた焚火の周囲に集まって酒を飲んでいる連中──リーダー格のルベルのもとへと向かった。
✢✢✢
アスールが再び現れると、皆の好奇の視線が向けられる。ルベルは杯の酒を煽ると。
「どうだ。隊長殿に挨拶はできたか? ──それとも、くたばっていたか?」
「…わかっていて、どうして放って置いた」
アスールは厳しい眼差しを向ける。
「こっちの手当を拒否してな。手が出せなかったんだ。最後まで俺たちを信用しようとしなくてな。──そうか、くたばっていたか。おい。誰か城に伝令を出せ。もう、役に立たない隊長はいらないとな」
周囲にどっと笑いが起こるが、アスールはそれを無視して冷静にルベルを見据えると。
「新しい隊長が派遣されるまで、俺が指示をだす。階級ならお前たちよりは上だ」
すると、その言葉にさらに笑いが起こった。ルベルも頭を振ると。
「おいおい。どこにお前みたいなガキを隊長に立てる奴がいるか? 誰もついていきやしない。──隊長は俺だ」
するとアスールは、つと、ルベルの元へ歩みより様、腰に帯びた剣をするりとぬき去り、首筋に冷えた刃をひたりと触れさせた。僅かでも動けば、血の筋が浮くだろう。
素早い動きに誰も対応出来ない。周囲に怒号を含んだどよめきが起こった。
「──何の真似だ?」
「どっちが上か、勝負だ。お前が負ければ言う事を聞いてもらう」
「ふん…。いいだろう。俺が勝てば──」
と、ルベルはアスールの刃を、手で払い除け。
「俺のここでの相手になってもらおうか。こうしてみると──なかなか色気がある…」
ルベルのごつごつとした手が、アスールの首筋を撫でた。どっと笑いが起こり囃し立てる声があがった。誰かが口笛を吹く。
アスールはその手を払い除けると。
「…好きにするといい。勝てたらな」
「いい度胸だ──」
言い終わらないうちに、ルベルは仲間から手渡された剣でアスールに向かう。
「フン──!」
勢い良く振り下ろされた剣がアスールを襲う。が、アスールは派手な金属音と共に受け流し、上手く避けた。
避けられたルベルは直ぐ様、剣を翻しアスールに矢のような攻撃を仕掛ける。息もつかせない。
「ッ──!」
全て受け止めなぎ払った。ただ、受ける毎に後退る。防戦一方のアスールに、あとちょっとだ! と、ルベルの仲間が声を上げた。
確かに押されるだけの状況を見れば、アスールがやられるのも時間の問題に見えただろう。
けど──。
アスールは一度、相手の剣を薙ぎ払った後、転んだように見せかけ、軽く身体を翻し、相手の懐に入り込んだ。
ルベルは勝ったとばかりに大きく剣を振りかぶっている。おかげで対応できなかった。
その首へ、ぷつり、と赤い玉の様な血が盛り上がった。下から剣を突き上げた鋭い刃先が、僅かに喉元に食い込んだのだ。
「──あとひと息、力を入れればお前は終わりだ。隊長の後を追うか?」
「──くっ…」
ルベルは降参したのか、振りかぶった剣を手放す。地面へ大きな音を立て剣が落ちた。それを見て周囲の仲間たちも、はやし立てていたのが、一気にしんとなる。
アスールは周囲に向けて。
「城から新たな隊長が派遣されるまで、俺が隊長代行だ。少しの騒ぎは目をつぶるが、目に余る行動にはそれなりの処罰を与える。覚えておいてくれ」
ルベルは喉元に刃が食い込む為、なにも言葉を発することができずにいた。
「お前も、充分理解できたか?」
「……」
黙ったまま、瞬きだけで答える。
それを見てようやくアスールは剣を鞘に収めた。ルベルは直ぐ様喉をさすると。
「──とんでもねぇ奴だな…」
「お前が隙だらけなだけだ。野獣や魔獣相手ならそれでもいいが、王に仕える騎士団や親衛隊相手なら歯も立たないだろうな」
「フン、ほざきやがって…。だが、お前の腕が立つのは認める。──俺の完敗だ」
そう言うと、アスールの傍に立ち、肩に手を置くと皆を振り返る。
「城から次が来るまで、今からこのアスールが俺たちの頭だ。言う事を聞かない奴は俺がただじゃ済まさない。分かったな!」
皆、おうと声を上げた。それを見渡したあとアスールを振り返り。
「何か面倒が起こったら俺に言ってくれ。アスール」
「分かった。ありがとう。ルベル」
「それと──手が空いた時でいい。俺たちに剣術を指南してくれねぇか」
「指南なんて、そんな教えられるほどの腕じゃないけれど…。俺でできる範囲なら」
「よし! なら明日から早速、頼むとしよう」
ルベルの言葉に皆、おうと声を上げた。
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