少年と執事

マン太

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24.展望

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 その夜。一日の仕事を終え部屋に戻れば、すっかり寝支度を整えたハイトが、シーンのベッドに寝転がり本に目を落としていた。
 何か考えごとでもしているのか、視線が文字を追っていないようにも見える。
 あれ以来、ハイトとは同じベッドで寝ていた。
 気持ちが通じあっているのに、別々のベッドで眠るのはどこか寂しくて。シーンから誘ったのだ。
 何かする訳ではなく、ただ一緒に眠る。それだけで、十分満ち足りていた。
 ハイトの傍らに腰掛けると、ブルーグレーの瞳が何事かと見上げて来た。シーンはその頬に指先で触れると、徐ろに口を開く。

「ハイト。ひとつ、提案があるんだが…」

「なに?」

 シーンのいつもとは違う気配を察して、ハイトは本を閉じ、身体を起こすと居住まいをした。シーンはひとつ、息を吐き出したあと。

「ここを辞めて──私と来ないか?」

「え…」

 突然の申し出に、ハイトは言葉を無くした様だ。

「いや、来て欲しい。私はここを辞めて田舎にある叔母の家に行くつもりだ」

「叔母の家…?」

「そうだ。叔母は農場を営んでいるんだが、高齢で跡取りもいない。跡を継がないかと相談を受けていたんだ。しかし、私は今まで農場に携わったことがない。他に誰かいないかと探していたんだが──」

 ハイトが小さく、あっと声をあげた。続く話しの予測がついたのだろう。

「そこで今回の件…。考えた末、従者の職を辞し叔母の跡を継ぐ事にしたんだ」

「とうとう、決めたんだね…?」

 ハイトの表情に光が差した。

「そうだ。…ただ、私はくわのひとつも握ったことがない。だが、君がいれば万事上手く行く。ハイトは私より知識がある。…どうか一緒に来て、私を手伝ってほしい」

「また…農場の生活に戻れるの?」

「ああ、そうだ。もちろん、エルミナもラルスも一緒だ。…どうだろうか?」

 伺うように尋ねれば。

「…お祖父ちゃんも、エルミナも? でも、いいの? いきなり知らない人間が押しかけて──」

「大丈夫だ。叔母には既に了解を得ている。元々、幼い頃は大家族で育ったんだ。昔に戻る様だと喜んでいた」

「本当に…?」

「ああ」

 シーンは頷くと、

「私は君と出会って、今まででとは違う道を歩もうと決めたんだ。私の選んだ未来は、君無しでは考えられない」

「シーン…」

「ここでの仕事を気に入っているのは分かっている。それにまだ勤めて半年も経っていない。しかし、ここへ置いてはけない。置いて行けばヴァイス様が君をどうするか…。私と関わった者は許さないだろう。どうか私と一緒に──」

「俺──」

 ハイトは一瞬、その表情を輝かせたものの、一転、顔を伏せ視線を床へと落とした。
 その掌はグッと握られている。

「…俺は──シーンに、そんな風に言ってもらえる資格が…あるのかな?」

 その様子にシーンは、笑みを浮かべると。

「前にも言ったよ。私は、君に何があろうと気にしないと。今のハイトが私は好きだ。──ここで断るなど、言わないで欲しい。君しか要らないんだ…。ハイト、どうか申し出を受けて──」

 欲しいと、言い切る前に、ハイトが抱きついてきた。しっかりと首筋に腕を回し、額を肩にこすりつけてくる。
 そのまま、暫く黙っていたが。

「ハイト…?」

「──行くよ! 俺だって離れたくない…」

「良かった…。これでも不安だったんだ。もし君に断られたらと…」

「断る訳、ない。…大好きだ。シーン…」

 縋る様にぎゅっと更に抱きついてくる。
 それが愛おしくてかわいくて。シーンはほとんど抱き上げるようにしてハイトを抱きしめた。

 ──決意は固まった。
 
+++

 シーンが新たな選択をしてくれて。
 心底嬉しかった。嬉しくて、一瞬、心にかかる暗雲も忘れるくらい。
 
 このまま、シーンと二人、ずっと過ごせて行けるなら、どんなに幸せか。
 
 ただ、どうしても、シーンとの将来を考えるたび、不安が湧き上がって来る。
 リオネルがどんな手段に出るのか見えない今、不安は募るばかりだった。

 もし、何かの拍子にばれたら──。

 どんな自分でも受け入れると、変わらないと言ってくれているけれど。
 きっと、知れば幻滅される。失望するに決まっている。シーンを信頼していないわけではないけれど。
 それを分かっていても、今、この時はシーンとの時間を大切にしたかった。

 いつか、終わると分かっているから──。

 別れが来るその時まで、目一杯楽しみ、全てを心に刻もうと決めた。

+++

 次の日、父オスカーに辞意の意思を伝える為、シーンはオスカーの部屋へ向かっていた。
 オスカーは朝の報告でクライヴの書斎に行っている為、部屋で待つつもりだ。
 覚悟は決めていた。

 何を言われようとも、この意志は突き通す。それが、自分の生きる道なのだ。

 誰がどうとか、お屋敷の未来がとか、色々を考えるのはやめた。後悔が残らない道を選択した結果だ。

 自分が今、一番、大切にしたいものを優先しただけ。

 ハイトが傍らで笑っていてくれれば、それでいい。笑うハイトを思うと、心が春の日差しを受けた様に、温かくなる。
 オスカーの部屋の側まで来ると、下僕のアンリが小走りに駆けて来た。

「シーン! いいところに。オスカーは?」

「父なら今、クライヴ様の書斎に。──アンリ、廊下は走るなとあれほど言っているだろう?」

「そんな場合じゃない! 今、電報がきて、これ!」

「何を慌てて──」

 アンリが手に持っていた紙を胸に押し付けて来た。

「──これは…」

 電報の紙面には『数日後に帰国。クラレンス』とあった。


「クラレンスが…生きている?」

 シーンが手渡した電報を凝視したまま、クライヴはそこに立ち尽くした。傍らに控えるオスカーも流石に動揺を隠せない。シーンは言葉を続ける。

「今、正確な情報を確認中ですが、軍の事務局に確認したところ、やはり間違いはないようです。詳しい日時などはまた連絡するとのことです」

「これが──本当なら…」

「ヴァイス様のお披露目は延期をいたしますか?」

 オスカーが控え目に伺った。

「…クラレンスの状態を確認してからだ。五体満足なのか…」

「そこもじきに分かるかと。今しばらく、お部屋で待ちくださいませ」

 シーンの言葉に頷くと。

「早く情報を寄こせと伝えろ。もし、クラレンスが生きて、怪我もなく無事なら、継ぐのは──」

 この好機を逃してはならないと、シーンは居住まいを正すと、

「あと一つ、ご報告したい旨がございます」

「なんだ? 今でなくては不味いのか?」

「はい」

 クライヴは怪訝な顔つきになる。それはオスカーも同様だ。
 シーンはそんな二人に臆する事なく、ひと息にそれを口にした。
 
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