少年と執事

マン太

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17.贈り物

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 それから一週間。
 シーンが気を配ってくれたお陰か、ヴァイスからいやがらせを受けることもなく、晴れてキエトの下で働く許可を得た。朝、オスカーから正式に雇うと伝えられたのだ。
 キエトの推薦もさることながら、シーンが強力に推してくれたお陰だ。

「シーン、ありがとう。本採用になったのはシーンのお陰だよ」

 夜、先に部屋のベッドの上でいつもの様に本を読んでいたハイトは、本を閉じると遅れて部屋に戻って来たシーンにそう告げた。
 シーンは従者の黒いタイを外しながら、

「私は何も。それは少し口添えはしたが…。ハイトが頑張ったからだよ。だからキエトも片腕に欲しがった。その結果だ。こちらこそ、よろしく」

 そう言って、シーンは右手を差し出して来る。それを握り返すと、

「所で…明日は何時に出発する?」

 シーンが尋ねて来た。
 明日は待ちにまった休暇だ。ヴァイスはすでに今日の午後には出発したため、シーンが急に呼び出されることはない。気兼ねなく過ごせるだろう。

「朝食がすんだらって。シーンはどう? 少し早い?」

「いいや、早い方がいいだろう。色々持っていくものもあるしな。下に準備してあった、あれを積み込めばいつでも出発できるな?」

「うん。なんか皆、もってけもってけって言うから、あんな大きな荷物になっちゃって…」

 とても嬉しいのだが、申し訳なさが先に立ってしまう。
 家政婦長は、姪っ子のお下がりがあると、エルミナにちょうどいいサイズの服を数着用意してくれたし、料理長は試作を大量に作って処分に困るからと、様々な焼き菓子をこれでもかとバスケット一杯に詰めてくれた。
 キエトは洋酒のいいのが入ったからと、おじいさんに渡してくれと一本持たせてくれ。
 下僕のアンリは、いつもの様にお尻辺りを軽く叩きながら、これでシーンを誘惑してやれと小声で耳打ちして、小さな小瓶に入ったいい薫りのする香水を渡してきた。
 姉がそういった仕事をしていて、試作なのだという。確かに小瓶から洩れる香りは、微かなローズの香りと共に、柔らかな自然に馴染むいい香りがしたが、自分には大人すぎる気もした。

 でも、誘惑って…。

 いったい、なんの冗談なのか。
 その小瓶もきちんと持っていく荷物の中へ入っている。
 とにかく、皆がそれぞれ気持ちだけといいながら渡してきたため、それが山のようになってしまったのだ。
 木箱が三つ。流石に手では持てないと、馬車を呼ぶことにした。
 散歩がてら歩いていくのも楽しいと思ったのだが、今回は諦めた方がいいだろう。

「ああ、そうそう…」

 シャワーを浴びる前、シーンがクローゼットの下を何かごそごそと漁りだした。
 なんだろうと首をかしげていると、箱を一つ取り出し差し出して来る。

「私が学生の頃、オーダーで作った靴なんだが、これだけば捨てるのが惜しくて取っておいたんだ。サイズが合うか、見ておいてくれないか?」

「え…?」

「もう何年も経つが、きちんと手入れはしている。私のお下がりで申し訳ないが…」

「でも、そんな…。だって、思い出あるから取ってあったんでしょ? そんなの、履けない…」

「いいんだ。靴は履くために作られている。初めてのオーダー品だったから取ってあっただけだ。作ってくれた職人がいいひとでね。今は現役をしりぞいて、息子が継いでいるんだが、履いてくれた方が彼も喜ぶ。いいから履いてみてくれないか? 私はシャワーを浴びてくるからその間に…」

 そう言い残し、ハイトの足元に靴の入った箱を置いて浴室への扉の向こうへ消えた。

+++

 ハイトは置かれた箱を暫く見つめていたが。

「……」

 いったい、シーンがどんな靴を履いていたのか気になり、とりあえず、蓋を開けてみる。
 すると、薄い油紙に包まれ、丁寧に手入れされた濃い茶色の革靴が一足出てきた。お下がりと言いつつも、僅かなしわ以外、傷はほとんどない。

 大事に履いていたんだろうな。

 それを貰っていいものか。判断がつかない。それでも、おずおずとサイズを見るため足を入れてみた。
 素足で履くと少し大きい気もするが、靴下を履けば丁度いいだろう。それを考えれば足にはぴったりだった。

 でも、きっと高価だ。

 とてもではないが普段に履くことはできない。先ほどのシーンの様子から、断っても拒否されるだろう。
 どうしたものかと悩んでいるうちに、シーンがシャワーを浴び終え戻ってきた。ローブを身にまとい、髪をタオルで拭きながら。

「どうだ? 履いてみたか?」

「あの…サイズは、靴下を履けばぴったりです…。でも…」

 流石に貰えない。そんなハイトの様子に悟ったシーンは。

「そのうち処分しようと考えていたんだ。元々、物を蓄えるのは好きじゃない。どこかのチャリティーに出しても良かったが、どうせなら知っている者に貰ってもらえるなら嬉しいと思ってな。それがハイトだったら、私はとても嬉しい」

「シーン…」

 もう、これは貰うしかなかった。渡された箱をぎゅっと抱え込むと。

「じゃあ、遠慮なく頂きます…。本当にありがとう」

 するとシーンの表情がぱっと明るいものになる。

「良かった。ハイトに履いてもらえるなら、とっておいた甲斐があったな。勿論、普段に下ろせばいい」

「でも、勿体なくって…」

 手の中の靴はぴかぴかだ。シーンはくすりと笑うと。

「なら、他も新調すればいい。なに、無駄使いじゃない。これもお下がりだ…」

 そう言って、肩にかけていたタオルを椅子の背にかけると、再びクロークの、今度は上に置いてあった籠を下ろす。
 それは今週、シーンが毎晩ずっと何か繕っていたものが入っている。
 シーンは籠にかけてあった布をとると、中から薄いブルーのシャツを取り出した。色は異なるが、同じものがあと何枚見える。

「これは私が着なくなったシャツだ。袖に少しばかりソースがとんで染みがぬけなかったり、僅かにほつれが出来たりしたものでね。普段に下ろしているんだが、少したまりすぎてしまって…。これも処分を考えていたんだが、サイズを少し直したらハイトでも着れるくらいにはなった。サイズが合うか見てくれるか?」

「え…、でも…」

「ほら、脱いで当ててみてくれないか? せっかく直したのに着れなくては困る」

 慌てて着ていた寝巻の上を脱ぎ、差し出されたシャツを受け取る。と、シーンが笑んで。

「来た時より随分、身体つきが良くなってきた。一時は骨が浮き出ていたから心配していたんだ。…良かった」

「うん。前より体重も増えた気がする…。ちゃんと食べられているから」

 シャツを着るのを手伝ってもらいながら、ハイトは俯く。
 こんな貧相な身体をシーンに見られていると思うと恥ずかしい。確かに胸に浮きあがっていた骨は前よりは見えなくなってきていた。
 僅かな間でも、三食たべられる生活は、ハイトに健康をもたらしつつある。

「良かった。ハイトが元気になって私も嬉しい。倒れた時は本当に、骨と皮だけだったからな」

「シーンのお陰だよ。いい仕事に環境に…。妹もお祖父ちゃんも、ちゃんと毎日食べられてる。前じゃ考えられなかった…。本当にありがとう、シーン」

「私はたいして何もしていない。さっきも言ったが、ハイトが頑張っているから皆世話を焼きたがるんだ。私もそのうちの一人だ…。ほら、腕はどうだ? 袖の長さは──」

 シーンはハイトの背後に回ると袖や裾の長さを確認する。シーンの大きな手が、背や肩、腕に触れて緊張した。

「腕を伸ばしてみてくれるか?」

「うん…」

 伸ばした腕に添うようにシーンの手が伸びる。背後から感じる気配にドキリとした。
 男同士、照れることなどないのだが、近い気配はシーンを意識させ動揺を誘う。

「…良かった。この長さで間違いないな。この分だとほかも大丈夫だろう。もし、不具合があったら言ってくれ。成長を考えて少し余らせてあるから、大きく感じるかも知れないが…」

「シーン、この為にずっと夜更かししてたよね…。本当に、有難う…」

 毎日、疲れているだろうに、寝る前には必ず繕っていた。
 てっきり自身のものかと思っていたのだが。するとシーンは笑んでみせ。

「私が勝手にやった事だ。それに、いつも寝る前は何かしら繕いものや、なければ読書の時間にあてている。特別な事じゃないさ」

「俺、シーンにもみんなにも、どうお礼したらいいのか…」

「だったら今まで通り、元気で明るくいてくれれば十分だよ。ハイトの明るさに救われている者もいるんだ。…私もそのうちの一人だが」

「シーンも?」

 照れくさげに笑んでみせたシーンは。

「こうして、一日の仕事を終え、部屋に戻って来ると、今までは一人きりだった。それが当たり前で嫌だった事はないのだが、ハイトがいるようになって、息をつける時間に深みが増した気がする…」

 思わず頬が赤らんで、慌てて隠す様に下を向く。

「そ、んな。俺、なんにも…」

「気をつかっていてくれただろう? ハイトの優しさを感じられた。これも靴も、そのお礼に過ぎない。どうか遠慮せず使ってやってくれないか?」

 シーンのグレーがかった薄緑の瞳が優しい色を湛える。思わず魅入ってしまった。

「ハイト?」

「ううん。何でもない。有難う。シーン。靴もシャツも、大切にするよ」

「…良かった。やっと笑ったな」

 シーンの指先が伸びて頬に触れてくる。思わずびくりとしてぎゅっと目を閉じてしまった。シーンの笑った気配。

「ハイト。──大丈夫だ。なにもしない」

 言われて恐る恐る目を開く。間近に見下ろすシーンの優しい眼差しがある。

「君は笑っているのがよく似合っている。困らせたのは私だが、出来れば笑っていて欲しい」

「ううん、ごめん。シーン。本当はすごく嬉しいんだ。…けど、あまりこんな風にされたことがないから、どうしていいのか分からなくて…」

「ハイトは可愛がられて当然だ。今までは辛かっただろうが、これからは違う。その分、報われる時が来たんだ。ハイト…」

「なに…?」

 先ほどから頬に触れたままの手に、ドキドキが止まらない。
 男のシーン相手に可笑しいとは思うのだが、止められない。シーンがきっと魅力的な人だからだろうと思う。

「…ハイト。どうか自分を大事にしてくれ。君は愛されるべき人間なのだから」

「うん…」

 熱の籠った眼差しを受け、身の置き所に困った。
 シーンは頬に添わせた指先を暫くそのままにしていたが、ふと我に返った様に手を放し視線を伏せた。軽く頭を振った後。

「──さあ、そろそろハイトは寝る時間だ。私もすぐ寝る」

「あ…、うん」

 ハイトが手にしていた靴箱をシーンは再び受け取ると、忘れない様にとシャツの入った籠の脇に置いた。
 これで明日の荷物が更に増えることになる。なんて贅沢な事だろうと思いながら、ベッドに横になった。
 ふと、シーンを見るとローブを脱ぎ、寝巻を身に着ける所だった。長いシャツのようなそれを手に取った所。
 こちらに向ける背中のラインがとても綺麗だった。やはり身体を動かす仕事の所為か、引き締まった身体をしている。大人の背中だった。

「…おやすみ、シーン」

 そう声をかけると気付いたシーンが肩越しに振り返る。それまで何か考えている様子だったその口元に笑みを浮かべると。

「ああ。お休み、ハイト」

 優しい声音で答えた。

+++

 正直、自分のしようとした行為に愕然としていた。
 先ほど、ハイトと会話し、その頬に触れた時、思わずキスしたくなってしまったのだ。

 どうかしている──。

 なんとか理性を取り戻すことができたが。
 確かにハイトは人を惹きつける魅力がある。それは誰もが認めるところだろう。
 ありがちなわかりやすい魅力ではなく、素から現れるものだ。
 ハイトは見た目だけでいえば、そのブルーグレーの瞳がひと目を引くものの、髪はありふれた濃い茶色で、身長は百六十五センチほどのごく一般的なもの。
 白く透けるような肌ではなく、今では日に焼けたくましいほど。金髪碧眼の色白な誰もが認める美貌というわけではない。
 しかし、とうの本人はまったく気付いていないが、その屈託なく笑う笑顔が人の心を和ませる。飾らない素の態度が人を安心させるのだ。
 大きな声で話すわけでも、馬鹿な話をするわけでもない。ただ静かに相手の話に耳を傾け、素直な反応を示す。そこに嘘は感じられない。
 会話を続けるうち、自己否定の強いハイトをなんとかそんなことはないと肯定していると、なぜか触れたいと言う要求が高まった。
 いっそのこと、触れて抱きしめてしまった方が早いのではないかと。

 どうかしている…。

 再度、同じ言葉を頭の中で繰り返す。
 
 ヴァイスに影響されたのだろうか? 

 異性同性構わず手を出す彼の傍にいて、気付かないうちに感覚が麻痺していたのか。
 しかし、それは違うと思った。見境なく──ではないのだ。それだったら、とっくにヴァイスの誘いに乗っていただろう。

 ハイトだからか。

 自分の性的志向は異性に向いていると思っている。
 初恋と呼べるものはなかったが、初めて付き合ったのは女性で、今まで付き合ってきたのも女性だった。
 同性の親しい友人や気心の知れる友人はできでも、それが性的な対象になることはまずなく。
 一度として、同性を抱きしめたいと思ったことはない。いや、思える対象がいなかった、と言う事もあるのだろうが。
 また、自身の中にも、そう言うもの、という思い込みもあった。
 友人には同性に目を向けるものもいたが、それはそれ、で。

 だから自分も──そうはならなかった。

 実際、ヴァイスのその現場を見た時も、確かに衝撃は受けたが、影響された覚えはない。
 それ以前に、相手が異性か同性かより、今、ここですべきことなのかと、意味のない行為にただ腹立ち、また悲しみを覚えた。

 それだけだったのに──。

 なぜだろう。ハイトはいつの間にか自分の中に入り込んでいた。異性を見るのと同じ気持ちでハイトを意識する自分がいる。
 もとより、人を好きになるのに性別は関係ないと思ってはいた。だから同性を好きになる友人を見ても、そういうものだと理解していた。
 が、いざ自分がそうなると、正直戸惑う。

 これは本物なのだろうか?

 しかし、先ほども述べた様に、ヴェイスに影響を受けたわけではなく、その傾向があった訳でもない。
 ただ、もともと、出会った時からハイトを好ましく思っていた。それは、アンリや他の友人らに向ける好意と同じものだと思っていたのだが。

 種類が違ったと言う事か。

 傍らのベッドで寝息を立てるハイト。ただ、軽率にこの思いをそちらへ傾けることは躊躇われた。
 確信を持たなければ、友人以上の好意をハイトに向けるわけにはいかない。それを確かめるためにハイトに手を出すわけにはいかないのだ。

 とにかく、いつも通り接することだ。

 そのうち、この気持ちが何なのか分かるはず。それはヴァイスへの返答へも影響してくるだろう。
 ハイトを守るためなら、正直、この申し出を受けるべきだと思い始めていた。
 それはヴァイスが鞭を向けた時点で決まった気がする。
 自分がヴァイスのものとなれば、幾らかでも彼を制御できるだろう。ハイトへ危害を加えさせることは止められる。ハイトは安定した職を得て、家族を養えるだろう。

 ハイトを助けたい。何を置いても──。

 その時点で、自分の思いがハイトへ向けられていることを意識せずにはいられなかった。

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