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第一章 逃亡
第一話 プロローグ
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初め、何が起きたのか分からなかった。
暗闇の中、突然の怒号。銃声、剣と剣がぶつかり合う音。
部屋のドアが蹴破られるように開かれたのは、それと同時だった。
「ソアレ! すぐに避難する!」
「アステール・・・?」
側付のアステールが、普段見せない焦った様子でこちらに向かってくる。
いつもは綺麗に後ろに撫で付けられている銀色の髪が、額に降り乱れていた。切れ長のグレーがかった涼やかな瞳には、緊張の色が浮かんでいる。
「何が起こったんだ?」
「話は後だ! 靴を履くんだ。急げ!」
言うが早いか、まだベッドの中にいたソアレの腕を掴み引き起こす。ソアレは目の端に捉えた剣に手を伸ばした。
「剣を!」
父親から剣術の腕が上がった証にと渡された剣が、ベッド脇に置かれていた。
「必要ない! 私が切り抜ける! 早く! これを。さあ!」
大急ぎでブーツを履き、立ち上がったと同時に身体が黒いジャケットにすっぽりと覆われる。普段警護兵が身に付ける防護用のジャケットだった。アステールも同じものを身に着けている。
しかし、十八歳とは言え、百七十センチ程のまだ成長段階のソアレには大きすぎるものだった。くしゃくしゃになった黒髪に、だぶだぶのジャケット。下は夜着のまま。
なんとも情けない姿だが、今はそんなことを気にしている暇はない。
袖を通すのもそこそこに手を引かれ、すぐさま避難用に使われる通路へと進んだ。
部屋を出る際、父に渡された剣の鞘が窓から差し込む月光を浴びて、キラリと光ったのが目の端に映った。
屋敷の中には煙が立ち込め、相変わらず爆発音、銃声が鳴り響いていた。
アステールは左手に銃を構え、右手にはソアレの腕を掴んだまま、地下へと続く通路へ走る。
「ここへ!」
通された先はリネンルームの中だった。棚には規則正しくリネン類が並んでいる。
「奥の通風口へ! 早く!」
ソアレの背を押すようにして中へ押し込むと、自分は銃で辺りを警戒しながら、ドアをそっと閉める。
言われたとおり、先へ進み通風口を見つける。ネジでとめられたそれは簡単に開きそうにない。
しかし、すぐに追いついたアステールが、脇にあったコンセント口を開き、パネルになっていたそこへ暗号らしきものを打ち込む。すぐに通風孔が開いた。
緊急時脱出の為、元々用意されていた通路なのだろう。
「入れ! 裏山に通じている!」
人ひとりかがんで入らねば通れない場所だった。先は見えず真っ暗な闇が続く。
この状況を飲み込めないまま、それでもひとつ息を吐き出し、闇の中へと進んだ。後から続いたアステールが小さなライトをともす。
「音を立てないように・・・」
潜めた声に緊迫感を滲ませていた。どこかの部屋と繋がっているそれは、煙や時折人の怒号も響いてくる。
いったい何が起きているのか。
疑問は湧くが、今は問いただす時間はない。
ライトを頼りに、二十分ほど進んだだろうか、先にわずかな明かりが見えてきた。
通風孔も僅かではあるが広がっている。外部の新鮮な空気が吹き込んできた。
「私が先にでる。伏せてくれ」
言われた通りその場にぴたりと伏せると、その上に覆いかぶさるようにして、アステールが銃を構えた。そのまま外の様子を伺う。
背中越しにアステールの鼓動が早くなっているのが伝わってきた。構えた銃がかすかに震えている。
「アステール、大丈夫か?」
アステールが恐怖から震えているのでないことは分かっている。ただ、この状況に動揺を隠し切れないのだろう。
敵に囲まれ王子である自分をひとり護って脱出しなければならない。責任は否応にも増す。
アステールは、ソアレが何を心配しているのか思い当たったのか、薄っすらと苦い笑みを浮かべる。
「この状況で、お前に心配されるとはな。私もまだまだ・・・。怖いわけではない。ただ──何としてもお前を守りたい。・・・それだけだ」
アステールの表情が険しいものに変わる。
アステールは物心ついた頃からそばにいた。年齢は二つ上。しかし、単なる友とはくくれない関係だった。
母親を生まれて直ぐ亡くし、物心付いた時から父親しかいなかったソアレにとって、その存在は大きかった。
アステールは親のように傍にいて、事細かに気遣う。
幼い頃から高度な教育を受け、戦闘技術を享受していたアステールは、もともと持っていた素質をさらに開花させ、王家の側近としても力を顕していった。
そうして成人に近づくと、友ではなく、王子付きの側付として傍に控えるようになったのだ。
他人であるのにいるのが当たり前。もう一人の自分のような。不思議な存在だった。
何かの気配に気づいたのか、アステールは口を閉ざすと、銃を構えていない、もう一方の手で守るようにソアレの頭を抱え込んだ。
こんな状況であるのに、そうされると安堵感が生まれる。大きな存在に守られている、そんな心地がした。
でも、俺も守れるようになりたいんだ。
今もアステールは俺を生かすことで必死だ。いざとなれば自分の命さえ捨てるだろう。
そんな存在を、守りたい──。
青い瞳に熱がこもる。
いつからかソアレはそう考えるようになった。もちろん、それは次期王としての自分の使命だからかもしれない。
けれど、それだけでは片付けられない何かを感じ取っていた。
銃を構えているその右腕に、そっと手を添える。
アステールなら、やれる。大丈夫だ。
アステールはこちらを見ることはなかったが、一瞬目を閉じ、息を吐き出した。その後震えは治まっていた。
「・・・行くぞ」
声と同時にぐっと腕に力が入り、ソアレを抱えるようにして、アステールが外へ飛び出した。
音に反応したのか、何かが草むらから飛び出してきた。強襲者の放った軍用犬のようだった。
すぐさま、アステールの構えた銃が急所のひとつ、額を撃ち抜く。
倒れたそれをよく見ると、犬ではなく何か別の生き物と掛け合わせたものだった。モンスターだ。
どっと倒れた先からまた三頭のモンスターが飛び掛ってきた。
「こっちだ!」
腕を引かれ、薄暗い森の中へと突き進む。
アステールは確実に急所を狙い襲い掛かる敵を撃ち落していた。二匹目、三匹目と次々と消えていく。
森の中に道はない。しかも暗闇であり、先を照らすものも僅かに木々の間から照らす月の光のみだった。
あと、一匹。
先を行くアステールに手を引かれながら藪の中を半ば強引に突き進むが、暗闇のため足元はおぼつかない。
一瞬、足を茂みに取られ、アステールの手を離した。その時、狙っていたかのように、最後の一匹が飛び出してくる。
「!」
とっさに腕で前を庇った。と、同時に頭を撃ちぬかれたモンスターがどっと体の上に降って来る。
視界の先にはアステールが銃を構えて立っていた。
「アステール・・・。流石」
「この程度・・・。それより、早く起きるんだ。すぐにまた新手がくる!」
モンスターの下敷きになっていたソアレを引き起こそうとしたその背後、獰猛なうなり声が聞こえた。
間をおかず、黒い影がアステールに飛びかかってきた。
「危ない!」
振り返って銃を構え直す間はない。ソアレは伸ばされたアステールの手をとっさに引き寄せ、逆に自分の下に庇った。
同時に鋭く重い衝撃が左肩にかかる。ガツっと、骨と牙がぶつかるような音がした。
「っ!」
「──!」
アステールが息を呑むのが分かった。
間をおかず、ソアレの肩越しに眉間を打ち抜かれたモンスターが、力なくどさりとそこへ崩れ落ちた。肩に感じていた衝撃もなくなる。
「アステール・・・。大丈夫か?」
「それはこっちの台詞だ! 馬鹿なことを・・・っ」
すぐさまソアレの下から身体を起こす。
「防護服を着ているから、これくらい大丈夫だ・・・。わかってやってる・・・」
アステールも同じ防護服を身に着けている。
あのまま庇わなくとも、自分と同じ結果だっただろう。でも、身体が勝手に動いていた。
「それでも、だ」
アステールはすぐにソアレの着ていた防護服を脱がすと、噛まれたであろう左肩を看た。
打ち身のため赤くはなっているが、出血はない。痛みは僅かにあるが、動かせそうだった。
少しほっとしたのか、アステールの表情が僅かに緩んだが、すぐに厳しいまなざしになると。
「後で手当てする──。こんな馬鹿な真似、二度とするな!」
「馬鹿馬鹿、言うなよ! 俺だってっ・・・!」
すると、アステールがぐいとソアレの胸元を掴んで引き寄せる。間近で見るアステールのアイスグレーの瞳は燃えるようだった。
「私たちは何のためにいると思っている? おまえが傷ついたのではいる意味がない。──まったく、ふがいないな。・・・俺も」
「あ、俺?」
普段のアステールの一人称は『私』だ。
『俺』と口にするのは初めて聞いた気がする。しかし、アステールは意に介さず。
「さあ、ぐずぐずしていられない。行くぞ!」
ソアレを抱えるようにして、アステールは走り出した。
どれくらい走ったのか。もう山頂に近いだろう。今のところ追っ手が来る気配はなかった。
木立の向こうに炎がみえる。それが何を意味しているのか、分からないほど子供ではない。
「親父は?」
「私と別れた時にはご存命だった。──しかし・・・」
アステールは炎を見つめるソアレに、ひたと眼差しを向け。
「首謀者は王レーゲン様の弟君。叔父のテネーブル様だ・・・。今晩、話があると急に王宮に訪れた。明らかに武装したその様子に、すぐに王は私をお前の下へ向かうよう指示を出された。以前から、動きが怪しいと噂はあったが、実際に行動に起こすとは・・・」
「テネーブルの叔父は、肝っ玉の小さいやつだからな。自分一人では何も出来ないだろ。どうせたきつけたやつがいるんだ・・・」
心はその炎の向こうにあった 王宮からも火の手が上がっているのか、空が赤く燃えている。
親父はきっと──。
唇をかみ締める。
王位を継ぐ者には、不思議な力が発現する。
その一つが、身近なものの生死を離れていながらも感じ取れる力だ。
その力が、父親の生きし死にを知らせてくる。けれど、それを認めたくない自分がいた。この力はまだ未熟で、あやふやな所もある。
だから、この目で見るまでは──。
父親を襲ったのは、父親の弟、テネーブルの叔父だ。
自分が幼い頃から、父親の兄弟同士確執はあった。それは、叔父の一方的な逆恨みでもあったのだが。
兄を羨んでの結果だ。兄であるレーゲンは、一言もテネーブルを邪険に扱うような言葉は発しなかった。
けれど、叔父の兄王への反意は消えなかった。
それでも、手を下せるほどの力は叔父にはなかったはず。いったい誰が叔父の背後にいるのか。アステールは表情を更に引き締めると。
「今は、逃げる。それが・・・王の命令だ」
「でも、どこへ?」
「亡き母君の弟、フォンセ様の所へ迎えと」
「遠いな。海を越えた向こうだ・・・」
ここからは見えない、広がる海原を思い出す。
幼いころ幾度か見た位だ。母親の実家でもある、ヴェスパへ訪れた際、目にして以来。
その母親は、ソアレが生まれて間もなく、産後の日だちが悪く、亡くなってしまった。
だから記憶にある母は、写真の中にある姿のみ。美しい母だったらしい。
その母に自分は似ているらしいが、いくら鏡で見ても、母の顔とは重ならない。ただ、むっつりと寂し気に鏡を覗き込む自分の顔がそこにあるだけだった。
その、過去の記憶にあるヴェスパへ向かうのか。
「こう言う事態もあろうかと、手はずは整えてある。山を下った先に王の配下の者が車が用意して待っている。今はそこまで行くことだ。さあ──」
アステールは促すと炎からさえぎるように、ソアレと炎との間に立った。
影になったその表情ははっきりと読み取ることは出来ない。
「アステールは、親父に拾われたんだったな・・・」
「そうだ」
アステールは過去に起きた他国との争いの中、父に拾われた。休むために立ち寄った町に、一人残されていたのだという。
息子の話し相手にと、歳の近い子供を捜している所だった。少し話をして、彼の持ち前の利発さを感じとった父親は、彼をつれて帰ったのだ。
「親父に、かわいがられていたもんな。俺が嫉妬するくらい」
「・・・・・・」
自分よりも、アステールのほうが実子なのではないかと、本気で疑った時もあった。
それほど、仲が良かったのだ。
「俺、強くなる──」
何もかも、守れるように。失わないように。傷つけないように。哀しませないように。
「・・・ああ」
背後に聞こえたアステールの声音が、穏やかなものに聞こえた。
山を下ると確かに車が用意されていた。
黒塗りのそれは華美ではなく、その辺りに走っている物と同等に見えた。
近づくと運転手側のドアが開き、これも黒尽くめの大柄な男が降りてきた。
「ヴェント・・・」
名を呼ばれた男は、長身を折り曲げ、僅かに目礼して見せた。
赤みを帯びた瞳は鋭くこちらを見据えている。同じく赤銅色の髪を後ろでひとつに束ねていた。肌の色は褐色。あごひげが強面のそれをさらに威圧的に見せていた。
王付きの親衛隊の一人。
まだ幼い頃何度かこの男に戦闘術を学んだことがある。
容赦のない男で、何度も意識を失ったことがあった。そのたびに、口では言わないが、情けないと態度で示されていた。まったくかなわず、悔しい思いを何度させられたことか。
しかし、昇進するとすっかり王付きの親衛隊となり、ソアレと手合わせすることはなくなっていった。こうして面と向かい合うのはそれ以来だった。
「王都から離れる──。長旅になるから覚悟するように」
「父親に・・・ついていたんじゃないのか?」
「直々に王子につけと命令が下った。──俺だって、王の傍にいたかったさ。だが背くわけにはいかない・・・」
「その言い方はなんだ? 王に何かあれば次の王はソアレだ。礼儀をわきまえろ!」
アステールが聞き捨てならないと食って掛る。しかし、ヴェントはなに食わぬ顔で。
「いいや──。俺の王はレーゲン様一人だ。・・・ただ、今は言い争っている場合じゃない。──行くぞ」
後部座席のドアを開けて乗るようにうながす。言葉はぞんざいだが扱いは王へのそれと同じだった。
座席へ乗り込むと、ドアが閉められ再び運転席にヴェントが乗る。助手席にはアステールが乗った。
いつにもまして無表情のアステールは正面を向いたままヴェントに問う。
「行き先は?」
「アベールの港だ。そこから船をチャーターしてカスペルの港へ行く。そこからは陸路でヴェスパヘ向かう」
「アベールか。途中、休憩を入れても二日はかかるな。途中で運転を変わろう。ソアレは休んでいてくれ」
「俺も運転変わる。交代で休めばいい」
「運転、できるのか?」
ヴェントはいぶかしげな視線をアステールに向ける。
「出来る。お前が思っている以上に、な」
「・・・へぇ」
「上に立つ者だからこそだ。人としてできる当たり前のことだ」
ヴェントは面白くなさそうに口許を歪めた後。
「剣の腕は? あれから上達したのか?」
ミラー越しにヴェントの視線がこちらに向けられる。
「あの頃よりは、少しはましになったと思ってる。はず・・・だけど」
何度も気絶させられた苦い思い出が胸によみがえる。
「まあ、これから嫌でも実践が待っているからな。見させてもらうぜ」
「わかってる・・・」
ソアレは過去の苦い思い出をよみがえらせながら、ため息をついた。
―2へ―
暗闇の中、突然の怒号。銃声、剣と剣がぶつかり合う音。
部屋のドアが蹴破られるように開かれたのは、それと同時だった。
「ソアレ! すぐに避難する!」
「アステール・・・?」
側付のアステールが、普段見せない焦った様子でこちらに向かってくる。
いつもは綺麗に後ろに撫で付けられている銀色の髪が、額に降り乱れていた。切れ長のグレーがかった涼やかな瞳には、緊張の色が浮かんでいる。
「何が起こったんだ?」
「話は後だ! 靴を履くんだ。急げ!」
言うが早いか、まだベッドの中にいたソアレの腕を掴み引き起こす。ソアレは目の端に捉えた剣に手を伸ばした。
「剣を!」
父親から剣術の腕が上がった証にと渡された剣が、ベッド脇に置かれていた。
「必要ない! 私が切り抜ける! 早く! これを。さあ!」
大急ぎでブーツを履き、立ち上がったと同時に身体が黒いジャケットにすっぽりと覆われる。普段警護兵が身に付ける防護用のジャケットだった。アステールも同じものを身に着けている。
しかし、十八歳とは言え、百七十センチ程のまだ成長段階のソアレには大きすぎるものだった。くしゃくしゃになった黒髪に、だぶだぶのジャケット。下は夜着のまま。
なんとも情けない姿だが、今はそんなことを気にしている暇はない。
袖を通すのもそこそこに手を引かれ、すぐさま避難用に使われる通路へと進んだ。
部屋を出る際、父に渡された剣の鞘が窓から差し込む月光を浴びて、キラリと光ったのが目の端に映った。
屋敷の中には煙が立ち込め、相変わらず爆発音、銃声が鳴り響いていた。
アステールは左手に銃を構え、右手にはソアレの腕を掴んだまま、地下へと続く通路へ走る。
「ここへ!」
通された先はリネンルームの中だった。棚には規則正しくリネン類が並んでいる。
「奥の通風口へ! 早く!」
ソアレの背を押すようにして中へ押し込むと、自分は銃で辺りを警戒しながら、ドアをそっと閉める。
言われたとおり、先へ進み通風口を見つける。ネジでとめられたそれは簡単に開きそうにない。
しかし、すぐに追いついたアステールが、脇にあったコンセント口を開き、パネルになっていたそこへ暗号らしきものを打ち込む。すぐに通風孔が開いた。
緊急時脱出の為、元々用意されていた通路なのだろう。
「入れ! 裏山に通じている!」
人ひとりかがんで入らねば通れない場所だった。先は見えず真っ暗な闇が続く。
この状況を飲み込めないまま、それでもひとつ息を吐き出し、闇の中へと進んだ。後から続いたアステールが小さなライトをともす。
「音を立てないように・・・」
潜めた声に緊迫感を滲ませていた。どこかの部屋と繋がっているそれは、煙や時折人の怒号も響いてくる。
いったい何が起きているのか。
疑問は湧くが、今は問いただす時間はない。
ライトを頼りに、二十分ほど進んだだろうか、先にわずかな明かりが見えてきた。
通風孔も僅かではあるが広がっている。外部の新鮮な空気が吹き込んできた。
「私が先にでる。伏せてくれ」
言われた通りその場にぴたりと伏せると、その上に覆いかぶさるようにして、アステールが銃を構えた。そのまま外の様子を伺う。
背中越しにアステールの鼓動が早くなっているのが伝わってきた。構えた銃がかすかに震えている。
「アステール、大丈夫か?」
アステールが恐怖から震えているのでないことは分かっている。ただ、この状況に動揺を隠し切れないのだろう。
敵に囲まれ王子である自分をひとり護って脱出しなければならない。責任は否応にも増す。
アステールは、ソアレが何を心配しているのか思い当たったのか、薄っすらと苦い笑みを浮かべる。
「この状況で、お前に心配されるとはな。私もまだまだ・・・。怖いわけではない。ただ──何としてもお前を守りたい。・・・それだけだ」
アステールの表情が険しいものに変わる。
アステールは物心ついた頃からそばにいた。年齢は二つ上。しかし、単なる友とはくくれない関係だった。
母親を生まれて直ぐ亡くし、物心付いた時から父親しかいなかったソアレにとって、その存在は大きかった。
アステールは親のように傍にいて、事細かに気遣う。
幼い頃から高度な教育を受け、戦闘技術を享受していたアステールは、もともと持っていた素質をさらに開花させ、王家の側近としても力を顕していった。
そうして成人に近づくと、友ではなく、王子付きの側付として傍に控えるようになったのだ。
他人であるのにいるのが当たり前。もう一人の自分のような。不思議な存在だった。
何かの気配に気づいたのか、アステールは口を閉ざすと、銃を構えていない、もう一方の手で守るようにソアレの頭を抱え込んだ。
こんな状況であるのに、そうされると安堵感が生まれる。大きな存在に守られている、そんな心地がした。
でも、俺も守れるようになりたいんだ。
今もアステールは俺を生かすことで必死だ。いざとなれば自分の命さえ捨てるだろう。
そんな存在を、守りたい──。
青い瞳に熱がこもる。
いつからかソアレはそう考えるようになった。もちろん、それは次期王としての自分の使命だからかもしれない。
けれど、それだけでは片付けられない何かを感じ取っていた。
銃を構えているその右腕に、そっと手を添える。
アステールなら、やれる。大丈夫だ。
アステールはこちらを見ることはなかったが、一瞬目を閉じ、息を吐き出した。その後震えは治まっていた。
「・・・行くぞ」
声と同時にぐっと腕に力が入り、ソアレを抱えるようにして、アステールが外へ飛び出した。
音に反応したのか、何かが草むらから飛び出してきた。強襲者の放った軍用犬のようだった。
すぐさま、アステールの構えた銃が急所のひとつ、額を撃ち抜く。
倒れたそれをよく見ると、犬ではなく何か別の生き物と掛け合わせたものだった。モンスターだ。
どっと倒れた先からまた三頭のモンスターが飛び掛ってきた。
「こっちだ!」
腕を引かれ、薄暗い森の中へと突き進む。
アステールは確実に急所を狙い襲い掛かる敵を撃ち落していた。二匹目、三匹目と次々と消えていく。
森の中に道はない。しかも暗闇であり、先を照らすものも僅かに木々の間から照らす月の光のみだった。
あと、一匹。
先を行くアステールに手を引かれながら藪の中を半ば強引に突き進むが、暗闇のため足元はおぼつかない。
一瞬、足を茂みに取られ、アステールの手を離した。その時、狙っていたかのように、最後の一匹が飛び出してくる。
「!」
とっさに腕で前を庇った。と、同時に頭を撃ちぬかれたモンスターがどっと体の上に降って来る。
視界の先にはアステールが銃を構えて立っていた。
「アステール・・・。流石」
「この程度・・・。それより、早く起きるんだ。すぐにまた新手がくる!」
モンスターの下敷きになっていたソアレを引き起こそうとしたその背後、獰猛なうなり声が聞こえた。
間をおかず、黒い影がアステールに飛びかかってきた。
「危ない!」
振り返って銃を構え直す間はない。ソアレは伸ばされたアステールの手をとっさに引き寄せ、逆に自分の下に庇った。
同時に鋭く重い衝撃が左肩にかかる。ガツっと、骨と牙がぶつかるような音がした。
「っ!」
「──!」
アステールが息を呑むのが分かった。
間をおかず、ソアレの肩越しに眉間を打ち抜かれたモンスターが、力なくどさりとそこへ崩れ落ちた。肩に感じていた衝撃もなくなる。
「アステール・・・。大丈夫か?」
「それはこっちの台詞だ! 馬鹿なことを・・・っ」
すぐさまソアレの下から身体を起こす。
「防護服を着ているから、これくらい大丈夫だ・・・。わかってやってる・・・」
アステールも同じ防護服を身に着けている。
あのまま庇わなくとも、自分と同じ結果だっただろう。でも、身体が勝手に動いていた。
「それでも、だ」
アステールはすぐにソアレの着ていた防護服を脱がすと、噛まれたであろう左肩を看た。
打ち身のため赤くはなっているが、出血はない。痛みは僅かにあるが、動かせそうだった。
少しほっとしたのか、アステールの表情が僅かに緩んだが、すぐに厳しいまなざしになると。
「後で手当てする──。こんな馬鹿な真似、二度とするな!」
「馬鹿馬鹿、言うなよ! 俺だってっ・・・!」
すると、アステールがぐいとソアレの胸元を掴んで引き寄せる。間近で見るアステールのアイスグレーの瞳は燃えるようだった。
「私たちは何のためにいると思っている? おまえが傷ついたのではいる意味がない。──まったく、ふがいないな。・・・俺も」
「あ、俺?」
普段のアステールの一人称は『私』だ。
『俺』と口にするのは初めて聞いた気がする。しかし、アステールは意に介さず。
「さあ、ぐずぐずしていられない。行くぞ!」
ソアレを抱えるようにして、アステールは走り出した。
どれくらい走ったのか。もう山頂に近いだろう。今のところ追っ手が来る気配はなかった。
木立の向こうに炎がみえる。それが何を意味しているのか、分からないほど子供ではない。
「親父は?」
「私と別れた時にはご存命だった。──しかし・・・」
アステールは炎を見つめるソアレに、ひたと眼差しを向け。
「首謀者は王レーゲン様の弟君。叔父のテネーブル様だ・・・。今晩、話があると急に王宮に訪れた。明らかに武装したその様子に、すぐに王は私をお前の下へ向かうよう指示を出された。以前から、動きが怪しいと噂はあったが、実際に行動に起こすとは・・・」
「テネーブルの叔父は、肝っ玉の小さいやつだからな。自分一人では何も出来ないだろ。どうせたきつけたやつがいるんだ・・・」
心はその炎の向こうにあった 王宮からも火の手が上がっているのか、空が赤く燃えている。
親父はきっと──。
唇をかみ締める。
王位を継ぐ者には、不思議な力が発現する。
その一つが、身近なものの生死を離れていながらも感じ取れる力だ。
その力が、父親の生きし死にを知らせてくる。けれど、それを認めたくない自分がいた。この力はまだ未熟で、あやふやな所もある。
だから、この目で見るまでは──。
父親を襲ったのは、父親の弟、テネーブルの叔父だ。
自分が幼い頃から、父親の兄弟同士確執はあった。それは、叔父の一方的な逆恨みでもあったのだが。
兄を羨んでの結果だ。兄であるレーゲンは、一言もテネーブルを邪険に扱うような言葉は発しなかった。
けれど、叔父の兄王への反意は消えなかった。
それでも、手を下せるほどの力は叔父にはなかったはず。いったい誰が叔父の背後にいるのか。アステールは表情を更に引き締めると。
「今は、逃げる。それが・・・王の命令だ」
「でも、どこへ?」
「亡き母君の弟、フォンセ様の所へ迎えと」
「遠いな。海を越えた向こうだ・・・」
ここからは見えない、広がる海原を思い出す。
幼いころ幾度か見た位だ。母親の実家でもある、ヴェスパへ訪れた際、目にして以来。
その母親は、ソアレが生まれて間もなく、産後の日だちが悪く、亡くなってしまった。
だから記憶にある母は、写真の中にある姿のみ。美しい母だったらしい。
その母に自分は似ているらしいが、いくら鏡で見ても、母の顔とは重ならない。ただ、むっつりと寂し気に鏡を覗き込む自分の顔がそこにあるだけだった。
その、過去の記憶にあるヴェスパへ向かうのか。
「こう言う事態もあろうかと、手はずは整えてある。山を下った先に王の配下の者が車が用意して待っている。今はそこまで行くことだ。さあ──」
アステールは促すと炎からさえぎるように、ソアレと炎との間に立った。
影になったその表情ははっきりと読み取ることは出来ない。
「アステールは、親父に拾われたんだったな・・・」
「そうだ」
アステールは過去に起きた他国との争いの中、父に拾われた。休むために立ち寄った町に、一人残されていたのだという。
息子の話し相手にと、歳の近い子供を捜している所だった。少し話をして、彼の持ち前の利発さを感じとった父親は、彼をつれて帰ったのだ。
「親父に、かわいがられていたもんな。俺が嫉妬するくらい」
「・・・・・・」
自分よりも、アステールのほうが実子なのではないかと、本気で疑った時もあった。
それほど、仲が良かったのだ。
「俺、強くなる──」
何もかも、守れるように。失わないように。傷つけないように。哀しませないように。
「・・・ああ」
背後に聞こえたアステールの声音が、穏やかなものに聞こえた。
山を下ると確かに車が用意されていた。
黒塗りのそれは華美ではなく、その辺りに走っている物と同等に見えた。
近づくと運転手側のドアが開き、これも黒尽くめの大柄な男が降りてきた。
「ヴェント・・・」
名を呼ばれた男は、長身を折り曲げ、僅かに目礼して見せた。
赤みを帯びた瞳は鋭くこちらを見据えている。同じく赤銅色の髪を後ろでひとつに束ねていた。肌の色は褐色。あごひげが強面のそれをさらに威圧的に見せていた。
王付きの親衛隊の一人。
まだ幼い頃何度かこの男に戦闘術を学んだことがある。
容赦のない男で、何度も意識を失ったことがあった。そのたびに、口では言わないが、情けないと態度で示されていた。まったくかなわず、悔しい思いを何度させられたことか。
しかし、昇進するとすっかり王付きの親衛隊となり、ソアレと手合わせすることはなくなっていった。こうして面と向かい合うのはそれ以来だった。
「王都から離れる──。長旅になるから覚悟するように」
「父親に・・・ついていたんじゃないのか?」
「直々に王子につけと命令が下った。──俺だって、王の傍にいたかったさ。だが背くわけにはいかない・・・」
「その言い方はなんだ? 王に何かあれば次の王はソアレだ。礼儀をわきまえろ!」
アステールが聞き捨てならないと食って掛る。しかし、ヴェントはなに食わぬ顔で。
「いいや──。俺の王はレーゲン様一人だ。・・・ただ、今は言い争っている場合じゃない。──行くぞ」
後部座席のドアを開けて乗るようにうながす。言葉はぞんざいだが扱いは王へのそれと同じだった。
座席へ乗り込むと、ドアが閉められ再び運転席にヴェントが乗る。助手席にはアステールが乗った。
いつにもまして無表情のアステールは正面を向いたままヴェントに問う。
「行き先は?」
「アベールの港だ。そこから船をチャーターしてカスペルの港へ行く。そこからは陸路でヴェスパヘ向かう」
「アベールか。途中、休憩を入れても二日はかかるな。途中で運転を変わろう。ソアレは休んでいてくれ」
「俺も運転変わる。交代で休めばいい」
「運転、できるのか?」
ヴェントはいぶかしげな視線をアステールに向ける。
「出来る。お前が思っている以上に、な」
「・・・へぇ」
「上に立つ者だからこそだ。人としてできる当たり前のことだ」
ヴェントは面白くなさそうに口許を歪めた後。
「剣の腕は? あれから上達したのか?」
ミラー越しにヴェントの視線がこちらに向けられる。
「あの頃よりは、少しはましになったと思ってる。はず・・・だけど」
何度も気絶させられた苦い思い出が胸によみがえる。
「まあ、これから嫌でも実践が待っているからな。見させてもらうぜ」
「わかってる・・・」
ソアレは過去の苦い思い出をよみがえらせながら、ため息をついた。
―2へ―
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